第298話 邂逅、カゲンの剣士


「イノシシみたいな魔物だね。行ける?」


「……ちょっと大きすぎないかしら?」



 カゲンの東に鎮座する山へ向かうエストとシスティリアだったが、山を抉るように突進する大型のイノシシの魔物は、体高がおよそ5メートルもある巨体だった。


 遠くから見ても分かる、鋭く大きな白い牙。


 巨木の如き2対の脚は、太い木々でも受け止められない力を生み出す。



「エストが先に仕掛けなさいよ」


「え〜、いいよ。じゃあ──ん? 人が居る」


「人? こんな所に? ……あら、なんか居るわね」



 2人が見つめる先には、大きなイノシシ型の魔物に刀を構えた、紺色の髪を束ねた狐獣人の男が立っていた。


 その装いは他の住民とそう変わらないが、洗練された構えと達人の気迫。そして研ぎ澄まされた刃の如き視線は、一流の剣士であることを示していた。


 エストは、自分が来るまでもなかったか。

 そう思うほどに安心感のある背中に、思わず足を止めそうになる。



「あの人に合わせよう。システィの足音を消すから、そのまま走って」


「了解よっ!」



 エストは完全無詠唱で彼女の足に遮音ダニアをかけると、イノシシと男を視界に入れたまま、大きく息を吐く。


 イノシシと対面した男は、取るに足らない相手……と思わせることなく、その注意を里から自身へと集めた。


 そして、まるで家が突っ込んでくるような突進をするイノシシに、男はギリギリまで正面に立ちはだかる。



 頭を下げたイノシシは、牙で男の腹を貫かんとするも、男は直撃する寸前で右へ体を運び、飛び上がってはイノシシの左耳に刀を突き入れた。



「止まれぇい! 山神の怨嗟よ!」



 しかし一撃で脳を貫けなかったのか、刀に掴まったまま進んで行く男。

 このままでは里が襲われる。

 そう、男が冷や汗をかいた瞬間──



「エスト!」



 名前を呼ぶ声と共に、氷の長剣を握ったシスティリアが現れると、イノシシの足が途端に止まる。

 否、その足が地面から伸びた蔦に絡まれ、その上で凍っていたのだ。


 そして横から飛ぶように現れた彼女は、その右耳へ剣を突き入れると、グイッと捻ってから飛び降りた。



 急所を破壊されて絶命したイノシシを見て、システィリアは歩いてくるエストの元に走っては、頭を差し出した。


 撫でろと言わんばかりの仕草に、杖を仕舞ったエストが抱き締めるように頭を撫でた。



「なんと! 其の方らが討ったか!」


「横取りしたみたいでごめんね。完全に里に降りる前に仕留めたかったんだ」


「いやなに、気にするでない。それがしが討ち果たせなかったことだ。助太刀、感謝する。其の方らは名をなんと?」


「……ちょ、ちょっと待ってね。理解する時間をちょうだい」



 エストは男の独特な喋り方に困惑し、一度システィリアから手を離すと、ようやく名前を聞かれたのだと理解した。


 このカゲンの里では、里長を筆頭に訛りの強い喋り方をする者が多く、眼前の男ほどの強烈な訛りには、適応が遅れてしまうのだ。


 深く息を吐いてから、エストは言う。



「僕はエスト。こっちは妻のシスティリア」


「えすと、しすちりあ。よし、覚えたぞ」


「ち、じゃなくて、ティ、だよ」


「ち……ちぃ? てぇい?」


「……まぁいいや。君は?」


「某は、名をトキマサ。カゲンの剣士だ」



 トキマサと名乗ったその男は、エストが今までに見てきた“剣士”の中でも、五本の指に入る実力者だと感じた。


 立ち姿、隙のない所作、決して油断しない高い注意力。

 武術のみの戦いでは、片手で勝てない相手。


 エストが右腕だけを通したローブから握手をすると、トキマサは小さな声で聞く。



「病か?」


「これは呪いだよ。解呪のためにカゲンに来たんだ」


「なんと。オギ婆の所には行ったのか?」


「ううん、まだ。家も知らない」


「では某が案内しよう……が、このししを放置しておけん。えすと、しすちりあよ。解体ばらそうぞ」



 腰に差した刀ではなく、懐から小刀を取り出したトキマサは、イノシシの解体は手馴れたものだと言い、手際よく皮を剥いでいく。


 対するシスティリアも動物の解体は何度も経験しているため、エストに長めの刃渡りで創られた氷のナイフを受け取った。


 そうして、家を覆えるほどの大きな猪皮が手に入った。



「エスト、首を落としてちょうだい」


「もう斬ったよ。小突いたら落ちる」


「わぁっ……あら? 血抜きもしたの?」


「うん。システィが汚れないようにね」



 彼の純粋な気遣いによる行動に、システィリアはぽっと頬を紅く染めた。


 普段からそういった行動は多々あるものの、改めて言われると、エストの優しさに惚れた部分もあると再認識したのだ。


 ゆらりゆらりと尻尾を振りながら、トキマサの反対側を捌くシスティリア。


 度々チラッとエストを見ては見つめ返され、数秒だけ激しく尻尾を振って作業を再開し、またエストを見ては尻尾を振り……と繰り返していた。



(めっちゃ見てくる……可愛い。何か反応した方がいいかな? でも邪魔しちゃ悪いし……あ、また見た。可愛い)



 周囲の警戒と切り分けた肉の回収箱を創り出しながら、チラチラと見てくるシスティリアに『可愛い』と胸の中で呟き続けた。


 まるで子犬のような彼女が可愛らしく、それでいて大きな剣を巧みに使ってイノシシを捌く姿は凛々しく。


 エストの内心は、システィリアに対する『可愛い』と『かっこいい』の2つで溢れていた。



「トキマサはその小さい刀で大丈夫?」


「うむ! もとより肉塊なぞ小さい方が運びやすい。この小刀なら、人が食べるに適した量を剥ぎ取れる。某のことは気にするな!」


「わかった。手伝いが必要なら言ってね」


「其の方の術だけで大助かりよ。欲は張らん」



 丁寧に一食分で使うのに丁度いい大きさで切り分けるトキマサは、システィリアより効率は落ちるものの、配った相手のことを考えていた。


 一方システィリアの方は、自分たちで食べる分は適当な大きさで切り分けるので、使う際にカットすればいいと、手際よく肉を削いでいる。


 両者の考え方が捌き方に出ており、エストは興味深そうに観察しながら箱いっぱいの肉を凍らせた。



「凄いなぁ、このイノシシ。ワイバーンより可食部が多い。家畜にできたらいいのになぁ」


「そうねぇ。でも屠殺できないから家畜化されてないのよ。きっと」


「うん、確かにそうだね。頭は……かなり硬い。この骨なら盾や鎧にもなりそう。ブロフに渡そうか」


「そっちで処理してちょうだい。アタシは手が回らないわ」


「は〜い」



 そんな2人の雑談を聞き、エストが極小の氷刃ヒュギルでイノシシの頭を処理する姿を見て、もしやと思うトキマサ。



「もしや、えすと殿。其の方はひとりでも解体出来るのか?」


「そりゃあ魔術師だもん。捌く手順を知ってたら、数分で終わらせられるよ」


「なにっ!? では、なにゆえ術を使わぬ?」


「こうして喋れるから。解体してハイ終わり、なんてつまんないよ。君の話や剣の話、そのオギ婆についても知りたいからね」



 仕事しながらのコミュニケーションも大事だと、エストは肉と皮を削いだ綺麗な頭骨を眺めて言う。


 牙は槍に。骨は道具に。

 骨を余すことなく資源にしようと考えるエストに、トキマサは感心して言う。



「其の方らは生き物への感謝が見える。喰らうために殺し、殺したからには喰らう。骨も無駄にしない、良き心の在り方よ」


「骨は綺麗にしたら売れるからね。大陸でも、綺麗な骨はアクセサリーに加工するから、買い手は多いんだ」



 重そうに片手で頭骨を持ち上げたエストは、少し大きめに出した半透明の魔法陣に入れると、亜空間へと収納された。


 時の精霊クェルに教わった魔術を使い、亜空間内の時間が止まっているため、中の骨が劣化することはない。




「さてと。解体も終わりそうだし、そのオギ婆について教えてほしいな」

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