第283話 解呪の鍵は愛のキス?


「起きなさい。服とお粥、持ってきたわよ」



 システィリアに回復した体力の殆どを持っていかれたエストは、仰向けに寝転んだまま天井を見つめていた。


 そこに彼女が持ってきた粥の匂いで体を起こすと、着替えを手伝ってもらい、すぐにスプーンを握れば、湯気の立つ粥を口に差し込んだ。


 器用にも口の前で小さな風域フローテで冷ましており、ひと口食べた瞬間、その味に目を見開いた。



「美味しい……これ、白い麦?」


「ふっふっふ! それは米よ! 麦に比べたらかなり高いのだけれど、商人が困ってたから買いつけたの。どうかしら?」


「ネチョネチョしてて美味しい。あと甘い」


「……あんまり美味しい物には使わない表現ね。ま、美味しいなら良かったわ。アタシにもちょうだい」


「はい、あ〜ん」



 味見をしていないことには触れずに差し出すと、可愛らしく開けた口で粥を咀嚼するシスティリア。確かに噛めば滲むような甘みが美味しく、何度も頷いていた。


 麦よりも強い、糊のような食感がトロリと喉を通っていき、体調を崩していても食べやすいことに納得する。



「美味しい。でも、お腹には溜まらないわね」


「お粥だからかな。そういや他のみんなは?」


「ブロフは復興の手伝い。ライラは孤児院で子どもの相手をしているわ。アリアさんはギルドで復興依頼の要請を出しに行ったわね」


「そっか……システィは?」


「家財を失った人に炊き出しね。アンタはどうするの?」


「ヌーさんたちを連れて、ブロフと一緒に手伝おうかな」


「腕は大丈夫なの? 今も使えてないし」


「…………大丈夫じゃないかも」



 治らない怪我という初めての事態に、エストは珍しく弱った姿を見せた。普段システィリアの前では強く居ただけに、その姿は彼女の何かを大きく刺激した。


 食べ終わったエストを強く抱き締めると、優しく背中を撫でながら耳元で囁く。



「アタシがエストの腕になるわ」


「……うん。じゃあ早速だけど、紙を100枚くらい貰えないかな? システィにも、定着する魔術の解き方を教えてあげる」


「ホントに早速ね。ええ、分かったわ」



 食器を持って部屋を出て行くシスティリアを見送ると、エストはベッドに腰を掛けたまま使えるよう、ちょうどいい高さの氷のテーブルを作り上げた。


 亜空間から万年筆とインクを取り出すと、ふと窓を開けて外を見た。


 すこし壊れてはいるものの、まだ失われない神都の整った街並み。

 青い芝の上を走る子どもたちの声と、ラカラの信者が捧げる祈りが聞こえた。


 どうやらここは大聖堂の3階にある部屋らしく、エストは思っていたよりも高い景色に目を丸くする。


 夏もそろそろ終わる。

 乾いた風を全身に浴びれば、紙の束を抱えたシスティリアが帰ってきた。



「ちょっとは元気になったかしら?」


「うん。絶好の解呪日和だよ」


「さっさと治して、アタシの尻尾を整えてもらわなくちゃ。アンタの大好きな尻尾も寂しがってるわよ?」



 紙をテーブルに置いて尻尾を揺らすシスティリア。振り返って見れば、それは尻尾よりもお尻を振っているように見え、色気にあてられる前にベッドに座った。


 エストの左腕側に彼女が座ると、万年筆にインクを付けたのを見て、紙の左下を抑えてあげたシスティリア。



「基本的な闇魔術は、遅延詠唱陣に似て、その場に留まる……つまりは定着する性質があるんだ」


「厄介な術式よねぇ」



 さらさらと基本の定着術式を紙に書いたエストは、続けて闇魔術の致命的な欠点を口にする。



「でも、その術式さえ外せば魔術は簡単に破壊できる。闇魔術の肝だね」



 一度大きく深呼吸したエストは、左腕に意識を集中させて術式を覗いていくと、凄まじい精度で紙に記していく。


 たった数分で1枚の紙に20の魔法陣が描かれると、システィリアは首を傾げた。



「これが腕に使われてるの?」


「うん。厄介なことに、実害系と治癒阻害系を交互に挟んでいて、例えばここ。神経の働きを鈍くする術式の後に、『それが正しい状態だと錯覚させる』術式が組まれてる」


「……そっか、光魔術で使うイメージって、『元に戻す』意識もあるから……」


「まずここで並の光魔術師では治せないね」



 エストの光魔術でも治せなかったのは、魔術の一部に騙されていたからだ。山中で人の脚に付くヒルのように、取り付いていることに気が付かないほど闇魔術が組み込まれている。


 敵ながら感嘆の声を漏らしてしまう。

 感心した様子で2枚目、3枚目と書き上げていくと、エストはそっと万年筆を置いた。



「ん〜! 今日はここまで!」


「ふふっ、お疲れ様。書いた魔法陣は……50個ぐらいかしら? よく頑張ったわね」



 片腕で伸びをしたエストは、続きは明日やろうと言い、システィリアの胸に顔を埋めて脱力した。

 彼女は怒ることもなくエストを受け止めれば、優しく後頭部を撫でて労いの言葉をかける。



「……頑張ったよ、システィ。もっと撫でて」


「もうっ。仕方ない人ねっ!」



 髪をさらりと背中へ払い、ベッドに横にさせたシスティリアは、仰向けになったエストの上に四つん這いになると、全身をくっつけるように体を降ろした。


 ひんやりと冷たい肌の温度。

 硬く分厚く、されど強調されない胸板の筋肉。

 お腹とお腹がくっ付いた感触に、エストと唇を重ねながら頬を、そして首を撫でた。



「そんなにアタシが恋しかったの?」


「……うん」


「もう、素直なんだから……」



 このままシスティリアの体温を感じて眠りたい。そんな幸せの詰まった重量を全身で感じていると、コンコンとドアがノックされると同時にドアが開いた。


 どうやら相手はエストがまだ眠っているものと思っていたらしく、部屋に3歩入ってベッドの上を見ると、彼に覆いかぶさりキスをするシスティリアと目が合ってしまった。



「違うんです! 精霊に誓います! わたくしは決して、覗こうだなんて……」


「ララネ……アンタ、どういうつもり?」


「ちち、違うのです! わたくしは水差しを入れ替えようと……」



 入って来たのは、神国では聖女の名で知られているララネであった。ふわりと巻いた金髪を揺らし、顔を真っ赤にする様は、純粋無垢な少女そのままである。



「水なら僕が替えたよ。システィもできるし」


「ですが、魔力回復効果を高める陽光草の粉末を入れなくては」


「なら有難くお願いするよ。タイミングが悪かったね」


「は、はい……申し訳ありません」



 ララネは元々部屋にあったテーブルの上にある水差しを入れ替えると、橙色の茎を乾燥、粉砕した陽光草の粉末を入れ、軽く振って馴染ませるとすぐに出て行った。


 ぱたぱたと駆けてはそっと扉を閉め、システィリアは肩の力が抜けたように言う。



「あの子、13歳なんだって。産まれた時から光魔術に高い適性があって、5歳の頃に聖女になったらしいの」


「なるほどね。才能からか」


「お人好しで積極的な子なんだけど、大人が近寄れないぐらい光魔術が上手いものだから、利用されずにやっていってるらしいわ」


「なるほど」


「鶏肉の香草焼きが好きらしいわよ」


「なるほど」


「……アタシの話、聞いてる?」


「え? あ、あぁ、うん」



 そうは言うエストだったが、視線はムニッと横に潰れたシスティリアの胸の谷間に吸い込まれており、生返事もそこそこに、彼女の頭を撫でて誤魔化していた。


 そのことに気が付かないシスティリアではない。

 上半身を起こしてエストの右腕を掴むと、自身の胸を鷲掴みにさせた。



「もうっ。触りたいなら触りなさいよ!」


「……ちょっと恥ずかしくて」


「アンタねぇ、今更どうこうされたって、嫌いになると思ってるのかしら? アタシはエストに触られて嬉しいの。耳も、尻尾も、おっぱいも!」



 彼女の優しさに甘えたくて。右手から伝わる柔らかさと、ほんのりと赤くなった顔。視界の端に見える柔らかな尻尾が左右に振られ、システィリアはニヤリと笑みを浮かべながらエストにのしかかった。



「ふふっ、ドキドキしてる。伝わってくるわよ。アンタの心臓の音」


「こんな綺麗な人に乗られて、その上胸まで触って……僕でも自制できないよ」


「まだ夕方なのに……。ええ、いいわよ。アタシのこと、好きにして?」



 誰よりも深く愛するシスティリアの言葉に頷き、自分からキスをするエスト。その瞬間、パッと意識が晴れて左腕の術式を一気に理解した。


 床の上に氷像ヒュデアで術式の模造品を大量に置いていくと、再び意識を彼女に集中させた。



 どれだけ愛しても満たせない。

 どれだけ愛されても満たされない。

 されど、ゆっくりと進む時間の中、2人で居ることが心地好いエストは、今日ばかりは心と体の両方から彼女を求めた。



 夜になり、2人は汗だくのままブロフとライラと待ち合わせたギルドに行けば、静かに察せられるのだった。

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