第208話 筋肉こそ力


「うへぇ……外に出たくない……」


「そんなこと言っちゃって、庭で打ち合いはするじゃないの」


「庭はいい。敷地を出るのが嫌なんだ」


「もうっ……ほら、一緒に学園行くわよ!」



 朝ご飯を食べ、ダラダラと用意をするエストの手を引いたシスティリアは、真っ直ぐに貴族街を出た。

 念の為にとフードを深く被るエストだったが、すぐに住民に気づかれてしまい、人集りに呑まれてしまった。



「ね? こうなるから嫌だったんだ」


「……ごめんなさい。気づかなかったわ」


「大丈夫。システィは悪くない」



 そう言って彼女をお姫様抱っこで持ち上げ、足元から氷の柱で上空に避難するエスト。


 沢山の人に見られながら空中に氷の足場を広げると、まるで空を歩いているかのように学園まで進んで行く。


 ふわりと校舎の前に着地したエストだったが、システィリアを下ろさずに校舎へと入って行った。



「お、降ろさないの?」


「お姫様抱っこされてるシスティは、普段より5割増しで可愛いからね」


「……そ、そうっ。でも恥ずかし──」


「あとトレーニングにちょうどいい。これぐらいの重さを求めてたんだ」


「今すぐ降ろしなさい! このバカ!」



 ポコポコとエストの胸を叩いて降ろしてもらうと、『そんなに重いのかな……』と呟くシスティリア。ここ2週間はまともなトレーニングも出来なかったせいで、体の丸みに敏感になっているのだ。


 しかし、エストはそれもまた良しと言い放ち、もちもちになったシスティリアも愛していた。



 いつもの教室の前に立つと、以前破壊したドアがしっかりと木製の物に変わっていることに気づく。


 ギィっと音を立てて開き、教壇へ登る2人。



「おはよう。みんなの顔を見るのは久しぶり……とは思えないんだよね。僕の感覚だと3日ぶりだから。じゃあ出欠を取るよ……まぁ、確認するまでもなく全員出席だけど」



 期待に満ちた目を向ける生徒たちに、エストは出席簿を閉じる。パタっという音を境に静寂が教室を包み込んだ。


 ひとりひとりの顔を見ていくと、やはり賢者であることを知った影響は大きいのか、緊張する者も居た。



「アウスト」


「はいっ!」


「質問ある?」


「……ねぇな!」


「だよね。勘のいい子は気づいてたと思うし。次、クオード」


「はい」


「言いたいこと、言っていいよ」


「…………憧れです」


「そっか。なら宮廷魔術師は目指さない方がいい。それよりユルに泣きついて冒険者として生きた方が、より僕を身近に感じられる」



 ひとりずつ名指しで質問や言いたいことがあるかを聞いていくと、エストを賢者であることを疑う者はおらず、ただ憧れの目を向ける生徒が殆どだった。


 その中でもルミスは、一際異彩を放つ答えをする。



「言いたいことは?」


「……予想通り、です」


「君はこのクラスで最も勘が鋭い。きっと、最初の授業の時には勘づいていたんだろう?」


「……はい。あまりにも、その……美しかったので」



 技術が洗練されすぎていた。

 ただそれだけのことだ。

 当の本人はまだまだ改善の余地があると思っているが、宮廷魔術師団長を含む、エスト以外の魔術師は皆口を揃えて『完成系』と言うだろう。


 その美しさたるや、筆舌に尽くし難い至極の術式であり、精霊をも惚れ惚れとさせるユーモアに溢れていた。



「まぁ、僕に変わりは無いし、特別隠してたことじゃないからね。今まで通り接してくれたら気が楽になる」


「アタシから言うのは、根も葉もない噂を流さないこと、かしら。アタシやエストに害があると思ったら、容赦なく叩き潰すわ。覚悟することね」


「既にロックリア家とは殺し合いも辞さない状況だ。君たちには、できる限り僕と敵対しないでほしい」



 とっくに賢者を巡る争いは始まっている。

 そこへ生徒を巻き込みたくないエストたちだが、もし相手に生徒が居ても、一切の加減はしないと言う。

 敵になっても相手を守るほどエストは甘くない。

 ここで忠告した以上、次は無いのだ。



「それじゃあ授業を始めよう。外に出るよ」



 いつも通りグラウンドに集合すると、生徒たちはこれまでと変わらないトレーニングをした後、的当てや術式の改良に移るのだが……トレーニング後、誰もそれらに移行しなかった。


 理由はたったひとつ。


 ローブを脱いだエストが休憩も取らずにグラウンドを走り続けているのだ。

 背後には1頭の氷の狼が牙を剥き出しにして追いかけ、エストのペースを落とさないよう、否……むしろ速度を上げている。


 狼の術者はシスティリアだ。

 エストが造る狼ほどリアルではないものの、誰が見ても恐ろしい狼と感じるほどには上手く出来ている。



「あの人……やっぱおかしいわ」


「賢者だからな。だが、10日も眠っていたら筋力も相当に落ちているようだ」


「あ、捕まった。すんげぇ舐められてる。うわっ、システィリア先生、自分で出した狼を蹴っ飛ばしたぞ」



 術者の意思がかなり強かったせいか、エストを捕まえた氷の狼を容赦なく破壊するシスティリア。

 荒い呼吸で寝転がっていたエストが立ち上がると、光魔術で治さずに、息を整えながら杖を構えた。



「おいおい……あの状態で打ち合うのかよ」


「もっと近くで観るぞ。学べることがあるはずだ」



 クオードを筆頭に2人の打ち合い稽古の観戦に集まると、魔術師らしからぬ戦いぶりに皆の視線を奪った。


 全力疾走の後とは思えないほど細かい息遣いでシスティリアの攻撃を捌くエスト。

 息を切らさぬよう、呼吸のタイミングを見極めながら瞬きよりも速い彼女の剣技に対応し、今日こそは一本取ると闘志を燃やす。


 エストが目覚めてからの3日間、システィリアとの打ち合いで『良いところ』にすら行けなかったのだ。

 いつもより重く感じる杖を握りしめ、杖に振り回されないよう腰を入れて攻撃を受け流す。



「っぶな……体が重いなぁ」


「それでも普通の人間より強いわよ?」


「普通の人間が君を守れると?」


「……ふふっ、そうね。旦那様はそうでなくっちゃ」



 並の人間より高い身体能力を持つエストでも、白狼族には敵わない。それゆえに、力ではなく技を磨かなければ、彼女に勝ることはないだろう。


 普段と比べて動きが遅い。

 そのおかげで、生徒でもエストの戦い方がよく見えたのだ。



「へぇ、半歩引いただけで穂先が当たらないのか」


「間合いを完璧に把握しているな」


「槍の持ち手を下げられないのか?」


「……あの、お前が思っている10倍は重たいぞ」



 クオードは槍剣杖を見ながら、遠征中に一度、持たせてもらったことを思い出す。

 見た目通り金属の塊なのだが、鉄や鋼よりも重たいアダマンタイトに、持った瞬間に落としてしまったのだ。それをエストが空中で、それも片手で拾い上げるものだから、彼の筋肉量については他の生徒より詳しかった。



「見ておけ。あの先生は、力よりも頭で戦う人だ」



 深く腰を落としたエストは、穂先を下に構えた。

 視線は低く、足を狙った一撃を放つことは明白である。しかし、次に放たれた刺突は彼女の左胸へ伸び、視線がブラフだと見抜いていたシスティリアは身を逸らして回避した。


 高度な心理戦が繰り広げられるが、エストは突き出したままの杖を斜めに振り下ろし、彼女の剣に食い止められる。


 力負けをした方が死ぬ。

 そんな鍔迫り合いの中、ふっと力を抜くエスト。

 その瞬間にシスティリアが大きく剣を振り上げると、弾き飛ばされた穂先の勢いをつけ、石突きを彼女の右脇腹に激突させた。


 骨が折れた音が鳴り響く。


 歯を食いしばるシスティリアが衝撃を脇腹で受け止め、一瞬ではあるがエストに隙が生まれた。



「ここっ──!」



 持ち上がっていた剣を一気に振り下ろすと、右肩から先が杖と共に落ちたのだ。

 骨すら切り落とす膂力を前に、エストは『あ〜あ』と言って足元に広がる血の池を眺めた。



「衰えちゃったな。もっと鍛えないと」


「早く体力を戻しなさい。寝坊助さん」



 痛みを感じる素振りを一切見せずに欠損回復ライキューアを発動させ、右腕を生やしたエストは落ちた腕を回収する。


 慣れた動作で回収と掃除を済ませると、いつの間にか生徒が集まっていたことに気がついた。



「ほら、みんな戻って練習。観てる場合じゃないよ」


「いや無理だろ! あんなの見せられたら練習どころじゃねぇ!」


「先生は指標だ。観ることが勉強になる」


「そっか。じゃあいいや」



 そう言って打ち合いを再開する2人。


 人間離れした動きのようで、実は真似できることもあると考えた生徒たちは、じっくりとその戦いを眺めるのだった。

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