第173話 危ない森の探索者
エストが自然魔術を学ぶ一方、ブロフとシスティリアの2人は精霊樹の前に集まっていた。
そんな2人の前には魔女とネーゼが立っており、オルオ大森林の探索ルートについて話し合っている。この森に関しては魔女も知らないことが多いので、ガイドとしてネーゼを呼んだのだ。
「エルミリアさん、アタシたちは何をさせられるのかしら?」
「ん〜? 修行じゃ修行。システィリアはまだ大丈夫じゃろうが、問題はそっちのドワーフよ。お主、気づいておるのじゃろう?」
また修行? と言いたくなるシスティリアだったが、話の矛先を向けられたブロフを見ると、暗い顔で佇んでいた。
珍しい表情だと思うのもつかの間、ブロフは深く頷く。
「ああ。オレはこのパーティで一番弱い」
「で、あろう。わらわでも分かるほどお主は弱い。魔術的な話ではなく、エストとシスティリアの動きについていけないのじゃ。まぁ、無理もないがの」
「どういうこと? ブロフは最前線で攻撃を引き付けてるわよ?」
これまで何度もブロフが前に立ち、その斜め後ろにシスティリアが攻撃態勢をとり、エストによる援護で立ち回ってきた。
それを分かった上で、魔女は言う。
『ついていけてない』と。
「システィリアよ。エストの援護無しで魔物と戦う際、最も注意すべき点はどこにあると思う?」
「相手の注意の分散ね」
「うむ、その通りじゃ。では聞くが、これまでに戦った魔物で、真っ先にそこの……ブロフを攻撃した者は
「それは…………あれ、もしかして」
直近の戦いだと、異界式ダンジョンでのエブルブルームや悪魔が思い出されるが、どちらもブロフから攻撃する形であり、彼が狙われるのはその重たい一撃を食らった後だった。
戦士として最前線に立つ以上、魔剣士や魔術師に攻撃がいかないよう、相手の注意を引き続ける必要がある。
その技術が、ブロフにはないのだ。
「これより、オルオ大森林で相手の意識を引く力をつけてもらうのじゃ。お主が弱いままでは、わらわの大切な息子夫婦が死ぬかもしれぬ」
「……ああ。是非ともやらせてくれ」
「死ぬ気で取り組むことじゃ。わらわとネーゼは命の危機に瀕した場合のみ動く。ミストスピンに食われぬよう、気をつけよ」
これはブロフのための修行である。
生まれながらにして高い身体能力を持つシスティリアと違い、ブロフは数々の戦いの中で得た知識を元に戦ってきた。
しかし、ここからは地力の底上げを行わない限り、メキメキと実力を伸ばす2人に追いつけない。
戦士が最初に死ぬなど、通常のパーティでは起きてはならない最悪の事故である。
鍛冶師として生きることを辞めた以上、ブロフは前に進むしかない。
そうして精霊樹の元を離れ、4人は大森林の中を進んでいく。深い森の中を歩いていると、わずかに霧が出てきた。
「居るわよ。気をつけて」
「……ああ」
限りなく薄い殺気を感じ取ったシスティリアが剣を抜くと、それに合わせる形でブロフもハンマーを構えた。
「エルミリア様。これは……」
「うむ。ひとりじゃと死んでるであろうな」
この霧はミストスピンの出した糸である。
粘着性のある部分に触れた瞬間、一瞬にして現れたミストスピンに食われ、跡形も無くなるだろう。
そんな未来が容易に想像できるほど、ブロフの感知能力は低い。
システィリアが落ちていた枝を投げると、霧のような糸に絡まった瞬間、大きな音を立ててソレが現れた。
鋭い槍の如き脚を地面に突き刺し、枝を砕いた蜘蛛……ミストスピンが姿を見せた。
大人を丸呑み出来そうなほどの図体は、虫嫌いを一瞬にして絶望させるだろう。
真っ黒な体表には羽根のような毛が生えており、光の吸収率が高いせいか、輪郭が消滅するほど黒く見える。
その中で輝く赤い目が輝くと、システィリアに向かって飛びかかった。
「動き出しが遅い。よく
「……エスト様は戦わずに来たと」
「……魔物め、人間に怖気付いたか」
すかさずブロフが前に飛び出すと、脚による攻撃を弾く。それでも標的が変わらず、ミストスピンが着地した一瞬の隙を突いて、システィリアが剣を振るう。
ミストスピンの体毛は非常に硬く、並の剣士では斬れない切断耐性があるのだが、前脚の付け根を狙った全力の一撃は黒い脚を地面に落とした。
ゴトッと金属が落ちたような音が響く。
すると、賢い魔物であるミストスピンは体の向きを反転させ、糸を出しながら森の中へと消えていった。
「撃退成功じゃな。平凡なパーティであれば喜べるが、今はダメじゃ。ブロフよ。反省点は分かるかの?」
「オレが見向きもされなかった。あの攻撃も、お嬢なら簡単に躱せただろう」
「その通りじゃ。なぜお主が狙われないか、理由は分かってるかのう?」
「……魔力の差、か」
体から溢れ出る魔力の差。
生まれつき土の適性を持つドワーフは、通常の人間よりも魔力量は多いものの、その殆どが筋肉へと行ってしまうため、結果的に少なく見える。
そしてシスティリアは、エストたちに魔術を教わることでその魔力量自体を増やし、制御はしているが、それでもブロフより圧倒する量を放出している。
魔物からすれは、魔力量の多い人間は美味しい餌だ。優先して狩るのは当たり前である。
「というわけでじゃな。こんな物を用意した」
じゃじゃ〜ん、と言って懐の亜空間から取り出されたのは、水晶のような魔石のペンダントだった。
「これを付ければ標的はお主に集中するぞ」
「……どういうことだ?」
「見て分からぬか? システィリアよ、お主なら分かるであろう?」
魔女が掲げたペンダントにすんすんと鼻を鳴らすと、システィリアはそれを寄越せと言わんばかりの表情で言う。
「エストの魔力ね」
「大正解じゃ。今朝方、ネモに頼んで譲ってもらったのじゃ。小さな穴を開けて通常の魔石の欠片で埋めれば、魔力の移動で外に溢れる。シンプルゆえに破綻せぬ、魔物を引き付けるペンダントじゃ」
無色の魔石から通常の魔石への魔力移動を利用した、ある種の殺人用装備である。こんなものをCランクの冒険者が付けてしまえば、あっという間に魔物に囲まれて死ぬだろう。
しかし、正しく使えばひとりに狙いを定めさせることができる。
今日からブロフはこれを装備することで、エストがのんびり詠唱しない限り、魔物の狙いはブロフに吸い付いていくはずだ。
ブロフにペンダントを渡す魔女だったが、『約束せよ』と言ってその手を離さなかった。
「お主がパーティに
「……ああ。そんなこと、ラゴッドを出た時に精霊に誓った」
「ならよい。わらわもお主を信用しよう」
そうしてペンダントを着用してからのブロフは、見違えるほどに魔物の注意を引き付けた。
再度現れた別個体のミストスピンは一心不乱にブロフを攻撃し、その全てを吹き飛ばす勢いでハンマーを振れば、木々に打ち付けるように飛ばされる。
怯んだ隙をシスティリアが脳天から剣を刺すことで、一撃で強力な魔物を仕留めてしまった。
「凄まじい。これひとつで変わるのか」
「エストは昔からこんな状態で旅をしてたのよ。寝てる間にゴブリンは来るし、ワイバーンも襲ってきたわ」
「……よく生きていたな」
「そりゃあ、アタシがついてるんですもの…………って言いたいけど、どれもエストが倒したわ。その魔力の正しい使い方を知っているから、アイツは強いのよ」
時に前線に立ち、システィリアが攻撃されないように立ち回ったエストは、2人旅の時は戦士の役割も担っていた。
本人的には仲間に怪我をさせない一心だったが、それが戦士の理想像でもある。
まだまだ彼から学ぶことが多いと再認識したブロフは、魔女に向かって頭を下げた。
「……エルミリア殿。深く感謝する」
「な〜に、気にするでない」
「だがこれは、エストが居れば意味が無いのではないか?」
「それも気にするでない。エストの魔力制御はセンパイのやり方じゃ。その魔石よりも遥かに放つ魔力は少ない。安心して前に立つがよい」
「……改めて感謝する」
道具がないと2人に追いつけない。
その事実はブロフのプライドを傷つけることになるが、それ以上に楽しみがあったのだ。
エストとシスティリアが見せる世界は、やはり別格である。戦士として、ドワーフとして。例え数百年生きようとも見られない景色を、彼らは本のページを捲るように見せてくれる。
その代価としてプライドが傷つけられるぐらいなら、安いものだ。
ペンダントを握りしめたブロフは、確かな自信を持って、後の探索にも力を入れた。
夕方になるまで近くの魔物を狩り、精霊樹に帰ってくると顔色の悪いエストが出迎える。
「おかえり……ブロフ、カッコよくなった?」
「……ああ。お前は今にも死にそうな顔だな」
「ちょっと自然魔術で遊びすぎた……システィ〜」
ヘロヘロの状態で愛するシスティリアの胸に顔を埋めるエストに、本当にこいつがリーダーで大丈夫か? と思うブロフ。
しかし、そんな時でも彼女を、そしてブロフを思えるからこそ、ここまでやってこれたのだと実感した。
「まだ洗ってないから汗臭いわよ?」
「うん……ちょっと臭う」
「なんですって? ぶん殴るわよ?」
「でもちょっと臭いシスティも……好き」
「…………はぁ。ほら、部屋に戻るわよ。今日はブロフが凄かったんだから」
やはりこのリーダーはダメかもしれない。
「全く、イチャイチャしおって。あの2人はいつもこうなのか?」
「ああ。未踏破ダンジョンでもああだった」
「……ま、よいか。幸せそうで何よりじゃ」
「………ああ」
そんなパーティも悪くないと思う、ブロフであった。
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