第8章 明るい未来
第183話 新米魔術講師
「ふぅ……なんだか美味しくなったわね」
それは、エストが初めて学園の講師として働く朝のことだった。新婚夫婦のように“行ってらっしゃいのキス”をしたシスティリアが、そんなことを言い出した。
「氷龍の魔力のせいかな?」
「ん〜……そうかも? キ、キスだけで舌が肥えそうな感覚がして、不思議だわ」
「そんなことを言われる僕も不思議な感覚だ」
炎龍の時よりも格段に早く魔力に適応したエストは、完全に3つの魔力を扱えるようになっていた。それもジオに仕込まれた魔力操作の賜物だが、純粋に普段から魔術の鍛錬をしていた成果が大きい。
屋敷へと引越しに胸を弾ませ、愛するシスティリアを強く抱き締めたエストは『行ってきます』と言う。
「行ってらっしゃい。アタシも夕方には帰るわ」
そう言って仕事の準備を始めるシスティリアは、宿のロビーまで見送った。
改めて歩く王都の街並みは、帝都と似たようなものだった。温かい人の声と爽やかな風が吹き、自然とフードを脱いで歩いてしまう。
杖を握らずにシスティリアの手を握りたいと思いながら、せめてもの抵抗として杖を亜空間に入れた。
まだ春の陽気は感じないなと思いつつ歩けば、ここ、王立魔術学園の門の前に立っていた。
既にたくさんの生徒が同じ制服を着て門をくぐり、友人の話や魔術の話が聞こえてくる。あの日、帝国で感じた空気よりも一段と澄んでいる。
それは
ひとり真っ白なローブを羽織るエストは非常に目立ったが、堂々と門を抜けたことから学園関係者であることは疑われなかった。
正門からどっしりと構える大きな校舎に、裏手にある広大なグラウンドやスタジアムなど、軽く見て回っただけで時間を食ってしまった。
「始業は9時からか。あと5分で戻らないと」
懐中時計をポケットに仕舞い、校舎に戻ったエストは教室を探す。
担当することになった4年生の最優秀クラスは、一限目から実技の授業が組み込まれている。広い校舎を歩き回り、やっとの思いで教室に着いた頃には、既に始業の鐘は鳴っていた。
何食わぬ顔で教室に入ったエストは、30人の注目を浴びながら教壇に立つ。
「僕はエスト。実技を主に任された。よろしく」
遅刻したことを悪びれもせず、無表情に挨拶をしたエストに教室中からヒソヒソと声が聞こえる。
言いたいことはハッキリ言ってほしいエストに、茶色い髪を伸ばしたお嬢様然とした生徒が立ち上がる。
「貴方、本当にこの学園の講師ですか? 見たところ、歳がさほど変わらないように感じますが……」
「昨日試験を受けさせられたよ。君何歳?」
「じゅ、14ですが?」
「同じだ。僕も14歳だよ」
一斉に困惑の声が上がると、遂に学園がおかしくなってしまったのかと嘆く生徒が現れた。
まさかの同い歳の講師という存在に、先程の生徒は呆れて声も出ず席に座ってしまった。
それじゃあ授業を始めようかと言うエストに、非難が殺到する。
「クラスメイトじゃないんだしさ……」
「もっとまともな先生が良かったな」
「4年で外すとか最悪だわ」
「これが学園の言う切磋琢磨か。くだらない」
いよいよ収集がつかなくなりそうなほどざわめきが大きくなると、エストは一瞬だけ魔力を放出した。
それは、魔物に対する威圧。
熟練の魔術師ならオークも逃げ出す圧を与える、極めて原始的な威圧方法だが、エストの魔力はその質が違う。
2種のドラゴンと同じ魔力を持った威圧は、教室のみならず、学園中の人間を震え上がらせる。
恐らくワイバーンですら尻尾を巻いて逃げる圧力に、実戦経験の少ない生徒は何人か気絶していた。
「ちょっと加減を間違えたけど……とりあえず、これで静かになったね」
ようやく授業を始められると安堵したエストは、前任の講師が残した魔道書を開いた。すると、そこには正に『おままごと』と言えるような内容しか記されておらず、静かに閉じてしまう。
「外に出ようか。今日は君たちに、魔術師との戦い方を教えてあげるよ。グラウンドに集合ね」
パンッ、と手を叩くと、緊張の糸が切れたように皆がへたり込む。気絶していた生徒は起こされ、続々とグラウンドに移動していく。
事前に渡された資料から生徒が集まったことを確認したエストは、実技用の杖が入った籠を持ってきた。
「この中で、戦闘に自信のある者は?」
何人かの手が挙がるが、特に自信満々に手を挙げたのは先程食ってかかったお嬢様然とした生徒だった。
「宮廷魔術師志望で腕に自信があります。同じ歳で講師になるという貴方の実力、是非見せてくださいな」
「それじゃあ模擬戦をしよう」
「ミリカが相手とか……アイツ終わったな」
「善戦は出来るんじゃねぇの?」
進んで杖を握ったこのミリカという少女は、宮廷魔術師を目指す実力があるほどに他の生徒からも認められている。
対するエストも実技用の杖を取り出すが、あまりの違和感に首を傾げた。
「全然魔力が通らないね、これ。壊れてる?」
「……貴方、杖の使い方も知らないので?」
まるで魔術師に見えないエストの情けない姿に、嘲笑の渦が大きくなる。本人は『まぁいっか』と言って、模擬戦のルールを提示した。
「最初に一撃入れた方が勝ちね」
「ええ、構いません。開始の合図は?」
「君が魔術を使ってからでいいよ」
「…………本気で言っているので?」
「実戦なら既に死んでるんだから同じでしょ」
嘲笑うようなエストの態度に腹を立てたミリカは、杖を固く握りしめて杖先に単魔法陣を出した。
属性は髪色と同じ土。発動速度は普通。
構成要素もしっかりと練られているが、これでは──
「遅い」
彼女が
一瞬にしてミリカが吹き飛ばされ、半分からへし折れた杖を手にしたエストが、振り抜いた姿勢を戻す。
「魔術師と戦う時は近接戦も考慮すること。相手は魔術師である前に人間だ。近づかれる前に攻撃できないのなら、距離を保ちながら戦う。これ、基本ね」
唖然とする生徒たちを横目に、エストはミリカを回収する。
「次。相手が近接戦が苦手な魔術師だった場合の想定ね。ミリカ、構えて」
「……は、はい」
またもや皆の前に出されたミリカが魔術を発動させた。その瞬間、魔法陣は瞬時に弾け飛び、彼女の前にはエストの拳があった。
幸いにも振り抜かれることはなく、コツンと額に優しくぶつけられた。
「前提として、魔法陣を見せないこと。僕みたいな魔術師は、相手の魔法陣を破壊したり、乗っ取ることができる。例え相手がそうじゃなくても、魔法陣から属性や使う魔術が分かる以上、これは大振りな剣の一撃と変わらない」
前提条件として出されたのは、完全無詠唱だった。
そんなこと出来るわけないと言う生徒や、エストの身体能力に恐れる生徒が出てくる中、
「次」
とミリカが指名される。
今度は
1分も走った頃には体力が切れ、狼の肉球で背中を押された。
「体力が無い。魔術師は精神を使って魔術を使うんだから、息が切れても魔術が使えないとダメだ。それ以上に、息が切れない体力を作らないと論外。走れない魔術師なんて、魔物の餌と一緒だよ」
適切な知識、大量の体力、対応する筋力。
魔術師というのは役職上、最も激しく体力を消耗する。相手の攻撃を避け、一瞬の隙に魔術を放ち、近くの魔物を蹴散らす。
ただ後方で突っ立ってる魔術師など、実戦の場に出れば真っ先に殺されるのだ。
「あとは授業が終わるまでトレーニング。明日からトレーニングの後に実戦に使える魔術を教える。頑張るように」
知識の前にまず体力。エストがそうして育ったように、動ける魔術師を作っていく。国王から頼まれた『有事に動ける魔術師』は、剣士並の体力を持っていないと話にならない……と、エストは考えたのだ。
最低限、戦線の離脱と復帰、単独での長期戦も想定して動くとなれば、体力作りから始めるしかない。
「前提としてさっきの狼から10分は逃げ切ること。その上で完全無詠唱かつブラフを使えること。それが出来ないなら、魔術師ではなく魔術の研究者になることをすすめる」
国王から依頼を受けている以上、生半可な教育をすれば家や資金を取り上げられかねない。受けた仕事はしっかりやり切る。
ガリオから仕込まれた冒険者としての心構えは、講師の仕事でも遺憾無く発揮していた。
しかし、生徒の表情は皆暗い。
同い歳のただの魔術師かと思っていた講師が、近接戦闘も堪能な魔術師だったのだ。
「……アンタは出来るのかよ」
そんな声が上がった瞬間、エストは頷く。
「当たり前じゃん。教える側ができないでどうするのさ」
異常。そんな言葉がピッタリだった。
魔術師として、冒険者として、全てが異常。
エストの言うことが理解できないうちは二流以下の魔術師である。体力の管理が基礎的なものでも、鍛えるようなことはしないのだから。
この日より、王立魔術学園にその名が轟く。
──魔術を学ぶ学校なのに、体力作りをさせる講師が居る──と。
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