第8話 強く儚い者たち

 バンドなどで音楽をする場合、そこには意見の激突がある。

 そこで生まれる新たな音楽を、化学反応と言うことがよくある。

 今の時代、音楽を作ることは一人でも出来る。

 また他からの刺激というのは、創作された曲自体を聞けば、それで充分ではないのか、ということもある。


 しかし音楽というのは、人間が生み出すものだ。

 単純にメロディやコード、アレンジなどを工夫するのではなく、人間性同士の接触から、新たな音楽が生まれる。

 それを切実に感じていたのは、おそらく90年代ぐらいまでの人間であろうか。

 もちろん今でも、バンドをやっている人間というのは、そういうものを求めているのだろう。

 俊もかつては、朝倉たちとやっていたのだから、それは分かる。

 そこから離れたのは、純粋に音楽だけの問題ではなく、人格の接触が多くなり、俊の勉強の時間が確保できなくなったからだ。


 今、主に月子と話して歌う曲を選ぶということ。

 ここからは新しい発見がたくさん出てくる。

 彼女の歌うわずかなフレーズで、インスピレーションがどんどんと刺激される。

 そして歌える音楽の幅が、当初の想像よりもずっと広いのに気づく。

 アイドルソングの声から、自分は過小評価していた。それは認めるべきだろう。

 ただまだ、圧倒的に表現力が足りない。

 確かに民謡や、既にカラオケなどで歌っていたマリーゴールドは、自分自身のものとしていると感じた。

 しかしここでフレーズなどを歌ってもらっても、声質の美しさこそ感じるが、そこに感情が乗っていない。

 さすがに当たり前のことではある。


 俊はノートに色々と書きながら、選考を続ける。

「それってなんなの?」

「ああ、歌詞の断片とかを、コードとかスケールに結び付けてるんだ。忘れないようなメモだな」

「え、会話中に作詞してるとか?」

「いや、だから断片なんだ。歌詞なんてもんはもう、現在存在している単語から作られるわけだろ? それをどう組み合わせるかっていうのは、本当に感覚的なもんなんだ。無難なものならいくらでも作れる作曲よりよほど難しい」

「けれど歌詞は誰でも作れるけど、曲は無理だと思う」

「あ~……まあ勉強していけば分かるけど、音楽理論を学んで実際の音楽を聞いて何曲か作ってみれば、手先の感覚だけで作れるようにはなるんだ」

「そういうのって、やっぱり天才じゃないの?」

「違う。ただの技術だ」

 そこはきっぱりと否定する俊である。


 例えばギターのコードをおおよそ憶えてしまえば、それを順番に鳴らすだけで、曲の形にはなると俊は思っている。

 逆にこれに慣れてしまうと、真に創造性の高い作曲が出来なくなるかもしれない。

 もっとも曲の数を作るということ、特に完成させるということは、それなりに重要かもとは思う。

 複数の曲から要素を取り出して上手く作った曲が、それなりに受けたということはあるのだ。

「とりあえず、この二つの候補から選ぼうか」

「片方、すごく難しい……」

 そして俊は音源とギターを使って、伴奏を始める。



 

 その月子の歌を聞いた向井は、肌が粟立つのを感じた。

 確実にメイプルカラーのライブなどではありえない、圧倒されるこの感覚。

 ライブ感で感じるのではなく、曲の持っている力と、歌に乗せられた感情。

 それが向井のような、特に音楽に情熱を感じているわけでもない人間を、ここまで感動させてしまう。

(いや、これをずっと聞かされてたのか!?)

 他の四人は、こんな月子の歌声を。


 よく見てみれば、いつも笑顔のルリや、気丈なアンナの顔に、浮かんでいるのは諦めだ。

 他の二人も同じようなものである。

 圧倒的な才能というか、そこから生まれる感情を揺さぶる力。

 それは向井にとっては確かに、感動という形で受け取られる。

 だがアイドルとしてファンに、ライブで感情の熱量を与えられている彼女たちにとっては、違うものとして受け取られるのではないか。


 メイプルカラーの中では月子は、みそっかすではあった。

 ただそれはそれで、ある程度のバランスは取れていたのだ。

 美しいハイトーンボイスに、ルックスやスタイルは間違いなく一級品。

 そしてそれらをマイナスにしてしまう、コミュニケーション能力の特殊性。だからこそグループでは愛された。

 しかし俊がやってしまったのは、その全てを塗り替えてしまう、圧倒的なボーカリストとしての才能の証明だ。


 今までと、同じ関係ではいられない。

 そして歌っている月子は、散々俊に注文をつけられながらも、楽しそうに歌っているのだ。

 これが自分の生きる世界だ、ということを主張するように。

(これが、狙いだったのか)

 月子を歌わせる場所に、他の四人を共に置くということ。

 それは月子が、醜いアヒルの子であったことを、嫌でも分からせるものだ。

 もちろんここを提供したのは向井であるし、四人がここにいるのは自分たちの意思だろう。

 ただ、俊にとってはいいタイミングのように思える。


 そんな悪意を、向井は当初感じていた。

 だがピアノにギター、そしてシンセサイザーまで使って、音を作り出しては月子に歌わせている俊の姿を見ると、その悪意は無意識のものであろうな、とも思ってしまう。

 月子は俊の要求に応じて、その声を高らかに発している。

 その姿は間違いなく、メイプルカラーの内部では見られなかったものだ。

(もう、そんな時期なのか)

 やがて彼女たちのモラトリアムは終わり、それぞれの現実的な道に進んでいく、と思っていた。

 しかしこんな形で、進むべき道が閉ざされているのを示されるとは。

 皮肉なのは進むべき道が、一人だけには示されていること。


 俊は自分のことを、ただの学生だと言っていた。

 上を見れば限りなどないと、どこか透明な諦観をしていたように感じた。

 だが今、月子とセッションする彼は、間違いなく音楽を楽しんでいる。

 この二人は、未知の世界に行ける。

 門外漢の向井でさえ、はっきりとそれを感じるのだから。

 メイプルカラーの、閉ざされた世界の終わりは近い。




 結局この日は、15曲までしか絞ることが出来なかった。

 それは一部の英語歌詞を、月子が少し練習すれば歌えるようになるかもしれない、などという可能性を残したからである。

「それじゃあ今日の分」

「へへ~」

 俊から渡された封筒の中を見て、ニコニコの月子である。

 チェキなどの売り上げもあるが、これは間違いなく彼女が、自分の歌で稼いだ初めてのお金。

「税金とかは……まあ現金手渡しだから関係ないか」

 無邪気な笑みを浮かべている月子に、俊は毒気を抜かれる。

 さっきまでは自分を引きずりまわすように、表現にずれを感じさせながらも、圧倒的なフィーリングで歌っていたのに。

「とりあえず、二年で彩を超えることを目指そう」

 そんなことを言ってしまったのは、俊も興奮していたからであろう。

「彩って……あの? いや今をときめく日本最高の女性シンガーソングライターを……」

「どうせあと二三年が歌手としても旬だろうな。確かに技術は高いし声もいいけど、曲は明らかにゴーストだ」

 俊はそう言って、ノートPCから画面を呼び出す。

「こいつがメジャーシーンに出てきたら、一発で日本の音楽シーンは変わるかもしれない」

「全然知らない名前なんですけど……」

「暇な時にでも見ておいたらいいと思う。こいつは本物の天才で、しかも多分俺たちより若い」

 上を見れば限りはなく、そして下からあっという間に追い抜いていく者は、突然に現れるのだ。


 地下アイドルの世界を見ても分かるだろう。

 特にアイドルというものは、賞味期限の短い商品だ。

 向井も俊に対しては遠慮なく、青春のいい思い出になればいい、と言っていた。

 ただ月子だけは、そのように消費されては困るのである。

「彼女は英語もネイティブで歌えてるから、ひょっとしたら世界で通用する初めての日本のディーヴァになるかもな」

 作詞能力だけは微妙だが、作曲の能力はもしこれが自分で作っているなら、間違いなく最強の才能だ。 

 顔出しをしていないので、正体も完全に不明。また誰かとメッセージをかわしたことも、初期のほんの数語だけという。

 多くのボカロPや、普通にメジャーレーベルからも打診はあると思うのだが。


 上ばかりを見ているのではなく、今ははっきりと見える、進める道を歩いていくしかない。

「それじゃあ次は、どうにかアレンジしてみるから、そこから最終候補を絞っていこう。一週間後でいいかな?」

「そちらがいいなら、わたしは問題ないよ」

 てきぱきと荷物をまとめる俊を、月子も手伝う。

 去っていく俊と、残る五人。

 向井は追うべきか、それとも残るべきか迷う。


 俊には注意しなければいけないだろう。だが、ここを離れるのも不安が残る。

 たったの一日で、彼女たちの人間関係は変わってしまった。あるいはもう壊れてしまっているのかもしれない。

 だがまだ、誰にとってもこの関係は必要なはずだ。

「……やろう」

 笑顔などなく、いつになく厳しい声で、ルリがそれを促した。

「この後、予定のある人いないよね? レッスンしよう」

「でも、ここ夜は使われるんでしょ?」

「じゃあカラオケでもいいよ。せめてカバー曲をもっと歌えるようにしよう」

 ルリは確かにリーダーシップのある人間だが、ここまであからさまにやる気を見せることはこれまでなかった。

 それがここで、変わろうとしている。

 化学反応は、一箇所だけで起こっているわけではない。

「ミキもたくさん歌ってしんどいだろうけど」

「うん、大丈夫」


 折れていない。

 それを見つめる向井は、眩しさに目を細める。

 これが若さで、これが無鉄砲さで、これが力なのだ。

 結局最後に立っていられるのは、諦めずに折れなかった者だけだ。

 ただ立っているだけでは、そこに未来などはない。

 だがまだ、少なくともルリはグループを率いていこうとしている。

「よし、そんじゃこれでカラオケ行って来い」

 向井は財布から万札を取り出し、ルリに握らせた。

「俺はちょっと用事があるからな」

 そして自身は、俊を追いかけた。




 荷物が重い俊は、ゆっくりと歩くしかない。

 なので向井が追いつくことも出来た。

「手伝おう」

「すみません、来た時も彼女たちに手伝ってもらっちゃって」

「これからカラオケで、カバー曲だけでも練習するみたいだよ」

「……そうですか」

「下手をすれば今日で、メイプルカラーには致命的な亀裂が入っていたぞ」

「それは……モラトリアムの終了が、早く来ただけでしょう」

「確かにな。だがメイプルカラーを失ったら、ミキはどこに居場所を求めたらいい? 今はまだ、巣立ちには早い」

 そこまで言われて、ようやく俊は気づいた。


 アルバイトとレッスンとライブで、月子の狭い世界は回っている。

 日常というものが、彼女にはあまりにも少ない。

 両親をはじめとする保護者がなく、家に戻っても何をしているのか、その光景が浮かばない。

 俊の示した道を歩むにしても、まだ彼女にはするべきことが分かっていない。

 進むべき道が分かっているなら、どんどんと進んでいくべきだろう。

 しかし今の彼女には、そのための手段が足りていない。


 メイプルカラーという、雛のための巣は、まだ必要だ。

 少なくとも彼女が、歌だけで食べていけるまでは。

 プロデューサーを自認するなら、そこまで考えていかないといけない。

 単に彼女のためだけを思うなら、知っているレーベルのプロデューサーに、そのまま紹介すればいいだけだ。

 ただそのバックアップが、彼女に適しているとも限らない。

「俺は……才能は全然彼女には及ばないけど、なにをどうすればいいのかは、なんとなく分かるんです」

「才能なんて、その年齢で決めてしまうようなもんじゃないと思うけどな」

「それは社長が、圧倒的な才能の世界で、圧倒的な才能に晒されていないからですよ。まあ、諦めは悪いですが」

 向井から見れば、俊にも才能はある。あとはそれを、どれだけ磨いていくかだ。

 もっともこの青年が、怠惰に過ごしているなどとは、全く思ってもいない。

「ミキはかなり不安定だ。もうしばらくはメイプルカラーが彼女には必要だ」

 やがては巣立っていくのだろうが。


「そういえば社長が選んでくれた曲、歌ってもらいますよ」

「へえ、確かにいくつか推薦しておいたけど」

「『ダンシング・ヒーロー』に『チェリー』と『フレンズ』はほぼ決定です」

「それはまた、随分と古いのだな。確かに名曲だけど」

「最近また、アレンジされたりCMで使われたり、注目されたんですよ。特に彼女、スピッツの曲はすごく適応しますね」

「まあ、元がトーンの高い歌手だしな」

「他には『抱きしめたい』って言われた時は、てっきりビートルズなのかと思いましたけど」

「あ~あ~あ~なるほど」

 ビートルズあたりは、発売当時カタカナ表記で出している曲もあるのに、なぜか日本語訳されたタイトルの曲もある。

 これは70年代までなら他のグループにあったりして、色々と混乱するのだ。

  I Want To Hold Your Handを抱きしめたいというのは、意味が変わってしまっているが、確かにセンスがいいとも思うのだが。


「ユニットを組むというのは、君にとっては手段の一つなのかもしれないが、今のミキにとっては人生を変えることだと理解しないといけないぞ」

「……俺にとっても、これはかなりの賭けではあるんですけど、何か考えますよ」

「賭けと言っても、君は本当に食うのに困ったことなんてないんじゃないか?」

「恵まれた環境に生まれたからといって、何かに飢えたことがないというわけじゃないです」

「それが君にとっての音楽なのか?」

「そうですね。ただ俺の本当に求めるのは、父親でも到達できなかった場所なんですけど」


 そう、俊はただ、父親の影を追いかけているわけではない。

 その父親すら憧れた、はるかな昔。

 音楽が世界を変えると、本気で信じていた人間がいた時代のことを、羨ましく思っている。

 音楽の変遷を学べば、それは本当にただの理想で、夢想であったと分かる。

 イマジンで平和を歌ったジョン・レノンは、狂信的なファンに殺されたのだ。

 もちろんそれは、逆方向に人間の心を動かす力の証明にはなったのだが。

「ミキが客の前で歌えるようになったら、どこかのバーで歌わせてもいいかもな」

「いや、それは無理でしょう。彼女は確かに天才ですけど、まだ引き出しが少なすぎるし、歌を理解して解釈し、表現する力が根本的に足りてないです」

「辛辣だな」

 そこは甘くない俊である。




 月子の場合は家庭環境が複雑である。

 駄目なら故郷に帰れ、というわけにはいかないのだ。

 俊は多くのミュージシャンを見てきたが、それをプロデュースする会社の事情などには、さすがに詳しくない。

 ただ大学に来れば、詳しい人間がいるのだ。


 俊は岡町に、先日録音した音源を聞かせる。

 スタジオでしっかりとレコーディングなどをしたものではないが、岡町もかつて日本でナンバーワンと言われたバンドのベーシスト。

 才能を見極めるというか、聞き分ける力はしっかりしている。

「……お前が夢中になるのも分かるよ」

「オカちゃんがそう言ってくれると、確信が持てる」

「本当ならレーベルに所属して、ちゃんとしたバックアップからデビューがいいと思うが」

「でもそれじゃ、商品の域にまでしか届かない」

 芸術性にこだわるのは、俊の美点であり欠点でもある。

 岡町としては、その二つを同時に達成してほしい。


 商業的に売れるというのと、やりたい音楽をやるというのでは、大きな違いがある。

 もちろん売れるための努力は、この資本主義社会では必要なことである。

 売れなければ続かないのだ。

 俊も売れればいいというわけではないが、己の美意識を満たした上で、ちゃんと売れてほしいと考えている。

「レーベルに所属したら、どうしても自由にはやれなくなるし、そもそもユニットを組めるとも思わない」

「まあ……単純に売るためだけなら、楽曲の提供を受ければいいだけだしな」

「それにこのタイプの声を、大ヒットさせたことってないだろ?」

「お前が一番、この才能を活かせると」

「そこまでは言わないけど、音楽って結局、相性があるだろうし」

 俊は自分が思っているより、好き嫌いが激しいのだと、岡町は見抜いているが。


 ただメジャーシーンに乗るだけなら、いくらでも方法はあるだろう。

 だが伝手をたどるには、俊には味方も多いが敵も多い。

 圧倒的な人気、オーディエンスが求めるものを作って、それから主導権を握って自分の音楽をやるのだ。

 しかしそれとは別に、月子の生活については考えないといけないだろう。


 彼女はその人格の成立過程からして、あまりにも不安定だ。

 そしてこの東京では、メイプルカラーにしか人間関係の基盤を持っていない。

 アルバイト先は、あくまでも生活の糧を得るための場所でしかない。

 人はパンのみにて生くるにあらず。

 確かにメジャーレーベルにでも所属したら、新たな場所を手に入れることにはなるだろう。

 しかしそれは彼女には合わないと考える俊は、自分の都合が入っていることも、ちゃんと分かっていた。

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