第301話 型 肩 固 かた
「違ぇい! 真っ直ぐに振り下ろさんかい! そう! 次、焼き。そう、持って……はい引き出す! 打て!」
避難解除の旨を伝えたブロフたちは、再びヒズチの工房に戻って刀を打つ練習をしていた。
その修行はブロフをもってしてスムーズに進まず、何度も玉鋼を打っては折り、火に入れては取り出しと繰り返して、あっという間に時間が過ぎた。
そんな2人の傍らで、ライラは火を維持しながら魔道書を読んでいた。
「あれ? この術式、エストさんが教えてくれたのと違う…………なるほど、さりげなく改良してくれてたんだ……って、循環する魔力量が1.1倍!? もうエストさんが魔道書書いた方が世のためですよぉ……」
ブツブツと呟きながら描かれていた魔法陣と教わった術式の違いを検証しては実感し、普段から注意深く魔法陣を見るエストに、畏怖の念が溢れてしまった。
「私も何か工夫を──あぁ、これだと消費魔力が増えちゃう。じゃあ別の構成要素を…………ダメですね。あの人、もしかして全部試した上で私に教えた? ……ま、まさか……ははは」
「おい、ライラ。さっきから何言ってんだ」
「えひゃい!? な、なんでしょう!?」
「独り言が聞こえてる。場所を変えた方がいいか?」
「いえ、いえいえいえ! 炎の維持もバッチリですし、私も魔道書をゆっくり読めるので、お邪魔じゃなければ……」
これから玉鋼を熱するところから始めるブロフは、後ろで勝手に盛り上がるライラを思って言ったが、その手にある魔道書を見て眉をひそめた。
表紙に書かれたタイトルは、ブロフでも知っている『魔道史のはじまり』。
旅の途中、エストが何度も──
『違う、創世はロェルがやった。次にクェル』
『火の文明が人間発祥? 火の精霊メラゴーニが犬獣人に適性を与えたことがはじまりだよ。壁画になって残ってるのに、そんなことも知らないなんて……タイトルも読めないのかな』
『呪術の歴史が抜けてる。当時のレンツィトォ皇帝がどれだけ呪術化に力を入れていたかも知らないのかな? 魔法も知らずに魔術を語るなんて歴史書としてどうなの?』
と、珍しくグチグチ文句を言いながら読んでいた、魔術の歴史と史上の魔法陣の解説をした魔道書である。
「エストとは違った楽しみ方をしているな」
「あ、あはは……私はどこが間違っているのか分からないので……」
「面白かったぞ。魔術に疎いオレに、必死にこれが違うだの、術式が間違ったまま描かれてるだのと見せてきたからな」
「……あのエストさんが?」
「あのエストが。相当酷い書物だそうだ。最後まで読んで、お嬢に渡すことを躊躇していた」
「なんだかんだ最後まで読んだんですね……」
「あの魔術狂いにとっては、それが魔道書に対する敬意なんだろう」
しかし、最後の一文だけは気に入ったと、エストは魔道書を保管することにしたのだ。
魔術師としてのエストが持つ理念と合致しているその文章は、魔術師を志す全ての者に読んで欲しいと思うほどに。
ライラは魔道書を裏から開き、指でなぞりながら読み上げる。
「ふむふむ……『人類は魔術と共に発展してきたが、魔術に囚われてはならない。人類が自由であるように、魔術も自由でなければならないからだ』……ですか」
自由ではない魔術。そう考えて真っ先に思い浮かぶのは、魔術学園での授業だった。
当時から複数の適性が判明していたライラは、学園で教わる魔術の型を絶対とし、どうにかその枠で個性を出そうと躍起になっていた。
しかし、あっという間に5年の月日が経ち、ただ才能があるだけの人、という印象だけを残して彼女は卒業したのだ。
そこに卒業の喜びはなく、故郷に帰って釣りと魔物を狩る日々の中、学園のことを忘れたある時にライラは気付いた。
「型破り……エストさんのほぼ全ての魔術に共通する、魔術師が最も恐れる、あの人の個性」
あくまで型である。必ずしもその枠に納める必要はなく、自分の形を押し出すのに不要ならば、さっさと取っ払うべきものだ。
それに気が付いた時、ようやくライラは魔術師になれた気がした。
「ぶろふ! くっちゃべってねぇで打つぞ!」
「ああ。すまんな、修行に戻る」
「は、はいっ!」
ブロフから離れ、ぎゅっと魔道書を抱いたライラ。
目を閉じても見えてしまう、エストが見せてくれた自由な魔術。
攻撃にも防御にも優れる彼の魔術が、本当の輝きを見せる瞬間……それは、像を創る時。
初級とされる像の魔術は、4大属性の中では火、水、土が基本的だが、エストは氷を使うことで煌めきや冷気による演出、そして美しさを魅せるのだ。
大好きな人を模した像や、愛らしい動物の像。
時に小さな世界を見せる像に、像とは名ばかりの拠点や家具などを創る想像力。
エストが言うには、像の魔術は最も自由な魔術である。
技術が無くても想像力で。想像力が無くても技術で創れる像の魔術こそが、最も個性の出る魔術だと言う。
「……自由だからこそ。型を破れる人だからこそ、こんなにも沢山の型を勉強したんですよね……」
ライラの脳内には、山積みになった魔道書がある。
学園に入る前からも魔道書を読める環境に居ただけに、その読書量は並の魔術師より多く、その分、多くの型と型破りな魔術を見てきた。
だが、ふらっと現れたエストの背には、ライラの何倍もの大きな魔道書の山が、幾つも連なっていたのだ。
それも一度だけではなく、複数回読んだ魔道書が殆どである。
簡単そうに魔術を使う裏に、どれだけの時間と労力を費やしたのか、想像も出来ない。
「だから……憧れちゃうんです」
そんな山々をひょいっと人に渡すようなエストが、眩しく輝いていた。
山に眠る小さな小さな宝石を、まるでパンをちぎって渡すようにして共有するのだ。
見方を変えれば聖人のようで、また一方では簡単に歴史や国を動かす劇薬のような人間。
魔術師のお手本と言っていいだろう。
ライラの目指すべき人であり、それに並ぶ魔女という肩書きを追い求めるのは、自ら劇薬になるというもの。
斯くも恐ろしい存在になることを胸に、今日もライラは魔道書を読むのだった。
「へっくち! あぁ……へくしっ!」
フブキとキサラギが昼寝をしているので、のんびりとシスティリアの尻尾を梳かすエストは、2連続でくしゃみをした。
秋の冷えが来たかと思うと、炎龍の魔力を多く巡らせるようにし、ポケットからハンカチを取り出そうとする。
「あら、3発目はないのね。尻尾の毛でも吸ったのかしら?」
「うぅ……言ってないで助けてよぉ。尻尾に鼻水ついちゃったぁ」
「ア、アンタねぇ……ッ! 汚い……ことはな…………いいえ、汚い! そればっかりは許せないわよ!!」
何とかハンカチで拭き取るエストだったが、彼女の尻尾はぶわりと逆立ち、せっかく梳かした毛並みが松ぼっくりのようになってしまった。
「うはぁ! モフモフの尻尾だ!」
「ひゃんっ! こ、こら! そんな勢いよく掴んじゃダメよ! それに何よその声! うはぁじゃないわよ!」
昔、ボタニグラの蔦に振られたエストがシスティリアの尻尾に吐瀉物をかけてしまったことを思い出し、その再来と言わんばかりに怒りをあらわにするシスティリア。
一方、既に
「……疲れた」
「そりゃ顔を振ってたら疲れるでしょうね」
「システィ……膝枕……して?」
「可愛く言わないでちょうだい! もうっ!」
尻尾をぎゅんっと振ってエストから離すと、システィリアは畳の上に座り直せば、ぽんぽんと太ももを叩いた。
そこへ吸い込まれるように頬を置いたエストは、ふぅっと大きく息を吐く。
「ちょっと左腕が動くだけで、こんなにもブラッシングがやりやすいなんてね。左腕ってあった方が便利だね」
「当たり前じゃない。でも、まだ動かしにくいのよね? あまり無理しちゃダメよ?」
「や〜だねっ。僕はシスティのためなら腕の3本や4本、安いと思ってるから」
「他人の腕を賭けちゃダメじゃない! ちゃんと返してきなさい!」
そんなことを言われつつ上を見たエスト。
視界の半分がシスティリアの胸で埋まり、その大好きな顔を拝むことが出来ず、歯がゆい思いから左腕を伸ばす。
すると──ぽよん、と胸に手が当たった。
「こら。触るならもっと優しくしなさい」
本当はその顔を見たかっただけなのだが、伸ばした左手を抱かれ、胸に収まってしまう。
そこから動かすような気力はエストに無く、優しく指先を曲げることしか出来なかった。
「う〜ん、やっぱり動かしにくいな。こう……肩が固まった感じで──っ!」
「なに閃いたって顔してんのよ!」
「肩……型だよ! 型! か・た!」
「うるさいわねぇ……肩がなによ?」
突然大きな声で言うエストは、体を起こすとシスティリアの前に左腕を伸ばした。
先程まで胸を揉んでいた左腕だが、神国で解呪を試みた際、後でやろうと思って忘れていたことがあったのだ。
「術式の型だよ。それが分かれば、解呪のヒントになるかもしれない」
「……そっ」
呪術はかける人によって術式が変わるため、ある程度呪いやすいよう、派閥のような呪いの型があるのだ。
それは今の闇魔術にも共通する、五感を奪う型に近いものであり、上手く読み解けば自力で解呪出来るかもしれないと、エストは目を輝かせた。
しかし、そんなエストに素っ気ない態度をとるシスティリアは、ついっと顔を背けてしまう。
「……怒ってる?」
「ええ、怒ってる」
「……ごめん。鼻水には気をつけるね」
「それはいいの。アタシが怒ってるのは──」
詰め寄ったシスティリアはエストの左腕を掴むと、ぎゅむっと胸を握らせた上で、右腕を自身の頭の上……耳に持って行った。
「全然撫でてくれないことよ! 胸でも耳でも、頭でもいいから撫でなさいよ!」
「……はぁい。撫で待ちだったんだね」
すると、今度はエストが膝枕をすることになり、システィリアの耳や頭を撫でては梳かし、呪いの型を探るのだった。
「ふふんっ! エストの手……大好き」
「今日のシスティも可愛くて好きだよ」
「愛してる?」
「超愛してる」
「……もうっ」
畳の上で、丁寧に梳かされた尻尾がバサバサと振られていた。
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