第177話 やきもちをやくきもち


「あぁ……街があんなに遠くに。ふかふかのベッドがぁ……」


「仕方ないでしょ? ふかふかのベッドは無いけど、ふわふわの尻尾ならあるわよ?」


「じゃあそれでお願い」


「……呑気だな」



 辺境伯領ゾルデアに入れなかった一行は、異名だけを轟かせながら南東の小高い丘で野営している。

 冬の刺すような空気をパチパチと火花を散らす焚き火が温め、柔らかい土のベッドで温もりを感じながらゾルデアを思うと、隣からふわふわの尻尾が伸びてきた。


 意外と尻尾が長いなぁと思いながら彼女に体を預けた途端、2つのぷにぷにが後頭部を刺激する。


 にわかに身の危険を感じたエストが飛び上がるが、そこには満面の笑みを浮かべるシスティリアが居るだけだった。


 背筋に走る刹那の欲望。柔らかい笑顔の裏にある桃色の世界。目を逸らしたくても見えてしまう──否、つい見てしまう景色に、エストはぷいっと顔を背ける。


 頬を膨らませて『ぶー!』という彼女だが、隙を見せれば襲うつもりであった。



「静かに戦ってんじゃねぇ。寝ろ」


「「……はぁい」」



 顔を上げたヌーさんがチラりとエストたち見ると、再度丸まってウトウトし始めた。他のウィンドウルフたちは既に眠っており、穏やかな寝息が小さく聞こえる。


 ブロフに怒られた2人もベッドに横になると、いつものようにシスティリアが抱きつきに行く。


 オルオ大森林ではゆっくりする暇が無いほど魔物の危険に晒されていたせいか、今はかなりリラックス出来ているようだ。


 そうして警戒しながらも眠ると、朝が訪れる。




 時刻は午前6時前。まだ朝日が顔を出す前に起きたエストとブロフは、朝の用意をする。

 朝食のスープをブロフが煮込み始めたのを見て、腕に抱きついて離れないシスティリアを起こす。



「システィ、起きて。今日は森を突っ走るよ」


「んぅ……あと2時間……」


「王都に着いたら何時間でも寝ていいから」



 そんな言葉で釣ろうとするが、中々目が覚めない。昨夜といい今朝といい、今の彼女はワガママモードに入っている。


 こういう時は無理せず叶えてあげることが一番だと知っているエストは、システィリアの体を起こし、唇を重ねた。


 すると、パチッと目が覚めたのか、尻尾が激しく振られる感覚が体越しに伝わってくる。



「なに? 朝ご飯? たくさん食べるわよ!」


「……これ結構恥ずかしい。まだ慣れないや」


「もう出来るぞ。座って待ってろ」



 欲に素直なシスティリアである。

 そんな彼女に振り回される時間がたまらなく嬉しいと感じるのは、惚れた弱みだ。元より少しワガママな性格の方が好きなので、エストとしてはこれぐらいでちょうどいい。


 朝のパンとスープを食べ、ヌーさんたちにしっかりと肉の入った朝ごはんを食べさせれば、日が昇り切る頃には出発だ。



 3人がそれぞれのウィンドウルフに跨ると、地図を持っているブロフを先頭に走り出す。



 普段の旅とは違う速度重視の移動というのは実に新鮮であり、目まぐるしく移る景色は刺激的で、森が避けていくようなウィンドウルフの走りに誰もが夢中になった。


 しかし、相変わらずヌーさんだけは遊び癖が強く、同じような走りが続くとわざと速度を落としたり、斜めに交差しながら走るなど、着実にエストの体力を削っていく。


 昼の休憩まで一気に走った一行だが、エストだけ汗をかいていた。



「ふぅ……ヌーさん、もう少し優しくして」


『……ヌゥ?』


「交差はいいんだけど、急加速は本当に怖いんだ。また吹っ飛ぶようなことがあれば、置いて行くこともあるからね?」


『…………ヌゥ』



 叱るエストを横目に、出来上がった昼食を並べるシスティリアが言う。



「まぁ、反省してるならいいんじゃないの?」


「急加速と急停止が連続で来た時、無意識に体を守ってたよ。無意識に勝る意識はない。危険を感じてヌーさんを傷つけるのが嫌なんだ」



 せめて王都までは旅の仲間でいたいと願うエストは、次からは振り落としかねない動きはやめるように躾する。

 一言『ヌゥ』と返事をしたヌーさんだが、瞳の奥には確かな好奇心が宿っていた。




 昼の休憩が終わって再度南東へ向けて走っていると、当然魔物も現れてくる。


 ゴブリン程度ならウィンドウルフだけで狩れるのだが、オークともなるとエストが即座に氷漬けにし、亜空間に入れている。


 食料調達も同時並行しなければ、エストの大事な貯蔵から使うことになるのだ。




 そうして適度に魔物と戦いつつ王都へ向けて進むこと、3日。




 遂に関門となる谷が前方に広がっていた。

 谷底から吹き上げた風は凄まじい腐敗臭を放っており、落ちてしまえばアンデッドの巣窟が広がる。


 急いでいなければ浄化作業などもしたいエストだったが、ここは指定危険区域だ。

 潔く山から山へ氷の橋を架け、システィリアには臭いを我慢して渡ってもらうことになる。



「うわぁ、アンデッドが塊になってる」


「何この臭い……胃の中がひっくり返りそう」


「ここは神国からの治癒士が試練に使う谷だ。光魔術の効力を試す目的で来るらしいぞ」


「……よかった。勝手に浄化したら怒られてたかもしれない」



 万が一にも谷底へ落ちたら大惨事なので、速度を落として安全に橋を渡る。

 下を覗き込んだエストが心底気持ち悪そうな表情で腐肉の塊になったゾンビを見ていると、同じ光魔術を使うシスティリアからツッコまれた。



「このバカみたいな広さを浄化出来たら、アンタは賢者じゃなくて聖者を名乗りなさい!」


「フッ……システィ。炎って、広がるんだよ」



 ボゥっと黄金の火を手の上に出したエストを見て、そういえばコイツはそんなことも出来るんだったと思い出す。


 それと同時に、自分も水魔術と複合したら、浄化の波で一掃出来るのでは? と疑問に思った。


 そんな彼女の思考を読んだのか、エストは黄金を纏う水球アクアを見せたが、首を横に振る。



「水と光は相性が悪いんだ。火や風とは上手く調和がとれるんだけど、水は最悪って言っていいね」


「じゃあ土はどうなのよ? 街道とか、魔物が寄り付かないように光の属性が練り込まれた石が敷かれてるわよ?」


「それは僕も疑問でね、前に試したんだ。結果はすぐにわかったんだけど、なんだと思う?」



 鼻を摘みながら思案するシスティリアに、エストは柔らかい表情で答えを待っていた。

 魔術の話には着いていけないというブロフは、腐敗臭を放つ風を浴びながら心を無にする。



「う〜ん、泥の段階で練り合わせる、とか?」


「試したよ。でも、さっきも言った通り水と混ざらなくてダメだった。本当の答えはもっと単純」


「……まさか」


「そう。強引に混ぜた。これが答え。何度試しても、無理やり光と土を混ぜることで同じレンガが作れたんだ」



 強引に混ぜて作られた理由も単純なものだ。

 光と土の両方に適性を持つ者が居ない。それだけである。

 光の魔術師と土の魔術師が汗水垂らして作ったのが、街道に敷かれているレンガなのだ。


 意外と調べてみても製法が記されていないレンガだが、やってみれば簡単に出来てしまった、というのがエストの見解である。


 しかしエストは、つい興味を持ったことで様々な実験をしていた。



「他にも作り方があるんじゃないかと思って色々試したんだ。そしたらね、もっと簡単な方法を見つけたんだ」


「……はぁ」


「さっき見せた複合魔術、聖炎ラ・メア。コレを使って粘土を焼いたら、より均一に魔力が練り込まれたレンガが作れたよ」



 従来のレンガは練り込まれた魔力量に差が生じるため、効力の薄い部分が集中した区画は魔物が寄り付くことがあった。


 街道での魔物による襲撃例も、その部分が大半を占めている。

 この製法で効力にバラつきが無いレンガを敷けたらいいのにと言うエストに、ブロフが振り返った。



「おい、ちょっと待て。その炎の魔術は再現出来るのか? だとしたら……お前、また英雄になれるぞ」


「英雄はもういい。聖炎ラ・メアに関してだけど、これは簡単に再現できたよ。火と光は相性が良いからね。適当にぶつけただけでも同じ炎になる」



 しかし、試したと言ってもエストが使った魔術での再現であり、一般的な魔術師2人が試したわけではない。

 その辺りの再現性が認められれば、エストの発見は世界中に広まり、有効活用されるものだ。


 これまでの製法は強引なこともあってか、魔術師の消耗が激しかった。だが聖炎ラ・メアで焼く方法は、火・土・光の3人が初級魔術だけで作れるため、大量生産が可能になる。


 商人にとっては世界を揺るがしかねない大発見に、ブロフは静かに震えていた。


 なにしろ、鍛冶師としての経験があるブロフは、商品を積んだ馬車が魔物に襲われる話はよく知っているからだ。


 その被害が格段に抑えられるとなれば、商人に多大な恩を売れる。つまるところ、財力や名声を一気に獲得できる機会ということ。


 ただの人間なら、今回の発見は血相を変えて報告しに行くことだろう。だがこの男は……エストは、魔術とシスティリア意外への興味が薄い。


 雑談の流れで『見つけちゃったんだよね』と言うぐらいには、事の重大さに気づいていないのだ。



「お前というやつは……勿体ない」


「アンタ、ブロフにそこまで言わせるなんて何したのよ」


「さぁ、僕にもさっぱり。こっそり髭の手入れをしたことがバレてたのかも」



 オルオ大森林にて、訓練で疲れたブロフが寝ている時に髭を整えていたのだ。そのことがバレていたと焦るエストだったが、隣から冷たい怒気を感じて振り返る。


 そこには、バウバウに乗りながらエストを一点に見つめ、目に光を宿さないシスティリアが居た。



「……アタシ意外にも手入れしたんだ。ふ〜ん」


「将来は僕もダンディな大人になりたいからね。ブロフみたいに、立派な髭が生えた時の練習だよ」


「……ダンディな……大人」



 彼女の反応には一切触れずに髭を手入れした目的を話したところ、システィリアの脳内には大きくなったダンディなエストが想像されていく。


 今のエストからは少し想像しにくいが、それはそれでアリだと思ったのか、システィリアはニンマリと笑い始めた。



「ふふんっ、だったらいいのよ」


「はっ……上手く回避したな」


「真実だからね。さぁ、そろそろ谷を越えるよ」



 機嫌を取り戻したシスティリアの前で、ブロフが小さく言う。以前より対応が手馴れていると感じたのだ。そう口にするのも無理はない。


 だが、エストは変なところが鈍感なのか、彼女が燃やした嫉妬と独占欲の炎に気づかなかっただけである。



 谷を越え、少し色褪せた山の上に来ると、振り返ってアンデッドの谷を見た。



「……人が居る」



 そんな呟きが聞こえたのか、2人も同じ方を見ると、数人のローブを来た集団が、アンデッドを相手に戦っている姿が見えた。


 が、あまりに遠いため、どんな戦いをしているかは見えない。


 そこでシスティリアが水球アクアを使った簡易的な望遠鏡で覗くと、集団の先頭に剣を構えた金髪の男が見えた。



「かなり腕が良い剣士ね。Bランクはあるわ」


「……臭そう」


「アンタが興味無いことは分かったわ」


「あんな近くで戦いたくない。服とか臭いが付くでしょ。ヤダよ僕、臭いでシスティに嫌われたくない」


「…………アンタって、本当にアタシのことが好きよね」


「まぁね。人生を捧げたくなるくらいには」


「……もうっ!」



 またいつものが始まったと、大きな溜め息を吐いたブロフは早々に出発するぞと声をかけた。

 2人は返事をしなくてもウルフたちが歩き出し、それからも暫くはイチャイチャが続いていた。何がきっかけでこうなるのか、ブロフは毎度疑問に思う。


 他者には敵対的なまでの冷たい態度を見せるエストを、ここまで夢中にさせる恋とは何か。


 人はよく恋をする生き物だとは知っていても、目の前でこうも変わられてはドワーフでも気にする。

 いつか自分も恋をした時、こうなってしまうのかと思えば、もう数百年後でもいいんじゃないかと感じてしまう。


 一体いつになったら王都に着くのか。

 早く着くにはどのルートが最短なのか。

 今はそれだけを考えることにした、ブロフである。

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