第206話 取るに足らない魔族
まだ昼も過ぎてすぐだというのに空が赤い。
砕けた氷の破片が彗星のように尾を引きながら消え、大地が揺れる轟音が去った後には人々は顔を上げていた。
何かが王都を覆った瞬間、それは何かからの盾となり、耐えきれずに砕けたのだ。
煙と炎が残す咳き込むような空気が入ってくると、王都を囲う外壁で警備をしていた兵士たちが、一斉に王城へと駆け込んだ。
「へ、陛下、ただいま申し上げます! 外壁より外側、目視できる全ての領地が焦土となりました!」
「……は?」
「空から雫のような炎が落ちて来たとの声がありますが、王都を謎の氷が覆い、その炎から守ったと宮廷魔術師団長が」
「氷…………民は無事なのであろうな?」
「はっ。しかし郊外の農村は……」
突然の情報に顔を覆う国王フリッカだったが、王都の中に居た人間が無事であることを確認すると、即刻原因の調査を命じた。
氷の砕ける音や外で起きた大爆発。
それにより発生した轟音は王城の中でも聞こえていた。
しかし、フリッカは氷の部分が気になって仕方がない。
執務そっちのけで部屋を出たフリッカは、王城にほど近い場所にある、宮廷魔術師団へと自らの足を運ぶ。
すれ違った宮廷魔術師が跪く中、急用のため無礼講だと宣言し、団長の居る研究室に入った。
すると、ボサボサの長い茶髪を花の髪留めでまとめ、すらりと長い脚を組みながら瓶に入った氷の破片を眺め、ウットリとしていた女が振り返る。
「陛下! さっきの氷見ました!? この私が気づく前に何者かが王都を守ったんですよ! 本っ当に凄くないですか!? 何が凄いって、術式ですよ術式! これは魔術の完成系と言っていい。実に論理的で、感覚的で、美しい……2つの魔術からなる氷の防壁も、相乗効果を目的とした異なる魔術の組み合わせであり、発動者の魔術への理解の深さ、そして愛が伝わってきます!」
瓶を片手に熱弁する女、リューゼニス王国宮廷魔術師団団長、マルカを手で制した王は、彼女の変わらない様子にほっと息を吐く。
「やはりな。あの氷は……エスト様の魔術であったか」
「……エスト様、とは?」
「今代の賢者であり、あの氷龍が認めた氷の賢者様だ」
「今代の賢者……存じ上げません」
「隠しておったからな。だが、あの方がここまで大きく動いたのは、魔族の侵攻とみて間違いない。マルカ、宮廷魔術師団を率いて賢者エストと共に戦うのだ」
「……はっ」
目の下のクマを即席の白い砂で隠すと、マルカは瓶を置き、そばに掛けてあった杖を手に片膝をついた。
宮廷魔術師団を動かす権利を持っているのは国王のみであるが、こうした緊急事態には団長の判断で動員することが出来る。
しかし、今回はフリッカが氷の魔術の使用者を確かめるべく訪れたのだ。
最高権限を持つ国王の命令となれば、マルカはすぐに団員全員を召集する。
100人足らずの宮廷魔術師が全員集まると、団員たちは黄金の杖の記章を着けた白いローブを羽織っていた。
その中でただひとり、マルカだけが杖と星の紀章を胸に着けている。
誉れ高き宮廷魔術師団長の証だ。
「諸君、先程の炎と氷については分かっていると思うが、あの炎は魔族による攻撃だ。そして氷の方は……3代目賢者による防御魔術だそうだ」
3代目賢者。
その言葉で瞬く間に団員の顔つきが変わる。
興味示す者、畏怖する者、己の方が上だと揺るがぬ自信を抱く者。
戦場へ赴くことが少ない宮廷魔術師団に対し、マルカは告げる。
「諸君らは死んでも国民を守れ! 避難経路の整備、及び誘導を第1師団。第2師団は避難所の設営、及び騎士団と連携し物資を運べ。第3師団は……私と共に戦場へ行く」
「「「「「はっ!」」」」」
魔術師の中の魔術師と言われる宮廷魔術師だが、その中でも一際人間離れしている才覚の持ち主が配属される、第3師団。
マルカが率いるわずか10人の第3師団は、他の宮廷魔術師からも恐れられる狂人しかいない。
己の魔術で腕を失った者や、研究のついでなのにAランクの冒険者になった者も居る。
狂気を孕んだ天才の集まり。
それが宮廷魔術師第3師団である。
「団長。賢者って強いんですかぁ?」
「炎を防げていないお前が何を言う?」
「……ウッス」
「我々と比べない方がいい。きっと」
王都の北門へと向かう第3師団は、避難の邪魔にならないよう、人通りの少ない道を歩いて行く。
前方から感じる膨大な魔力の反応。
身が焼けるような、ヒリヒリとした魔力に空気が締まる。
賢者の魔力を肌で実感した第3師団は、灰の空気に包まれた賢者の背後へと回り込んだ。
するとそこには、焼けるような魔力を放つ赤黒い角を生やした長身の男と、純白のローブを纏い、一般人程度の魔力しか放出しない少年と狼獣人が居た。
そして奇しくも、彼らは魔族の背後へと回ったのだ。
「……一般人か。総員、詠唱開始!」
白い少年を賢者ではないと判断したマルカが手を振って詠唱開始の合図を出した瞬間──
身を翻した魔族が、人差し指を伸ばす。
『滅べ』
魔族の指に小さな赤い火の玉が現れると、凄まじい熱を誇るソレは、プラズマを発生させながらマルカの方へと飛翔した。
真紅の点がゆっくりと迫る。
マルカは杖を構えるが、防げる未来が見えない。
今、こちらへ飛んできている魔術が、先刻王都を襲った炎と同じ魔術だと気づいたからだ。
「総員、撤──」
「邪魔。早くどいて」
突然白い少年がマルカの前に現れると、誰も見たことがない半透明の魔法陣を展開し、死をもたらす火を消滅させた。
マルカよりも少し小さな背中だが、誰よりも頼もしいオーラを放っている。
姿勢を低くした狼獣人の少女が魔族に肉薄する。
回避も防御も間に合わせない神速の刃を振るうと、魔族の左肩より先が吹き飛んだ。
そして少年の隣に立つと、マルカたちに振り返る。
「アンタたち、早く避難しなさい」
「宮廷魔術師団だ。賢者と共に戦おう」
「システィ、もういい。守らなくていい」
「アンタ…………分かったわ」
守る余裕もないことを示し、システィリアの肩を掴んで首を振る。
今すぐ魔族を倒すことを優先すると言い、エストは口から冷気を吐いた。
「まぁ、次の一撃で倒すけどね」
「……本当に?」
「ああ。僕らは少し、強くなりすぎたのかもしれない」
余裕綽々といった様子に、先程の言葉と全く違うことに違和感を覚えたマルカ。
共に戦おうと杖を構えた瞬間、マルカのトレント製の杖は凍りつき、振り返れば団員の杖も全て氷の塊へと姿を変えていた。
エストから放たれた冷気が、魔力濃度の高い物を凍らせてしまったのだ。
それ程までにエストの魔力は高められ、青い瞳に氷の結晶が浮き上がる。
「早く終わらせよう。──
杖先に魔法陣を出して詠唱された途端、ギドは牙を見せて笑った。
ゆっくりと、力を示すように氷の槍が形成される。
この一撃に全てをかけるような思いで放たれた氷の槍は、ギドの心臓目掛けて真っ直ぐに飛んで行った。
『小僧……舐めるな』
「僕らは警戒しすぎていた」
五賢族である、灰燼のギドを。
そして、魔族の知能を。
ギドが氷の槍を片手で受け止めた瞬間、ギドの足が凍りつく。
『……ほう?』
この程度なら問題ないと言いたげなギドが炎を纏う。
しかし、それが陽動だとは気づけなかった。
氷の槍を握り潰した直後、四方八方から大量の同じ槍と刃が降り注ぎく。
目で追えないほどの凄まじい速度で魔族の体を貫き、切り刻んでいく。
ギドの炎で蒸発しながらも、周囲の魔力を凍らせるほど冷たい槍が何百も同時に放たれると水蒸気爆発を起こした。
だが、事前に
『……そう……か…………今の、賢者は……』
「うるさい。さっさと消えろ」
原型も留めないほど粉々になった灰燼のギドは、魔力の粒子となって散る。
その粒子をエストが風で一点に集中させると、氷で作った特製の瓶に詰めた。
「な〜んかアッサリしてたわね」
「先生は本当に攻撃力だけが無かったんだ。この魔族は恐ろしく馬鹿で、信じられないくらい力任せな魔術を使う。ただ……それだけだった」
「……そう。とにかく無事で良かったわ」
「うん…………王都はね」
大地の焦げた臭いが王都を包む。
呆然とする第3師団の横を通り、開いた北門から覗く景色は地獄と呼ぶに相応しいものだった。
ウィンドウルフたちと並んだ街道。
風が波を起こす草花の海。
小高い丘に生えた一本の木。
それら全てが赤く、茶色い焦土になったのだ。
灰燼のギドは信じられないほど弱かった。
しかし、初撃で残した爪痕は深く、人々が絶望するには容易な景色へと成り果てた。
「……あの時とは違った絶望感ね」
「いや。今の僕には、まだ希望がある」
首を横に振り、エストは杖を構える。
エメラルドグリーンの多重魔法陣が星のように現れると、焦土全域を覆い始めていた。
それは、王都を守った氷よりも消費魔力は多く、灰燼のギドよりも頭を使わない、強引な魔術。
「システィ。多分、僕は倒れる」
「……これだけの魔術を使うんだもの。当たり前よ」
「だから、ちょっとだけお願い」
「なぁに? アンタの頼みなら何でも聞くわ」
膝をつき、杖を支えにエストは意識を保つ。
上空の魔法陣が一斉に輝き出し、淡い緑の光を放ち始めた。
これには瓶に詰めた魔力も消費し、莫大な範囲の自然を戻すために使う。
「起きたら…………手料理が食べたい」
「任せなさい。とびきり美味しいのを作ってあげる」
ここで、マルカはようやく意識を取り戻す。
ハッとして空に浮かぶ魔法陣を見上げると、それが魔族とは比べ物にならないほど膨大な魔力で、緻密に組み上げられた魔法陣だと気づく。
「これが……賢者……」
全ての魔法陣から優しい光の柱が伸びた。
死に溢れた焦土を癒すその魔術は、かつて大噴火によって消えた自然を戻したとされる、自然魔術と同じもの。
否。
エストが改良した、多様な植物の種を含んだ自然の息吹である。
「消えた命は戻らない。でも、せめて……自然は取り戻そう────
その瞬間、王都の周辺は緑を取り戻した。
たったひとりの賢者による、自然魔術によって。
パタリと倒れるエストを優しく抱き上げたシスティリアは、悔しさに唇を噛む。
「また……何も出来なかった……」
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