第174話 精霊にお別れを
「賢者エスト。私も旅に同行したい」
魔力の充填をしながら花を咲かせているエストに、暇そうなネモティラがそう言った。
「やだ。無理。めんどくさい」
「全力否定するの!? 生意気ね!」
「流石に3人も守れないよ」
「私は弱くない。あの2人より断然強い」
「じゃあひとりで旅ができるね。行ってらっしゃい」
自然魔術を習い始めてから一週間が経っている。
魔石を手に取っては数秒で充填が終わり、充填済みの魔石を箱に丁寧に並べる。そんな作業をしながら適当に返事をすれば、グイッと顔を寄せたネモティラがエストの瞳を覗く。
外で遊びたいとせがむ子どものように、ワガママな視線がエストを刺した。
「わざわざ僕に着いてくる理由は何?」
「何かあっても守ってくれそう」
「目隠しして両手縛ってからゴブリンに突き出す」
「賢者エストはそんなことしない」
この一週間で彼の大体の人柄が分かっている。
己の成長を全力で喜び、暇を与えると人形作りを始め、システィリアを前にするとデロデロに溶けてしまうこと。
普段は氷のように冷たい態度だが、相手を思う余裕がある人間ということは、魔女以外に友達が居ないネモティラでも理解できた。
「聞くけど、魔族との戦闘経験は?」
「ない」
「じゃあダメ。それに、君はやるべきことがある。僕らが魔族に負けた時、人類を守れるのはネモティラや先生たちだ。ここで無駄に戦力を失うのは勿体ないよ」
遠くを見ながら言うエストの目には、敗北は映っていない。しかし相手は魔族だ。一瞬で街を半壊できる力がある。
既に2体の魔族と戦い、その恐ろしさが体に刻まれたのだ。そう易々と駒を捨てることはできない。
他にも精霊ということや魔女ということを加味して、エストは旅に同行させないと言った。
「……意外と考えていた。意外と」
「魔族との戦いは最悪の連続だ。できるなら戦いたくないし、平穏に死にたい。でも……きっと無理だ。最悪ってのは、急に現れるから」
「なら私も諦める。無理を言った」
「わかってくれて嬉しいよ」
何とか食らいつこうとするネモティラを抑え込むことに成功したエストは、魔力充填作業をしながら魔族の使う魔術について話した。
これといった収穫は無いものの、自然魔術は時間稼ぎに使えることが分かった。ブロフとシスティリアに頼る場面が多くなると思い、鍛錬中の2人に思いを馳せる。
システィリアは白狼族だ。
魔族が優先して狙うとジオが言っていたことは、今もエストの中で燻っている。
平和な時間は訪れるのか。
なぜ戦わないといけないのか。
今一度、自分の運命に問いただしたくなるが、彼女と共に居るためならどんな難題でも成してみせると、向上心をさらに燃やす。
精霊樹に来てから2週間。
魔女は『アリアに怒られるからの』と言って帰り、エストたちも己を鍛え直すのに充分な時間が経った頃、突然エストの冒険者カードから連絡が届いた。
『エスト、俺だ。今どこに居る?』
懐かしさを覚えるジオの声が聞こえると、もう残り少ない無色の魔石を見ていたネモティラが顔を上げた。
「精霊樹に居るよ。自然魔術は覚えた」
『よくやった。俺の方は魔族の情報を集めたぞ。1ヶ月後までに王都に来い。残り3体の魔族のうち、最も早く動く奴が分かった』
魔族の情報。それ即ち、来たる大きな戦いに繋がる貴重な情報を手に入れたということだ。
被害が出る前に魔族を倒したい。
そんな思いがエストとジオから溢れ出し、それを見ていたネモティラは、賢者は似る者なんだと頷いていた。
「……すぐに向かうよ。王都のどこに?」
『王城だ。既にお前の名前を出したら通れるようにしておいた。門番にギルドカードを見せたら入れる』
「じゃあ2人に伝えて、明日にでも出発する」
『悪いな。頼んだぞ』
ジオは、エストに賢者としての役割を押し付けたことを申し訳なく思っている。それは声の節々から分かることであり、エスト自身も理解していることだった。
システィリアという存在を抱えているのに、次は人間を守るために奔走しろ、なんて、幾らジオでも精神的負荷が多いことは知っているのだ。
それでもエストに頼らざるを得ないほど、今回見つかった魔族の情報は大きい。
夜に明日出発する旨を伝えたエストは、残りの魔石に全部魔力を注ぐと、ネモティラから深い感謝の言葉をもらった。
そして別れの時。
精霊樹の前でネモティラが見送る。
「賢者エスト。その妻システィリア。戦士ヴゥロフ。あなたたちの幸せを願ってる」
「……ありがとう。色々と急でごめんね」
「構わない。またいつでも来るといい。エルフたちも皆との出会いは刺激になる」
さりげなくドワーフの発音をしたネモティラに、ブロフは膝をついて頭を下げた。
「精霊ネイカ様。ありがたきお言葉」
「気にしなくていい。体に気をつけて」
「はっ」
ドワーフは精霊の半身ということは知っていたエストだが、ブロフがここまでの対応をするとは思わなかった。
我慢していたが、彼は精霊に対して並々ならぬ思いがあるのだろう。
珍しいブロフの様子に驚きつつも、エストたちはネーゼたちの方を見た。
「過去数百年で最も刺激的な日々でした」
「そっか。君たちの役に立てたなら、僕としても嬉しい。何か言ったらネモティラに言うんだよ?」
「い、いえ、魔女様にそんな……」
「共生しているんだから頼りなさいよね。アンタたちエルフは、ネモティラの一部なんだから。バンバン言い合った方が身のためになるわ」
「……では、今後はそのように」
そうして最後の挨拶が終わると、一行は精霊樹に背を向けた。
目指すはリューゼニス王国の中心都市、王都だ。
最も発展していると言われながらも、どこか他の街と似た親しみやすさを持ち、住民と冒険者の数は凄まじい。
引退した冒険者による武術道場や、魔道具の生産施設があったりなど、エストが楽しみにしていた街のひとつである。
──だが、今回の目的は観光ではない。
「近いうちに魔族と戦う。まだまだその時じゃないけど、少しずつ気を引き締めていこう」
「ええ。次は誰も殺させないわ」
「オレも……強くなったからな」
魔族。それは今のエストが嫌いな言葉だ。
聞くだけで嫌な思い出が蘇り、同時にシスティリアを守らねばと体が防御態勢をとる。
戦わなくていいようにするために戦う。
平穏な生活が手に入ることことを願って、エストは一歩を踏み出した。
そして──王都では静かに黒い種が芽吹く。
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