第211話 最後の対面
特別講師マルカによる午後の授業は、基本的に既に教えことの復習となり、そのおかげか生徒からの指摘でマルカが勉強になっていた。
「再来週の討伐遠征に君たちを招待しよう。宮廷魔術師団はそれなりの頻度で討伐依頼が来る。皆の実力なら足でまといにならず、良い経験が積めるやもしれん」
「え〜、夏休みに行かせるの可哀想」
「講師がその態度は如何なものです? ほら見てください、生徒の顔を……あまり乗り気じゃないですね」
遠征はもうお腹いっぱいだと顔に書いてある生徒が多く、前回の遠征では友人を喪った生徒も居る。
トラウマという程ではないにしろ、しばらくは学園生らしく勉学と集団生活に集中したいのが本音だ。
「僕もそろそろ講師を辞めるし、遠征に人手が欲しいなら依頼を出しなよ」
さもなんでもないことのように言うエストに、マルカよりも早く生徒たちが反応した。
「え……え?」
「おいおい先生、それマジかよ!?」
「辞めちゃうんですか?」
立ち上がってエストが辞めることに反対する声が増える中、当の本人は気に止める様子も見せずに頷いた。
「うん、だって契約は果たしたから。本当は1年かけて君たちを育てる予定だったんだけど、想像以上に成長が早くてさ。教えること無くなっちゃった」
「でも……それでも教えてくれよ!」
「そうです! 私たちには先生が……」
「必要無いでしょ。魔法文字も属性関係も覚えて、経験も積めるようになって……充分だよ。これ以上僕の魔術を学んだら、君たちの個性が薄れてしまう。そんなに僕の足跡を辿りたいなら、魔道書を読めばいい。そうだろう?」
もう既に基礎を教えきったのだ。
生徒がエストの複製品になるくらいなら、あとはそれぞれの研究分野を残すようにして去る。歩むべき道を曲げないよう、ひとりひとりの未来を照らす術を教え、エストは離れるべきである。
魔術史を覆す常識を、彼らは持っている。
生徒にはもう、道が見えているはずだ。
自分の在り方が見せる、明るい未来が。
「夏はシスティと海に行きたくてさ。正直講師なんかやってる場合じゃないんだよね。知ってる? ケルザームっていう深海の魔物の噂。水棲の魔物なのに火に弱いんだって。僕はそれが食べたくて仕方ないんだ」
最近になってようやく王都の外の情報が新聞で入ってくるようになったため、エストはそこに書かれていた魔物の特徴を黒板に記した。
大きな文字で『おいしい(らしい)』と書けば、胸を張って食べに行きたいと言う。
「……これでこそ俺たちの先生だな」
「……最初から自由な人でしたし」
「自由すぎる。1年ぐらい続けるべきだろう」
諦めつつある生徒らに、エストは大きく頷く。
若干クオードがどうしても残って欲しそうに言うが、彼の目指す魔術師像が目の前にあり、盲目的になってしまえば本末転倒である。
マルカも同様に危惧しており、エストが講師を辞める真意については汲み取っていた。
「じゃ、少し早いけど今日はもう解散しよっか。マルカ、今日はありがとう」
「こちらこそ、賢者エストの生徒との交流は良い刺激になりました」
そうして、皆の動揺と小さな焦り、多大な心寂しさを残した教室を出た2人は、学園の門前でそれぞれの道に別れると、エストは人知れず王城前へと転移した。
屋敷の庭と同じように整えられた庭園を横目に、扉の前で直立する衛兵に挨拶を交わす。
突然の訪問には慣れたのか、声色に焦りは見えず、当然のように中へ通されたエスト。
何度か会って顔見知りになった侍女と共に執務室の前に立つと、背の高い金髪の好青年とすれ違った。
恭しく頭を下げる侍女に対し、エストは無反応。
無視されたことが気に食わなかったのか、一度通り過ぎた彼はエストに向き直り、ドアを開く前に呼び止めた。
「貴様、この私を無視したな?」
しかし、それにすら興味が無いエストは執務室のドアを開けた。
返事をされる前にも関わらず、礼も無く入っていくエストに男は掴みかかった。
「おい! この無礼者ッ!」
国王フリッカが執務の手を止め、エストを見て微笑んだところでその青年はエストの肩を掴むと、思い切り顔面をぶん殴った。
鈍い音と共に侍女が小さな悲鳴を上げる。
続いてエストの胸ぐらを掴もうとした瞬間、青年はようやく気づいた。
己の両手が無くなっていることに。
「う、うわぁぁぁぁぁ!! 私の手がぁぁ!!!!」
「たかが両手くらい、すぐに治せるでしょ」
尻もちをついて後ずさる青年に、エストは切り落とした両手を下投げで渡した。
質の良い絨毯に青年の血が染み込んでいくと、彼の傍付きであったのだろう執事が短剣をエストに向けた。
しかし、執事が瞬きをした瞬間。
何故かエストの手にその短剣が握られており、『綺麗に磨かれてるね』と言いながら机の上に置くのだった。
その光景を見ていたフリッカが立ち上がると、執事はフリッカを最優先に守ろうと、エストの前に立ちはだかる。
だが国王に肩を叩かれ、その人物の名を知らされる。
「よくぞ参られました、エスト様。本日はどのようなご要件で?」
「講師を辞めに来た。みんな、宮廷魔術師ぐらいには戦場で使える子になったよ。あと敬語やめて」
「なんと! だが……その前に、愚息の手を治してはやれんか? 魔術が得意でなくてな」
触れたら手が落ちる狂人が賢者だと言うフリッカに、彼を初めて見た青年──ジェルダ第1王子は戦慄する。
剣も抜かずにどうやって手を落としたのか。
なぜ一切の動揺もなく短剣を奪えたのか。
賢者が使うとされる空間魔術なら出来かねないと、瞬時に理解したのだ。
ため息ひとつで返事をしたエストは、気だるそうにジェルダを見れば、既に両手は再生していた。
ようやく落ち着きを取り戻したのか、はたまた興奮で痛みを忘れたのか、動ける程度には回復したジェルダは執事に肩を貸してもらいながら退室する。
「すまぬ。まだ若いのだ。恥を晒してしまった」
「別にいいよ。それより、あの子たちのテストが終わったら依頼完了でいい?」
「勿論だ。たった3ヶ月でそこまで鍛え上げるとは、流石であるな」
「生徒が優秀だっただけ。僕は僕で、良い時間を過ごさせてもらったよ」
血を掃除したエストに侍女が紅茶を注ぐ。
カップに口をつけ、表面に息を吹いて冷ましながら、講師に就任してからの授業内容と受け持った全生徒の成長度合いを話し始める。
ムードメーカーのアウストやクラスの中心となるミリカの変化。冷静沈着の権化たるクオードの熱意に、天賦の才を持つルミスについても、長々と語っていた。
「そこまで生徒を大事に思っておいて、なぜ短期で辞めるのだ?」
「やる事が無くなったから。僕の授業ペースは、一度躓いたら着いていけなくなる。だけど、誰ひとりとして躓かなかったせいで、最短ルートで教えられたんだ」
「……そうであったか」
講師によっては、出席よりも魔術の研究に時間を充てる者が増える4年生。卒業と宮廷魔術師団への入団に備え、並々ならぬ鍛錬を積むのが定石だった。
──エストが来るまでは。
歴代の4年生でも夏季休暇までの3ヶ月、ひとりとして遅刻も欠席も無かったことは一度もなかった。
それだけエストの授業に受ける価値があると思わせ、生徒の心に火をつけた。しかもそれが、賢者と発覚する前のことである。
フリッカは純粋に、エストの講師継続を望んでいた。
だが、彼の長期滞在は王都を、国を破滅に導きかねない。
既に灰燼のギドが襲撃してきた以上、そのリスクは常に考えなければならないものだ。
「賢者が去れば、寂しくなるな」
「変わらないよ。先生の名前が付いてる国で、寂しがる理由が無い。清く気高く口うるさく。先生みたいな人が多いから大丈夫」
「はっはっは。違いない」
フリッカのこぼす本音に、エストもまた本音で返した。
笑い合って依頼についての話が終わると、エストは『そうだ』と言って薄い紙の束を取り出した。
そこに書かれていたとある物の製法手順に、受け取ったフリッカが思わず取り落としてしまう。
小さく笑ったエストが立ち上がると、フリッカの呟きに答える。
「こ、これは……抗魔レンガの製造法、だと?」
「宮廷魔術師で試して、上手くいったら他の国にも教えてあげて」
「……よいのか? 一国を買える財は手に入るぞ」
「いいよ。買ってもどうしようもないし。お金は欲しいけど、それは魔石を売って稼ぐよ」
王都の周りは依然として自然の地形が広がっている。
冒険者や土の適性のある魔術師が日々整備に勤しんでいるが、それでも既存の道に繋げるまで半年はかかるだろう。
そんな中、より安定した抗魔レンガの製造法が舞い降りてきたのだ。
もし製造が上手く行けば、より早く、安定した経済を回すことが出来る。そして、他国への共有は大きな国益をもたらすことになる。
信用と信頼。武力と同等に価値のある手札だ。
「本当に……よいのだな?」
「うん。僕だって魔術師だ。好きでやった研究結果を発表するのに、お金をもらうわけにはいかないよ」
「……ははっ。賢者とは、斯くしておかしな者である」
ドアを開けるエストに、フリッカは顔を上げた。
白く気高く逞しい背中の向こう側で、笑みを浮かべる賢者へ向けて。
「感謝する。魔族の討伐に焦土の回復、抗魔レンガの製造法を授けた賢者エストに、リューゼニス王国より感謝を述べる」
頭を下げるフリッカは、伝えられる最大の感謝を込めた。
そして──
顔を上げると、そこにはもう、賢者の姿は無かった。
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