第209話 しっぽっぽ
エストが講師生活に復帰してから2週間が経った。
既に春の影は消えており、涼しく過ごせる格好の生徒が増えてきた頃、午後の授業で頭を抱える者が居た。
何を隠そう、賢者ことエストである。
「先生、どうしたんだ?」
「教えることが無くなった。君たちが理解できる範囲の魔術は全て教えたし、繰り返しやってもね……僕が楽しくない」
魔法文字から始まり、属性の関係や相性、相乗効果から日常生活への活用法など、大体のことを教えきってしまったのだ。
講義のネタが切れてしまい、静かな時間が流れていく。
「仕方ない。今日はもう終わろうか。明日から実技を増やしたり、誰かを講師に呼ぼう。はい解散」
パッとしない終わり方に皆が『え〜』と声を上げる中、図書館の魔道書を全て読むようにと言えば、今度はあまりにも難しい課題に『え〜』っと木霊する。
仕方なく研究のために帰寮する者や図書館へ生徒が流れ込むと、エストはシスティリアを連れて王城前まで歩いてきた。
「また何か訴えるの?」
「いや、明日の講師を捕まえる。王城じゃなくて……こっちに用があるんだ」
そう言ってエストが向かった先は、魔術師の目標点──宮廷魔術師団である。
魔術の研究を主とし、魔術の行使に特化した兵という扱いなのだが、戦争が起きそうにない昨今、優れた魔術師という地位を確立した。
そんな宮廷魔術師団の敷地に一歩踏み入れた途端、エストの足に土の茨が巻きついた。
茨の棘が肌を刺し、肉に食い込む。
足首から靴にかけて赤く染まっていくエストに、システィリアが剣を抜いた。
そして目にも止まらぬ高速の斬撃を繰り出すと、土の茨がボロボロに崩れた…………傷口に棘を残して。
「あらら、棘の根元が脆く出来てたのね」
「発想は良いけど構築が甘い。警備用の魔術としてはちょっと不安だね」
「そんなことより治しなさいよ。舐めるわよ?」
表情を一切変えずに棘の魔術を破壊したエストは、潔く
あのままではシスティリアが足を舐めながら治療する未来が見えたので、あくまで彼女の名誉を守るために治したのだ。
エストとしては、先端を丸め、魔術によるマッサージが出来るのではと発想を膨らませていたところである。
「行こうか。僕の後ろに着いてきてね」
杖も出さずに宮廷魔術師団本部へ向けて歩き出すエストに、侵入者を拒む茨の魔術が次々と発動する。
しかし、じっくりと術式を覚える時間があったため、足に辿り着く前に破壊され、侵入者の2人を止めることは出来なかった。
そして本部の中に2人が入った瞬間、杖を構えたマルカが魔法陣を向けていた。
「来たか、侵にゅ────へ?」
「居た。マルカ、明日学園に来てよ」
「エ、エスト様ではありませんか……!」
「様付けは辞めてね。で、来てよ。生徒に教えることが無くなったから、来週のテストまで暇なんだ」
「アンタ、仕事を押し付けようとしてない?」
「してる。だってやる事ないならのんびりしたいもん。一応、フリッカに言われた仕事はもうこなしたよ」
戦場で使える程度には育ってきたのだ。
あとは生徒の努力次第だが、冒険者としても充分に力を発揮出来る程度にはトレーニングを積ませた。
つまり、学園で5年かけて学ぶことをわずか3ヶ月足らずで修めさせ、やることが無いのだ。
それ即ち、講師生活も終わりに向け、後継や特別講師を招いて見極める必要がある。
「……わ、分かりました。朝に伺いましょう」
「頼むよ。システィ、帰ろう」
色々と吹っ切れたエストは、システィリアと手を繋いだ瞬間に転移で屋敷に戻り、庭を歩く。
執事のカルによる手入れが行き届いた庭は美しく、新しく出来た花壇の水やりも丁寧にされていた。
2人でしゃがみ込むと、発芽したウィルキリアが大きくなっていることに気がついた。
「ふふっ、可愛らしい双葉ね」
「うん。この様子だと冬には咲きそうだ」
「冬……アンタの誕生日ぐらいかしら?」
「それぐらいかな。僕ももう15歳か」
「立派な大人よ。アタシが立派だもの」
「わぁお、自信の塊だ」
刺すような陽射しに耐え抜くウィルキリアに期待を込め、2人は寝室に戻った。
突然の午後休にすることが無いエストは、亜空間に手を突っ込んで面白い物があると信じて何かを掴み取った。
ベッドに寝転がっていたシスティリアに、亜空間から引っ張り出した無色の魔石を見せつける。
「ふと思ったんだけどさ」
「なにかしら?」
「この魔石って、本当に魔力を溜め込むだけなのかな?」
「……魔力の伝達役じゃなくて?」
「うん。もう少し簡単な答えがあると思って」
様々な属性の魔力を出し入れしながら、エストも彼女の横に寝転がる。うつ伏せになったシスティリアが、そのふわふわの尻尾をエストの背中に擦り付けた。
ゾワゾワと鳥肌が立つ感覚が全身を伝うと、空間属性の魔力を注入する。
「──これだ、見つけたよシスティ!」
「尻尾っぽ〜……アレ? なんか大きくなったわね」
エストの手の中で、無色の魔石が徐々大きくなる。
これは他の無色の魔石と組み合わせた時よりも緩やかな反応だが、確かに魔石を大きく出来たのだ。
長年気になっていた無色の魔石の謎。
その謎を解く鍵は空間属性にあった。
「無色は空間属性の魔石なんだ。空間属性は全ての属性魔力を使える……だから魔石もどんな魔力を受け入れられる。簡単な答えだったね」
「そんな簡単に分かるものなの?」
「…………もうちょっと調べてみる」
こういった魔石の話題も午後の授業でやっていたがために、本当に生徒たちに教えることが無いのだ。
ここまで来れば授業ではなく研究の分野になる。
エストとしては
エストのクラスに関して、密偵から逐一報告を受けている国王が、謀反の危険を孕む種を発芽させないよう、特殊な研究については話さないよう命じられている。
それが授業のネタ切れを引き起こした要因でもあるが、仕方のないことだ。
「尻尾っぽ〜、尻尾っぽ〜……さわさわ〜」
「……くすぐったい」
「ふふふっ、もう夏だもの。ふわふわの尻尾ともしばらくお別れよ?」
獣人族は大抵の者が換毛期を迎えている。
システィリアも例に漏れず、ベッドや衣服に抜けた毛が目立ち、風呂の排水溝が詰まったことは一度や二度ではない。
毎日手入れしていたふわふわモコモコの尻尾も、これからは少し硬い夏毛に生え変わる。
そして、この時期は決まって尻尾を擦り付けるのがシスティリアの癖だった。
「困ったな。研究と尻尾、どっちを取ろうか」
「研究は明日も出来るけど、尻尾は明日には無くなってるかもしれないわ」
「じゃあ尻尾だ。魔石に関しては自然魔術と並行して紙にまとめるよ」
まんまとシスティリアの口車に乗せられ、エストは魔石を亜空間に仕舞い、尻尾のブラッシングを始めた。
やはりいつも以上に水色の毛が櫛に絡みつくので、そばに置いた紙の上に乗せていく。
まずは表面を整えるように、僅かに歯を噛ませて尻尾を撫でるが、それだけで大量の毛が櫛に付いていた。
この時期のシスティリアは大変だと分かっていながらも、尻尾の手入れがやめられない。
むしろやめてはならないのだ。
換毛期前の毛が抜け落ちないと、新しい毛に巻きついて毛玉になったり、人によっては皮膚病を引き起こしてしまう。
それゆえに、感情的な面でも彼女を思う面でも、毎日ブラッシングすることが大切である。
「生え変わり……か」
尻尾の抜け毛が両手に収まりきらないほどの大きさになると、今日のブラッシングを終了するエスト。
人の毛が生え変わるように、役目を果たした自身も講師の立場から降りた方が良い。
そう考えると、明日は王城に行くことを決意する。
束の間の魔族の災禍が去った今、これ以上ひとつの国で大きく活動することは危険を招く。
「この屋敷も、なんだかんだ言って愛着が湧いたなぁ」
屋敷を離れる近い未来が、ちょっぴり寂しい。
そんな気持ちがシスティリアにまで伝わってしまう、エストである。
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