第184話 経験の差
「ほら、走って。持久力は戦闘で一番大事な力だ。2時間でも3時間でも走り続けられないと、魔物に食べられるよ」
ヘトヘトになった生徒を追い込みながら喝を入れるエスト。
授業として生徒を鍛える以外にも、運動不足になりがちな講師も一緒に走ることで、朝の打ち合い以上に体を鍛えられる。
講師という立場を最大限に活かして己を鍛え、昼休みが始まる鐘が鳴れば、追い込みを終えた。
「死屍累々だね。お疲れのところ悪いけど、集まってくれる?」
体力が切れてゾンビのように動く生徒が一箇所に集まると、エストは杖も出さずに黄金の多重魔法陣を展開した。
彼らは優秀だ。色を見てその属性を悟る。
術式は読めなくても、複雑に魔法文字が書かれたいくつもの円から、それが上級魔術であることが分かった。
高位の治癒士しか使えないとされる
「ご飯はたくさん食べるように。今のは基礎を
「……食えねぇよぉ」
「ダメ。食べるんだ。じゃないとその体で餓死するよ」
光魔術で体を癒した後、しっかりとした食事を取らなければ見た目だけ健康体のまま餓死することがある。
これは年齢を問わず起こることだと、光魔術を記すどんな魔道書にも書いてある。ゆえに、反動を無くして魔力だけで癒す魔術は難しい。
一時的に体力が回復し、食堂へ向かう生徒を見送ったエスト。
午後は何を教えようかと考えながら自身も食堂へ向かえば、帝国の魔術学園を彷彿とさせる立派な大食堂があった。
生徒に紛れて目を輝かせながら料理を頼むと、『講師は有料です』と言われ、食事にしてはあまりにも割高な5000リカを払うことに。
周囲の生徒はエストが講師であることに驚き、エストは有料という事実に驚いた。
「でも、一律5000リカで大盛りし放題なら得だね」
一体どこにそんなに入るのかと言わんばかりの料理を盛ってもらい、空いている席を探していると……ある集団が目に付いた。
見覚えのある赤茶色の髪の男子と、昨日も話した気がする金髪の女子生徒が居たのだ。
その周囲には取り巻きと思しき生徒がキラキラした目で見つめており、エストはその集団に突っ込んでいく。
2人で静かに食べていたテーブルにドカッとエストが座った瞬間、2人は驚いた表情を見せた。
「エスト先生!? どうしてここに? もしかして入学されたんですか!?」
慌てて立ち上がったリングルが頭を下げた。
辺境伯の子息が頭を下げるとは何事だと取り巻きの生徒が驚愕し、エストに注目が集まる。
「一応僕、帝国の学園は卒業してるよ? 学園で学ぶことなんてない。フリッカに依頼されて講師になったんだ」
「は、はは……陛下すら呼び捨てですか」
「生徒を使えるぐらい強くしてくれって頼まれてね。で、シェリスはなんで居るの? 暇?」
「
自然にリングルとシェリスの間に入ったエストは、どの生徒よりも山盛りになった料理を食べながら、2人に学園生活について聞いていた。
他にも、意外とルージュレット第2皇女を姉のように慕っていたり、リングルが父親を完全に黙らせることに成功した話を聞いた。
「先生、学園ではどのような授業を?」
「体力作りだよ。あとは初級魔術かな」
「貴方のことです、上級を〜と思ってました」
「あの練度で上級は時間がかかるし面倒くさい。中級も躓く人が多くて面倒くさそうだから、初級が一番だよ」
「…………全部面倒くさいのですね」
「ベッドの上でダラダラしながら魔道書が読みたい」
お金なら魔石を売れば稼げる。だというのに、わざわざ講師にまでさせられ、最優秀と言われながらも体力が皆無なクラスで魔術を教えるのだ。
「宮廷魔術師って、目指して面白いのかなぁ」
何気なく呟いたエストにリングルが答えた。
「宮廷魔術師を目指す者に、ロクな人は居ません」
しん…………と食堂が静まり返る。
場の空気が凍ったとはまさにこのこと。
研究のために宮廷魔術師団入りを目指すリングルが言ったことも相まって、3人の周りは酷く静かな空間へと変貌した。
「……ああ、そういうことか」
「はい。宮廷魔術師団で何をしたいか。それが明確ではない人は、ロクでもなければ入団すら出来ません。余程の才覚があれば話は変わりますが」
崇高なる魔術を極めた国直属の団体。なんて認識を抱かれやすい宮廷魔術師団だが、そこを目標に頑張る者は決して入団は叶わない。
魔術の道──魔道に終わりが無いように、勝手にゴールを決めてはそれまでだ。
魔道を歩む者こそ宮廷魔術師に相応しい。
即ち、その箔を求めて行くものは分不相応である。
生半可な気持ちでは門前払いを受けると言えば、エストは面白そうに頷いていた。
「その辺は聞いた方が良さそう。ありがとう、リングル」
「いえ、お役に立てたなら何よりです」
「また色々聞くと思う。何かあったらシェリスに言って」
「……私、ですか?」
「依頼としてなら、僕も引き受けるから」
まだAランクへの道は諦めていない。
王族からの指名依頼として受理されれば、一気に信用度が上がると踏んでのことだ。
意外とずる賢いことを考えると思ったシェリスだが、皿を返却しに行くエストを見て分かった。
これは脅しだと。
学園内で揉め事に巻き込まれたり、厄介な問題が起きた際には国王すらも引き合いに出すという文句だった。
「……仲良くしたいものですね」
「お2人は仲が良いと存じてましたが……?」
「いえ……なんでもありません」
嵐のように去って行ったエストは、軽い足取りで食堂を出る。終始視線を集める白いローブはとても目立ち、2人の周囲以外でも噂が立つ。
そんな状況を気にとめず、教室に戻ってきたエスト。
まだ昼休みが終わっていないのに自主勉強を始めている生徒が見えた。教室の隅で魔道書とノートで視線を行き来させる姿は、教卓から遠くてもハッキリ見えたのだ。
せっかくなので、エストはチョークを取って黒板に魔法陣を描いていく。
コツコツと小気味よい音が教室に響く。
授業が始まるまで雑談していた数人の男子にも届いたのか、視線が集まるのを感じながら描いていると、話し声が聞こえた。
「あの人……何も見ずに描いてないか?」
「ホントだ。お前、同じこと出来る?」
「無理無理。なんなら見ても描けねぇよ」
これまで彼らを担任していた講師も、魔法陣を描く時は魔道書とにらめっこをしながら描いていたのだ。
構成要素の数だけ複雑になる魔法陣を何も見ずに描くというのは、ただ魔法陣が記憶にあるのではなく、その意味を理解している証拠である。
隅の方で勉強をしていた女生徒──ルミスもまた、エストの描く魔法陣を見た。
「こんな感じかな。まだ授業は始まってないけど質問するね。この魔法陣が読み解ける人、手を挙げて」
構成要素は12個。
白いチョークのため属性は不明。
それぞれ構成要素の円の中には、5つの魔法文字が刻まれている。
花のように散らばった円が規則的に並ぶ魔法陣を前に、手を挙げた者は誰も居なかった。
「そっか。じゃあこの魔法陣をメモしておけば、いずれ中級までの術式は大体読めるようになる。本気で魔術を楽しみたいなら、必須の技術だよ」
そう言って皆が見やすいように黒板の前から離れると、奥の席で必死に模写をする生徒を見たエストは、少し大きな声で言う。
「もっと近くに来なよ。まだ人は少ないんだ。後ろの方は見にくいでしょ。言ってくれたら椅子と机を出すから、遠慮せずにおいで」
おいで。
その言葉は、席が遠い者を呼び寄せるだけでなく、魔術の深淵に引き摺り込む誘惑の一言である。
目の悪い生徒が眉に力を入れて写しているのを見て、教壇の近くに
よく見ているのだ。この教室を。
円が上手く描けない生徒には輪っかの土板を配り、同じように見えて違う魔法文字はそれぞれの特徴と言葉の意味を教えた。
昼休みが終わるにつれて生徒が帰ってくると、ミリカは非常に困惑していた。
「これは……どういう状況ですか?」
普段は勉強が少し苦手、だけど実技は得意というクラスメイトが、必死になって魔法陣を模写しているのだ。
ようやく午後の授業が始まる鐘が鳴ると、エストは『よし』と言って解説を始める。
「最初に言っておく。この魔法陣自体に意味は無い」
この通りに魔術を発動させても、無駄に魔力を使うだけだと言うと困惑の波が広がっていく。
「だって、魔法文字を最初から最後まで書いただけだからね。魔法文字は全てで60。ひとつの円に5文字を12個で60。人族語でいう“あ行”とか“か行”みたいに分けたんだ」
本来はひとつの構成要素に数十個の魔法文字が刻まれるのだが、これは分かりやすくするため5つしか刻まれていない。
本物の魔法陣ならもっと小さく見えてしまうので、行で分けて描いたのだ。
理論だけでは成り立たない魔術という技。
しかし、イメージという大雑把かつ個性的な部分を取り除けば、そこは努力で埋められる理論がある。
才能という言葉に縛られないためには、この理論をしっかりと認識しなければならない。
「魔法文字は面白くてね。文字単体で意味を持つこともあれば、組み合わせてひとつの意味になることもある。それで、これはまだ魔道書にもなってないんだけど……単体で意味を持つ魔法文字は全部見つけたから、ここに書いていくね。しっかり覚えて役に立ててほしい」
魔道書になっていない。それ即ち、完全に新しい理論でありながら、公表されていない知識ということ。
これを世に出せば魔術の歴史を変えてしまうと思い、悪用されないために言わなかったものである。それほどまでに、魔法文字の解読というのは歴史的な発見なのだ。
それを授業の一環として教えてしまうのだから、エストが他と違うことが伝わっていく。
「ビックリするよね。魔法文字ってまだ解読されてなかったんだよ? 精霊の言葉を真似するくせに、何を言ってるのかわかってなかったんだ」
魔法陣を乗っ取るのに必要な技術として、魔法文字の理解がある。
魔法文字の習得は一朝一夕で不可能だ。1000年あっても研究中だったこの文字は、そう簡単に解読されたりさない。
しかしエストは……感覚で解いてしまった。
好きな魔術を使って遊んでいるうちに、魔法文字の種類を全て見つけ、それからは文字の意味を調べるようになった。
そうして色々な魔道書を読み、解読し、分解して遊んでいると、体系化されている魔術は魔法陣を見た瞬間に分かるまでに至ったのだ。
自然魔術を精霊でも信じられない速度で習得したのも、この技術があったからである。
「それじゃあまずは、初級魔術の解読といこう。知りたいでしょ? 隣に居る人がどんな魔術を使っていたのか。ちゃんと理解できたら、次は属性について話すよ」
相手の魔術への理解は、魔術師が抱く長年の疑問でありながら『分からないもの』とされることも多かった。
単純な疑問ながらも知る方法を教えるエストは、教室に居る全ての生徒の心を掴んだ。
もう同い歳だからという言葉は通用しない。
歳が限りなく近いだけの講師であり、経験の差が天と地ほどあることを理解させられたのだ。
この授業を境に、エストの魔術師としての噂は広まっていく。
翌日には、噂を聞きつけた生徒や手の空いている講師までもが授業を受けるほどに。
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