第325話 あの日の種を


 新居での生活が始まり、3日が経った。

 暮らす上での不便さはあまり感じることはなく、強いて言えば使わない寝室の掃除が面倒なことだとシスティリアが言う。


 しかし、その掃除という面は、エストが風魔術でホコリを集め、水魔術で水拭きをして……と解消の傾向にある。


 朝の打ち合いも再開したが、システィリアに負担をかけないよう、激しい戦いはしないことになった。



「ふぅ……朝のお風呂も最高ね〜」


「浴槽も大きいから、2人で入れるし」


「まだ3日目だけど、幸せすぎて死にそうよ」



 朝風呂に入ったエストとシスティリアは、これだけは力を入れて欲しいと頼んでいた風呂に満足し、幸せを噛み締めている。


 湯船の中で揺れる尻尾を腹に感じながら、エストは彼女を後ろから抱き締めた。


 ひんやりとした肌が密着する感覚にシスティリアの頬が緩み、体重を預けると頬と頬がこすれ合う。



「……大好きだよ、システィ」



 小さな声で、されど大きな愛情がこもった言葉を受けて、湯の温度を忘れるほどに心臓が早く脈を打ち、尻尾が波を作り始めた。


 幸せの最大瞬間風速を更新する勢いで顔を赤くすると、声にもならない声を上げ、システィリアはくすぐったそうに体を揺らす。



 風呂から上がると、ソファに座った彼女の髪を乾かしながら、エストは新しい魔術式の開発をする。

 言葉を交わすことがなく、システィリアはリラックスし、エストも静かに落ち着けるこの時間は、2人の数少ない静寂を楽しませた。


 尻尾の水気をしっかりと拭き取り、巧みにくしで整えてやれば、どんな獣人よりも美しい、凛々しくも可憐な毛並みの仕上がりになった。



「エスト、今日はお仕事に行くの?」



 出掛ける準備としてローブを羽織ったエストに、トコトコと近付いてきたシスティリアが訊いた。

 振り返れば、甘えるような視線を一身に受けてしまい、例え仕事の用でも家に居たくなる気持ちが爆発する。


 エストの心を掴んで離さない彼女に、エストは首を横に振った。



「ううん。お金には余裕があるし、庭に種を蒔くよ。あと、アルマを連れて来る」


「……あぁ、屋敷のゴーレムね。じゃあ、ワンワンとバウバウたちもそのうち?」


「うん。環境ができ上がってからの方が、ヌーさんたちも過ごしやすいと思ってね」



 仕事じゃないならとシスティリアも白雪蚕のローブを羽織り、フードのポケットに耳を入れると、同行する準備を整えた。


 水やりなら任せろと言わんばかりの態度に、小さく笑いながら『一緒にやろうか』と言う。




 外に出れば、乾いた空気が肌を撫でる。

 レガンディ公爵領はあまり降雪量が多くない地域だが、それでも足首の辺りまで積もることがあり、街では今年はよく降るだろうと言われていた。


 あまりシスティリアを冷やしては悪いと思い、エストは暖かい風域フローテで包んであげると、半透明の魔法陣に腕を突っ込んだ。


 そこから取り出したのは、いつかの異界式ダンジョンで大量に拾った、ボタニグラの種である。



「ちょ、ちょっと! 魔物を生やすつもりなの!?」


「まずは1体だけだよ。それに、冬は活動量も減るから観察しやすい。ボタニグラの種が安定して取れたら、無理にダンジョンに行く必要も無いからね」


「危険極まりないじゃない! しかも家の側よ!?」


「……もっと離すよ。遅延詠唱陣も10個置く。だから、少しだけ研究させてほしい」



 魔物の家畜化は、かつて何度も実験され、その全てが失敗に終わった歴史を持つ。

 自然魔術で支配しなければヌーさんたちも万が一の危険性を孕んでいるように、魔物は動物よりも凶暴であり、自身より弱い存在に臆することが無い。


 動物でも暴れる危険性があるのは同じだが、今までに成功した歴史が無い以上、信用という面では魔物は圧倒的に下である。


 システィリアに猛反発されたエストは、自然魔術で干渉するのは前提として、魔物の沈静化を試みたいのだ。



「どうしてそんなことをするワケ?」


「油を安くしたいから。料理にも、体のケアにも使えるボタニグラの油を自給自足できたら、余った分は売れるでしょ?」


「そうね。でも、リスクが大き過ぎるわよ」


「だから1体ずつ実験するんだ。ボタニグラは食人植物とも言われてるけど、他の魔物も多く食べる。その理由はなんだと思う?」


「え? う〜ん、そうね……栄養を得るため?」


「そう、そのはずなんだ。地中からじゃ充分な魔力を摂取できないから、魔物や人間を食べて得ていると思う。でも、その情報が確実とはどの魔道書にも書いてない」


「……読めたわね。アンタがやりたいことは、人を襲わないボタニグラを作る、ってことかしら?」



 真剣な眼差しで首を縦に振れば、システィリアは腰に手を当て、片手で顔を覆う。

 魔術だけの研究ならまだしも、ゴーレムに続き襲わない魔物を研究したいというのは、あまりにも大きな危険がつきまとう。


 もし失敗して街の方へ魔物が流れれば、それだけでエストは大量殺人未遂犯となり、死罪は免れない。

 賢者としての功績を加味しても、2代目の踏襲と言われた瞬間に力を失い、最悪、逃げることを強いられ、隠居生活を送ることになる。


 あらゆるリスクを考慮して、システィリアは右手を開いて前に出した。




「一気にやるのは絶対にダメ。やるなら壁を何重にもして、確実に外に出ないようにしなさい。もし暴れたら、その瞬間に殺処分すること。やる時は2人で考えてから、1体ずつやること。どうしてもやりたいなら、その条件を呑んでからにしてちょうだい」




「呑むよ。僕もいきなり植えようとしてごめん。事前にちゃんと話すべきだった」



 これにはエストも悪いと思い、頭を下げて謝った。

 最悪の事態を想定しようが、2人で考えた結論なら行動に移しても責任が取れる。しかしエスト単独での判断となれば、システィリアは背負いたくても背負えなくなる。


 やるなら2人で。行動自体は決して否定しない彼女は、エストの言葉を聞いて頷いた。



「それにしても、凄いことを思いつくわね。油の値段を抑えるために、ボタニグラの種を安定供給……言うは易しってこのことかしら」


「問題はエブルブルームまで育てられるのか……ボタニグラの繁殖能力はかなり弱いからね」


「とりあえず実験しましょ? アタシたちなら、どうなろうとも倒せるんだから」


「……うん!」



 どんな時でも手を引っ張ってくれるシスティリアに顔を明るくし、家から離れた位置で大量に敷いた遅延詠唱陣の隙間に、種を1粒だけ置いた。


 発芽条件が高温に触れさせることなので、先に地中を壁で囲い、ボタニグラの根が外に出られないようにした。



「温めるね」



 そう言って火球メアを種に近付けると、それまで閉じこもっていた殻にヒビが入る。

 パキッと卵を割るような、クルミを割るような音が鳴れば、深緑色の腕の如き根が土を求めて動き出した。



「な、なんかキモいわよ!」


「種自体に相当魔力がこもってたけど、発芽してから地面に定着するためだったんだ。いや〜、すごいね」


「感心してる場合じゃないわ! ほら……!」



 土を見付けた根が種を回すようにして底部を密着させると、遂に種全体にヒビが入り、内側からプニプニとした緑色の球体が殻を破った。


 そして根から土の魔力を吸収し、その球体はやる気が漲ったように土から少し上の位置で動かなくなり、それっきり変化が見られなくなった。



 2人して顔を合わせて首を傾げると、エストは空間把握の魔法陣で土の中を観察すれば、驚くことに、ボタニグラの根が40センチメートルほど深く根を張っていることを知る。



「恐ろしい成長速度だね」


「まぁ……魔物で、しかも動くもの。にしても、今の状態だと何も怖くないわね。なんかプニプニしてるわ」



 システィリアは芽の近くにしゃがみこみ、種に内包されていたボタニグラの脳とも言うべき球体を指でつつく。


 葉の膜で覆われたゆで卵のような感触に、尻尾をゆらりと振ってエストを呼んだ。


 隣で正確にスケッチをするエストも、地上部分を描き終わると指を伸ばし、確かに恐怖心を煽ることもなければ、プニプニしていて可愛いと言った。



「……可愛い、かしら?」


「可愛いと思う。だってほら、つまんだらプニっと弾力があって………………うん」



 何かに例えようとしたエストだったが、あまり口にする言葉ではないなと思ったのか、頷いて濁そうとする。

 が、即座にシスティリアは何かを察し、エストに身を寄せると、下から覗き込むように顔を見てきた。



「プニっと弾力があって、どうしたの?」


「……ん〜」


「ほらほら、何か思ったんでしょう? 今までに触ったことがあるような感覚で」


「……ある……けど、さぁ」



 どうしても言わせたいシスティリアと、どうしても言いたくないエストの戦いが始まった。


 システィリアは耳をピンと立て、エストの頬をプニプニとつつきながら早く例えて欲しいと煽るが、エストはぎゅっと目を瞑って防御の姿勢をとる。


 これには引くしかないと判断したのが、耳突き攻撃をやめると、立ち上がってエストの背中を捉えれば、お腹に負担がかからないようにのしかかった。



 背中に感じる柔らかい感覚に思わず片目を開けてしまうエストに、彼女は耳元で囁いた。



「ねっ。今背中に当たってる感覚と、指先の感覚……本当に似てないのぉ?」



 蠱惑的な声で脳が痺れたようにイメージと感覚が結びついた瞬間、エストは白状した。



「……そんなに言わせたい?」


「えへへ、言わせたい」


「もう……君の胸みたいな感触だった。プニプニしてて、ハリがあって、ただ、ボタニグラの方は少し冷たい……これでいい?」


「ん、いいわよ。間違ってないか確認するために、あとで触らせてあげる」


「くっ……!」



 どこまでも手玉に取られてしまう。

 システィリアに甘すぎると思いつつも、受け取れる幸せは全部受け取っておこうと、彼女の言葉に頷くエストだった。



 結局この日はボタニグラは変化を見せず、家の前から街道までを石で舗装しつつ、その周りに花の種を蒔いた。


 午後からはアルマを連れて来るため、久しぶりに王都へ行くこととなる。

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