第207話 心のよりどころ


 エストが倒れてから、国王フリッカより民衆へ事の顛末と賢者エストが魔族を討伐し、1000年前の伝説に新たなページを追加したことを明かした。


 これにより、民衆の氷に対する目が変わり、差別的な意識を持つ者は減ったものの、2代目賢者による影響は完全に消えたわけではない。


 だが、殆どの民が氷魔術を受け入れ、水魔術の幅が広がったことは確かである。



 そして、焦土と化した大地に再び自然を取り戻したが、あの瞬間に失われた村や動物たちは帰ってこないことも伝えられた。


 再び農村を作るべく、新たに移住する者へ補助を出すと言うと、民は復興に協力的になった。



「…………っ、あ……暑い」


「──! エスト、起きたのね!? はぁぁ、良かった……ホントにもう、たくさん心配したのよ?」



 エストが目を覚ますと、魔道書とにらめっこをしていたシスティリアが駆け寄り、その体をぺたぺたと触り始めた。


 念の為に欠損回復ライキューアも使って異常が無いことを知ると、そっと抱きしめる。



「あぁ……良い匂い。そうだ、どれくらい寝てた?」


「10日よ。魔力の使いすぎで倒れても、普通の人は1日とかなのに……アンタの魔力量は異常ね」


「そっか……もう少しこのままで」



 この10日間、宮廷魔術師御用達の魔力回復促進薬を飲ませ、システィリアが何度も流動食を与えていたのだが、それでも回復に10日を要した。


 並外れた魔力量に、見舞いに来たマルカも恐怖を覚え、起きなかったら首を切る思いで援助していた。


 戦う前と比べて細くなったエストの腕は、それでもなおシスティリアを強く抱き締める。



「学園の皆は?」


「アンタが賢者だと知って大騒ぎ。だけどアウストやミリカは、随分と心配していたわ。講師の代わりだけど、ユルが一時的に教えているわよ」


「ノリノリじゃん。からかうネタが増えたね」


「……一応、相手は二ツ星よ?」


「でも人間だ。僕の友達だよ、ユルは」



 しばらく抱き合った後、ベッドから降りたエストは清々しい気分で屋敷の中を歩いていた。

 元気に歩く姿を見た使用人たちが涙を流しながら快復を喜び、心配をかける人が増えたのだと気づく。


 今日一日は流動食で、明日からシスティリアの料理が食べられると知ったエストは、夏に差し掛かったせいか湿気のある空気を浴びながら魔術の鍛錬をして過ごす。


 こういった小さな積み重ねが灰燼のギドを簡単に葬ったのだ。

 新たなやりがいを見つけ、エストのやる気は燃えていた。



「──おい。この私が見舞いに来たのだぞ。茶でも出せ」


「あ、風の人だ。そこのリンゴ切ってよ」


「貴様……フンっ! 今日だけだぞ」



 夕方になるとユルが見舞いに屋敷へ訪れた。

 随分な態度で寝室に入ったが、慣れた手つきで風刃フギルを使ってリンゴを切り始めると、可愛い兎カットで差し出した。



「上手いね。位置固定の構成要素が綺麗だ」


「なぜ完全無詠唱なのに術式が分かる?」


「魔力感知だよ。頭の中で組み上げた術式を感知してるだけ。それで思ったけど、ユル。君は宮廷魔術師より強いよ」


「この変態魔術師が。エスト、貴様が褒めるなんて何があった?」


「単純に思っただけだよ。君くらい戦える魔術師じゃないと、戦場では邪魔になる」



 次から次へと出されるリンゴをパクパクと食べるエストは、目の前に何十もの魔法陣を出しては破壊し、お腹の上には手のひらアリアを乗せていた。


 こんな奴に言われたくないと思うユルだったが、彼の言ったことは戦士として尤もな言葉だった。



「宮廷魔術師はあくまで多数の敵に強い軍団だ。私や貴様のように、相手の数を問わない魔術師は、様々な場面で輝ける」


「適材適所、かな……はむっ」


「おい、私の分まで食べるな。殺すぞ」


「そう怒らないでよ。はい、蜂蜜漬けの果物詰め合わせ。君にあげる」



 ガラス瓶に詰められた黄金の液体の中の果物を見せると、机の上に置くエスト。

 これは元々ユルにあげようと思っていた物である。

 ユルは鼻を鳴らして受け取ると、早々に部屋を去ろうとした。



「いつ講師に復帰する」


「2日か3日後」


「では後3日間は、あの雛を育てるとしよう。改めて魔族の討伐、素晴らしかった。今はゆっくり休むといい」


「……気持ち悪っ」


「なんだ貴様! 人がせっかく褒めてやったというのに! 傲岸不遜にも程があるぞ!」



 ユルは王都から離れていたのだが、今回の件を聞いて誰よりも早く駆けつけたのだ。

 そして真っ先にエストが昏睡していることを知ると、学園へ足を運び、臨時講師として学園長と話をつけた。


 憎たらしい存在のエストであるが、歴史に名を刻む賢者としての活躍を聞いて誇らしそうにしていたのは秘密である。



 友の復帰を待ち望むユルが屋敷を出ると、入れ替わるようにシスティリアが寝室に戻ってきた。



「嬉しそうに蜂蜜漬けの瓶を見ていたけど、あの人ってそんなに果物が好きなのかしら?」


「ずっと嬉しそうだったからわかんない」


「彼、友達少なそうだもの」


「僕は友達にも恋人にも恵まれて幸せだよ」



 そう言って隣に座り、夕陽を眺めていたシスティリアの頭を撫でたエスト。

 こてん、と頭を肩に預けられると、そっと肩を抱いた。


 外に出ると賢者として様々なしがらみが待ち受けていると思えば、ずっとのんびりしたい気持ちが湧いてくる。

 もう隠居してもいいんじゃないかと思うが、エストにはまだ沢山の仕事が残っている。


 五賢族ももう残り2人となり、いよいよ魔族は慎重に動くしかない頃合だ。



 鍛錬を怠らずに幸せを築くのも悪くない。



「……新居予定地の村、無くなってたわ」


「……そっか」


「あんなにいっぱい話した村の人たちも、み〜んな灰すら残らなかった」



 エストと2人で引っ越してくるんだと言われ、楽しみにしていた村人たちの顔が脳裏に浮かぶ。

 穏やかに暮らすには持ってこいだった郊外の農村も、道も、何もかもが跡形もなく消えてしまった。


 辛うじて取り戻した自然がその面影をうっすらと見せるが、人の手が加わっていない土地では全てが無かったことのように思える。


 ぽつり。


 エストの手に、生暖かい雨粒が落ちる。

 描いていた幸せな未来が消えたショックは、安全になった今だからこそ大きい。


 優しく肩を撫で、向かい合って抱きしめると、彼女のすすり泣く声だけが部屋に響く。


 初夏の湿気には似合わない、冷たく暗い雨を一身に受けたエストは、その痛みを分かちあってこそパートナーだと、ずっと彼女の背中を撫で続けた。



「君は本当によく耐えた。勇敢だよ。魔族にも恐れず、現実にも立ち向かった。システィリアは凄い人だよ」



 心からの言葉を貰い、ギュッと抱きしめるシスティリア。少しずつだが胸の痛みが和らいでいくと、この悲しみは別のもので埋めるしかないと判断した。


 そっとエストを押し倒し、唇を奪う。



「アンタの気持ちで塗り替えて。まだまだアタシたちには沢山の幸せがあるんだって……エストが教えて」


「…………わかった」



 濡れた瞳は艶やかに。ただ彼女を想い、彼女のために出来ることをするエストであった。






 翌日、心も体も元気になったシスティリアは、食堂のテーブルを渾身の手料理で埋めつくした。


 快復祝いと討伐祝い、更には賢者公開祝いなど、何かと理由を付けて用意をしていたら、凄まじい量になったのだ。


 執事のフェイドに呼ばれてエストが食堂にやってくると、エプロン姿のシスティリアに抱きついた。



「ありがとう! こんなにいっぱい食べられるなんて思ってなかった!」


「ふふっ、おかわりもあるから、よく味わいなさい」


「うん! いただきます!」



 長いテーブルを埋め尽くす料理に、流石にこれを2人で食べるには量が多すぎると思っていたフェイドだが、彼はまだ2人の本当の食欲を知らない。


 たくさん咀嚼し、満腹中枢が大きく刺激されているにも関わらず、2人の食べる手が一切止まらないのだ。


 ひと皿、またひと皿と完食していくと、あっという間にテーブルいっぱいの料理が無くなってしまった。



 そして、おかわりを所望すれば侍女たちが次々に料理を運んでくるのだが、そのどれもを美味しそうに食べるエストに、フェイドは戦慄する。


 もうお腹いっぱいと言うシスティリアがエストを眺め、久しぶりの手料理に何度も感謝の言葉を口にしながら、遂には全ての手料理を食べ尽くしたのだった。



 その体のどこに入っているんだと思えば、今のエストは意識が保てる程度の魔力欠乏症であることを思い出し、体が即座に栄養を吸収しているのだと気づく。


 改めて出されていた料理を思い返すと、多分に魔力を含む肉料理と、魔力の吸収効率を上げるサラダも多く、全てシスティリアが計算して作っていたことにハッとした。



 彼女の料理に対する知識が、侍女を上回っていたのだ。



「ごちそうさま。ありがとう、システィ」


「エストが喜んでくれてなにより。こちらこそありがとっ」



 特別なのはエストだけではないと痛感したフェイドは、己の不甲斐なさに拳を握り、2人のために扉を開けた。


 胸を張って出て行く2人が向かう先は、屋敷の前に広がる大きな庭だった。



「あ、居た。カル、いつも手入れありがとう」


「勿体なきお言葉。本日はどうされましたか?」


「ちょっと花を植えようと思ってね」



 普段から庭を綺麗に保つ執事のカルに挨拶をしたエストは、庭の一角に氷の花壇を作った。

 何度か形を変え、納得のいく枠組みが完成すると、純白の陶器で成型した。



「雪の結晶みたいな形ね」


「綺麗でしょ。まずはこれから植えようか」



 そう言って手のひらに翡翠色の多重魔法陣を展開すると、発動と同時に手を握る。

 すると、小さな花の種が幾つも握られていた。


 手品のように出した種を、ひとつずつ蒔いていくエストに問う。



「ねぇ、何を植えたの?」


「ウィルキリア。水色の花弁を翼のように咲かすんだ」



 得意気にウィルキリアの花を一輪出したエストは、システィリアの手に収めた。

 確かに水色の翼の様な花弁が特徴的な花だが、植物に詳しいカルは驚きながら種まきを止めさせた。



「エ、エスト様。ウィルキリアは雪山の高所でしか咲かない、非常に珍しい花でございます! このような平地の場所では……」


「大丈夫。普通の水でも咲けるように改良した。ただ、種を残すことが出来ないから、一度限りだけどね」



 その場で氷のジョウロを作って水をやり、ひと仕事を終えたと言わんばかりに額の汗を拭ったエスト。

 開花時期も分からない、種だけを再現し、生育に必要な条件を書き換えた自然魔術だが、きっと綺麗な花を咲かすと信じていた。


 カルに『本当かどうか知りたかったら、お世話をよろしくね』と言うと、システィリアと手を繋いで屋敷へ戻る。



「急に花を植えるなんてどうしたの?」


「自然魔術がようやく馴染んできたからね。本来は種を生み出す魔術だけど、生育条件を改変出来ると思ってやったんだ。上手くいくかはわからない」


「……実験ってことね」


「そういうこと。あとは…………ウィルキリアはシスティに似合うと思って」



 窓の外を見ながら言うエストに、システィリアは横から抱きしめた。



「きっと上手くいくわよ」


「どうしてそう思う?」


「アタシを想って使った魔術だから」


「……なにそれ。でも……うん、上手くいくと思う」



 そうして、復帰までの3日間を謳歌するエストは、様々な魔術の実験や改良を行い、また見舞いに来たユルに怒られるのだった。

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