第285話 立ちはだかる壁、希望の光


「違う……これも違う。ダメ。何が違う? どこがおかしい? ……何だこの術式……読めない。魔法か? いやでも……」



 エストは苦悩していた。

 解呪に挑戦し始めてから3週間が経った。

 季節は夏も眠る涼しい風を吹かせ、あっという間に過ぎていく時間の中、ただひとり、暗闇でもがいている。


 神都はすっかりエストたちを受け入れ、ヌーさんたち風狩狼ウィンドベネートを復興の力として、そして人々を守る神聖な生き物として扱い始め、新たな歴史を刻んでいる


 また、光の精霊ラカラによる褒美は、システィリア、ブロフ、ライラ、アリアの4人に渡された。


 システィリアとライラには強い光の適性を。

 ブロフには更なる長命を。

 アリアには、龍の血の活性化という、どれも肉体に干渉する結果が与えられた。



 精霊の加護とも呼べる新たな力に皆が向上心を燃やす中、エストは部屋で頭を抱えている。


 ちょうど1000個目の術式を模写したところ、エストの知識と想像を遥かに超える難解な構成要素で組み上げられており、行き詰まっていたからだ。



「ちょっとは休憩しなさいよ。ここ最近、まともに外も出てないでしょう?」


「……ダメなんだ。ここで諦めたら解けない」


「誰も諦めろなんて言ってないわ。いいから、ちょっと外に行くわよ」



 隣で支えるシスティリアが、強引にエストを大聖堂の外に連れ出した。

 ぼーっとするエストの右腕を抱き、復興が完了に向かう神都を歩き出せば、街往く人に声をかけられる2人。



「あらぁ、システィリアさんに賢者様。今日はデートかしら?」


「えへへ、そうなの。この人ってば魔術に夢中で、ちっともアタシに構ってくれないから」


「もう、だめよぉ賢者様。こんっっな立派なお嫁さんを悲しませちゃ」



 纏わりつく思考を振り払い、頭の中をシスティリアで埋めつくしたエストは、大きく縦に頷いた。

 話しかけてくれた老婆に感謝しつつ、その場を後にする。


 歩くペースを合わせ、システィリアの視線と同じ方向を見る。乾いた風が肌を撫でれば、抱かれた右手で手を繋ぎ、指を絡めた。


 嬉しそうに尻尾を振る彼女に、エストは曇っていた頭の中が晴れるような、スッキリとした気分を味わっている。



「今日のシスティ、普段より一段と可愛いね」



 青い髪をより魅せる、白のフリルが目立つワンピースに身を包み、背面の穴から、ふわっと整えられた尻尾を飛び出させている。

 右腕には小さな宝石が散りばめられたブレスレットからは高貴さを感じさせ、エストは隣に居て、優雅な気分に浸れたのだ。


 全身から溢れ出る純粋な愛情を一身に受け、エストは胸の底から湧くような幸福感に包まれた。



「えへへ、嬉しい」


「愛してるよ」


「えぁっ、ア、アタシも……愛してるからっ!」



 ピクっと耳を跳ねさせ、顔を真っ赤にしながら愛を口にするシスティリア。そんな彼女がたまらなくいとおしく、エストは何度だって言いたくなる気持ちを必死にこらえていた。


 もう半歩ほど彼女に身を寄せ、歩きづらくなりながらも熱くなる体温を感じ取れば、自然とエストの表情は緩んでいく。



「来ることが無いと思っているけど、もしシスティが何かに行き詰まったり、不安になった時は、次は僕がシスティを助けるよ」



 システィリアだけに向けられた笑みで。

 システィリアだけに向けた言葉を贈ると、彼女はキッと歯を食いしばり、エストの胸に頭突きした。



「……うぅぅ!」


「お、怒ってる?」


「……ズルいの! アンタばっかりそうやってアタシの心を揺さぶって、アンタはちっとも動揺してないじゃない!」


「魔術師たるもの、動揺はしても隠すからね」



 髪型が崩れることも厭わず、胸骨にグリグリと頭を、そして耳を擦り付けるシスティリアを撫でていると、悔しそうな表情が僅かに見えた。


 その狼の耳で聞こえているエストの鼓動の音は確かに早い。しかし、表情には一切出ていなかったのだ。



 顎に力が入る彼女は、刹那に脱力すると──



「ぐぬぬぬ…………んっ!」



 衆人環視の中で、エストの唇にキスをした。



「シ、システィ……? はむっ!?」



 驚いたエストにもう一度キスをすれば、熟れたリンゴのようにエストの顔は赤く染まり、右手がパタパタと行き場を失っていた。


 そんな彼を見て、システィリアはしてやったりと言わんばかりの表情で、されど顔全体を赤く染めた。



「ふ、ふん! こうすればアンタだって動揺するわ!」


「……僕にも限界があるよぉ……」


「アタシの勝ち! 認めないならもう1回!」


「…………わ、わかった。わかったから! もう行こう? 恥ずかしいから!」


「ダメよ。ゆっくり歩いて行くの。これは……そう、罰よ。アタシを放ったらかしにした罰!」



 大胆な賢者夫妻に民衆がざわめき出す。

 注目の的であるエストもまた、システィリアがここまで大胆な行動に出るとは思っておらず、耳まで真っ赤に染めていた。


 そんな姿をギルドから出てきたアリアが目撃すると、音も無くシスティリアの横にやって来た。



「システィちゃん、どうやったの〜?」


「秘密! デート中だから話しかけないで!」


「あらら〜。じゃあ楽しんでね〜」



 アリアも見たことがないエストの様子に、さすが妻。さすがシスティリアと心の中で手を打ち、復興の仕事へと向かって行った。



 そうして、この日はずっとシスティリアに振り回される形でデートを楽しんだエストは、大聖堂の部屋に帰ってくるなり、ベッドに寝転がった。



「つ、疲れた……水龍との戦いより疲れた」


「当たり前よ。このアタシを誰だと思ってるのよ!」


「天下のシスティリア様」


「ふふんっ、よく分かってるじゃない!」



 満足そうにベッドに腰掛けた彼女の尻尾は、ブンブンと左右に激しく振られていた。

 エストも右手を支えに起き上がると、テーブルの上にある大量の魔法陣を見て、心機一転、新たな術式に好奇心を思い出した。


 かつてのエストなら、知らない魔術には大興奮でぶつかりに行ったものだ。


 それが、解けないことにショックを受け、半ば自棄なるとは思ってもいなかったこと。

 その理由はシスティリアとの生活に支障が出る、というものだが、彼女にその程度の壁は支障でもなんでもなかった。


 まだまだシスティリアを信じ切れていない己に嫌気がさすが、優しく背中を押してくれるのが彼女である。



 再び解呪に力を入れようと思っていると、コンコン、とドアがノックされた。

 返事をしてシスティリアがドアを開ければ、一冊の小さな本を手にした聖女ララネが入室した。



「お休みのところすみません。書斎の方で有力な情報を見つけました!」


「「有力な情報?」」



 何の情報なのかさっぱり分からない2人は、同時に首を傾げた。



「はい! 魔術がその昔、呪術と言われていた時代……対象の身体機能を拘束する術があると、記されていたのです!」


「まぁ、それぐらいは僕らも知ってるよ」


「そうなのですか!? で、では、今でもカゲンでその呪術が使われていることも……?」


「えっ? 今も……残ってるの?」



 帝国領の東に浮かぶ、絶海の孤島。

 その地には古来より狐獣人が文明を開拓し、呪術の発明……触媒魔術や呪いの開発をした、闇魔術の始祖が築いた小さな国がある。


 エストのライバルである、黒狐獣人ミツキの故郷、カゲン。


 シトリンでも見た刀の発祥地であり、大陸では謎に包まれた島国だ。

 そこで今も、呪いの術式が使われているという。



「これは、帝国の魔女ネルメアの手記です。彼女がカゲンに訪れた際の物です。彼女も闇魔術に適性がありますので、事細かに記されていました」



 そう言ってララネが開いたページには、夫に浮気された妻の狐獣人が、二度と夫が外に出られないよう足に呪いをかける場面に遭遇したとある。


 自我を失うほどの恨みを、藁で編んだ人形に息を吹きかけ、その足を髪の毛で縛り、のこぎりのように引き切るというもの。


 三日三晩かけて行われたその呪術は、本当に夫の足を動かなくさせた、と記されていた。



「カゲンに行けば、もしかしたら呪術の解き方が分かるかもしれません」


「カゲン……一度行ってみたかったんだよね」


「いいわね。次はカゲンに行きましょ」


「……わたくしから申し出たことですが、本当に向かわれるのですか?」


「まぁ、危険は承知の上だよ。このまま解呪に停滞して後悔するより、旅をしながらヒントを見つけられたら、僕もみんなも楽しいから」



 今尚残る、呪術の鍵を求めて。

 エストたちは次の目的地をカゲンに定めると、その日の晩、5人で食事をとっている時に、ララネの話を共有した。


 満場一致で賛成が集まると、アリアは魔女の家に帰るという。


 魔女にも協力を頼み、解呪の道を探るようだ。




「じゃあ、次はカゲンに行くってことで」


「狐獣人の国……楽しみね!」


「刀の製造法、この身に叩き込みたい」


「ネルメア様が辿った道、私も歩きたいです!」


「皆元気だね〜。エストのこと、頼んだよ?」



 アリアの言葉に3人が頷き、神都襲撃騒動は幕を下ろすことになった。復興もあと数日で終わるということで、翌朝、大量のレンガと膠泥、それに木材を置くと、ヌーさんたちに乗って神都の門をくぐった。



 大勢の住民がエストたちの見送りに参列し、パレードになっていたことは言うまでもないだろう。

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