第182話 人の賢者、龍の賢者
「おい……お前、俺とエストで対応が違いすぎるだろうが」
氷獄の洞窟にて、ドラゴンの姿に戻った氷龍は眠そうに丸まっていた。ここまで転移させたジオが、今までと話し方や雰囲気まで違うことに怪訝な表情を浮かべると、氷龍は小さく冷気を吐く。
『黙れ、人間』
「そういうところだ。俺の何が気に食わない?」
『弱い。所詮歳だけ食った生物。今のエルフと何が違う?』
「俺は一応、魔族を殺しまくったが……」
『そんなもの、キミが生まれる前からあったことだ。魔物に食われ、競争に負け、自然に勝てない。魔族も生死の輪を回している。それで世界を統べたつもりか? 人間の魔術師』
エストと話した陽気な印象は一切なく、冷たく、鋭く。ドラゴンの猛々しい威圧感を放ちながら、洞窟内を凍てつかせる。
真理を突いた氷龍の言葉に、ジオは黙り込む。
「……じゃあ、エストは何が違う?」
『盟友は、器を……器を握っている』
「うつわ?」
『盟友に顎を貫かれた時、ボクは初めて死を悟った』
修行中のエストが好奇心に任せて山を散策し、氷龍と遭遇した時のこと。
普段の山には無い魔力を感じた氷龍が、珍しくその体で出迎えに行けば、そこに世界の器を握る者が居た。
『嗚呼……実に甘美な魔力だった。刺激的で、甘く蕩け、懐かしくも失われない個性があり、今までに味わったどんな魔力よりも美しく……美味だった。世に存在する全ての魔力を濃縮し、雑味を消し、誰もが悦に入るまろやかな……それでいて清涼感のある魔力だ。幾星霜を生きる龍の身に生を受け、初めての快感だ。あれは……人間で居るには惜しい。ボクと同じく、万年を謳歌する氷のように居なければ……』
肉体が氷の鱗を纏うドラゴンであるにも関わらず、ジオの目には恍惚としてエストの味を思い出す氷龍の表情が窺えた。
不動の氷龍を夢中にさせるエストの潜在能力よりも先に、氷龍がエストを手に入れようとしていることに違和感を覚える。
『だが盟友は既に伴侶が居る。人間の生命周期は早い。キミとは違う。盟友は老い、死に、自然へ還る。だからこそ世界の器たる魔力を握り、人としての生を全うする』
「だから何だ? 何が言いたい?」
刹那、パキパキと音を立ててジオの両脚が凍りつく。感覚が消失し、脚の細胞全てが殺されたと感覚で分かった。
『ボクはただ、盟友を見守りたい。だがキミに加担するのは魔族を噛むようなものだ。よって……不変のキミに脅しをかけよう』
凍った両脚が砕け散る。
ジオは光魔術で治療しようとするが、脚に魔力が触れた瞬間、凍って再生しないのだ。
這いつくばって氷龍を睨むジオ。
胸と腹から感じる冷たさは、絶対強者に睨まれているせいで感覚すら伝わらない。
『500年は動けなくした。これ以上盟友を利用しようというなら、次は腕だ。……ハハッ、盟友の真似をしてみたが、随分効果的だ。そう怯えるな。魔族はボクと盟友たちで滅ぼす。その時に溶かしてやるさ』
「……チッ。だから関わりたくなかったんだ」
『それでは、ボクはじっくりと盟友の味を楽しむよ。ただの魔術師は白狼の元に帰れ』
「…………最悪だ」
エストに教わった
金輪際氷龍と関わりたくないと思っても、エストを通じて確実に縁が残る以上、氷龍の言う“脅し”に綺麗にハマってしまう。
これ以上エストに賢者の役目を背負わせない。
それが氷龍の望む未来であり、最後の賢者として魔族を消しにかかっていた。
つまり、ジオの体が戻った時。
即ち賢者という存在が必要なくなった時、不幸にもジオは“ただの魔術師”になってしまう。
精霊の悪戯で不老へと変えられた身も、全てが終われば戻してもらえる……かもしれない。
「はぁ……バレてたんだな。結局」
過去に願った未来。“普通に死ぬ”という曖昧な目的は、たったひとりの魔術師に託された。
不思議と肩の荷が降りた感覚がジオの表情を緩め、シュンの待つ家には笑みを浮かべながらドアを開く、ジオであった。
一方、王都ではエストが講師になるための試験が実施されていた。
「ねぇ、
「……一応、講師になる以上必須の試験なので」
「まぁいいよ。お金もいっぱい貰えるし、システィと長く暮らせる家も貰えるからさ」
王立魔術学園の学園長立ち会いのもと、基礎的な試験を受けたエストだったが、当然のように全てを満点で終わらせていく。
平凡な魔術師なら理解不能。宮廷魔術師ですら解読に時間がかかるような魔法陣も、普段から遊び感覚で解いていたエストには全く歯が立たなかった。
これにはシェリスだけでなく学園長も呆れてしまい、問答無用の合格判定を受けたのだ。
「卒業試験より簡単だった」
少し自慢げに鼻を鳴らしたエストは、明日から始まる新学期に備えて、宿に帰ることにした。教材は前任の物があるということで、特に準備が必要ない。
その上、エストが教えるのは実技が主である。
講師に求められるのは、知識と経験の両方であることから、学園長は実技講師に任命したのだ。
国王から貰った屋敷に住めるのは一週間後ということになり、軽い足取りで帰るエストに2人は溜め息を吐いた。
「歳ですなぁ。若者の技術には負けないと思っていましたが……完敗です」
「元宮廷魔術師団長にそう言わせるとは、本当に彼は高みに居るのですね」
「はっはっは。懐かしい響きですな……はっきり申し上げて、彼の魔法陣は完璧です。我々が目指した“答え”を、彼は知っている」
「……答え」
「生徒の躍進が楽しみですよ。無論、シェリス様の成長も。存分に彼に教わりなさい」
そう言って背を向ける学園長に、シェリスは固く手を握った。後ろで控えていた執事もそのことに気がつくと、そっと『シェリス様なら出来ます』と声をかける。
エストに様々な魔術を教わり、練習をする上で、彼女は気づいてしまったのだ。
魔術の楽しさに。
なぜ魔術師が生涯をかけてまで研究に時間を費やすのか、理解が出来なかったシェリスはもう居ない。王女という立場に居ながら、希少な光魔術師の道を歩もうとしている彼女の瞳には、小さな炎が灯っていた。
ひとりの魔術師の誕生を、学園長は察した。
賢者と呼ばれた男が何を教え、何を使うのか。
かつて王国最強の座を手にした学園長は、目を伏せて未来を案じた。
願わくば、明るい未来を照らすようにと。
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