第181話 氷鎧の騎士


「流石に早く来すぎたね。少し待とうか」



 朝日がぐずる仄暗い王都。

 勤勉な住民ですらまだベッドで眠る時間に、一行は待ち合わせ場所の広場で立っていた。

 ベンチに腰をかけたエストに、ぽふっとシスティリアが膝の上に頭を置くと、水色の髪に手が伸びる。


 平和だ。


 そう感じずには居られないほど、穏やかな冬の終わりに白い息を吐く。


 そして、彼女の耳に手を伸ばした瞬間──



「っ……まずいな」



 王城前に強烈な魔力を感知した。

 ドラゴンにも匹敵する、或いはそれ以上に濃い魔力にシスティリアが咳き込み、感知は苦手なブロフでさえ、その両腕に鳥肌が立っていた。


 目配せをしてからエストが走り出す。

 すると、門の前には氷の鎧を纏った騎士のような魔物が、半透明な剣を地面に刺して待機する。


 まるでエストを待っていたかのように、彼の姿を視界に入れた途端、顔の見えない鎧を上げた。



「エスト……これって」


「僕の氷にそっくりだね。でも強度は僕以上だよ」


「……戦うの?」


「相手がその気みたいだから」



 刺していた剣を片手で握り、胸の前で立てた騎士は、今から行くぞと言わんばかりの態度を見せてから、エストに向けて走り出す。


 ブロフやシスティリアが前に出ようとするが、不思議なことに殺気の矛先はエストにのみ向けられていた。

 騎士が一歩踏み出すと、地面が凍る。

 全身から溢れ出るオーラのような冷気は空気中の水分を凍らせ、地面にはパラパラと氷の粒が落ちていく。


 冷気がシスティリアたちに触れた瞬間に絶命させると理解したエストは、2人に下がるように言って杖を構える。


 突進する騎士の一撃を躱した一瞬。

 肩から凄まじい勢いで氷の針が伸び、エストの頬に傷をつけた。



(速すぎる……次は“来る”だろうなぁ)



 不意の一撃にも関わらず、肩の針を砕いたエスト。治癒に使う集中力を戦闘に割くために、怪我は放置する。

 再度騎士が突っ込んで来ると同時、エストの魔力が揺らいだ瞬間に騎士は大量の冷気を放った。


 まるで周囲のことを考えていない極低温の冷気は、瞬く間に辺りを凍りつかせていく。このままでは一般人に被害が及ぶと確信し、エストは更に冷たい冷気で抑え込むことにした。


 白い気体の攻防戦は熱く、更に温度を下げる騎士に対抗してエストも温度を下げていく。



(魔力が凍っちゃった。相打ちか)



 2人の周りだけが真っ白に染まる。

 しかし、ここでエストは確信した。


 空気中の魔力すらも凍らせる冷気を放てるのは、エストが知る限り“あの存在”だけだからだ。

 その上、自身だけを狙ったことからして、騎士の狙いと正体が透けて見えた。



「どうしてここに居るのかな? 氷龍」



 まるでそう言われることを待っていたかのようにピタリと動きを止めた騎士は、顔を覆い隠す鎧を両手で持ち上げる。


 ──が、想像以上に重たかったのか、外れる気がしない。


 何度も外そうと努力する姿に、エストが『手伝うよ』と言い、頭を差し出す騎士。

 そしてエストが鎧を掴み、力一杯に引っこ抜く。



「んぅぅぅ……お………っもいなぁ!!!」



 全力で引っ張った瞬間、騎士の頭ごと取れた。



「あ」


「え…………エスト?」


「首をもぎ取ったか」



 綺麗に首から上がエストの両腕に包まれた。

 首なしになった騎士は首を取り上げ、断面にくっ付ける。

 もう手助けは要らないと首を横に振り、温度の抑えられた冷気が全身を覆うと、中から絶世の美女……とも呼べる、中性的な人間が現れた。


 一瞬の出来事に2人が困惑していると、エストは『性別はどっち?』と聞く。


 騎士……もとい氷龍が姿を変えたのは、見知った人間であるエストと、そのエストに見せられたシスティリア像の中間に位置するものだった。


 男性的な筋肉質でもあり、女性的なしなやかさも兼ね備え、腰まで伸びた真っ白な髪はエストにそっくりである。

 妙に整った顔立ちは彫刻のように美しい。

 その反面、整いすぎていて人間味が薄く、ただの人間ではないことはひと目で分かる。



「……?」



 声を出そうとした氷龍だが、話すことが面倒になったのか、エストに詰め寄った。

 そして青い両目を覗き込み──



「ん!」


「ちょっ!?」



 思いっきり唇を奪った。


 顎を掴まれ、身動きが取れない。絶妙にエストより身長が高いせいか、妙にさまになる画に、起き出してきた住民の視線が集まる。


 システィリアが耳と尻尾をピンと立てるが、力量的に勝てない相手だと知ってしまったせいで動けずにいる。


 しばらく口付けが行われると、辺りの気温が急激に下がっていく。

 その要因はエストにあり、制御できなくなった魔力が溢れ出しているのだ。



「ぷはっ! はぁ、はぁ……体が……冷たい」


「だ、大丈夫!? 一体何なのよコイツ!」



 倒れ込むエストを抱きとめたシスティリアが叫ぶ。その腕に居るエストは非常に冷たく、小さく吐く息が冷気のようだ。


 キッと氷龍を睨むシスティリア。

 そんな彼女に答えるように、氷龍は口を開いた。



「あ……ぅあ……あ、あ」



 エストの体に魔力を流した氷龍は、人間の体の構造を即座に理解し、声帯を作ることで声を出せるようになった。

 それと同時に、炎龍が施した時と同様、龍の魔力を与えることで更なる力をエストに流し込んだのだ。



「キミが盟友の伴侶、システィリアだね。白狼の血は実に素晴らしい。あの人間の魔術師が連れている本物よりは弱いが、盟友の伴侶に相応しい力だ」


「……めい、ゆう?」


「聞いていないのかい? ボクは氷龍。盟友エストを賢者にしたのはボクだ。よろしくね?」



 人間の姿で現れた氷龍は、システィリアをしっかりと理解した上で認め、その手を差し出した。

 本来ならそんな手を取るほど落ち着いていないが、目の前に居るのが本物の氷龍……らしいと思ってしまったせいで、白く細い手を握った。


 ピリッと冷たい、針が刺されたような感覚で握られ、氷龍はうんうんと頷く。



「なんだ、まだ子どもを産んでいないのか。でも……いいね! ここまで澄み切った魔力は珍しいよ! 流石盟友の伴侶!」


「な、なによ!? 大体、子どもに関してはエストが……」



 浅く刺した氷の針から彼女の状態を読み取った氷龍は、そのうち面白い子が産まれると確信しながら辺りを見渡した。


 目の前に居た、エストの魔力を放つ魔石を持つドワーフに近づくと、氷龍は無表情で引きちぎった。



「盟友を騙るのはやめろ。ボクは寛容だからね。注意だけで済ませておくよ」


「……氷龍。ブロフに魔石を返すんだ。それは君を騙すのが目的なんじゃなくて、他の魔物を引きつけるために使ってる」



 横になりながらもピシャリとエストが言い放ち、氷龍は『あちゃー』と片手で顔を覆った。そこまでの配慮がまわらなかったのだろう。

 即席で氷の糸でペンダントを修復するとブロフの首にかけた。



「詫びよう。盟友を利用したと思ったら短慮になってしまった。これからも盟友の友で居てくれ」


「あ……ああ」



 紳士的に謝罪をした氷龍。エストはいつまで倒れているんだと体を反転させると、既に炎龍・氷龍・自身の魔力を整えているエストが肩を支えられながら立っていた。


 魔力の混合は肉体への負荷が大きい。龍の歴史では、2種の龍の魔力を宿されて、即死しなかった者は居ないのだ。


 きっと耐えると信じてやった行動だが、こうもあっさり適応されるとは思ってもみなかった。



「盟友。やはりボクは盟友を賢者にして正解だった」


「……僕はちょっと困ってるけどね」


「そうかい? 意外と楽しんでいるように見えるがなぁ? 良き友と出会い、想い人と結ばれ、立場としては人間の魔術師と同じになった。くだらないしがらみを断ち切れたと、喜んでいるのは分かっているぞ?」


「まぁね、相応に大変だけど。それで? ひとりで来た……わけじゃないよね?」



 どうしてここに氷龍が居るのかと考えれば、関われる人物はひとりしか居ない。ピンと張り詰めた魔力が飛ばされた瞬間、氷龍の背後にジオが転移してきた。


 呼ばれるまで待っていたかのような早さにエストは苦笑する。



「──ったく、人使いが荒……おいおい、なんだその魔力は?」


「やっぱり先生か。今日は大変だな」



 これから王女から仕事の案内があるのだから、早めに済ませたいエスト。即席の個室として遮音ダニアを展開すると、魔力について話した。


 人間になんてことをしてんだと怒るジオだったが、氷龍は『適応したんだからいいじゃないか』と笑い飛ばす。


 そして、大きなあくびを抑えもしない氷龍は、眠そうな表情を隠さずにジオの肩に手を置いた。



「ボクは帰る。盟友と遊べたし、伴侶の顔も見た。またしばらく寝るとするよ」


「……チッ」



 初代賢者でもあるジオを馬車馬のように扱う氷龍だが、思い出したと言ってエストの方を見た。



「あぁそうだ、盟友。せっかく龍玉を杖に付けないのはどうしてだい?」


「龍玉……杖に付けたら何かあるの?」


「その石ころが盟友の魔術を弱くしていることは……気づいていないか」



 石ころと言って指をさしたのは、それだけで財産になるであろうミスリルの魔水晶のことだった。

 最高級の素材をふんだんに使ったエストの杖だが、ミスリルが力を抑えているとは知らなかった。魔力の通り方から、手に馴染む力加減だと思っていただけにショックが大きい。


 付け替えることは可能かとブロフに聞けば、ひとつ頷いて返答される。



「盟友。ちゃんと魔力が馴染めばボクの声が聞こえるはずだ。また遊びに行く時は、声をかけてから人間の魔術師に連れて来てもらうよ」


「あ、うん。声……? まぁいいや」



 魔力の適応に体力を使い果たし、上手く考えがまとまらないエストは、これで別れるならと今までに集めていた自身の四肢を亜空間から取り出した。


 30を超えるエストの四肢が積まれていくと、氷龍は目を輝かせて凍った腕を持ち上げる。



「盟友の腕だ! しかもこんなに……これでおやつには困らない。ありがとう盟友! 心の友よ!」


「君には感謝しているからね。また魔術を見せに行くから、これで我慢してほしい」


「我慢だなんて! 盟友の心遣いに感謝するさ」



 笑いながらジオに持っていくよう言った氷龍は、最後にエストとシスティリアの肩に手を置いた。



「盟友。その伴侶。魔族はボクらを恐れる。逃げたくなったらボクの所においで。助けてあげる」


「……うん」


「あ、ありがとう? アンタって本当にドラゴンなの?」


「ああ。気になるなら、盟友と共にボクのお家に来るといい。その時はまた遊ぼう」



 ドラゴンの中で最も強いとされる氷龍が、自らの巣に誰かを招くことなど天地がひっくり返るようなものだ。

 その希少性を2人は知らない。

 しかし、それでいい。


 盟友とその伴侶が2人で生きられたら、氷龍としてはそれでいいのだから。



「魔族の根絶、楽しみにしているよ」


「またね、氷龍。元気で」



 固い握手を交わしてジオの魔法陣が輝くと、朝日が昇って人々の活動が激しくなってきた。

 ようやく終わったかと大きく息を吐くエストだったが、遠くで王族の乗る豪華な馬車が見えてしまう。


 働きたくないとシスティリアに泣きつきながら、王女の到着を待つエストだった。

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