第185話 お屋敷生活
「それでさぁ、教室がパンパンで学園長も覗きに来るようになっちゃって……疲れた。もうシスティ無しじゃ生きられない」
「当たり前でしょ? エストの魔術は変態のソレだもの。それと、アタシだってエスト無しじゃ生きられないわよ」
講師として仕事を始めてから一週間が経ち、休みの日を迎えたエストは、朝からシスティリアの尻尾に顔を埋めていた。
人前で喋ることにまだ少し抵抗があるエストは疲れが溜まっており、日課のブラッシングを忘れて寝た日には、翌朝に涙を流したのだ。
彼女が見る珍しいエストの涙は、哀愁漂う表情からこぼれ落ち、ふわふわの尻尾へと吸い込まれた。
「……ふぅ。それじゃあ行こっか。新居に」
「ブロフはどうするのよ?」
「アクセサリーが飛ぶように売れたとかで、シェリスに掛け合ったら王都に工房を作れたんだよ」
「……鍛冶師を辞めて戦士になったと思ったら、細工師になってたのね……」
伝説の職人デウフリートの技を持つブロフの作るアクセサリーは、町娘のオシャレから始まり、貴族の高貴なる装飾を担うまでになり、遂に工房を構えるに至った。
システィリアがエストとのデートに付けていた髪留めやネックレスなど、ブロフがあげた物だったのだが、着用者を立てる魅力のある物だったとエストは認識している。
そのため、ブロフから工房の話を聞いた時には、エストがシェリスに掛け合ったのだ。
「王妃が気に入らなかったら失敗してたなぁ」
「アンタたちって、意外とアタシの知らないところで大きな事をしでかすわよね。後から知ったこっちの身にもなりなさいよ」
「大丈夫。失敗したらシスティにバレる前にもみ消すから」
「アタシにも相談しろって言ってんの!」
「だって……ブロフが『男の秘密だ』って言うから」
「……ホント、バカなんだから」
ほどよく悪さをする2人に呆れながらも、功績に感嘆するシスティリア。王都の一等地に工房を構えるなど、まさに伝説の職人の弟子でもなければ難しい話だ。
確かな腕を持つブロフと、王族を一切恐れないエストだからこそ成せた偉業である。
そんなエストと共に宿を出たシスティリアは、事前に伝えられていた貴族街の中へと進む。
手を繋いでいたエストが門番に顔を見せるだけで入れたので、自分も大丈夫なのかと聞いたところ、『その可愛い耳を見せたら一発』だと言う。
こういう時は獣人で良かったなと思いつつも、人族に嫌われがちな自分が入ってもいいものか、複雑な気持ちになる。
システィリアの僅かな憂いを感じか、エストは握る力を少し強めて顔を見た。
「僕が賢者として認められているのなら、僕のお嫁さんのシスティも同じだけ認められる。だって、賢者になれたのは僕だけの力じゃないから。君と出会って、一緒に旅をして、ブロフとも一緒に魔族と戦って……そうやって認められたんだから、胸を張っていいんだよ」
「エスト……」
「それに、こんなに強くて可愛いシスティが僕と一緒じゃないなんて、そっちの方がおかしい。だから大丈夫。ずっと僕の隣に居てほしい」
エストの活躍に隠れているが、システィリアの功績も同等に大きい。
一体なにを気にして足を止めようとしたのか。
堂々と歩けるだけのことをしたじゃないか。
一緒に歩こう。隣に居てほしい。
これ以上に、システィリアの心を支える言葉は他に無い。他でもないエストに言われたのだから、尚更だ。
「そうね! アタシだって頑張ったもの!」
尻尾を振りながらエストの手を強く握り、歩き出すシスティリア。踏み出す一歩は力強く、確かな自信が感じ取れた。
やはりシスティリアはこうでないと。明るく前を向き、元気な姿が一番似合っていると再確認したエストは、王族より譲り受けた屋敷へと案内する。
貴族街の中でも目立つ、しっかりとした門と庭が目立つ屋敷に着くと、その大きさに顔を上げる2人。
「……立派な屋敷だ」
「ええ……大家族になれということね」
これ以上余計なことを言えば襲われかねないと、口を閉じたエストが一歩前に出た瞬間、玄関の扉が開く。
貫禄のある執事が2人と、城に数年勤めていた3人の侍女が出てくると、エストたちの前で綺麗に整列する。
そして、5人は同じ角度で礼をした。
「お初にお目にかかります、エスト様、システィリア様。お2人に仕える執事のフェイドとカル、侍女のシアとフィーネ、リエラでございます」
「……あ〜、うん。ちょっと待ってね」
一気に紹介されては誰も覚えられないので、エストはそれぞれの前に立つと、土板と
これなら会った時に分かると言えば、5人は揃って礼をする。
「大変なお心遣い、ありがとう存じます」
代表してフェイドが謝辞を述べると、エストはシスティリアにだけ聞こえる声量で言った。
「慣れない感覚だ」
「むず痒いのは仕方ないわ。だってアタシたち、偉くないもの」
「全くだよ。横柄にならないよう気をつけないと」
使用人の居る環境に慣れても、態度までは変えないようにと己を律しながら過ごすことを誓った。
胸を張って2人が前に出ると、使用人を代表してフェイドが屋敷の案内を申し出た。自分で見て回るのも楽しいが、せっかくだからと案内を受けることに。
エストはこれまで、普通の家というものに入ったことが無い。べルメッカの復興作業で間取りを知ることはあっても、内装までは知らなかった。
しかし、そんなエストでも分かるほど、屋敷の家具は高級感に溢れ、平民には手が届かない代物だった。
応接室や食堂など、学園の校舎のようにたくさんある部屋を見ているうちに2人の顔は疲れが浮かぶ。
「なんだか家っぽくないよね。落ち着かない」
「そうねぇ……お屋敷だもの」
一通りの見学が終わり、寝室に戻ってきた。
ここも寝室というには広く、備え付けのベッドは2人で寝ても有り余る大きさだ。バルコニーで夜風に当たることもできる設計は、屋敷を建てた当時の公爵によるものだった。
茜色に染まるに空へ向かって顔を上げる。
いつになく淀みのない色は、美しさとは裏腹に違和感を与えた。
「失礼します。お食事の用意ができました」
「……今行くよ」
まるで貴族にでもなったかのような気分で食堂に向かうと、綺麗に並べられた料理たちが待っていた。
見た目だけでも熟練の腕が光る料理たちだが、エストはどこか不満そうに席に座った。
長いテーブルをシスティリアと挟み、無駄に広い空間に灯された魔石灯が食堂を照らす。屋敷に入る前の高揚感はどこへ行ったのか、今のエストには退屈な世界が映った。
これは、2人が求めていた生活ではない。
いただきますと言ってから食べ始めたものの、いつものように美味しそうに食べるエストの姿は無く、陰鬱な表情で料理を口に運んでいた。
「……口に合わないの?」
こんなエストは今までに見たことがない。
心配になったシスティリアが聞くと、無理やり作った笑顔で答えた。
「……ううん。この屋敷に住む限り、システィの料理が食べられないのかなって思ったら……つらくて」
「…………仕方ないわ。彼らも仕事だもの」
料理は使用人がする仕事だと言われ、彼女は厨房に入ることすら出来なかったのだ。
それを聞いたエストは気分が落ち込み、実際に作られた料理を前にして、システィリアの手料理が恋しくなる。
言えば自分好みの味付けになるだろうが、それでは何かが違う。
決して言葉や行動だけで変えられるものではない、形の無い何かが足りない。
それがエストを想うシスティリアの愛情だということは、一口食べて分かったことだ。使用人の料理との決定的な違い。
天を貫くほどのパートナーへの愛情が無いのだ。
たった一日過ごしただけで、エストは我慢の限界が来てしまう。
「君の手料理が食べられないなら、こんな屋敷は要らない。郊外に小さな家を建てて、2人だけで暮らした方がいい……その方が幸せだよ」
「エスト……でも、それじゃああの5人は……」
「フリッカに返す。僕らに必要なのは使用人でも、豪華な屋敷でもない。2人だけで過ごせる場所だ。身の丈に合ってないんだよ、この屋敷での生活は」
この一週間、魔術講師としての仕事も始まり、疲れが抜けきらない生活をしているエストに屋敷での生活は耐えられない。
王都の郊外に小さな家を建て、少し不便な環境であっても、誰にも邪魔されず静かな生活を送りたいのだ。
「これはわがまま……かな」
「……そうね、と言いたいところだけど、屋敷を提示したのも使用人を付けたのも、全部国王が決めたことよね? 大きく得になるのは魔道書くらいかしら?」
「うん。あとはコネクションだけど、屋敷周りはフリッカが用意したものだ」
「じゃあいいでしょ。建てましょう? アタシたちだけの家。お金もあることだし」
もっと強く反対されると思っていただけに、エストは全力で空振りした表情になった。
意外にも思い切った意見に賛同したシスティリアは、可愛らしく首を傾げながら『だって未来のためだもの』と付け足した。
「アタシが色々調べておくから、少しの間我慢しましょ。最近のエストは頑張っているし、アタシにも頑張らせなさい」
「……はぁ。好き」
「もうっ…………疲れてるとすぐにそう言うんだから」
「疲れてなくても言うよ。好きなんだ」
なんだかんだ短期間なら耐えられると予想し、システィリアは2人用の新居のために計画を練るのだった。
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