第186話 風の通り道
「──総括として、魔法文字は魔法陣自体を構成する要素であり、精霊の言葉だということ。僕が完全無詠唱を勧める理由も理解したと思う。わからなかったら何度でも教えるから聞きに来て。それじゃ、今日はもう終わり。みんなお疲れさま」
まだ終業の2時間前というのに、キリが良いところで授業を終わらせると、立ち見の生徒が増えていた教室が静まり返る。
国王が直々に派遣したことが知れ渡ったエストの授業は、宮廷魔術師ですら解明出来なかった知識が次々と出てきたのだ。
それら全てを……とまではいかなくても、大体を理解することが出来た生徒たちは、皆余韻に浸っていた。
容姿に惑わされることはもうない。
黒板に描かれた要点は、魔術師の知りたかった核心の部分が殆ど。
ただ紙に記すだけで、他のクラスと数段違う次元へと進んだ感覚を与えたのだ。
「あ、あの……先生っ」
満足そうな顔で教室を出て行く生徒が多い中、いつも隅の席に座っているルミスが教卓の前までやってきた。
午前の授業でたまに話すことがあったエストは、彼女の適性である光魔術について聞かれると予想する。
「その……先生って……えと、あの……」
「筆談にする?」
言いにくい話なら文字にするかと聞けば、ルミスは首を横に振った。
そして、覚悟を決めた表情で言う。
「先生は……好きな人とか……居ます、か?」
その瞬間、教室中の視線が集まった。
絶対に居ないと思っている男子たちだが、女子は居ないことを願う者が多いのだ。エストほど優秀な魔術師ならば、家に取り込もうとする考えを持ち、そういった方面でアプローチをかける場合もある。
誰もが聞き耳を立てる中、さもなんでもないことを言うように──
「婚約者は居るよ」
「「「ええええええええ!?!?!?」」」
「そんなに驚く? 確かに一般的に16歳以上から婚約の場合が多いらしいし、ちょっと早いとは思うけどさ」
驚愕に染まる教室だが、悔しそうな顔をする女子が散見された。質問したルミスは目をぱちぱちとさせており、小さく『そうですか……』と呟く。
「先生のお嫁さんってどんな人だよ!?」
「魔術一筋の先生を落とすって、とんでもねぇぞ!」
「どうすんだよ……これで『魔術が恋人です』とか言いやがったら……俺、手と足が出るかもしれねぇ……!」
男子たちが盛り上がりを見せるので、エストは仕方なくチョークに手を伸ばした。
そしてシスティリアに関することを書こうとしたが、自分だけが知っておきたい彼女の魅力まで書きそうだと判断し、元の位置に戻す。
すると、教卓の横に茶色の複合魔法陣を展開し、見た目は完璧にシスティリアを模倣した
「孤高のシスティリア……?」
「なんだ、やっぱり有名じゃん。そう、システィが僕のお嫁さんだよ。Aランクの冒険者でパーティメンバー。魔術師としても、君たちより遥かに強い」
再度驚愕の声が轟き、エストは表情を柔らかくする。
だが、自分たち生徒よりも魔術師としても強いという言葉に、疑う者も居た。
「俺たちより強いって、本気ですか?」
「うん。完全無詠唱もできるし、ある程度の改変もできるからね。剣で戦いながら魔術を使うから、ルールを定めない戦いだったら全員でかかってもシスティが勝つよ」
自信たっぷりに言うエストに、Aランク冒険者は伊達ではないと認識が広まる。実際には、彼女はAランクの中でも最上位の戦闘力を誇るため、一ツ星に届かない方に疑問を持つ方が正しい。
しかし、システィリアの強さを知ってもらえたエストは頷き、閃いた! と言わんばかりに手を打った。
「そうだ、明日はシスティを呼んで模擬戦にしよう。丸一日外で授業をするから、そのつもりで」
「そんなぁ……!」
「ヒドイ! このオーガ! 悪魔め!」
「勝てた人にはご褒美をあげる。明日まで自主練習をしたり、しっかり睡眠をとることだね」
質問をしたルミスに『これでいい?』と聞けば、縦に頷いて答えられた。
今日はもう解散し、かなり早い時間に屋敷に帰ってきたエストは、使用人にシスティリアがまだ帰っていないことを聞くと冒険者ギルドへ向かった。
久しぶりに入ったギルドだが、やはりどこも同じような空気をしている。
汗と酒と魔物の血の匂いが鼻を刺す。
意外と落ち着く匂いだと思いながら受付嬢に良い依頼が入ってないか聞くが、王都は依頼が取り合いになるようで、良さげなものは無いと言われた。
「……お土産でも買うか」
仕事が無いならと王都でも人気のある菓子店に訪れた。久しぶりに美味しいクッキーでも2人で食べようと思っていたところ、見たことのある焼印がされていた。
「これ、お姉ちゃんが貰ってくるクッキーだ」
幼い頃、おやつの時や頑張ったご褒美にと、アリアが出してくれたクッキーと同じ店の物だった。
値段はかなりの物だが、それに見合った美味しさと思い出がある。これならシスティリアも喜んでくれると思い、迷うことなく購入した。
店を出て魔力探知の範囲を広げたエストだが、近くにシスティリアの魔力が無いことを感じ取ると、更に広く魔力の手を伸ばす。
優秀な魔術師なら感知できそうなほどの魔力を費やしたところ、郊外の村にシスティリアが居ると知った。
きっとそこに家を建てたいのだろうと思い、転移しようとした瞬間、何者かがエストの肩を掴んだ。
「おい、お前…………何をした?」
振り返れば、そこには杖に使う魔水晶が嵌め込まれたレイピアを
するりと伸ばされた腕はしなやかで、磁気のように白い肌と整った顔立ちは高い気品を放つ。
どこかの貴族か何かだと思ったエストは、先ほどの魔力を感じ取ったのだと理解した。
「魔力探知」
「嘘をつくな。あの量の魔力で探知すれば、人間の脳は焼き切れる……動くな。一歩でも動けば殺す」
真実を伝えて離れようとすると、本気の殺気を放たれた。
彼なら本当に殺すと悟ったのだ。
エストの魔術で守れば死ぬことは無いだろうが、無闇に敵対するのは好ましくないので、ただその場に立ち尽くす。
しかし……クッキーの入っている袋を仕舞おうとした瞬間、神速の剣先がエストの首を襲った。
「ッ! 硬い──!?」
「あ、これもダメなんだ。クッキーぐらい許してよ」
「……何者だ?」
「魔術師だ」
「……話し方を真似するな」
「冗談も通じないなんて面白くないね。別に僕、敵じゃないよ? だけど……やられたらやり返す主義なんだよね、僕」
僅かな魔力の動きを感知した男がレイピアを抜こうとした瞬間、レイピアの鞘が凍りついており、ガクりと姿勢を崩した。
「はい、これでおし────おおっ」
おしまい。そう言って別れようとするが、完全無詠唱の
それを命中直前で破壊したエストは、歯を見せて笑う。
「いいね。君ほど上手い風魔術師は初めて会った」
「術式を……破壊したのか?」
「うん。さっきの
男の使った魔法陣の修正案を目の前で見せたエストは、いつになく瞳を輝かせていた。
それは真に優秀な魔術師を見つけた時の目であり、この人ならもっと強く、上手く、魔術を楽しめると思ったからである。
純粋な魔術への気持ちが伝わったのか、男は両手を上げて降参のポーズをとった。
「……改めて聞く。何者だ?」
「エスト。フリッカの依頼で魔術講師をしてる」
「私はユル・ウィンドバレー。二ツ星冒険者だ」
星付きの冒険者。それも、二ツ星の持ち主。
それがエストの前に立つユル・ウィンドバレーの職業であり、その風魔術と
星付きの冒険者としてはあまり有名ではないが、ダンジョンから溢れた大量の魔物を単独で殲滅したり、ワイバーンの渡りで襲われた街を救ったりと、その功績は大きい。
しかし、そんなことを知らないエストは、適当に返事をした。
「そっか。暇なら明日の朝、学園においで。僕の授業を受けていきなよ。最近は色んな人が来るから、多分バレない」
「……陛下からの依頼ではないのか?」
「人を招いちゃダメとか、こう教えろとか言われてないし。生徒が成長できたらそれでいい」
「この私を生徒扱いか」
「嫌ならいいよ。でも、僕の方が風魔術は上ってことになる。せっかく名前も教えてもらったから、今日のことを生徒に──」
話そうかな。そう言おうとした瞬間、ユルは凄まじい速度でエストの両肩を掴み、
「是非伺おう。いや、伺わせて頂く」
エストの提案に乗るのだった。
「それじゃあ、ちゃんと来てね。グラウンドで授業するから、遅刻したら生徒に話すよ」
「もし話せば……次は殺す」
「はいはい。それじゃあまたね」
そう言って目の前からエストの姿が消えると、ユルはハッとして辺りを見渡した。
近くにエストの気配はなく、それどころか感じたことの無い魔力の動きに気を取られてしまい、消えたことに気づくまで遅れてしまった。
「私は……化け物に喧嘩を売ったのか?」
たったの数分で、26年かけて磨いてきた魔術を凌駕された挙句、敗北を弱みに生徒になることを約束されてしまった。
もしエストが本当に敵対するつもりなら、胸に掲げた2つの星は呆気なく散るだろう。
久しく感じていなかった敗北の感覚。
冒険者として最高の高みに至った時には忘れていた、己の弱さを実感する。
まだまだ強者は居るのだと心を改めたユル・ウィンドバレー。
その美貌と圧倒的な力から注目を集める彼は、更なる向上心に火を灯す。
「やぁ、お嬢さん。今から帰るのかな?」
郊外の村から王都へと向かっていたシスティリアの背後に転移したエストは、するりと彼女の腰に手を回しながら囁いた。
「ッ──……って、エストじゃない!」
「早く仕事が終わったから、迎えに来た。新居はどう?」
「ふふっ、嬉しいことをしてくれるわね。新居のことだけど、400万リカで良いお家が買えそうなの。でも、家具も揃えるとなると結構な額になるわ」
「手持ちが800万だっけ……稼いでこようか?」
肩を寄せたシスティリアに聞くと、悩む素振りを見せた。講師の給料が入ってからでも……と言いたいところだが、魔石を売った方がより早く、多く稼げるのだ。
今朝も依頼をこなした彼女は、申し訳なさそうに言う。
「……休日に2人でダンジョンに行きましょ」
「2人で、ね。わかった。お弁当が要るね」
「もうっ! 遊びじゃないのよ?」
「でも楽しみでしょ?」
「う、うぅ…………そ、そう……だけどっ」
「2人で行ったことないもんね、ダンジョン」
「えへへ、初めてのダンジョンデート……」
「ダンジョン攻略は遊びじゃないよ」
「な、なによ! アンタが言い出したことでしょ!?」
夕陽に照らされながら街道を歩く2人。
腰に回されていた腕を自分の腕と組んだシスティリアは、幸せそうに明るい笑みを浮かべていた。
そんな彼女に見つめられ、エストの胸はトクンと跳ねる。何度見ても彼女の笑顔は可憐で、美しく、エストを魅了した。
少し照れくさいような、それでいて胸の内から幸福感が湧くのを感じていると、システィリアがニヤリと笑った。
「顔、紅いわよ?」
「そんなことない。夕陽のせい」
「ふ〜ん。普段からエストを隣で見てるアタシが言うのに信じられないんだ。悲しいわ……」
「あっ、えっ……だ、だって、システィが可愛いから……あぁもう! 僕の負けでいい!」
演技でも悲しそうな表情を見るのはつらいと、エストは敗北を宣言した。
「ふふん、アタシの勝ち! 勝者へのご褒美は〜?」
「……これです」
「あっ、クッキー! 本当にいいの?」
「システィが喜ぶと思って買ったんだ」
「……ん」
「照れたね。僕の勝ち」
小さなサプライズに弱いシスティリアが照れると、勝利を収めたエスト。
「帰ったら一緒に食べよう」
「ふふっ、そうね! なんだか夫婦みたい」
「夫婦だよ、僕たちは。ちょっと若いけど」
それからも、今日学園であったことや、あの村に着くまでに様々な人に仲介してもらった話をしながら歩く、2人である。
春の暖かな風が吹き、沈みゆく夕陽は最後まで彼らを照らしていた。
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