第175話 四風狼の三奇人


「よ、ようやく森を抜けられた……」


「帰りでこんなに迷うとはね……」


「……王都まで一週間で行けるのか?」



 オルオ大森林で迷いに迷いを重ね、ようやく外に出た時には2週間が経っていた。3人の顔には疲れの色が濃く出ており、食生活によるストレスが相当に溜まった。


 それよりも、ジオとの約束に間に合う気がせず、エストは首を横に振ってから天を仰ぐ。



「歩いて行ったら……また2週間はかかる」


「大人しく馬車を使いましょ?」



 システィリアの言葉に、そうするしかないかと頷くエストを横目に、背嚢から地図を取り出したブロフが『ちょっと待て』と片手で制した。



「辺境伯領、男爵領、伯爵領を経由する。馬車でも間に合わん」


「……その地図が間違ってる可能性は?」


「70万リカの本物だ。測量日は1年前だぞ」


「よし、近くの村で馬を買おう!」


「切り替えが早いわね……」



 そうは言っても、エストは乗馬経験が無いので買ったとしても訓練から始めることになる。馬車では遅く、転移では消耗が激しい。


 どうしたものかと唸っていると、森の中からウィンドウルフが飛び出してきた。


 その数4頭。黄緑色の体毛を逆立たせ、無数の風の刃が飛んでくるがエストの風域フローテに飲み込まれ、消失する。


 2人が武器を構えたのを見て、エストは『そうだ!』と手を打った。



「この子たちを足にしよう」


「……アンタ、何言ってるの?」


「お嬢、変な物でも食わせたか?」


「昨夜アタシの尻尾を咥えてたから、そのせいかしら?」


「エスト……お前はもう休め」


「ちょ、ちょっと待ってよ。確かに疲れてるけど、システィの尻尾をキメるほどじゃないよ? アレはただの愛情表現。キスと一緒だよ、多分」



 本人も正しくは理解していないが、寝ぼけて口に入れたのが尻尾だっただけなのだ。まだ自らシスティリア成分を過剰摂取するほど、精神的には疲れていない。


 そんな話をしているうちにウィンドウルフが飛びかかってきてしまい、前に出たエストが杖を構えた。



 使う魔術は自然魔術。型は生物型だ。

 杖先に展開された翡翠色の多重魔法陣が2層に別れると、先頭に居たウィンドウルフの鼻先に片方が移る。




野生支配ネリュミス




 その一言で魔法陣が輝いた瞬間、先頭のウルフはピタリと足を止めた。続けざまに後続の3頭にも同じ魔術を使うと、襲う意思を一瞬にして消し去ってしまう。



「えぇ……何それ? 洗脳?」


「野生の魔物を従える魔術。システィの予想は正しくて、闇魔術の催眠ダーラの元になった魔術なんだ」


「やだ、エストにエッチなことされちゃう」


「しないよ? むしろ君からするでしょ?」


「それで、その犬っころは従えたのか?」



 いやんいやんと言いながら尻尾を振るシスティリアを他所に、綺麗にお座りの状態で整列するウルフたち。

 ブロフが触れようとする前に光魔術で浄化と小さな傷を癒すと、エストは大きく頷いた。



「本能が強く働くまでは言うことを聞くよ。適度に食事と休憩、睡眠を与えないと正気に戻っちゃう」


「馬と変わらんな」


「自然魔術って凄いのね〜」



 自然魔術は時空を除く全ての魔術の源流だ。

 6属性を扱えるエストは、自然魔術と他属性の魔術の共通点を見つけられたために、ネモティラも驚く速度で習得した。


 しかし、まだまだ付け焼き刃……というには隙が無いが、自分の魔術まで落とし込めていないので、本人は不満である。


 そんなエストを知ってか知らずか、今はこれで良いと2人はウルフの頭を撫でた。



「君たち、僕らを乗せて王都まで連れて行って」


『……?』


「魔物が王都を知るわけないだろ。オレが先頭を走る。2人と1匹は着いてこい」


『ワン!』



 ブロフの大きな手で顎を撫でられたウルフが気持ちよさそうに目を細めると、エストも同じように隣に居るウルフの顎を撫でた。


 しかしウルフは一切表情を変えることなく、仏頂面のままである。


 ふとシスティリアの方を見れば、白狼族であることを見抜いたのか、2頭のウルフは服従の証である腹を見せて撫でられていた。


 視線を戻しても、エストのウルフは仏頂面。

 頭を撫でても、背中を撫でても、お手をさせてもその表情は変わらなかった。



「君、やる気ある?」


『……』


「ちょっと対応酷いと思わない?」


『…………』


「僕だけ土像アルデアの馬でもいいけど」


『……ヌゥ』


「声低っ。君だけ狼のフリをした何かじゃない?」



 置いて行かれるのは嫌なのか、腹に響くような声で鳴いたウルフは、エストの隣にぴたりとくっ付いた。

 他の子のように明るい反応が返ってこないのは寂しいが、これはこれで面白いウルフと出会ったなと、エストは満足げに頷く。


 システィリアの方は交代で2頭が背中に乗せるようで、狼に対し異常にモテていた。



「……風狼ウィンドウルフに乗れる日が来るとはな。エスト、お嬢。まずは南のゾルデアを目指す」


「わかった。案内よろしく」


「あははっ! 魔物でも狼は可愛いのね!」



 じゃれあっていたシスティリアの方も、先頭のブロフが走り出したのを見て後を追う。

 エストと仏頂面のウルフは最後尾を走るのだが、ウルフは少し待ってから、急加速して2人に追いつこうとした。



「うぅっ! は、速すぎっ!!」



 両手で掴まっていたエストだが、ウィンドウルフの速度を知らなかったせいか、分厚い風の壁に押されてしまう。


 なんとか両足を挟み込んで耐えたエストは、前傾姿勢になって風を切っていく。


 整備されていない街道を風のように走っていく感覚は、馬と比にならない速度で周囲の景色を変えた。



「はははっ! これは凄い! 気持ちいいな」


『……ヌゥゥ』


「君も楽しい?」


『ヌゥ』


「それじゃあもう少し早くしてあげる」



 走りながら風域フローテでウルフの体を少しずつ軽くしてやると、一定速度を保っていた脚が凄まじい速度で回転を始めた。


 ウルフはそのまま速度を上げ続けると、前に居るシスティリアを追い越し、更に力強く地面を蹴って行く。


 そして、先頭のブロフに手が届きそうなほどの距離なり、ウルフが一気に速度を落とした瞬間──



「ああ゛ッ」



 姿勢が崩れた一瞬を風は捉え、エストの体を前方へと投げ飛ばした。慣性の乗った体はとてつもない速度で吹っ飛び、あっという間に前方で小さくなっていく。


 ブロフが速度を落としながら近づくと、全身から血を流したエストが無意識に聖域胎動ラシャールローテを使った。


 辺りには氷の破片が散らばっており、悲惨な事故現場が広がっている。



「っ……痛てて……危うく死にかけた」


「……普通の人間なら肉塊になってる勢いだぞ」


「エスト!? 大丈夫なの!?」


「まぁね……いやぁ、怖かった。まさか咄嗟に使った氷鎧ヒュガが割れるとはね。これを破壊したのは氷龍以来かな」



 全身を守るように張った硬い氷も、あの速度で投げ飛ばされては壊れてしまう。久しぶりに盛大な失敗をしたと思うエストに、申し訳なさそうな顔をしたウルフが近づいた。



『……ヌゥ』


「君は悪くない。僕が調子に乗っただけだ。それより、一度ご飯にしよう。このペースなら日暮れまでに街に着くよね?」


「ああ。だが風狼ウィンドウルフが街に入れるかは分からん」


「大丈夫。いくつか策はあるから」



 今一度ウィンドウルフの速度について認識を改めたエストたちは、魔術が解けないように食事と休憩を与え、食休みをしてから街へ向けて走り出す。


 システィリアの乗るウルフはもう1頭の方になり、尻尾をブンブンと振りながら走っていた。



 そんな一行が街へ向けて全力疾走していると、通りすがりの商人や冒険者が、そのあまりの異様さに注目を向けていた。



 そして、街に着いた頃には、こんな呼び名が生まれることになる。



 四風狼の三奇人、と。

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