第176話 門前払い
夕陽に照らされる辺境伯領ゾルデア。指定危険区域のオルオ大森林から流れる魔物を制限し、他の領地への侵入を防ぐ役割を果たす街。
そんなゾルデアの門番は、今までに無い状況に頭を抱えていた。
「1泊だけでいい。明日の朝に街を出るからさ。あの子たちも入れてほしい」
謎の白い魔術師が、Bランク相当の魔物であるウィンドウルフを撫でながらそう言った。
差し出された冒険者のギルドカードも本物であり、一体いつから冒険者は魔物を仲間にできるようになったのかと、門番の兵士は首を傾げる。
ふと相方の兵士を見ても、首を横に振っていた。
「魔物を入れることは出来ない」
「どうして?」
「人を襲うからだ。我々の仕事は民に危険が及ばぬよう、事前に食い止めること。そのウィンドウルフを入れることは出来ない」
門番は自分の仕事に誇りを持っているらしく、あの手この手でゴネても通す気は無さそうだ。無理にウィンドウルフを入れるのも可哀想なので、仕方なく野営することにした。
しかし諦めきれないエストはチラチラと門番を見るが、その度に首を横に振られた。
「……ダメだったよぉ」
「仕方ないわ。この子たちだって魔物。人を襲わない保証が無いわ」
「お嬢、それは犬でも当てはまる。あの門番も判断に迷ったんだろう」
街に入れないなら迂回するしかない。
ゾルデアを大きく内側にまわり、街道に割り込むのが楽なルートなのだが、少し考えたブロフはせっかくならと妙案を思いつく。
地図を広げ、エストに
「今居るのがここ、ゾルデアだ。本来の行き方なら南の街道に乗って男爵領に入るが……思い切ってこちらに行く」
「……ねぇエスト、アタシの勘違いかしら?」
「……僕も見ちゃったよ。森と山、ついでに谷も飛び越えて伯爵領に行ってる」
「最短距離だ。こいつの体力次第だが、今のペースなら4日で伯爵領に着く。王都までは6日だな」
道無き道を全速力で突っ走ると言うのだから、流石のエストも頬を引き攣らせていた。ここまで豪快な移動はしたことが無いので、安全面からして疑問も多い。
道中、絶対に超えなければならない谷があるのだが、ここは王国でも有数の危険区域だ。
そこばかりはエストの転移を使いたいと言い、文字通り道を無視した脳筋的最短ルートをブロフは出した。
「それで行くしか無さそうね」
「だね。じゃあ今日はもう休もう。僕は精神的に疲れたよ」
そう言って
ちょっと休もうと椅子に座るエストだったが、せっかくならとウルフに名前を付けることを提案する。
それには2人も乗り気なのか、王都までの旅の仲間として、是非付けたいと言い出した。
「オレのはリィトだ。師を思い出させる顔つきだ」
「アタシは……ワンワンとバウバウにしましょう」
「安直だね」
「安直すぎるぞ」
「な、何よ!? だってそう鳴くんだもの!」
しかし2頭は気に入ったのか、名前の通りの鳴き方で返事をすると、システィリアの前でお腹を見せた。
最後に残ったのは、エストが乗っていたやけに声が低いウルフだ。こちらは常に仏頂面であり、まるでどこかの誰かのように表情を変えない。
黙って見つめ合って考える姿に、2人は『似てるなぁ』と内心で呟く。
「ヌーさん。さんまでが名前だよ」
『……ヌゥ』
「アンタだって安直じゃない! しかも声低っ!」
「腹に響くような声だな」
そうしてリィト、ワンワンとバウバウ、ヌーさんの4頭が新たに加わり、料理担当のシスティリアは仕事量が大きく増えていた。
彼女が疲れるほどの仕事はさせたくないと、ヌーさんたちのご飯はエストが作ることになった。
台所はシスティリアの領域だ。
拠点の外で簡易的な焚き火を用意したエストは、亜空間から取り出したオーク肉を小さく切る。
細長くした
焼けるのを待っている間に、それぞれの名前が刻印された土板を首から下げさせると、邪魔にならないように調整する。
そして同じように名前を彫った皿を焼成すれば、ウルフたちだけの物だと見分けがつく。
「そろそろかな」
調味料をあまり使わず、ただ焼いた肉と生肉の細切れを混ぜたオークの2色盛りを用意したエストは、火を消して拠点の一角に皿を並べた。
「これがリート、こっちがワンワンとバウバウ、それでヌーさんの分ね。先に食べていいよ」
4頭は嬉しそうに上等なオークにがっつくと、尻尾を振ることも忘れて夢中になり、全員がピンと立たせたまま皿の前から動かなかった。
1回の食事量はエストの1食分と近い数のため、そこまで増えたわけではない。
ちょうどシスティリアの方も料理が終わり、全員の武器の手入れをしていたブロフも、エストの水で手を洗ってから席についた。
3人揃ってから『いただきます』と言い、システィリアの愛情たっぷりな夕飯を頂く。
「あぁ、美味しい。ボロボロの体に染み渡る」
「アンタ、無意識に上級光魔術を使ってたものね」
「オレとしては傷が無いローブの方が気になる」
「凄腕の職人製だよ。傷や汚れに強い。臭いも付かない。良いでしょ」
「……だからエストの匂いが薄いのね」
「匂いを嗅いでいた犯人が炙り出されたぞ」
「…………いつものことだから」
システィリアの嗅覚でも薄いと言わせるほどに、
それを惜しげも無くローブの全てに使い、システィリアの方には耳に合わせたポケットもある。
ここまでの代物、王族ですら手に入れるのが難しいだろう。
そんなエストのローブだが、ヌーさんから落ちた衝撃にも見事に耐え、傷ひとつ、穴ひとつ空いてなかった。
改めてローブの耐久性に感謝をしたエストは、今日も寝る前に尻尾の手入れをする。
複数の櫛を使い、極限までふわふわに仕上げられた尻尾に、ついつい顔を突っ込んでしまうエスト。
「ひゃうっ!? もうっ、ビックリしちゃった」
「そこに尻尾があったから」
「なによそれ……ふふっ」
仕上げのオイルを馴染ませてあげれば、それはもう見事なまでのふわふわを維持しながら、艶のある美しい尻尾へと昇華する。
エストも満足のいく出来だと頷くと、彼女の隣に寝転がる。
すると、いつもより激しく抱きついてきたシスティリアが、ぐりぐりとエストの胸に顔を擦りつけた。
「そこにエストが居たから……なんちゃって」
「……可愛い。じゃあ僕ももうちょっと」
首の辺りに感じる彼女の耳に顔を埋め、お互いに匂いを嗅いでいた。システィリアのほのかに甘い香りは、エストを魅了するフェロモンだ。
より彼女を魅力的に思い、心の底から愛情が湧き出てくる。
ベッドの近くで丸まっているウルフたちにも、この匂いは自分専用だぞと言いたくなるエストは、優しくシスティリアを抱きしめた。
いつもより少し、甘い香りのする夜だった。
朝を迎え、朝食をとった一行は街道を無視して草原を突っ切って行く。またすぐに森へ入るが、つかの間の草原は冷たい風を全身に浴びせた。
「エスト、魔物だ。ゴブリンが居る」
「それじゃあヌーさん、やっちゃって」
『……ヌゥ』
森から出てきたゴブリンの群れに、ヌーさんの風魔術が突き刺さる。ついでに放たれたリィトやワンワンたちの風の刃が、傷ついたゴブリンを引き裂いていく。
これがウィンドウルフの狩り方だ。
ゴブリンの傷跡は、人間が付けるような美しさが無い。少しでも多くの血を流させ、追跡しやすいような傷をつけている。
「進もうか。次は街に入れるといいんだけど」
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