四章 ラストピース

第41話 ぼっち・ざ・ぎたー

 迷いがある。

 西園栄二という人間が自分を規定したのは、もう七年も前になる。

 現在の妻との間に子供が出来てしまって、不安定な音楽の世界で生きていくか、あるいはカタギに戻るか迷ったのだ。

 しかし真面目にキャリアを積み、実力があるならば、かろうじて音楽の世界で生きていくことは出来た。

 ドラムとしては華がないと言われながらも、そのプレイが実際は極めて高いレベルにあると評価されて。


 ルックス重視であれば、代わりはいくらでもいた。

 実は今でも、レコーディングでは自分が叩いているのは秘密だ。

 ただジャックナイフも、そろそろ賞味期限切れになりそうではある。

 今はまだ、スタートダッシュを決めたばかりのノイズはどうであろうか。

 確かに月子の声は、そうそういないという質のものである。

 あと暁も、異才と言っていいだろう。

 単純に天才と言うには、あまりにもギターに特化しすぎている。


 あの二人に比べれば、信吾などは秀才とか職人とか、そういうタイプではある。

 ただメジャーデビュー間近のバンドを抜け、まだ組まれたばかりのバンドに参加するというのは、確かに嗅覚に優れている。

(俺に似てるのかなあ) 

 そう思ったりもしたが、西園の場合は保身というものが大きかった。

 元のバンドも、成功してくれと祈っていたのだ。

 ドラマーとしての技術は上がっていくが、そもそも新しいバンドに必要なのは勢いだ。

 そのあたり、俊も勘違いしていると思う。


 ただ俊は、明確に六人と言っていた。

(あと一人、レギュラーメンバーに必要か?)

 リズムギターあたりが一般的であろうが、その役割は俊がシンセサイザーでこなせばいいだろう。

 管楽器でも入れるのかと思うが、それは今の音楽性に合うのだろうか。

 ストリングス系を入れるにしても、専門が必要だろうか。

 そもそも六人というのは、バンドとしては充分に多いのだ。


 バンドの音に厚みを出したいなら、ギターをもう一本といったところか。

 ただ俊がマルチプレイヤーなので、やはり俊でもフォロー出来ない楽器。

 サックスあたりを入れてもいい。ただそれを前提として作曲をすると、音楽の方向性の問題となってくる。

 ただその六人目というのが、本当にバンドに必要な要素となるなら。

(未練だな……)

 最強のバンドというものへの憧れ。

 それは西園の中にもまだ残っている。




 暁は高校において、自他共に認めるぼっちである。

 ただコミュ障というわけでもなく、普通に話などは出来る。

 なのでちょっと変わり者の人間、というポジションを既に確立している。

 これでも昔はもうちょっと、会話の中には入っていったのだ。

 だが音楽漬け、特に60年代から70年代のハードロックで育った暁には、同年代と共通する話題が少ないのだ。

 天才には欠落した人間が多いと言われたりするが、暁の場合は明らかに、片親不在から発生した問題だろう。

 もっとも大人相手や子供相手には普通に話せるので、そのあたりが不思議なところだが。


 暁は退屈していた。

 休み時間などはずっと、スマートフォンとイヤホンをつないで、ずっと音楽を聞いている。

 自然と少しずつ、右手の指が動いてしまう。

(世界にはいっぱい音楽があるなあ)

 そうは思うが、実際のところ好き嫌いはかなり激しい。


 気になった音楽ということで、最近は彩の曲なども聞いてみた。

 そしてやはり、デビュー当初からの三曲以外は、縮小再生産か、よりキャッチーなフレーズを入れているだけに感じる。

 もちろんそれだけでも、売れる曲を作るのは充分にすごい。

 だがこれが今の日本のトップクラスなのかな、と思ってしまうこともある。


 おそらくトップクラスというのは、もう過去の実績であるのだ。

 歌唱力だけでなんとかしている、という面はある。

 そもそも単独のシンガーというのは、あまり暁の好みでもないのだ。

(しかし俊さんのオススメ変にいいところ突いてくるなあ)

 80年代から90年代というのは、妙な名曲が埋もれていたりする。

(宇宙戦艦ヤマトって普通に今でも演奏されてるんだなあ)

 それは70年代である。


 そんな暁だったので、声をかけられたことには気づかず、肩をつつかれてようやく顔を向ける。

 ショートカットの同級生がそこにいた。

「あ、香坂さん」

「何聴いてんの?」

「ん~色々。聴いてみる?」

 クラスメイトではあっても、これまで積極的に会話したことはない。

 普通に友達がいて、普通に生きている。

 暁とは違う、普通の人間だ。


 イヤホンを耳に入れた香坂に向かって、適当に音楽を流そうとしたら、最初にノイジーガールがあった。

「かっけー」

 まだギターが入っていない音源であるが、ノイジーガールは確かにかっこいいのである。

 早く完全版をレコーディングしたいとは、俊も何度も言っている。

 機材などは大学のものを借りるので、あとはスケジュール調整だけとも思うのだが、そもそもレコーディングならば、全員が集まる必要もない。

(あたしのギターでツキちゃんを歌わせたいんだけど)

 いったい俊は、まだ何を待っているのか。




 半ば考えことをしていた。

 なので曲の終わりに、香坂が泣いているのに気づいて、ぎょっとしてしまった。

「ちょ、大丈夫?」

「あ~、うん、これ歌ってるの、誰?」

「ノイズっていうバンドのルナっていうボーカル」

「そっかあ……。なんかこの人の声って、綺麗だけど悲しい感じがする」

 暁としてはこの音源をレコーディングした時の月子のことは知らない。

 かなりアップテンポで、それなのに歌詞は切なくて、心に響くものだとは思った。


 感受性が豊かなのかな、と暁は思う。

「そういえば、何の用だったの?」

「ああ、うん」

 ぐいと涙を拭って、香坂は本題を出す。

「安藤さんってギター弾けるんだよね?」

「弾けるけど」

「あたしに教えてくれないかなあ」

「なんであたしに?」

「う~ん、あたし軽音部に入ってるんだけど、夏休みにライブハウスデビューって話になってて」

「軽音部?」

「安藤さんがほんのちょっとだけ入ってたのは、他の一年に聞いたんだけど」

「……ならあたしに教えてもらうの、ちょっとまずくない?」

「そこはだから、こっそりと」

 暁としては高校の軽音部に、もう未練も恨みも、そしてどんな期待もない。

 クラスメイトからの、ちょっとした頼まれごと。

 ただ暁は、自分が人にギターを教えられるのだろうか、と思うことがある。


 自分のギターは、走りすぎる。

 分かっていても止めることが出来ない。

「ギターは持ってるの?」

「今は軽音部の備品貸してもらってる。もうちょっと上手くなったら自分の買うんだ~」

 ああ、ギターを買うのは楽しい。

 もっとも暁の場合、選べる余地が極めて少ないが。

「いいよ。あたしも人に教えることで、何か学べるだろうし」

「やた」

「今日の放課後空いてるから、うちに来る?」

「うん」

 この学校の軽音部の活動は、およそ週に三日程度。

 それも二時間から三時間程度となれば、初心者が上手くなるのに時間は足りない。

 本気になるなら、練習時間が圧倒的に足りないのだ。




 放課後、校門ので待ち合わせて、ギターを音楽室から持ってきた香坂と合流する。

「最初は軽音部入ってなかったの?」

「そうそう、だから安藤さんのことも後から聞いたんだけど、具体的に何をしちゃったの? 話したくないならいいけど」

「何をしたってわけじゃないんだけど……あんまり練習してないなって思ったから」

「けど学校の軽音なんてそんなもんじゃない?」

「そういう香坂さんは、わざわざ練習しようとしてるんだよね」

「うん、四曲演奏するんだけど、一曲歌わせてもらえるからさ。ならもうちょっと上手くならないと、って思って」

 なんとも健全な理由である。


 暁は友達が、同世代だとバンドメンバーぐらいしかいない。

 ただの友達というのとは、また違う存在だ。

 月子にしても三歳年上だし、話が完全に合うわけではない。

 それでも音楽を通じてなら、色々な人間と話すことが出来る。

 対バンしたバンドの人間となら、色々と話すこともある。

 もっとも門限を考えると、それもなかなか難しい。


 そういえばマンションに同級生を招くのは初めてではなかろうか。

「どうぞ」

「お邪魔します」

 とりあえずダイニングに案内して、飲み物などを出してみる。

「安藤さんはどこで練習してるの?」

「うち、狭いけど一室が防音なんだ。あとはバンドメンバーがスタジオ持ってたり、大学のスタジオ借りたり」

「あ、やっぱバンド組んでるんだ。学校の外の人?」

「そう。お父さんの昔の仲間の子供のお兄さんとか、その人が集めてきた人とか。固定が四人で、あとヘルプにもう一人」

「すごく本格的なんだね。お父さんって元ミュージシャンとかなの?」

「現役だよ。スタジオミュージシャンで、レコーディング参加とかツアーメンバーとかでやってるから、名前は知られてないけど」

「プロ!? だからギターとかも上手いんだ。あれ、でも三橋先輩も親がミュージシャンとか言ってたような」

「らしいね」

 二年の三橋という女子生徒が、学校の軽音部では一番上手い。

 基本的にはギタリストだが、歌えるしベースも弾けるし、ドラムも叩ける。

 彼女がいるから、軽音部の活動は活発になっていると言ってもいいだろう。


 演奏する曲を確認してみれば、洋楽の古典を一つに、あとは邦楽であるという。

 そのリズムギターの部分を、香坂は弾くのだという。

「うん、それほど難しくはないかな」

 ただ自分で歌う曲は、相当に古いものだが。

 一応楽譜も全部用意され、アレンジもしてある。

(俊さんみたいに上手くはないなあ)

「よし、それじゃあ練習しようか」

「お願いします」




 父はちゃんと練習する場合は、会社のスタジオに行く。

 だがとりあえず調整したい時などは、普通にここも使うのだ。

 それにギターをいくつも持っているので、ここは保管庫代わりにもなっている。

 ギターに乾燥は天敵である。湿度が高すぎるのも悪いが。

「うわ! さすがプロの家! 何本ギターあるの?」

「どうだろ? 買ったり売ったりもらったりあげたりしてるみたいだし」

「あれ? でもなんか……おかしいような……」

 並ぶギターを前にして、香坂は気づく。


 そして暁がレスポールを取り出したところで、その違和感が分かった。

「左利きなんだ」

「そう。だから対面であたしの真似をすればいいだけ」

「すごく分かりやすそう!」

「それじゃあとりあえず、どれだけ弾けるか見せてみて」

「了解了解」


 そして香坂は、アンプにつないだギターを鳴らし始める。

 リズムギターなので基本的には、コードをつないでいくことになる。

 だが運指がスムーズではないし、ピッキングからして下手くそである。

 素人が数ヶ月頑張りました、という程度のものだ。

 タブ譜通りに弾こうとしているのだろうが、根本的に技術が足りていない。


 これでライブに出るのか。

 試験も終わったし間もなく夏休みであるから、本当にもう時間もないはずだ。

 とりあえず一曲聞き終わって、暁は確認する。

「ライブっていつ?」

「7月26日」

 偶然にもノイズと同じ日である。

「とりあえずコードがまだ上手く押さえられてないね」

「う」

「最初はゆっくり確実に弾けばいいんだけど、本番で追いつけなくなったら、最悪キーの音だけ弾いて、他は弾かなければいい」

「え、そんなんでいいの?」

「間違っても先に進むのがいいんだよ」

「ちなみに安藤さんなら、これはどう弾けるの?」

「う~ん」


 暁なら普通に弾ける。

 ただ技術の圧倒的な違いを見せ付けて、それでいったいどうなるのだろう。

「タブ譜通りに弾いてくと、こうなる」

 そして変に付け足すこともなく、テンポも元の通りに弾いてみる。

「かっけー。上手い」

「10年毎日弾いてたら、普通にこれぐらいは出来るから、単純に時間の問題だよ」

 そう、結局はそういうことなのだ。


 世の中には本物の天才というものがいるらしい。

 たとえば月子であるが、あれは確かに天性のものに、色々なものが加わったものである。

 純粋に才能だけでどうにかなる。

 そんな人間が本当にいるのかどうか、それは疑問である。

「今の弾き方から、音を減らすとこうなる」

 そしてざっと弾いてみる。

「さらに音を減らすと、こう」

 また弾いてみたが、これだとあまりリズムギターの魅力にならないな、とは思った。


 とにかく重要なのは、間違っても最後まで弾くこと。

 そしてテンポについていけないと思ったら、音を減らしてしまう。

 どの音を減らすのがいいかは、自分で判断するしかない。

 まあせっかくの音の厚みを、減らしてしまうことにはなるのだが。

「間違っても難しいのに挑戦するか、とりあえず曲として成立させるか、まあ初心者のうちは間違いを恐れずに弾いていくべきだと思うけど」

「安藤さんが初心者脱却したのって、いつ頃?」

 そう問われてしまうと、自分でも首を傾げる。

「ギターってただ譜面通り弾けば終わりってわけじゃないし」

 譜面通り完璧に弾けるようになってから、そこからどうやって自分の音を出していくのか。

 あまり出しすぎると、曲が崩壊してしまう。

 なるほど、人に教えることで、気づきというのはあるのだ。

「また教えてもらってもいいかな?」

「まあ全体で練習しない時は、ほとんど一人で弾いてるし」

 ぼっちなギタリストは、わずかに社交性を手に入れた。

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