第284話 天の怒り


 深海のイズ討伐から2週間が経ち、せっせと解呪のために術式を書き記すエストが、たまの気分転換に子どもたちと遊ぶようになっていた時。


 芝生の上でシスティリアと昼寝をしていたところ、夢にうなされた彼女の声で起きたエスト。

 起こさないようにそっと手を握ると、落ち着いた寝息が聞こえ始めた。


 安堵したのも束の間、すぐにシスティリアは飛び起きた。



 そして、開口一番に──



「精霊に会ったわ! 空に浮かぶ大きな目!」


「ラカラだね。そういえばみんなにも褒美がなんとか言ってたような……」


「そう! アタシの魔力、見てちょうだい」



 何やら興奮した様子で両手を包むように構えれば、その中には透き通った青と黄金が混ざり合った、高貴さを感じる魔力の液体が溜まっていた。


 エストは魔力の液体化が出来たことに驚くが、次にその色……つまりは適性に目を見張る。



「黄金が濃くなった?」


「そうなの! アタシが元々持っていた光の適性を、ララネぐらい強くしたんですって!」


「えぇ……? 聖女並の適性? 凄くない?」


「凄いわよっ! だって、ほら──」



 人差し指を立てたシスティリアは、指先に極小の聖域胎動ラシャールローテを使って見せた。

 エストでも小型化は難しい──才能的に──という上級光魔術を、彼女はその場でやってのけた。

 それが、光の適性が強まったことが理由であることは、誰よりも才能の恐ろしさを知るエストはすぐに気が付く。


 感嘆の声を漏らして凝視すると、嬉しそうなシスティリアの顔を見て、エストもまた笑顔になった。



「よかったね。システィが頑張ってたことを、ちゃんと精霊が見ていた証拠だよ」


「そうね……でも、なんて言うのかしら。実際に精霊と会っちゃうと、信仰するって難しいわね」


「そりゃあね。人は見えないものを強く信じるから。僕らはそういった意味では、精霊を信仰するっていうのは難しいよ」



 かつての自然崇拝も、その大きさを計り知れず、恐ろしさも一端しか知らないからこそ信じられ、恐れられ、敬われていたのだ。


 自然の精霊と出会い、話し、光の精霊とも会話を重ねてしまえば、ララネのような信心深い教徒でも無い限り、恐れ敬いこそすれど、深く心の支えになる根は張り難いだろう。



 声だけならまだしも、あの巨大な目の姿を見てしまえば、システィリアは『う〜ん』と唸っていた。



「エストは何か貰ったのよね?」


「あぁ、僕には何も。与えられるものが無いとかで、流したよ。魔術の答えなんて教えてもらったところで、僕に何の得も無いからね」


「……不公平よ。エストが水龍を倒してくれたから、アタシたちは魔族を倒せたのに……」



 ぷくっと頬を膨らませるシスティリア。

 その可愛らしい表情の裏には、ラカラを呪いかねないほどの恨みがあるが、それは決して表には出さないようにしている。


 そんな彼女の肩を右腕で抱いたエストは、彼女の肩に頬を乗せて言う。



「君がそう言ってくれるだけで嬉しい。他のどんな人よりも、システィに労ってもらえることが、僕にとって一番嬉しい言葉なんだ」


「……そっ。ふふんっ……よく頑張りました」



 揺れた尻尾がエストの腰を撫でた。だが、それでもエストに何も無いのは不公平だという気持ちは変わらず、心の中に雲を作った。


 彼女からすれば、エストは一番の貢献者だ。

 賢者という責務を押し付け、緊急時だから呼び出して解決して終了……というのは都合が良すぎた。


 恨むような気持ちの裏で、どうしてエストが左腕を使えなくなる必要があるのかと。あの時エストが庇わなかったらと思うシスティリアだが、決して口には出さなかった。


 その言葉が、今のエストを最も深く傷つける言葉だと分かっているから。



「あ……がと……」



 小さなお礼の言葉が聞こえたかと思うと、エストは寝息を立てていた。

 この気を失うような眠り方に、システィリアは覚えがある。


 それは、精霊に会う時の眠り方だった。




◇ ◆ ◇




「コラァァ!! 何も無しとは何事よ!!!」



 雲海の上……精霊が作った夢の世界に訪れて早々、クェルの怒鳴り声が轟いた。

 声のする方を見れば、身長2メートルはあろう長身の人間が、クェルに殴り飛ばされて倒れていた。


 近づいて見れば、その者の目はひとつしかなく、特徴的な黄金の髪から、ラカラの新たな姿であることは容易に想像がついた。


 しかし。



「どうして目を2つにしないのか」


「来たわねエスト。コイツってば、アナタに小さな報酬も渡さなかったようね!」


「まぁね。でも、その代わりみんなに何かあげたんでしょ?」


「足りるワケないでしょ! この目ん玉野郎は、愚かにも私情で下界を引っ掻き回して、その上功労者に代価も払わずのうのうと見守ってるのよ? それに……アナタのソレ!」



 クェルがエストの左腕を指すと、不気味な黒い紋様が浮き出ていた。刺青のようなそれは、ひと目で魔族にかけられた闇魔術なのだと分かる。



「解き方のヒントすら与えてない。アナタはムカつかないの? 急に呼び出されて戦って、治るかも分からない魔術をかけられて……精霊を恨まないの?」



 心の底からエストの心配をするクェルに、エストは深呼吸をして右手をクェルの頭に乗せた。



「恨まない。大きな力を持ってしまったのなら、それを正しく使う責任が生まれる。だから、これは仕方がないこと。腕に関しては、あと2ヶ月あれば解呪できると思う。クェルは優しいんだね」



 髪型に影響を与えないよう、一方向に撫でるエスト。

 お人好し……というよりも楽観的なエストに、クェルは過度な心配だったかと首を横に振った。


 彼の手が離れると、ギロりとエストを睨む。



「誰がやめていいなんて言った?」


「はいはい。素直じゃないね」



 頭撫でが再開されると、その様子を見ていたラカラは信じられないといった表情で2人を見つめていた。

 たかが人間が精霊の頭を撫でるなど、今までに一度も無かったことだ。そんなことをすれば、特にクェルにしようものなら、永遠の苦痛を味わうことになると分かりきっている。


 だが、エストが撫でている間だけは、ラカラに向けられていた怒りが収まり、安心して話が出来る状況になった。



「──賢者エスト。報酬の件ですが、その術の解呪でよろしいですか?」


「え……この一週間、頑張ってきたのに? だったらもう自力で解くから、他のものがいいな」


「無理よ。光の精霊として与えられるもので、最上級の施しが解呪や病の治療だもの。それ以外だと、アナタに出来ないことの方が少ない」



 何故人々が光の精霊ラカラを信仰するのか。

 その一番の理由は、心の底から祈りを捧げれば、病を治してくれるからだ。

 人は見えないものを信じ、恐れる。

 それは病という存在とも一致し、症状こそ目に見えることは出来ても、病原菌を目にすることはまず不可能だ。


 ゆえに、人はその病を払うラカラを信じ、大陸全土で信仰されている。


 そんなラカラの施しを受けないとなれば、いよいよ受け取れるものが無くなってしまう。せっかく研究した闇魔術も切り上げとなり、エストは目の前のご褒美を横からかすめ取られた気分になるだろう。


 無報酬という選択は無し。

 解呪という条件も無し。

 では、エストが何を望むか?



「じゃあクェルからご褒美がほしいな。君なら僕が知らない、楽しいことを教えられるでしょ?」


「──賢者エスト、それは……」


「ふっ、本当にいいの? 解呪じゃなくて」


「──クェル様!? よろしいのですか!?」


「うっさいわね! ラカラは黙ってなさい!」



 要求を受け入れたことに驚くラカラを一蹴したクェルは、エストに頭を撫でられながら今回の活躍に妥当な報酬を模索する。


 数秒ほど考える素振りを見せれば、すぐにエストの目を見つめて言った。



「亜空間の中の時間を止める術式」


「……っ! いいの!?」


「ふんっ。それぐらいなら知識という報酬で妥当だし、アナタも喜ぶ魔術でしょ?」


「うん! その報酬がいい! 早く教えて!」



 亜空間内の時間を止める。それ即ち、生ものをわざわざ凍らせる必要もなく保存出来るということ。

 そして冷凍したことにより旨みが失われないとなれば、より美味しいシスティリアの料理が食べられるのだ。


 エストにとって、それ以上価値のある魔術も少ないだろう。


 目を輝かせて喜ぶ彼に、クェルは珍しく口角を上げていた。

 その術式を教える前にラカラの方を向くと、最後の説教が始まった。



「ラカラ。アナタはまだ精霊として未熟。でも、6体の中では最も優秀。それでも扱いきれない存在が、エストなの。この人間の適性は時間と空間。身に余る大きな力を振るって戦うことは、下界を大きく揺るがしかねない。分かる?」


「──はい」


「無闇に振り回すことは、アナタにもその刃が振るわれることになる。だから、エストに限ってはワタシに任せなさい。なんて言ったって、時間の適性を自覚しているんだから」


「──は、はい」


「いい? 次にこのワタシからエストを奪おうものなら、本当にその目ん玉ブッ刺してやるわ。覚悟なさい」


「──……はい」


「それじゃあ戻っていいわよ。あとはワタシも、術式を教えるだけだから」



 クェルの言葉の節々に、絶対にエストを取られなくないという思いが透けていた。

 その度にエストが『僕はシスティのものだよ』と言うが、クェルには聞こえていないようだった。


 ラカラの姿が消えると、雲海の世界から時計の世界に切り替わり、2人で座って術式を教えることになった。


 その時、やけにベタベタ触ってくるクェルに、絶妙に距離を取ったエストは、約束通り亜空間内の時間を止める術式を習得した。




◇ ◆ ◇




 夢から覚めた時、ずっと隣で心配そうに見つめるシスティリアと目が合うと、その太ももに顔を埋めるエスト。



「もうっ……で、どうだったの?」


「魔術を教えてもらった」


「あら、てっきり腕を治してもらうものだと思っていたわ」


「それは断ったよ。もうすぐ治ることだし。あ、でもね、帰り際にこう言われたよ」



 太ももから顔を離したエストは、彼女と目を合わせて言う。



「自然解呪には、70年掛かるって」

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