第299話 闇魔術と古い呪術


 イノシシの解体を終えたエストとシスティリア、トキマサの3人は、せっかくだからとその場で少し食べることにした。


 野営で重宝するエストの簡易拠点を見たトキマサは、案の定、目玉が飛び出そうなほど驚いた。


 何も言わずに調理を始めるシスティリアにお礼を言ったエストは、向かいに座ったトキマサに聞く。



「それで、そのオギ婆はどんな人?」


「うむ。オギ婆は今年で426歳になる御方だ。古の術に精通しており、呪いにも詳しい老婆である」


「……426? 狐獣人は長生きするの?」


「否。平均すれば70手前にはその命燃やし尽くすだろう。だがオギ婆はその昔、呪いの根源に触れたという。それから老いが止まったらしいのだ」


「根源……う〜ん、精霊のことかな?」



 エストの中で根源と呼べる存在は精霊しか居なかった。

 今までに出会った精霊は、その属性の根源であり、魔力を司る絶対的な存在として認識している。


 それに、長寿、或いは不老になったという事象は、ジオの例から見ても有り得る話であり、気になるのは闇の精霊が同じ芸当が出来るのか、という点だ。



「詳しくはそれがしも知らぬ。だが、オギ婆は長年呪いの研究をしている聡明な御方だ。きっと力になるだろう」


「うん。嫌われないようにしないと」



 何か手土産でも持って行こうか。

 なんて考えていると、盛り付けを始めたシスティリアが言う。



「アンタの性格は好き嫌い分かれるものね〜」


「あ、僕のことが大好きで堪らない人だ」


「そうよ〜。大好きで堪らなくて、愛してる人よ〜」



 尻尾をブンブンと振りながら皿を並べたシスティリアは、パチっとウィンクした。その可憐さたるや、エストは口をぽかんと開けたまま固まってしまうほど。


 凍ったように動かないエストの頬にキスをすれば、ぱちぱちと瞬きをしながら動き出した。



「び、びっくりした。危うく屋敷の寝室に転移するところだった」


「どれだけ魅了されてんのよ!」


「システィ。君は自身の可愛さをよ〜く認識するべきだ」


「嫌よ。アタシの可愛さなんて、エストにしか知られたくないもの」


「システィ……!」



 見つめ合った2人の距離が段々近づいて行くと、居心地が悪くなったトキマサが『ごほん』とわざとらしく咳払いする。


 しかし、その程度で止まる2人ではない。


 しっかりと唇を重ねてから、彼女はエストの隣に座った。



「お熱いのだな。某には目の毒だ」


「システィはあげない。僕のお嫁さんだもん」


「ひ、必要ない! 某は胸の小さな女性が好みであって、しすちりあ殿は好みではないのだ!」


「そっか……よかった。危うく喧嘩になるところだった」



 唐突なトキマサの暴露に安堵したエストは、大きく息を吐いてからイノシシ料理に手を付けた。


 ただ焼いただけのように見える一口大の肉だが、獣臭さは無く、少し硬めの筋肉質が程よい歯応えを生み出し、噛めば噛むほど旨みが出てくる。



「なんと! 斯様な肉は初めて口にした! 美味い!」


「これ、シウ草の粉末で臭みを消したの?」


「正解よ。でも、それ単体だと酸味が付いちゃうから、よく洗い流してから調味料で整えてるの。戦った後だし、少しだけ塩気を強くしてるわ」


「美味しい。僕、システィの料理が一番好き」


「ふふっ、いつも言ってるわね! アタシも作った甲斐があるってものよ」



 付け合せのサラダは亜空間に生のまま保存されていたものを使い、買ってすぐの鮮度の良い状態であるため、シャキシャキと小気味よい音が鳴る。


 果物を混ぜた甘酸っぱいソースがよく絡み、サラダと肉を一緒に食べると、食欲が増してより美味しく感じるのだ。


 甘ったるい空気の中で食べる塩の効いたイノシシ肉は、トキマサの体にも染み渡っていく。



 この2人は良くも悪くも2人でひとつ。

 戦い方も生き方も、全てが一心同体、かつお互いが唯一無二であるとトキマサは感じた。




 食事が終わり、里へと降りて行けば、ちらほらと住民の姿が見えており、以前よりも人の気配が強くなっていた。


 トキマサの案内で里の道を歩いて行くと、1軒だけ、物々しい雰囲気を放つ家があった。


 どうやら、そこがオギ婆の住む家のようだ。



 トキマサが扉を開けて声を掛けると、チリンチリンと小さな鐘の音が鳴る。



「失礼する」


「勝手に入っていいの?」


「先の鐘が入室の許可であるゆえ、問題ない」



 土間で靴を脱いでから上がるトキマサに倣い、エストも靴を脱ぐと同時に魔力探知でオギ婆の位置を知る。

 少し大きな民家の居間に座っているようで、その部屋には様々な魔力を発する物が置かれていた。



「なんだか怖い雰囲気ね……」


「大丈夫だよ。僕に隠れてていいから」



 システィリアの手を握りながら暗い廊下を歩けば、トキマサが襖を開けた。

 すると、探知通りに居間に座っていた、黒い髪の狐獣人の老婆はちらりとエストを見ては、その左腕を注視する。



「オギ婆。某の友であり、客人を連れてきた」


「あぁんだって? ワシゃ耳が垂れててのぉ! よく聞こえんわい!」



 少し大きな声で言うオギ婆の耳は、老化によって力なく垂れ下がっており、とてもではないが精霊に老いを止められたとは思えなかった。



「ボケたフリはもうよいです。それより友の腕を見てやって欲しい」


「あぁん!? 友だってぇ? ……ふんっ」



 大きな声で繰り返すオギ婆だったが、改めてエストの顔を見ると、鼻で笑うように息を吐く。

 皺が寄った瞼の隙間から真っ黒の瞳が覗き、友人であることの真偽を確かめるかの如く見つめ続ける。



「僕が受けた呪い、解けるって本当?」


「あぁん? よく聞こえん。もういっぺん、お〜きな声で言うんや」



 耳が遠いオギ婆だったが、エストは右手を前に伸ばすと、人差し指で萎れた耳をさした。

 そして漆黒の単魔法陣を指先に出せば、ついっと魔法陣を飛ばし、オギ婆の耳元で黒い輝きを放つ。



「……ほう、傑物じゃな。ワシのボケ演技を見破ったか。そこの狼の女もじゃ。只者ただものではない」


「なんと? 気付いておったのか!」


「まぁね。でも、耳が聞こえづらいのは本当だよね。だって、わざと遮音ダニアを使ってたし」



 そう言って遮音ダニアの魔法陣を見せると、オギ婆は年甲斐もなくゲラゲラと笑い始め、腹を抱えた。



「ハッハッハァ! ワシの術を破るなんざ、初めてのことじゃ! おいトキマサ、どこからこの坊を連れて来た?」


「北の麓で共に魔物と戦ったのです。某が危うきところを、そこな御二方は難なく救い、魔を祓ったのですぞ」


「だろうなぁ。狼の娘はまだしも、白い坊は異様な気配じゃ。大陸の術師……それも最高級のモンじゃろ。ハッハァ!」



 初めて魔術を打ち消されたオギ婆は、外見の割に豪快な笑い声を響かせ、机にバンバンと手を叩いては白い歯を見せた。


 するとオギ婆は立ち上がり、意外にもピンと伸びた背筋で居間を出ようとすると、『少し待っとれ』と言い残して出て行った。



「いやはや、えすと殿……さすがの腕だ」


「闇魔術の気配は家の外でもわかるからね。システィもそうでしょ?」


「ええ。エストの闇魔術を散々嗅いでるもの。術式まで読めちゃったわよ」


「某にはよく分からぬ会話だが、とにかく気に入られたようで何よりだ。えすと殿の呪いが解けるとよいが……」



 心配そうに左腕を見つめるトキマサ。

 そこに、蝋燭と水の入った木桶、そして紙の形代を持ったオギ婆が帰ってくると、そっとちゃぶ台の上に置いてから言う。



「トキマサは帰れぃ。呪いを解くっちゅうのは掛けた相手の心を暴くっちゅうもん。里長んとこば行って、次の神飢しんきの祭に備えとれ」


「し、しかし……」


「お前に呪いが移ってもええんか?」



 もし、剣士のトキマサに呪いが移ろうものなら、それこそ死活問題になる。エストは辛うじて生活への支障を最小限に抑えているが、剣士には厳しいだろう。



「……………失礼する。完治を祈っているぞ」



 そう言って去ると、オギ婆はエストに──



「形代に唾をつけろ」


「……えぇ? はい」


「蝋燭を持て。火をつけろ」


「はいはい」


「左腕は動かせるか? なら桶に入れろ」



 システィリアに手伝ってもらいながら左腕を桶の中の水に浸すと、オギ婆は箪笥たんすの引き出しから和紙を取り出し、桶の横に敷いた。


 それから、エストの右手を掴むと、和紙の上に垂らした蝋で魔法陣を描いていく。


 エストが読めない魔法文字が連ねられ、次第に短くなる蝋燭がジリジリと肌を焼くが、表情ひとつ変えずに手伝った。



「息を吹いて消せ」



 言われた通りに息を吹く。


 すると、吹いた息に混ざっていた魔力を蝋が取り込み、限りなく濃度の薄い魔力の導線として機能し始めた。



「狼の女や、桶を持ち上げられるか?」


「ええ、出来るわ」



 そう言ってシスティリアが左腕が浸かったままの重い桶を持ち上げると、オギ婆は和紙を桶の下に動かし、ゆっくりと降ろさせた。


 その瞬間、桶の中の水からブクブクと泡が立ち、水温が上がっていく。

 水が沸騰する温度まで上がり、エストは火傷の痛みに耐えて終わりを待っていると、十数秒してようやく水温が下がり始めた。


 見れば水は真っ黒に濁っており、幾分か左腕の感覚が楽になっている。



 しかし、完全に動かせるわけではなかった。



「残ったか……それも随分と深い」


「ねぇ、今のは何? 熱かったよ」



 表情を変えることなく耐えたエストに、オギ婆は『そうは見えんかったが』と言いながらシスティリアに治される火傷を見た。


 そして、黒く濁った桶から腕を引き上げさせると、形代を浸して言う。



「転呪の式じゃ。坊の呪いを水に移し、そしてこの形代に移す。どれ、楽になったじゃろ」



 エストは左手を握ったり開いたりすると、ゆっくりではあるが肘を曲げることが出来るようになり、縦に頷いた。



「もう一回やれば完全に移せる?」


「そんな都合のいい話はない。これで移せぬ呪いは、術者が根源から抱く強力な呪い。これだけ黒く濁る呪いは初めて見たわい。何があったんじゃ?」



 神妙な顔で聞いてくるオギ婆に、エストは五賢族がひとり、深海のイズという強力な魔族に呪われたことを教えると、これまで面白そうに聞いていたオギ婆が一転、真剣な顔で聞いていた。


 そうして数分ほど考え込んだオギ婆は、その呪いの正体を明かす。




「坊に掛けられた呪いは、蝕死しょくしの呪いと言ってな……坊の肉に流れる力を伝って、永遠に苦しめる不解ふかいの呪いのひとつなんじゃ」

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