第7話 化学反応

 ミューズという言葉がある。

 芸術的な分野を司る、ギリシャ神話の女神たちだ。

 現実では音楽家や芸術家に、インスピレーションを与える存在を、よくそう呼ぶ。

 俊が月子をそう思ったのは、単純に歌ってほしいなと思う上手い歌い手だけなら、世の中にはそれなりにいるからだ。

 対して月子に感じたのは、義務感に近い。

 これは世の中に出してやらなければいけない、そして自分は彼女を世の中に出す曲を作るべきだと。

 運命的なものを感じる俊は、それに変に引きずられないように心がけていた。


 月子の歌の力を、最大限に引き出す。

 まずは既存の曲から、それを選ばなければいけない。

 自分は5曲と言ったが、それはある程度、月子の意見も聞き入れるための提案だ。

 実際はあの、マリーゴールド以外はあまり期待していない。

 それに俊は、単純な流行をカバーするだけでは、世間に埋没するだけだと分かっている。


 良いものは受け入れられる、というのは幻想だ。

 当時はまったく省みられなかったものが、何年もたってカバーされて売れる、ということはあるのだ。

 楽曲はまだしも、絵画などはよりそれが顕著であるだろう。

 ゴッホは生前、絵が一枚しか売れなかっただとかいう極端な説もあるが、少なくとも数枚しか売れていない、というのは確かである。

 音楽はそれに比べれば、まだ直接その場で聞かせるだけ、即時性があると言っていいだろう。


 月子を売り出すための方法。

 まずはこの10曲をどう選ぶかが、重要なものとなってくる。

 選曲も重要だが、それをどうアレンジしていくか。

 色々と考える俊は、バイト中でもCDの棚を眺めたりしていた。

 出たばかりの最近過ぎるのは良くないし、しかし古くて誰も知らないのでは困る。

 また時代性があったので売れた、というのもあまりよくはないだろう。


 その中でも俊は、ある程度は目をつける基準は考えた。

 まずネットに流すのだから、そこで受け入れられる歌でないといけない。

 また出来れば洋楽を一曲は入れたい。

 俊はジャンルに対するこだわりがあるが、それもとにかく知名度を上げてからが問題となるだろう。

 イメージ戦略は大事になる。

 実は月子が選んでくる曲には、あまり期待していない。

 ここで駄目出しを食らって、俊が主導権を握った方が、おそらくは今後はやりやすい。

 ただ自己肯定感が低いらしい月子を、上手くコントロールするのは難しいだろう。


 曲作りに必要だという理由で、メンバーからの話は聞いた。

 しかし月子の境遇は、数度会っただけの人間に、すぐに話してしまうようなものではない。

 彼女は両親の死と、その後の祖母の下での生活で、かなり人間関係の構築が下手に見える。

 今のところは、急速に俊には接近しつつある。

 だが依存してもらっては、それを受け止めるほど、まだ俊にも余裕はない。




 現代の音楽のメジャーシーンを考えると、EDMというファクターを無視するのは愚かである。

 エレクトロニック・ダンス・ミュージックの略称であるが、起源は古く70年代のディスコミュージックあたりまでが元とも言われる。

 電子音楽による演奏で、その名の通り踊れる音楽を作る。

 そもそもアメリカの音楽というのは、ダンスミュージックが多い。 

 ハワイアンブームなどを考えれば、その元はさらに古い。

 欧州のクラシックを取り込んだり、はたまた黒人音楽から影響を受けたりと、現代音楽はクラシックの古典や民族音楽までをも含んで、どんどんと発展していく。


 そして今は、ついに声までをも作ろうとしている。

 ボーカロイドというのは、そもそも声を電子的に作ろうというのは、はるか昔から存在はしていたのだ。

 ただそれが一般の人間の手にまで、届くところに来ている。

(それでも、まだ恵まれている人間だけではあるけど)

 自分が恵まれていることは自覚した上で、それに変な罪悪感を感じるのはやめた。

 恵まれてなお、目指す高みに全く届かないのなら、さらにアドバンテージを活かすしかない。

 

「オカちゃん、ちょっとこれ聞いてほしいんだけど」

「うん?」

 俊がUSBメモリを差し出したのは、大学の作曲科の講師であり、ベーシストでもある岡町。

 かつて俊の父の仲間であり、さらに言えば戦友であった人物である。

「また違う方向で攻めてくつもりか? 三つも名前を使い分けて、四つ目となるともう意味なんてないだろ」

「いや、今度はユニットを組もうと思ってる」

 子供の頃からの顔見知りである岡町には、俊もなかなか遠慮がない。

 そして岡町も、俊のことは親戚の子供、という程度には特別視している。


 PCとヘッドフォンを使って、音源を聞いていく。

 含まれていたのは、曲をぶつ切りにしたもので、その意図は明白であった。

「この声と、組むのか」

 そう言った岡町の表情には、普段のだらしなさが消えている。

「歌ってる曲はアイドルソングか? どこで見つけた?」

「地下アイドルで最低人気だった」

「いまだに埋もれる才能っていうのはあるんだな……」

 岡町の世代からすると、地方の人間がネットとDAWで歌を配信出来る、という現在は贅沢に思える。

 そんな時代でも東京で、こんな天性の声の持ち主が、売れない地下アイドルなどをしているのか。


 自分で選んで独学やコピーから始めた岡町は、後から音楽理論で、自分の音楽を強化していった。

 そのため英才教育と言えるような、幼少期から正しい音楽理論を知って、それが逆に枷になっている俊の気持ちは複雑だが理解出来る。

 量産する能力はあるが、突き抜けたものを作れない。

 ほどほどの曲は手癖で作ってしまえるが、そこに本当の創造性がないのだ。

 頭でっかちな秀才。

 そこから曲が出るとしたら、今までにない刺激をインプットするしかないのだ。




 俊は岡町に、自分の戦略について相談をする。

 ただ岡町は、技術的にはともかく、現代のオーディエンスの感覚には、ついていけないところがある。

 だから実力を持ちながらも、バックミュージシャンやスタジオミュージシャンとしての仕事は最低限に、こうやって講師をしているのだ。

「狙いどころは間違っていないと思うが、あとは選曲だろうな」

 現代の若者がどう音楽を消費しているかなど、もはや岡町よりも俊の方が詳しい。

 ただその現状を、このままにしておきたくはない、と考えているのも俊なのだ。


 BGMとして流している人間を、音楽に引き込みたい。

 そんな力のある音楽を、俊は求めている。

 世の中のポピュラーミュージックとは、一線を画した存在でありたい。

 無茶な望みである、と岡町は思うし、俊も頭では理解している。

 だが情熱が突っ走っている今の年頃は、そのままの勢いで走っていってもいいのだ。


 そんな俊はまず、月子を歌い手として有名にしようとしている。

 そしてそのためには、メジャーな歌をアレンジカバーして歌わせる、というのも悪い手段ではない。

 新しいムーブメントは、常に若者の間から生まれる。

 ただ若者が、古いものを新たに発掘する、ということもあるのだ。


 俊は、これだけは絶対に自分には持てない、当時の同時代性を岡町に求めている。

 古いが今でも通用する、というものだ。

「60年代から70年代の洋楽は、お前もけっこう聞いてるんだよな」

「ブルースとかロックンロールから、60年代のビートルズを中心とするブリティッシュ・インヴェイジョンにつなげるのは当然でしょ」

「ビートルズはもう古典になってるし、教科書で扱われてたりするから、受け入れやすいとは思うが、そもそも英語で歌えるのか?」

「それは確認してないんだけど、洋楽もいくつか試してみようかなとは思ってる」

 俊はああ言ったが、自分は30曲ほどは準備していこうと思っている。

 月子が選んでくる曲は、数を増やすのが目的で、あまり期待はしていない。

 傲慢な考えだが、若者に特有の特権でもある。


 そんな俊が考えているのは、ネットによる配信のため、対象とする層を絞るべきだというものであった。

 ネット文化というのは、受信する者がそのまま発信する。

 そして仲間意識というものが、どうも強いように感じる。

 そのためこのネットで発生した楽曲を、ある程度は入れようと思っているのだ。

「ネットというと、今ではMV(MUSIC VIDEO)とかもあるけど、それとは違うものとして考えているのか?」

「具体的にはボカロ曲」

「ああ~、お前の『スキスキダイスキ』とかか」

「あれは反応を見るために作ったネタ曲だから忘れてほしいんだけど……」

 黒歴史ではあるが、重要な実績を集めることも出来た。


 俊がサリエリで作っている曲は、自分なりにオリジナリティを考えた上で作った物であり、サーフェスの名で発表されたものよりは、おおよそ再生数は多い。

 一部の再生数が逆転されているのは、何が受けるのかは聞く側が決めるものであるからだ。

「それと少し前のアニメタイアップ曲」

「今じゃむしろ、アニメタイアップは売れるものだけどな」

「うん、ちょっと前のアニメの曲を知る機会があったんだけど、その中からいくつかポテンシャルの高い曲があったから、これをアレンジして歌わせれば、ネットの中のオタクを釣れるかなと」

「お前のオタク蔑視も厳しいもんがあるな」

「別に俺はオタク全部が嫌いなわけじゃない。言うなれば俺も音楽オタクなわけだし」 

 プロ意識は持っていても、自分の名前で音楽をして食っていくわけではない。 

 それはプロではないのでマニア、あるいはオタクというのが俊の認識なのだ。

 ただドルオタに対する憎悪は、本人も公言している。


 俊はここで、岡町の知識を借りるのだ。

「実際のところ、90年代とかのアニソンの扱いってどうだったの? 一応オリコン上位を取ってたりもするけど」

「確かにそういう曲もあったけど、今のタイアップとはかなり違ったからなあ」

 まさに90年代こそ、岡町が現役で活躍していた頃だ。

 確かにアニソンとのタイアップはあったが、あの時代はもっと純粋に、音楽の力が強かった。

 宣伝によって売れると言うよりは、どうやって売り出すかということが重要な時代であったのだ。

 ちなみにその頃、岡町もまた、ドルオタというかアイドル文化を馬鹿にする若者ではあった。




 ここまでの話し合いなどは、あくまでも本格的な仕事に入るための下準備。

 しかしここからは、まさに仕事となる。

 つまり約束していた報酬を払う段階になっているのだ。


 土曜日の昼過ぎから、俊はまたあのレッスンスタジオを訪問していた。

 向井が使っていいということなので、好意に甘えることにした。

 以前とは違って、必要な機材もある程度抱えている。

 基本はPCだが、サンプラーやアンプ、そしてギターにシンセサイザーなども持ってきている。

 さすがの大荷物に、家にある車を運転してきたものである。


 直前までレッスンをしていたと言うが、メイプルカラーのメンバーがまだスタジオにはいた。

「ピアノがあれば充分じゃないの?」

 そろそろ気安くなってきたルリなどは、軽い物を運ぶのを手伝いつつ、そんな声をかけてくる。

「ピアノだけだと、どうしても音がクリアなものだけになるんだ。あと手伝ってくれても手は貸さないから」

「これはミキのためにやってることだよ」

 美女の上目遣いにも、反応しない俊である。


 本格的な機材は、これでも持ってきてはいないのだ。

 それでもマイクなど、簡単なレコーディングが出来るようには持ってきてある。

 もちろんさすがに、本格的なレコーディングなどは、大学の設備を使うつもりだが。

「今日は最低でも10曲を選んで、出来るならアレンジの方向性も決めてしまおう。じゃあ早速……見てるの?」

 メイプルカラーのメンバーが、しっかりと監視していた。

「もしもコーラスの必要な曲にしたら、その要員が必要じゃない?」

「その時はミクさんにお願いする」

 なお俊はメインではミクさんを使っているが、GUMIさんにもお世話になっている。


「皆にも候補を出してもらいました」

「まあ、それはいいんだけど」

 一枚目の紙に、数曲のリストがある。

 俊はそれを見て、やや頭を痛める。

「これまでは仕事前の交渉ということだったけど、ここからは仕事だから遠慮なく言わせてもらう」

 漢字四文字のタイトルを、俊はとんとんと叩いた。

「男女ツインボーカルの曲を選んでどうすんだ!?」

「渡辺さんが歌うとか」

「俺は楽器は弾けるけど、致命的に歌は下手くそなんだ」

 へ? という顔が五つほど並んでいるが、事実であるのだから仕方ない。

 実際男女ツインボーカルが許されるなら、確かに歌ってほしい曲は俊にもあるのだ。


 俊は次々と駄目出しをしていく。

「これ、歌えるのか?」

「歌えますよ。あ~……エンダ~~~~~~~~~~~~~~~」

「却下だ!」

 声がいいのは認めるし、将来的には期待できるかもしれないが、歌詞を歌えないのでは仕方がない。

「するとこれも駄目なんじゃないのか?」

「え、ええと……レットイットビ~ レットイットビ~ レットイットビ~ レットイットビ~~」

「洋楽は禁止だな」

「他にも選んでるのに~」

「いや、少なくともカタカナ英語をどうにかしてからじゃないと」

 本当に頭が痛くなってきたが、可能性は感じた。

 声の質というのは、本当にどうしようもない才能ではあると思う。




 しばらくは一方的に、月子側の選んだ曲に対する駄目出しが続いた。

 ただマイナーな曲を見つけて、俊はちょっと嬉しくなった。

「プリテンダー、これは歌えたらいいな」

「あ、これなら歌えますよ」

「え、ちょっと意外だな。男性ボーカルの曲だろ」

「一時期大流行してましたからね」

「そんなに……流行してたっけ?」

 首を傾げる俊であるが、月子は立ち上がって歌う姿勢になる。

「じゃあ伴奏するよん」

 どうやらピアノが弾けるらしいカナエが、既に準備をしていた。


 ピアノ伴奏で歌う月子のプリテンダー。ちょっと期待する俊である。

 だがほんの一小節というか、数音聞いただけでまた首を傾げる。

 そして月子は情感たっぷりに歌いだし、俊は己の勘違いに気づいた。

「プリテンダーだったな、確かに……」

 俊が想像したのは、フー・ファイターズの「The Pretender」である。

 それはともかく、これもボツである。

「え~、どうして?」

「いや、男性ボーカルの曲でもいいとは言ったけど、この歌詞の最後とかを女性ボーカルが歌うのは違うだろう」

「あ~」

「確かにナルシストっぽい?」

「百合だと解釈すればなんとか」

「まあ、一応候補には入れておくか」

 消極的ではあるが、他の曲が駄目であれば、これを入れてもいいだろう。

 純粋に歌唱力を示すなら、確かに流行歌ではある。

 俊は曲は憶えていても、タイトルを忘れていたが。

 もっと単純に理由を言えば、これは大流行しすぎている、ということもある。実際に女性が歌う動画もあるのだから。


 そろそろ一つぐらいは、月子側からの提案にOKを出したい。

 そう思っていたところに、知らないタイトルが出てきた。

「これは知らないな」

 検索をしてみれば、すぐに出てくるのはありがたいところである。

「ん?」

 出てこないというか、それらしいものが出てこない。

 ちょっと検索の仕方を変えてみたら、確かに出てきた。

「ああ、これはこの間の調べたところから見つけたのかな?」

「ですです。いい曲でしたよ」

「知らないな……」

 それでも普通に、ネットでは流れているのである。


 ストリングスから始まる曲は、確かにキャッチーなバラードである。

 それに歌詞に含まれている要素も、少し浮世離れはしているが、月子なら歌えるのだろう。

 サビのあたりなど、彼女の声で歌ったら、上手く感情が乗れば凄いことになりそうだ。

(世間に埋もれてる名曲は多いな。しかも邦楽なのに)

 ボカロの方はかなり調べていたつもりであったが、あちらの世界では新人から突然名曲が出てきたりする。

 ただこの曲も調べてみたら、それなりに評価は高い。

(世の中の必要なことを全部知るためには、時間が全く足りない)

「この曲は後でちょっと試して、いけるようなら候補にしよう」

「やった、確定一曲目」

 どうやらこれを選んだのは、ノンノであったらしい。

 俊の認識からは薄かったが、これこそまさに人海戦術とでも言うべきなのだろう。


 それにしても、本当に自分たちがいいと思った曲を選んだだけのようである。

 月子はいい声をしているし、その声域も広い。

 だがそれでも、向いている曲というものはあるのだ。

 少なくとも俊は、ボカロの超高速曲を歌わせようとは思わない。

 ただ月子の声は根本的に、初音ミクで作った曲には、かなり合うような気はする。

 もっとも上を目指すなら、クリアなハイトーンだけではなく、ノイジーな太い声をどう出せるか、というのも重要になってくるが。

 民謡の唄を調べてみたが、おそらく月子なら歌えるとは思う。




「やってるか~?」

 仕事を終えた向井が、どうなったことかと顔をだした。

「さっきと言ってること違うじゃない!」

「駄目な部分を引いてでも、意外性のプラスを求めるんだよ!」

 いつの間にか全く遠慮なく、大声で語り合っている俊と月子である。

 何があった、と向井などは思う。


 呆れたようにそれを見ている他のメンバーに、おざなりに質問してみる。

「なんだか急に仲良くなっちゃってない?」

「まあ、仲がいいかはともかく、本音では話してます」

「結局音楽のことを話すのって、自分の感性をぶつけ合うことなんじゃないですか?」

 アンナが何やら深そうなことを言ったが、いきなりこれで空中分解しないのだろうか、と向井などは思った。

 仕事でも妥協しないために、追い込むように話し合う、ということは必要だ。

 しかし二人とも、感情的になりすぎているのではなかろうか。


 だが考えてみれば、音楽など感情のぶつけ合いである。

 きっちりとした計画が必要なのではなく、表現の世界で必要なのは、まさに感情というノイズ。

 二人の間にあるパワーがそれぞれ激突して、もっと大きなパワーになるのか。

(でも音楽性の違いで解散するバンドは多いんだよなあ)

 若者たちの青春を、生暖かい目で見つめる向井であった。

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