二章 ギターヒーロー

第17話 先生、ライブがしたいです

 ノイズの始動は、想像以上に順調だった。

 ノイジーガールは公開後一週間を待たずに100万再生を突破し、さらにまだ勢いが落ちず、それどころかSNSの拡散などでどんどんと登録者が増えていく。

 ヘビーローテで聞いてくれるリスナーもいるらしく、少なくともこの楽曲には固定ファンがついて、サリエリのチャンネルも登録者数は増えている。

 ただ届くところが増えてくると、おかしな感想もついてくるというのが、ネットという存在である。

 最初は全て書き込みに返信などをしていたものだが、やがてなぜか上から目線の改善点や、非常識なカバーの依頼などがきて、目を通すのもやめてしまった俊である。

 だが以外に時間のある月子の方は、これをいちいち読んで、少しへこんでしまったりした。

 そんな時、同じく書き込みで反撃し、けちょんけちょんにするのがメイプルカラーのメンバーであったりする。

 やはり月子の精神衛生上、彼女たちの存在はまだ、必要だといえるだろう。

 月子には自分の居場所が少なすぎる。


 俊が今の彼女に対して出来ることは、カバー曲をたくさん歌ってもらうことである。

 カバー曲だけでは収益化はほぼ無理だが、オリジナルへの導線をより強くすることが出来る。

 ノイズの音楽が収益化してそれが高額になれば、月子の生活はさらに安定する。

 新聞配達は体力強化のためにも、やっていて悪くはないと思う。

 だが弁当工場の方は、その時間があるなら、まだまだインプット出来ることはあると思うのだ。

 特に俊が気にしているのは、洋楽の素養をもっと身につけてほしいというものだ。

 

 現在のYourtubeの収益化の条件は、まずチャンネル登録者が500人以上。これは既に達成している。

 そして直近12ヶ月の総再生時間が4000時間というものだが、これもまた達成してしまった。一週間で。

 俊がそこに到達するのには一年以上がかかったのに、ノイズ単体で見てもわずか一日で到達している。

 もっともそこから得られる収入は、一再生あたり0.1円あれば高いほう。

「え、でも100万再生っていうことは、10万円にはなるっていうこと!?」

「そこからまず作曲作詞の俺が半分もらって、残りを音源作りをした俺と、お前とで折半だな」

「え、じゃあ2万5千円……75%も取られてるの?」

「最初に契約書作っただろうに。そもそも楽曲を全部俺がやって、打ち込みも全部俺がやってるんだぞ? お前の歌があってこそとは言えるけど、金にならないカバー分まで全部俺がやって、その収録には俺が報酬を出してるよな?」

「そうか……」

 そういうものである。

「あれ? でもどうしてお金にならないカバー曲を、わたしにお金払ってまで収録してるの?」

「それも説明した~。文書だと分からないから、わざわざ音声も付けて~」

 このあたりの仕事に対する理解力のなさは、発達障害なのか、それとも単に性格なのであろうか。


 月子は純粋な歌い手であるので、確かに収入源は少ない。

 だがノイズとしての活動だけではなく、収録や練習にまで、俊が金を払っているのだ。

 このためアルバイトを一つ減らすことは出来たわけだが、俊の場合はむしろ持ち出しになっているのでは、と月子も気づいた。

「これは投資だ」

 俊としては実のところ、ここまで最初から成功するとは思っていなかった。

 ただボカロPとしては、どうにも限界を感じていたのは確かだ。

 なので月子は必要で、だから金を払う価値はあったのだ。


 確かに月子に対して使った分の金は、まだ全然回収していない。

 そもそも自分自身が作曲やアレンジに使った時間を考えれば、完全に赤字である。

 それを許容できるのは、過去にスキスキダイスキなどで作った収入が残っている、というのもある。

 いささか納得がいかないが、あれは色々なところで使われたため、それなりの金額にはなったのだ。

 ただそれがいつまでも残っているわけではない。

 もちろんただ金がなくなるというだけなら、用意する手段はいくらでもある。

 重要なのは音楽による継続的な収入を、どうにかして確保できるようにしないといけないということだ。

 しかし収入だけを考えて、売れそうな曲ばかりを作っていくというのも、本来の目的からするとおかしなことだ。

 単に収入を得たいだけなら、俊は技術を売ればいいのであるから。

 自分でも少しずつ気づいてはいるのだが、おそらく少ない音楽の才能が枯渇しても、それまでにプロデュース能力を習得し、業界で生きていけるのではと思っている。

 ミュージシャンとして第一戦に立ち続けるというのは、とてつもなく難しい。



 

 ノイジーガールの発表は、間違いなく俊にとって、ミュージシャンとしての一つのターニングポイントになった。

 楽曲の提供依頼などが、やってきたのである。

 条件が良くないのと、またそもそも時間がないので、丁重にお断りしたが。

 そして予想通りのことが起こった。

『なんだか歌唱依頼っていうのが来てるんですけど』

 月子からの正直な連絡は、予見してはいたが、なんとも言いがたいものであった。


 月子はルナという歌い手をしていて、同時にノイズの一員である。

 だがそのノイズとしての活動は、過去に俊が作っていた楽曲を歌うのと、ノイジーガール一曲のみ。

 まさにキラータイトルとなったこんな曲を、そうポンポンと出せるはずもない。

 なのでカバーばかり歌っている月子に、そういった依頼があってもおかしくはない。

 急に登場して一気に注目されてきた、新人の歌い手。

 これが活発に活動しているならともかく、外からはそのような動きは見えない。

 ならば安く依頼できないか、などと考えるものなのである。


 これは、条件次第ではありである。

 そもそも俊が月子を、束縛する権利はない。またこれで収入が発生し、生活が安定するならいい。

 ただおおよそこういったものは、よほどこちらが大物にならない限り、買い叩くような値段を提示してくるものだ。

 また月子には、彼女だけの問題点がある。

 契約書などを出されても、読めないという問題だ。

 必ず信頼できる、代理人のようなものが必要になる。

 そして俊はユニットの主導者ではあっても、歌い手ルナの方にまでは、そこまで責任を持ちたくない。


「そんなこと言ってたのに、わざわざ来てるんだ~」

「俊ちゃんツンデレ~」

 そんな感じでメイプルカラーのメンバーにもいじられるが、俊の言い分はしっかりしている。

「ユニットリーダーとして、こちらの本業に支障が出るような条件を飲まされたら困るからな」

 割に合わない仕事をして、現実を知る程度ならいいが、後々まで影響が残るようなことだと困る。

 月子は頭が悪いというわけではないのだが、どうも危なっかしいところがあるのは確かだ。

 なんだかユニットを組んでいると言うよりは、プロデューサーとマネージャーを兼任しているような気もするが、他に任せられる人間がいない。


 純粋に音楽だけをやって、日々を送っていきたい。

 だが音楽というのは、人生の道のりを刻むものでもある。

 このもどかしさもまた、音楽にはなるのだ。

(ノイジーガールはまさに月子だけの曲だったしな)

 彼女の、客観的に見れば不幸な人生に、不利なハンデ。

 生きるのが難しいということを、主に歌わせている歌詞だった。

 ああいった歌を歌っていて、感情はしっかりと乗っていたのに、それでも傷ついてはいない。

 月子の才能というのは、単に声質だけではない。

 メンタル面でのそれも、間違いなく才能と言うべきか。

 もっともこちらは、環境が作ったものとも言えそうだが。

 本質的な感性は、やはりこれも才能なのかもしれない。




 もはや通例となったような、レッスン後への訪問。

 わざわざ俊の方ばかりが動いてはいるが、大学から比較的近いし、月子も月子で、アルバイトに時間は拘束されているのだ。

 月子への依頼というのは、ワンコーラス一万円というものであった。

「いちまんえん……。一曲歌って一万円……。これ、受けてもいいよね? 別にそっちと約束してないし」

「最終的な判断はそっちがしてもいいけど、この条件は時給じゃないぞ?」

「それは分かってるけど。一曲歌うのに一時間はかからないでしょ」

 目の前に提示された金に、完全に浮ついている。

 それは仕方がないのだが、俊としては現実を教えなくてはいけない。

「俺はノイジーガール一曲を完成させるまで、何度やり直しをさせた?」

「……あ、つまり相手が納得するまで、何度もやり直すってこと?」

「どういう契約になるかは分からないが、その可能性もある。あとお前、どこで収録するつもりだ? 自分の家で収録するにも、機材とかはあるのか?」

 そういったものの準備は、全て俊が行ってきたことだ。


 そもそもの話ノイジーガールのみならず、ほぼ自分の歌としていたマリーゴールド以外は、何度も歌わせて仕上げていた。

 月子は確かに声質という天性のもの、民謡で鍛えた声を出す技術、そういったものには優れている。

 だが正確に歌うだけで飽き足らず、何度も俊は繰り返させた。

 また漢字があまり読めない月子のために、単純な音の羅列ではなく、文章による意味をも説明した。

 もちろん俊なりの解釈があったため、そこを話し合うこともしっかりとした。

 勉強しながら月子は、給料をもらっていたのだ。


 月子がいないと困るし、素材のままではどうしようもない、というのは俊の本音であった。

 そして今、身につけた力をどう使うかは、月子の自由である。

 ただ今の時点ではまだ、一人で生きていくのは無理だろう。

 月子はメイプルカラーという場所だけではなく、さらに進むための補助輪として、俊を必要としている。

 それは単に生きていくというだけではなく、何者かになるための手順だ。

 生きるのが不器用だった彼女にとって、今の自分の状況は、純粋に幸運と幸福。

 だがさらに先に何があるかは、全く想像していないだろう。


 月子の了解を得て、俊はその依頼を確認する。

 条件としてはワンコーラス一万円で、これは今の月子の立場からすれば、適正価格と言うには安いだろう。

 既に一曲、現在どんどんと再生数が増えていく曲を公開している、ユニットのボーカル。

 対して依頼してきたのは、登録数1000人ほどのボカロP。

 もちろん下を見れば限りはないが、それでも上にたくさんの競争相手がいることを考えれば、この依頼を受ける価値はあるのか。

「自分でも発表するけど、こちらが発表してもいい、という条件だな。ぶっちゃけこっちでも発表してほしい、というのが本音だろう」

 冷徹な俊の言葉は、だからこそ嘘がない。


 俊は基本的には、信用できる人間だ、というのが月子の判断である。

 その月子としても、疑問に思っていることはあるのだ。

「サリエリの名前で発表していた曲、どうしてノイズで歌わないの?」

 ノイズでの収益の取り分は、月子が25%で、それは以前に発表していた曲も、そうなっている。

 だからノイズでも公開すれば、その分は月子の収入が増える。

 銭ゲバというわけではないが、月子は純粋に貧乏であるから、収入はほしいのだ。


 それについては、確かに話していなかった俊である。

 だが言わなくても分かるだろう、と思っていたのだ。

「他に三曲、俺の曲を歌ってもらってるけど、再生数はたいしたことないだろ」

 ノイジーガールの影響で、他の楽曲も伸びてはいる。

 だがそれでも、さほどのものではない。

「お前に向いている曲だと判断して、アレンジまで入れてもまだ、あんな調子なんだ」

 つまりこれ以上無駄に増やしても、労力の割にリターンがないというわけだ。

「じゃあ新曲は?」

「そんなのがポンポン出てくるわけないだろ。俺は親父とは違うんだし」

「え?」

「あ、いや、なんでもない」

 何か聞き逃せないことがあったようなこともあった気がするが、俊の強い拒絶の意志を感じた。

 月子は別に、空気が読めない人間ではないのだ。




 最終的な判断は月子が、と俊は言った。

 そして月子は、一度他の誰かと組む経験はいいかな、とも思った。

 だがそれをやるなら、メイプルカラーの中でいいではないか、とも思うのだ。

 考えてみればメイプルカラーの活動も、別に収入にはなっていない。

 ただお金になることだけを考えれば、普通に働けばいいのだ。

「けれど、何かやりたい」

 月子は納得しながらも、完全には納得できていない。


 俊は今も、全力で作曲や、様々な課題などに取り組んでいる。

 一番は新曲の作成であるが、時間をかければいい曲になるというわけでもない。

 月子のためにカバーアレンジをするにしても、ちゃんとイメージに合ったものや、本人がやりたいと言っているもの、そしてこれから必要になる技術を磨くような要素を含んだもの。

 俊のプロデュースは、これまで生きて培ってきた音楽業界に対する知識、全てを使ってのものだ。

 もちろん会社のような専門家が集まった集団にはかなわないだろう。

 だがなんでもやれる器用さは、こういう小さいユニットでやっている分には、最大の強みにもなる。


 一応俊も、色々と考えてはいるのだ。

 歌い手、あるいはユニットが利益を出す手段。

 これが月子が、歌い手ではなくVtuberなどであったなら、また企画は色々とある。

 だが基本的に月子は、話していても面白いことをぽんぽんと話すタイプでもない。

「ユニットとして利益を出すのは、継続した活動をしていく上でも、確かに重要ではある」

 何をすれば儲かるのか、という手段はネットを調べれば、色々と出てくるものだ。


 基本的現段階では、意識して金を出さずに、広告料収入だけで稼いでいる、という手段は悪くない。

 日本人はやたらと、課金しなくては見られない、というようなものに拒否感を示すからだ。

 もちろん圧倒的な人気を得るようになれば、たとえば強烈なファンが1万人出来れば、それらが月に100円出してくれただけでも、100万円になる。

 お気に入りのアーティストに、月に100円ぐらいなら払う、という人間ならそれなりにいるだろう。

「他は物販だけど、現段階で現物を作るのは、明らかに時期尚早」

 バンドTシャツなどの類は、ライブバンドの収入源の一つになる。

 実際にメイプルカラーも、こういった物販はある程度作っている。

 問題は売れなかった場合、作成の金が無駄になるし、保管場所にも困るといったところだが。


 歌い手の依頼としては、俊が問題を指摘した。

 ただこれは、もっと条件のいいところからの依頼であれば、検討の余地はおおいにある。

「ネットのライブ配信で投げ銭とかもあるけど、これよりはサブスクの方がまだコスパはいいし、検討もしてる」

「ライブ……」

 その単語は、月子の琴線に触れてしまったらしい。

「ライブしたい!」

「却下だ」

「どうして!」

「コスパの問題と、クオリティの問題がある」

 俊はノイズとしてではなく、以前に組んでいたバンドでの経験から、そこに問題があると分かっている。


 ライブなどライブハウスへの出演交渉から、チケットの販売なども自分でしなくてはいけない。

「一週間で100万再生もしたようなユニットでも、難しいかなあ?」

「そちらはクオリティの問題だな。レコーディングしてマスタリングまでした曲と、ライブの生歌は違うし……口パクでいいなら別だけ……ど……」

 そういえば月子は、メイプルカラーでは生歌で普通に歌っている。


 クオリティのことを言うなら、むしろ演奏のほうになるのか。

 だが、演奏?

 それこそ全部、打ち込みでいいのではないか。

 ただそうなると、ただ一人で歌っているだけとなり、ライブハウスでやるのも微妙な話になるのではないか。

 あとは今の月子の持ち歌では、ノイジーガールでさえ本来なら、ライブに向いた楽曲ではない。

 カバーをした中でも、テンポが早かったりする曲は、あまり再生数が増えていないのだ。




 やらない理由はいくつもある。

 シンセサイザーを持ち込んで、ほとんどは打ち込みで俊が操作し、キーボードでメロディパートやソロパートを演奏すればいいだろう。

 月子の歌には負けるだろうが、伴奏に徹するなら問題はない。

 なんだかんだ理由はつけても、結局のところ問題となるのは、出演交渉にチケットノルマと、時間を取られてしまうのが痛いのだ。

 しかしやる理由も、一つだけある。

 月子自身がやりたい、と言っているからだ。


 俊は基本的には、計算で動く人間だ。

 だが計算ではどうにもならない部分が、音楽にはあると思っている。

 月子の感性が歌いたいと言っているなら、それはおそらく正しいというか、必要なことなのだ。

(メイプルカラーのステージだけでは、満足できないってことなんだろうな)

 暖かな寝床から、飛び立つ時期が来たのか。

 それともまだ、これは練習であるのか。


 俊もこのまま、ネットの世界だけで活動すればいいなどとは思っていない。

 世間的な成功というのは、紅白歌合戦であったり、東京ドームコンサートであったり、大規模フェスのヘッドライナーを務めることにあるはずだ。

 別にそんな大衆的な人気が全てとは言わないが、それでも大きな露出がなければ、多くの人には届かない。

 自分の音楽を聞かせたい、というのは俊にとっても根本的な欲望だ。


 逆に考えると、メイプルカラーとしてはステージに立っている月子が、ノイズの音でアピールすることを求めだした。

 これ自体は悪いことではない。

 しかし月子は、それに気づいているのだろうか。

 メイプルカラーのステージだけでは、満足していないという自分に。


 他のメンバーも、この月子の発言は聞いている。

 俊から見る限り、何か悪い印象を持った、というイメージは感じられない。

 だが彼女たちは、地下ではあってもアイドル。

 表面を取り繕う力は優れているだろう。

「ライブをやるかどうかはともかく、ちょっと確認したいことはある」

 それは自分の演奏と、月子の歌がライブにおいて、ちゃんとマッチするかということだ。

 レッスンスタジオをまた予約しないといけないな、と考える俊。

 ただ頭の中には、ライブのステージに立つ月子のイメージが、かなり鮮明に浮かび上がっていたのであった。

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