第187話 不信への信頼


「おい、アレって二ツ星の……」


「ど、どうしてここに居るんだ? 俺握手してもらいたい!」



 肌を撫でる風が冷たい朝、特別講師として招いたシスティリアの手を繋ぎながら登園した時のこと。

 グラウンドが見える廊下から、たくさんの生徒が覗き込んでいたのだ。その視線の先には、白と緑のローブを羽織ったユル・ウィンドバレーが、静かに目を閉じ、獲物が来るのを待っていたのだ。



「ねぇエスト、二ツ星って暇なの?」


「暇ならおいでって言ったけど、本当に来たから暇なんじゃないかな?」


「……絶対何かで揺すったでしょ」


「グラウンドに集まるよう言わないと」


「確信犯ね」



 耳をピンと立て、エストの手を強く握る。

 逸らした彼の横顔は微笑んでおり、システィリアはゆらりと尻尾を振った。



「おはよう。少し騒がしいね」



 いつも通りに教室に入ったエスト。

 しかし、今日は少し空気が違う。

 生徒たちがユル・ウィンドバレーの話で盛り上がっていたのだ。そして、何事も無いかのように入ってきたシスティリアに、一気に視線が集まる。


 2人が教卓の前に立つと、エストが黒板に『グラウンドに集合』と書いた。



「うおおおお! 本物だぁ!!!」


「あの人が……先生の婚約者……!?」


「存在感が違ぇ。本当に只者ではないんだな」



 皆の話題がシスティリアに集中する。

 ひとりだけ獣人ということから目立つのではなく、立ち姿の美しさや隙の無さ、そしてなによりも、数々の戦闘で磨かれた凛々しさが強い存在感を放つのだ。


 エストですら霞むほどの存在感だが、それは彼が全力で魔力を抑えているから。


 生徒を威圧しないように必要以上の力で抑え込むせいで、相対的にシスティリアが目立っている。



「……アンタのソレに気づける人は居ないのね」


「努力の成果だね。誇らしいよ」


「ほぼ魔力を出していないじゃない。むしろそっちの方が目立つと思うのだけど……これが経験の差というのね」



 ここの生徒は宮廷魔術師を目指す者が多いが、強さを追い求めるあまりに弱さへの視線の移し方を忘れてしまった。


 今のエストは、見る者が見れば異常なほど魔力を感じない、生物として怪しいほどに魔力を制限している。


 真に優秀な魔術師ならばエストの方にこそ注目しなければならないのだが、生徒でそれを理解できる者は居なかった。



「それじゃあグラウンドに行こう。今日は丸一日実戦系の授業だから、気を抜かないように」


「……アタシも?」


「常にね」


「ふふっ、分かってるわよ」



 エストの手がシスティリアの耳の間に置かれると、優しく左右に撫でられる。それを嬉しそうに享受する姿に、生徒たちから悲鳴にも似た声が上がった。


 妙な空気のままグラウンドへと足を運んだ2人は、学園長に話しかけられるユルの元へ来た。



「ウィンドバレー卿。本日は如何な御用で?」


「……あの男に脅されて来た」



 これまで何も答えなかったユルが顔を上げると、そこには仲睦まじく手を繋ぐエストとシスティリアが居た。



「しっかり脅してたのね。予想通りだわ」


「おはよう、ユル」


「……Aランクのシスティリアか。噂には聞いていたが、本当だとは」



 彼女の強さは、2年ほど前から帝国を中心に広まっている。数々の強大な魔物に勝利を収めた話は、遠く離れたフラウ公国……ウィンドバレー領にも届いた。


 その話の中に、孤高をやめ白い魔術師と行動を共にしているというものがある。


 しかし、彼女の話は伝わっても隣に居るエストについては知る者が少なかった。システィリアという光が強すぎたあまり、真に彼女を立てていたエストは、噂の脇役になっていたのだ。


 だがそれも、今日までの話。



「今日は特別講師としてシスティ……リアを。特別として、ユル・ウィンドバレーが参加する。2人とも皆の成長の指標になると思う。よく学ぶように」



 異常なまでに隠された魔力。

 昨日相対した時とはまるで別人のエストは、静かに佇むユルを一瞥した。


 ぞわりと鳥肌が立つ。

 ワイバーンに睨まれたゴブリンの如く、足が竦む。

 二ツ星になってから人に恐怖を感じたのは、初めてジオと会った時以来だった。


 瞳に映る己の姿がやけに小さく見え、吸い込まれるような感覚に目眩がする。

 だが、ジオと違う点がひとつあった。


 エストの瞳には、興味があった。

 

 子どものように純粋無垢な興味がユルを縛り、ある種ジオよりも格上の狂気を秘めている。



「始めよっか。よ〜い、どん!」



 ゆるい雰囲気で始まる授業だったが、次の瞬間、10体を超える土像アルデアの狼が現れ、生徒たちを追い込み始めた。


 準備運動なので足は遅いが、それでも捕まることへの恐怖を与えるには充分だ。

 即座に幾つかのグループに別れた生徒は、固まってグラウンドを周回する。



「これが……魔術師の授業なのか?」


「ほら、ユルも走るよ。3周までに捕まったらあの話をする」


「そんな話聞いていな────クソっ!」



 特別にユルの狼はウィンドウルフを模しており、その速度は本物より僅かに遅い程度だ。常人ならあっという間に捕まってしまうが、流石は風魔術師。


 自身の体重を軽くすると、追い風を吹かせながら走っていた。



「彼、速いわね。アタシじゃ追いつけない」


「得意分野だろうから、仕方ないよ。どうする? システィも走る?」


「そうね! エストが追いかけなさい」


「……すぐ捕まえる」



 軽くストレッチをしたシスティリアが生徒たちを追うように走ると、即座に追い越していく。

 あまりの速さに目を丸くする生徒だったが、そんな彼女を追うエストは更に速かった。


 まだシスティリアの速さには納得が出来ても、エストの全力疾走を初めて見た生徒たちは、驚愕を通り越して困惑していた。



「……あれが……魔術師?」



 今しがた2人に追い越されたミリカは、アレがエストの目指す魔術師の姿だと思うと、小さな恐怖の種が芽生える。


 皆が抱く魔術師像をいとも簡単に破壊し、初日の模擬戦で見せたのはあくまで戦闘に適した速度だったと知り、底知れない戦闘力に身震いする。



「あはははっ! 捕まえてみなさ〜いっ!」


「……速すぎ!」



「──それは私のセリフだ! なぜ追いつけるのだ!」



 先頭の生徒を追い越し、既に2周目も後半に入ったエストたちは、誰よりも早かったユルの後ろを走っていた。

 ユルとシスティリアの距離は縮まらないものの、エストは少しずつ速度を上げ、あと少しで手が届きそうなほど近くなると、3周目の半分を過ぎていた。


 このままでは逃げ切られると思い、エストは体を流れる魔力を早く巡らせると、筋肉の熱を感じ始めた。


 そしてもう周回が終わるという時──



「ッし! 捕まえた!」


「……捕まっちゃった」



 遂に彼女の背中に触れたエスト。

 それと同時に周回を終え、ユルを追いかけていた魔術が解かれると、システィリアの方からエストを抱きしめた。



「ご褒美のハグ。肉体勝負で勝ったの、久しぶりでしょ?」


「ギリギリで勝てないことが多かったからね。本当に久しぶりだよ」



 軽く息を整えながら2人のやり取りを見ていたユルは、あれだけ全力で走っても息を切らさない姿に、静かに顎を引いた。



「……なるほど、似合うワケだ」



 互いに持っていないモノを持ちながら、常に敬意と研鑽を忘れない生き様が見えた。相手を僻み、羨むのではなく、同じ高みに至ろうとする思考は究極の向上心を生み、それが2人を強くしたのだ。


 体を離した2人が拳をコツンとぶつけ、握手をするところにユルは間違った認識をしていたと気づく。



「お前たちは死線をくぐったな。それも、一度や二度じゃない。その信頼関係は並大抵のものではない」


「どうかしら? ちゃんと死にかけたのは二度くらいじゃない?」


「そうだね。信頼関係って言っても、ある意味お互いを信じていないし」


「……どういうことだ?」



 生徒たちが走っている姿を背に、エストは言う。



「この人なら何かあっても大丈夫だろう。っていう信頼は無い。誰かの窮地は己の窮地。すぐに助けられるよう気を張っているんだ」


「反対に、エストなら助けてくれる、とかも思っていないのよね。アタシが危なかったらエストも危ないことが多いし。だから、エストは“ある意味では信じてない”って言ったのよ」



 この不信こそが絶対的な信頼であり、戦いにおける『甘え』を作らないことに繋がる。

 2人はアリアに口酸っぱく教えられている。

 戦場で甘えは死だと。

 相手が魔物だろうと人間だろうと、獅子は兎を狩るのにも全力を尽くすように、例え敵が弱くても手は抜かない。


 見た目の割に老兵のような考えをしていると思ったユルの背後に、走り終わった生徒たちが並んでいく。



「星付きはパーティを組まないから知らないのよ。仲間が居る安心感が、どれだけ心に隙を作るのか」


「隙と余裕は似て非なるものだからね。だからこうして、適度に仲間と戦った方が危機感が生まれる。ちゃんと力量を把握しないと、思いがけない事故に繋がるから」



 朝の打ち合いは準備運動になるだけでなく、油断を生まないためのくさびでもある。ゆえに全力で戦い、時に四肢を落としてでもその身に恐怖を刻むのだ。


 もう二度と、大切な戦いで負けないために。


 たった一度の敗北が2人をここまで磨き上げた。

 魔族との戦いで、完全な勝利を収めたことはない。

 心や体、時に周囲の人を巻き込み、多大な代償を払ってその危機をくぐり抜けている。


 ユルは……そして生徒は悟る。


 彼らが真に安心できる時が無いのだと。

 一体何を経験すればそこまで怯え、若い体に鎖を縛り付けたのか。


 決して踏み入れてはいけない禁忌の側に立つ2人が、とても可哀想に映ったのだ。




「それじゃあ、特別授業を始めよう」

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