第300話 カゲンでの暮らし


「どういうこと? 解けないってこと?」


「不解の呪いっちゅうんは、“今はまだ解けない”呪い。時間や、何かのきっかけで解けることはある」



 オギ婆の口から出た不解という言葉に反応したエストは、自身の左腕を見つめた。

 青い瞳には冷たい炎が宿り、内に秘めたる想いには、治った暁にはシスティリアを目一杯抱き締めてやると、熱意に溢れている。


 左腕に残った呪いの層は3つ。


 どれも、エストが保留にした術式である。



「そもそもこの呪いはどんな呪いなの?」


「名を蝕死の呪い。強い怨嗟の鎖を巻き付け、掛けられた者の命を蝕む呪いじゃ。次第に肩、胸と蝕み、終いには死ぬ」


「呪いが進行する感じは無かったよ?」



 蝕む、と言われても、あまりピンと来ないエストが聞くと、オギ婆はケラケラと笑いながらシスティリアとエストを交互に見た。



「それはな、呪いは思考や感情を糧に蝕むからじゃ。坊に娘は、滅多に喧嘩もせず、恨みや妬み嫉みもないだろう?」


「当たり前よ。言い争いはしても、最後には納得できるもの。恨む理由が無いわ」


「僕も、嫉妬というより尊敬かな。僕に無いものを持ってるシスティに憧れてるだけ」


「それこそが呪いの進行を遅らせている理由じゃな。特に坊は、恨まれこそすれど自分は恨まない。呪いを掛けるには持ってこいの相手。なれど、呪うには全く向かん」



 他人を羨むくらいなら自身を鍛えろ。

 そうアリアに教わり、ひたすらに鍛えては勉強する鍛錬の日々を送っていたために、呪いの蝕む速度をほぼ止めるまでに至っていたのだ。


 おまけに、自身でそれなりに解呪を進めていたこともあり、数年程度では左腕から出ないだろう、というのがオギ婆の考えだった。



「こいつは大仕事になる。ワシも今一度、呪いの歴史を辿るとするか。ほれ、坊らは帰った帰った。呪いのことはワシに任せぃ」


「いいの? 何か手伝えるなら、やるよ?」


「子どもは外で遊ぶのが仕事じゃ」


「僕は子どもじゃないよ」


「ハッ、大人なら反論せずに帰るわい。まだまだじゃな。狼の娘、その坊の手を引っ張ってやれ」


「ええ! ほら行くわよエスト!」



 適材適所。呪いに関してはしばらくオギ婆に任せることになると、システィリアは右手を引っ張って家を出るのだった。




 外はもうすっかり暗くなっており、街灯も無いカゲンの里は影に覆われる。


 月明かりと秋虫の鳴き声が2人を導き、彼女が振り返れば銀に照らされた髪がさらりと舞う。

 眠ったはずの太陽の如き黄金の瞳が煌めくと、この孤独にも似た暗い世界で微笑みを見せた。



「なんだか特別な日みたい……満月も綺麗」


「うん……月ってこんなに綺麗だったんだ」



 見上げた空は、星の光が彩っていた。

 最近は夜に出歩くこともなく、ちゃんと星や月を見たのはいつぶりだろうか。

 窓から差し込む月光ではなく、直接浴びる月明かりの特別感を、エストは忘れていた。


 立ち止まったシスティリアに右腕が伸びると、無意識に抱き寄せたエスト。

 たわわに実った稲から秋の香りが立ち込め、その中で鼻をくすぐる彼女の匂いが心地よく、肩に置いていた手を頭に移し、顔にかかった髪を優しく払う。


 緩やかに時が流れるような、静かな安心感。

 システィリアがエストの瞳を見つめると、澄んだ青の中に反射する満月と、銀光に照らされた自身の姿があった。


 エストの頬を撫でては、指先がそっと唇に触れ、肌の感触と彼の匂いを確かめるように顔を近づけると、『んっ』と喉を鳴らす。


 風で乾いた唇が湿り、体温が伝わる。

 秋の香りが消え、お互いの匂いしか分からなくなると、エストの瞳にはシスティリアしか映っていなかった。



 僅かに上機嫌になったエストは、彼女の手を握り、サツキの家へと歩き出す。



「僕、少し肌寒いくらいが好き」


「どうして?」


「システィの手が温かいから」


「……アタシも。秋の夜が好きね」


「どうして?」


「少し寒いから、エストの服に頭を突っ込んでもそのまま撫でてくれるからよ」



 エストの寝巻きは生地がよれて、少し大きくなっている。その理由こそ、システィリアが頭を突っ込むからだ。


 本当のところは夏場でも彼女は頭を入れるが、ついお腹を舐めてしまえば息苦しくなるまで抱き締められるため、基本的に夏以外で入れている。


 もう夜が肌寒い季節である。

 頭を突っ込んでも許される頃であり、システィリアがワクワクしながら床に就く時期だ。



「そう言えば、お姉ちゃんの方は進展があるのかな」


「エルミリアさんに聞くって言ってたわよね。どうなのかしら?」


「とりあえず、僕らはできることをやろう」


「観光じゃないものね。ちょっぴり残念」


「観光できる場所がないから、仕方ないよ」



 元々はカゲンが国だと聞いていた一行だが、その実は村のような里であり、里の中で自給自足している狐獣人たちの居場所だったのだ。


 ズカズカと土足で入り込んだ以上、最低限迷惑をかけないように、里の手伝いをすることがエストたちに出来ることだった。




 翌朝、洗濯や料理などの仕事を手伝ったエストは、フブキとキサラギと共に外に遊びに出ると、稲刈りをしていた老いた狐獣人に声をかけられた。



「お〜い、兄ちゃん、手伝ってくれぇい」


「わかった。ごめんね、2人とも。ちょっと行ってくる」


「ううん! にーちゃんのおしごと見る!」


「がんばって、えすとにーちゃ!」


「ありがとう。ちゃんと木陰に居るんだよ?」


「「は〜い!」」



 老人の元へ行くと、収穫の手伝いをして欲しいと頼まれた。快く引き受けたエストだが、その規模は凄まじく、到底一日では刈りきれない量である。


 しかし、収穫中の者を一度引かせたエストは、亜空間から杖を取り出せば、杖先を稲に向けた。



「範囲を絞って……薄く残す感じで──斬る」



 杖を振って発動させたのは、風と自然属性の融合魔術。収穫刃ネシュギルを構築したエストは、黄金の実りをつけた稲に、風の刃を走らせた。


 それから杖を仕舞うと、老人に見せた。



「はい、見える範囲の稲は斬ったよ。触るだけで取れるから、楽になったと思う」


「おぉ……おお、おおぉぉ!!! なんじゃこりゃあ! 兄ちゃん、なんしたらそんな術が使えるんや!?」


「秘密。他にも収穫の手伝いが要る人に声をかけて。今年の収穫は楽になると思うから」



 稲を持ち上げるだけで根元でポキッと折れ、皆で素早く収穫作業を進めていくエスト。


 その様子に感化されたのか、フブキも手伝うと言い出し、それに倣ってキサラギも手伝い始めたので、途中から2人を見守りながら収穫するエストであった。



「お昼ご飯持ってきたわよ〜!」



 収穫も一段落ついた頃、システィリアが大量のおにぎりを包んで持ってきた。その隣にはサツキも居り、『2人のことを見てくれてありがとうございます』と、エストは感謝されていた。


 鍛えていても意外と腰にくる農作業のあとは、塩の効いたおにぎりが力の源になる。



「もうっ、粒が付いてるわよ」



 口の端に付いていた米粒を取ったシスティリアがぱくっと食べると、尻尾を振りながらエストに水を差し出した。



「おにぎり、美味しい?」


「美味しい。ここに住んでもいいくらい」


「ふふっ、相当カゲンが気に入ったのね!」


「システィはどう? カゲンは好き?」


「もちろん好きよ。皆温かいし、ご飯も美味しいもの。でも、アタシは住むなら大陸がいいわ。ここは何か……嫌な気配がするのよ」



 最後は囁くように言ったシスティリア。

 それもそのはず、東の山から吹き降ろす風の魔力濃度が高く、適度に魔術を使わないと目眩がしそうなほど。


 2人はこの環境に慣れた住民ではないため、本当に住むなら大陸の知った国がいいと言う。



「年始には帰れるといいなぁ」


「そうね……さ、アンタは次の仕事でしょ? 頑張ってきなさい」


「……はぁい」



 そうして、少しずつカゲンでの暮らしに適応する、エストとシスティリアである。

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