第11章 逢魔之国

第286話 モーニングルーティーン



「よいしょっ……左手を根元に……よし」



 帝国と神国を隔てる山を越え、帝国最南端の街ガルネトに泊まる一行は、カゲンに備えて情報を集めつつ、戦いの疲れを癒すことにした。


 就寝前の日課であるシスティリアの尻尾のブラッシングだが、エストは動かしにくい左腕を重り代わりに、右手で毛並みを整えていた。



「ありがとうエスト。尻尾が軽くなったわ」


「バウバウの毛が絡まってたからね。はぁ……このテロテロの尻尾は今しか味わえない……」



 ブラッシング後の最も状態の良い尻尾に頬擦りするエスト。

 以前より手間がかかるせいか、オイルを纏って艶のある毛並みがより美しく見え、花の香りが心地好かった。


 くすぐったいシスティリアが尻尾を一振りすると、エストを隣に寝転がらせた。

 枕に頭を置いて視線を合わせ、ひんやりと冷たい彼の頬に手を伸ばせば、そっと抱き寄せた。


 エストの髪に鼻を突っ込み、石鹸の香りの奥に潜む彼の魔力を吸い込むと、背中で隠した尻尾を振る。


 お互いの呼吸が重なるように撫でていれば、すぐに眠りの海を潜っていった。




 朝になり、鳥のさえずりで目を覚ましたエストは、システィリアの寝顔で視界が埋め尽くされていた。

 自分にしか見られない彼女の安心した表情の寝顔が、左腕を代価に守ることが出来たと思えば報われる。


 軽く閉じられた可憐な桃色の唇。

 思わず触れたくなる瑞々しい肌の頬。

 長いまつ毛が重なり合った瞼の奥には、どんな宝石よりも美しい黄金の瞳が隠されている。


 もっと見ていたい。そう思っていると、システィリアの眠りの船旅が終わりを迎えた。



「んぅ……えすと……」


「おはよう。もう少し寝てていいよ」



 その言葉に甘えることにした彼女は、エストの胸に顔をぐりぐりと押し付け、耳でエストの顎をくすぐりながら二度寝を始めた。


 なんとも可愛らしいシスティリアの行動に胸をときめかせ、右手で優しく頭を撫でていると、部屋のドアがノックされた。



 彼女を起こさないよう布団を掛け、氷の人形でドアを開けさせれば、ブロフが森林伐採の依頼に出ることを伝えてくれた。


 朝起きて宿に居ないことを不安にさせないために、しっかりと報告したブロフに『行ってらっしゃい』と言い、エストは再びシスティリアを撫でることに。


 だが、モゾモゾと動き出した彼女が布団の中に消えると、エストの寝巻きの中に顔を突っ込み始めた。



「……この癖、直らないんだろうなぁ」



 それはシスティリアの本能的な行動だった。

 エストの魔力を求めるあまり、汗をかきやすい服の中に顔を突っ込み、体から滲み出る魔力を吸い込んでいるのだ。


 たまに腹や胸を舐められるのが難点だが、エストとしては、そんなシスティリアもまた愛おしく思い、愛していた。




「──システィ、起きるよ。そろそろ用意を始めないと遅れちゃう」



 それからしばらくして、外の屋台が開かれた音を聞いたエストが起こすが、彼女はしがみついたまま離れなかった。


 何とか右腕一本で体を起こし、服の中から顔を出させれば、髪がボサボサになったシスティリアが出てきた。



「……かみぃ」


「うん、綺麗にするから座って。こらこら、ぐったりしないで」



 温かい風像フデアであらぬ方向へと跳ねた髪を挟み、櫛で整えれば、あっという間にいつものシスティリアになった。



「あぅぅ……お耳がぁ…………気持ちいい」



 今日は仕上げに耳をマッサージして可動域が狭まっていないか確認すると、ようやく目が覚めてきたらしい。

 う〜んと伸びをして目尻の涙を拭えば、朝のキスをした。



「さてと。打ち合いしたら出発ね。この街をちゃんと見るのは初めてだわ」


「そうだね。僕らが来た時は既に避難が終わっていたから……朝ご飯は屋台の料理にする?」


「そうしましょ!」


「じゃあ行こう。片腕だし、少し早めに切り上げよう」



 それから、本当に相手が片腕であることを考えているのか分からない激しい剣戟の後、2人はガルネトの散策を始めた。


 宿で朝食を出してもらえるのだが、せっかくの帰り道である。街の色が見える食事も良いだろう。


 システィリアが無難に串焼きや小麦の生地で具材を包んだ料理を買う中、エストはこっそりと人の少ない屋台へ行く。


 そこで売られていた物は、一口大にカットされた果物が白い半透明の膜に覆われた串と、4つの肉からなる串焼きなのだが、ひとつずつ掛けられたソースの色が奇抜な物だった。


 見るだけで食欲が失せそうな串焼きは、客が寄り付かない理由だとすぐに分かる。



「いらっしゃい。肉か? 果物か?」


「両方、2つずつ買いたい。この白いのは何?」


「そいつは餅だ。芋の澱粉でんぷんで作った餅で包んでいるから、味を悪くせず腹持ちが良くしている」


「画期的だね! はい、800リカ」


「あいよ、少し待ってくれな。ところで兄ちゃんはダンジョンに行くのか?」


「ううん、僕はこれから帝都に」


「そうか。神国は何かデケェ騒動があったらしいからな。行くなら気を付けろよと言うところだったぜ」


「そうなんだ……ありがとう」



 店主から串を受け取るエストだったが、右手だけで受け取る様子を見て、店主は薄い木皿に乗せて提供した。

 その心遣いに感謝して、エストは陶器の手のひらネルメアを渡すと、感動した店主が何度も感謝の言葉を口にしていた。


 早速屋台に置いていたのを見るに、どうやらネルメアのファンだったらしい。

 嬉しそうに手を振る店主と別れると、システィリアとの合流場所に戻ってきたエスト。



「アンタ……また変な物買っちゃって」


「変じゃないよ! 聞いた話だと美味しいから! ……多分」


「多分なのね!?」



 噴水のへりに並んで座り、膝の上に買ってきた物を広げると、システィリアが自身で買った串焼きを手にエストの顔の前へ持ってきた。



「しょうがないわねぇ……はい、あ〜ん」


「あ〜ん……うん、良き。どの店も安定したオークの味だね。安心感がある」


「確かにそうね。今年はオークが多いみたいだし、もしかしたら値下げされるかもしれないわ」


「僕らなら一頭買いした方が良いかもね」



 そんな話をしながら奇抜な色の串焼きを齧ったエストは、最初の黄色いソースの肉がピリッと辛く、2つ目の赤いソースは、さっぱりとしたベリーの香りが特徴的な串だった。


 3つ目の緑色は香草焼きのようで、青色をした4つ目はワインと肉の旨みが強いグレイビーソースだった。

 一口ごとに楽しみ方が変わる串焼きに舌鼓を打つと、怪訝な顔をしたシスティリアが面食らっていた。



「お、美味しい……見た目は変なのに」


「見た目を瞑れば料理として美味しいよね」


「そうなのよ……見た目さえ気にしなければ」




 そうして、朝から屋台を巡りをした2人だったが、宿に戻ってくるなりライラが『どこに行っていたんですか?』と問い詰め、正直に2人で楽しんでいたことを伝えた。



 すると、実に悔しそうな顔をしたライラの背中を、けらけらと笑うアリアが撫でた。




「私だって……私だって皆と食べたかったんですよぉ!」


「このお寝坊さんめ〜、うりうり〜」




 ここに来て神国の疲れが出たのか、ライラはかなり寝坊したようだ。それを知っているアリアが小突けば、部屋に朝食が運ばれてきた。

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