第326話 前途多難


「フェイド、久しぶり。元気?」


「エ……エスト様!? はい、あれより誰ひとり体調を崩しておらず、エスト様とシスティリア様のお帰りをお待ちしておりました」



 空間魔術でひょっこりと屋敷に帰ってきたエストは、来たる出産のために助産の出来る使用人に話をしに来ていた。


 執事のフェイドを通じて他の4人の使用人たちにシスティリアが妊娠したことや、新居に住み始めたことを言えば、少し寂しそうにしながらも祝いの言葉が贈られた。



「気分でここにも帰ってくるよ。あと、今日はアルマを連れて行こうと思ってたんだけど……ちょっと大きくなったね」



 庭師として管理を任されていたカルと共に花を見ていたエストだったが、視界の端に映る虹色の結晶が、以前よりも僅かに大きくなっていると言う。



「そうですか? 毎日見てはいますが、特にこれといった変化は……」


「毎日見てるからだよ。多分、地中と空気中の魔力を吸って結晶が成長してる。うん……いい発見だ。あっちの庭ならもっと成長するはずだよ」



 早速転移をさせようと魔法陣を出したエストに、行く前にこれを見て欲しいと、カルが最も大切に育てている花を見せてくれた。


 それは、シトリンに旅立つ前に渡したウィルキリアの種が、剣のような白く美しい花弁を咲かせた花壇だった。



「綺麗だね。やっぱりシスティに似合う花だ」


「……実はこちら、年中咲いているのです」


「あぁ、やっぱり。僕の魔術で作った種だから、強く育つと思ってたよ」


「そのような理由が!? ……失礼しました」


「新居の庭にも種を蒔いたんだ。今度見せてあげる」


「楽しみにしております、エスト様」



 綺麗に咲かせ続けられるのもまた、しっかりと手入れが行き届いている証拠である。

 帰る前に使用人たち全員に挨拶をしてから、エストはアルマの周囲の空間ごと転移させることで、ジュエルゴーレムの性質である魔力吸収を回避した。


 また近いうちに屋敷の使用人と会うことになると思いつつ、新居の庭にアルマを置いた。




「おかえりなさい。おっきくなった?」




 魔力の匂いを察知して部屋着のままシスティリアが家から出てくると、せっせと穴を作って埋めるエストに、柔らかい声をかけた。


 振り返ったエストが嬉しそうに頷くと、右手にノミを、左手に金槌を握りしめた。



「ただいま。アルマは魔力を吸ってるからね。少し削ってみようか」


「……反撃されないわよね?」


「核を傷つけない限りは大丈夫……のはず」



 心配そうな彼女がエストの後ろに隠れると、突き立てられた鑿にガンッと音を立てて金槌が振られ、アルマから伸びた赤い結晶が根元で折れた。


 明確な攻撃に当たる行動をとったが、アルマは反応を示さなかった。

 伸びた爪を切った感覚に近いのだろう。


 大丈夫だと知ったエストは、アルマから青、緑、黄土色の結晶を採掘すると、4本の結晶を見比べた。



 ひとつひとつが棍棒のように大きな結晶たちは、それぞれの色に適応した属性魔力を秘めており、その純度の高さは高品質な魔石に匹敵する。



「エスト程じゃないけど、澄んだ魔力ね」


「質としてはワイバーンかドラゴンに近いと思う。ダンジョン以外で手に入れられる魔石って考えるといいのかな」


「……これだけで稼げそうなものだけど」


「この魔石? 魔水晶? の成長にかなり時間がかかる。今回は実験としてここに埋めてるけど、経過観察が必要だね」


「アンタ、どんどん家から出ずに稼ごうとするわね」



 ボタニグラの種に魔石の栽培など、もし安定供給が可能になれば不労所得で生きていけるようになるだろう。

 しかし、不労というにはあまりにも大きな危険と隣り合わせであり、実用化もまだまだな実験段階ではあるが。


 それでもエストは、明確な理由を胸に行動していた。



「戦うより実験する方が好きだもん。それに……システィとの時間を増やせるから」


「……嬉しい。アタシも何か、エストにお返しがしたいわ。アタシばっかり貰ってちゃ不公平だもの」



 天然魔石を亜空間に仕舞ったエストは、システィリアにローブを掛けた。

 愛する人の匂いと体温に包まれ、嬉しそうに頬を緩ませながら笑う彼女に、人差し指を立てたエスト。



「じゃあ、とっておきのお返しをもらおうかな」


「なにかしら?」



「無事に赤ちゃんを産むこと。……今の僕には、それより嬉しいことはないよ」



「ふふっ……確かにそうね。でも、アタシの体は丈夫だもの。案外平気だと思うわ」



 獣人族の体は非常に強く、高齢出産でも母体への負担が少ない場合が殆どだが、全員がそうとは限らない。

 いくら肉体が強くとも苦しいものは苦しく、種族によるが、獣人の悪阻は筆舌に尽くし難い不快感に襲われるという。


 特に嗅覚の異常や食欲不振など、感覚が鋭い獣人では大きなストレスになる。



「うん、その意気だよ」


「……もっと心配すると思ってたわ」



 いつにも増してシスティリアへの心配が尽きない今、エストは否定すると思っていた。しかし、その口から出た言葉はどこか能天気な、それでいて信頼のこもったものだった。



「体の内側はどうしようもできないからね。だったら、心が元気でいられるように背中を押すさ」


「なんだか手のひらで踊らされてる気分」


「僕と一緒に踊ろう? お姫様」



 うやうやしくお辞儀をしてから手を差し出せば、お姫様と呼ばれて耳を立てたシスティリアが、そっと手を取った。


 とはいっても、踊りの経験が無いエストは家までエスコートをするだけであり、彼女をソファに座らせると、狼の装飾を施した氷のグラスに、水を注いで渡した。



「お水? でもなんだか……甘い匂い」


「飲んでみて」



 エストに促されて口を付けると、水の見た目をしているにも関わらず、ブドウのような味と甘さの後に、柑橘系のサッパリとした酸味が口の中を彩った。


 その変化の大きさに思わず吹き出しかけたシスティリアだったが、なんとか飲み込めばうっとりとした表情でエストを見上げた。



「……おいしい」


「次に出す魔道書のネタだよ。前は火魔術だったからね。今回は水魔術で公表する予定なんだ」


「そうなの? でもこのお水はエストの魔力だから美味しく感じると思うわ」


「ううん、実はマリーナにも前に使ってもらったことがあって、その時も味に変化は無かったんだ。だから、一般に出しても大丈夫…………システィ?」



 話している途中からシスティリアが俯き、黙り込んでしまった。尻尾が妙に逆立っており、普段と違う様子からエストは調子が悪いのかと思い、急いで隣に座れば、グラスを握る手が震えていることに気が付いた。



「横になる?」


「……どうして?」


「だ、だって、苦しそうだから」


「どうして……アタシは誘ってくれなかったの?」



 そこでエストは、彼女が苦しんでいるのではなく、実験に誘ってくれなかったことと、女の子と2人で調べたことに怒っているのだと理解した。



「システィと出会う前の話なんだ。ガリオさんたちとダンジョンに潜ってた時に、気分転換になるからこの魔術を作っただけ。その……気に障ったなら、ごめん」



 独占欲の強い彼女の前でマリーナの話はしない方がよかったと、落ち込んでしまうエスト。

 そんな彼を見て、システィリアは自分が誤解し、明確にエストの気分を落としてしまったことを悔いた。


 グラスを置くと、エストに肩を寄せ、耳を垂れさせながら頭を下げた。



「アタシの方こそ、ごめんなさい。なんだか心がピリピリしてて、当たっちゃった……」



 情緒が少し不安定だとこぼす彼女を抱き締め、エストは何度も『大丈夫だよ』と声をかけた。



「多分、体の変化に驚いているんだと思う。僕のことは気にせず、爆発させていい。ちゃんと受け止めるからね」


「……うぅっ、あり……がとうっ……」



 突然涙を流し始めたシスティリアの背中を撫で、宣言通り受け止めるエストは、彼女の心を支えねばならないと実感した。


 そこに負担という文字はなく、これも子を産むための過程なのだと、考え方を切り替えて受け入れた。



 しばらくして落ち着きを取り戻したシスティリアは、どうしても感情が制御出来ないことに歯を食いしばり、エストの胸に頭を擦り付ける。



「やるせないわ……不甲斐ない」


「そういうものなんだよ、きっと。気分が落ち着くアロマでも焚く?」


「ううん……もっとぎゅーして」


「いいよ。システィはよく頑張ってるからね」



 お望み通りに抱き締めてあげると、今度はエストの優しさに感極まってしまい、再び涙がポロポロとこほれ落ちていく。


 きっとシスティリアの内側では大きな渦に呑まれているのだろうと察し、優しく、優しく受け止めたエストだった。



「あ……寝ちゃった。今日は僕がご飯を作る番だね。少しずつシスティに楽させてあげないと」

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