第331話 お庭に森を
「臭い。腐った魔物は本当に臭い。うげぇ」
「根っこまで腐ってるね〜。こりゃ大変だ〜」
ボタニグラ無害化計画の記念すべき第1号が、無惨にも土地と季節によって腐り果ててしまい、敷地全体を尋常ではない腐敗臭で包み込んだ。
その処理に当たったエストとアリアは、鼻栓をしているにも関わらず、凄まじい臭気に吐き気が止まらない。
「
「スカートは抑えたぜ、弟よ〜」
「天空龍……頼む。
空を統べる龍に祈りを込め、放たれた風魔術は広範囲に強い風を巻き起こし、東の上空へと臭いを吹き飛ばしていく。
ようやく臭いが気にならなくなると、玄関からシスティリアがひょっこり顔を出した。
綺麗な瞳と大きな耳の主張が激しく、エストは嬉しそうに手を振った。
「もう終わったの?」
「うん。システィは鼻、大丈夫?」
「匂いを感じないくらいよ。平気」
「かなり重症だね。休んでいようか」
一度ボタニグラを植えていた場所を埋めたエストたちは、臭いの付いた服を着替えると、再発防止の策を練ることにした。
しかし、考えるのはエストとアリアの2人だ。
システィリアは大事をとってソファに座り、魔女が膝枕をしてもらいながら昼寝をしている。
机の上に広げられた魔道書、及び調査書の羊皮紙たちを手に、エストは顎に手を当てた。
「知ってはいたけど、栽培の記録は無いね」
「魔力の与えすぎと〜、季節の相性だよね〜」
「多分そう。春になって成長速度がわかるから、冬の間は発芽させないのが重要かな」
「土の中の魔力を吸うってことは〜、お花みたいに水をあげるにも〜、魔力量の調整は必要そうだよね〜」
「……確かに。それじゃあ区画で分けて、水をあげる回数を変えて様子を見た方がいい。システィはどう?」
「何体で実験するの?」
「8体かな。水なし、1日1回、2日に1回、3日に1回。それと、魔力量が少ない川の水を同じ条件で」
「ならいいわよ。くれぐれも暴走と腐敗には気を付けなさい」
「もちろん。早速やってくるよ」
種の入った皮袋を手に、庭へ出て行くエストを見送った3人。アリアが調査書に目を通していると、少しずつ嗅覚が回復してきたシスティリアが、すんすんと鼻を鳴らす。
「換気しよっか〜。窓開けるね〜」
「ありがとうアリアさん」
目を閉じて嗅覚だけに神経を研ぎ澄ませた彼女は、外から入ってくるエストの魔術を嗅ぎ分けると、お腹の中の赤ちゃんが動く感覚が走った。
「う、動いた! 動いたわっ! 今!」
「お〜! おめでとう? エスト呼ぶ〜?」
「いいえ。きっと帰ってきたらまた動くわ」
「……なんじゃ? わらわ……動いとらんぞ」
「ご主人じゃないよ〜。赤ちゃんだよ〜」
騒がしさに目を覚ました魔女が目をこすって起き上がると、補足された言葉でその意味を知り、目を見開いて驚いた。
「なんと! 本当か!? エストを呼ぶか?」
「ふふっ、同じこと言ってる。大丈夫よ」
お腹を撫でたシスティリアは、確かに感じた胎動に笑みをこぼす。周りがこれだけ反応したなら、エストは飛び上がるほど驚くんじゃないかと思い、ソワソワしながら帰りを待った。
一方エストは、白い石で区画分けした地面に、それぞれの管理方法を書いた看板を立てていた。
「これでよし。土板は汎用性が高いなぁ……装飾にこだわれば売り物になりそう」
そんなことを考えながら、街道から家までの土地に翡翠色の魔法陣で埋めつくしたエスト。
呟くように
「東側が寂しい。木を生やしたらマシかな?」
街道のある西側には花やアルマで彩られているが、余っている敷地の東側は殺風景な庭が広がっている。
この4ヶ月、システィリアの体調管理に全神経を集中させていたため、庭に関しては手付かずになっており、安定期に入った今、少しだけ心に余裕が出来たのだ。
思い切って庭の端から木を植えようと、エストは杖を握りしめた。
「ネモティラには感謝だね……
花を咲かす程度なら消費の少ない魔術を、数千本の木を生やし、成長させるために使うとなれば、エストの総魔力の6割が一瞬にして吸い込まれた。
その甲斐あってか、寂しかった東側には緑豊かな森が広がっている。
「あとは……柵もわかりやすくしないと。森から侵入されたらたまったもんじゃない」
侵入者対策に張られていた柵を、より強固な壁として土魔術で成形すると、火魔術で焼成し、外からは人も魔物も拒むような、分厚い壁で敷地を囲った。
「作物も育てたいな〜……けど、それはまた今度かな。そろそろ戻らないと」
なんて口にしながら家に帰れば、手を洗ったエストにシスティリアが嬉しそうに報告してきた。
「ねぇねぇ、聞いてエスト。さっきね、赤ちゃんが動いたの!」
「えっ…………さ、触っていい?」
「もちろん! ほら、パパよ〜」
そっとお腹に手を当てると、トン、と小さな衝撃が手のひらを伝う。
すると、エストは一歩下がり、赤ちゃんが確かに育っている実感が一気に湧いてきて、感動のあまり体を震わせていた。
「ありがとう……ありがとう、システィ」
「アタシの方こそエストに感謝してるわよ」
「こんなに早く赤ちゃんができたこともそうだけど……僕と出会ってくれてありがとう」
「……もうっ。それはアタシが一番思っていること。アンタに助けられて、今のアタシがあるんだから」
今ある幸せを育むまでに、数々の死線を乗り越えてきたのがエストたちである。
幼いエストに課せられた賢者の使命。
噛み付くことでしか生き残れない世界で耐え抜いた、システィリアの運命。
お互いに高め合い、支え合ったおかげで今に繋がっている。
システィリアが一歩前に出ると、エストの頬を両手で挟んだ。少し顔を上げさせ、真っ直ぐに見つめ合うと、2人の距離が近付いていく。
「まだまだこれからよ。愛してるわ」
「うん。賢者の次は、親としての使命があるからね。愛してるよ、システィリア」
エストの頬にキスをしたシスティリア。
お腹に負担がかからないように抱き締めると、これ以上ない幸福感に包まれた。
願っていた幸せが手に入った達成感など、2人の中には無い。
今はただ、2人で生きていけることと、子どもが元気に育って欲しいという、新たな願いが生まれたのだ。
「エストに抱き締められるの、好き」
「奇遇だね。僕も好きなんだ」
「ふふっ、知ってるわよ。ねぇ、新しい魔術は無いの? エストの魔術が見たいの」
「いっぱいあるよ。駄作から傑作まで見せてあげる」
2人でソファに座って、新しい術式や見た目だけ派手な魔法陣で笑い合ったり、既存の理論を覆す発見に驚く様子を、魔女とアリアは静かに見守っていた。
魔術の維持と家事以外はあまり関わらないようにしようと、そっと2階の寝室へ転移すると、魔女は大きなベッドに寝転がる。
「わらわたち、邪魔じゃのぅ」
「気を遣わせたらダメだもんね〜」
「うむ……。そういえばじゃが、そろそろファルムとやらが到着する頃ではなかろうか? 冬も明け、街道も安全に走れるじゃろう」
「そうだね。ウチが見てくるよ〜」
「縁の下の力持ち、に徹しようぞ」
「痒いところを掻きまくってやるぜ〜!」
密かな応援部隊が誕生すると、早速翌日からその活動を始める、魔女とアリアである。
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