第180話 絶えない心労


 何食わぬ顔で王城を出たエストたちだったが、街の中に魔物が居ると騒ぎになり、すぐに衛兵に囲まれることになった。



「止まれ! そこの3人! さもなくば斬る!」



 ぐるりと周囲を剣に向けられ、エストは溜め息を吐く。



「どうしよっか。オルオ大森林に帰る?」


「アタシは賛成だけど、またあの距離を戻るのは大変よ?」


「反対だ。オレは武器の新調がしたい」


「じゃあヌーさんたちを森に返そっか」



 一時的に王都にはいれたが、こうなることは分かっていたのだ。魔物は魔物であり、人を襲い喰らう者。人が恐怖する対象にもなる生き物を連れることは、民衆は受け入れ難い。


 エストの傍でお座りをするヌーさんも、それを分かっていたのか寂しそうに尻尾を丸めた。


 離れたくないと言うように頭をエストの脚に擦り付けるが、それが別れの挨拶になると直感している。

 こんな別れ方は不本意だ。

 しかし、必然である。


 またいつか会えると信じて、2人にも別れの時間を作ったエスト。



「ウィンドウルフたちはちゃんと逃がすよ。少し警戒を緩めてくれるかな」


「貴様、この王都に魔物を放つつもりか?」


「そんなことしても、僕が魔術を解かない限り人を襲わないよ? はぁ……もっとユーモアを磨いてほしい」



 やれやれと言いながらヌーさんを撫で、2人の挨拶が済んだのを見てから空間魔術の魔法陣を展開した。

 一斉に剣を構える衛兵たちだったが、魔術が発動した瞬間、ウィンドウルフだけが消えたと知って困惑する。


 後ろからシスティリアが『どこに転移させたの?』という問いを投げかけると、精霊樹の中だと言う。そこで、ネモティラが野生支配ネリュミスを奪ったのを感じ取り、杖を下ろしてフードを被った。


 これで剣を向けられる筋合いは無いと言うが、衛兵たちは解放しない。



「魔物をどこへやった?」


「オルオ大森林。友達の魔女に預けたよ」


「……何を言っている?」


「ウィンドウルフはもう居ないってこと」


「一応言っておくけど、アタシたちは招かれた身なの。国王陛下にね」



 その言葉で数人の兵士が本当なのでは? と剣を下ろそうとしたが、そんな話は聞いていないと言う隊長の言葉に、再度構えられた。


 これは国王から……初代賢者の指示で訪れたというのに、面倒事に巻き込まれたとエストは溜め息を吐く。


 願わくば逃げた幸せがシスティリアに向かうことを祈り、実力行使で通ろうとした瞬間──



「嘘をつけ! それならば我々に通達されている!」



「本当ですよ? 第四警備隊。そちらの方々は陛下と三ツ星冒険者ジオがお呼びになられました。ひと月前から全兵に通達しましたが……これは王族への反逆行為ということですか?」



 王城の門から現れたシェリス第2王女の言葉に、一斉に剣を下ろす衛兵たち。そしてまだ寒い空気の中、汗をかく隊長の体は震えていた。


 今になって通達内容を思い出したのだ。



「『ひと月以内に訪れる白い髪の魔術師と青い髪の獣人、背の低いドワーフの戦士は我が国が招く要人である。彼らは冒険者であるため警護の必要は無いが、決して刃を向けないように』……まさか忘れていた、なんてことはありませんよね? 念入りに三度も通達したのですから」


「はっ。忘れてなどおりません!」


「では先程の状況は如何なもので? 貴方たちには処分を下します。しかし、国のために護ろうとしたことは事実。その点は評価します」



 衛兵に戻るように伝えると、自身の執事と3人の騎士を連れたシェリスを、エストの冷たい瞳が貫いた。

 ウィンドウルフに関しては通達が遅れたことを謝罪し、あまつさえ剣を下ろさなかったことに頭を下げる。



「もういいよ。少ししたら王都を出る」


「な、なぜですか? ウィンドウルフのことは周知させます。研究に関しても場所を……」


「それ、僕らが離れたら達成できるじゃん」



 何も言い返せなかった。

 わざわざ彼らに王都に残ってもらう理由など、フリッカ王は魔術講師にするためだけだった。それを断り、当初の目的である魔族の情報を得た以上、旅を続ける方が合理的である。


 仮に魔族が襲ってきても、エストたちが人里離れた場所に居れば被害は少なく、戦いやすい。


 デメリットを背負わせてまで残ってもらう理由など、もう残っていなかった。



「エスト、流石に可哀想よ。あの提案をしたのは陛下であって王女様じゃないわ。文句はアイツに言うべきよ」


「お嬢、不敬だぞ。だがオレもあの条件は無いと思っている。魔族の恐ろしさをまるで知らない様子だ」


「2人とも…………」



 なかなか上手くいかないものだと片手で顔を覆ったエストは、申し訳なさそうな表情のシェリスに謝った。



「ごめんね。でも僕らはここを離れた方が良い」


「いいえ。少しで構いません。陛下の依頼について、考え直していただけませんか? 報酬も更に上乗せします」



 どうせ報酬金を増やす程度だろうと踏んだエストだったが、話す相手がシェリスということもあり、この場で断る気が起きない。



「……僕は何も知らない他人と話すのは苦手なんだ」


「は、はあ」


「でも、友達と話すのは好きだ」



 言外に話せる場所を用意してほしいと言うエストの意図を汲み取ったシェリスは、即座に執事に宿の手配をさせた。

 宿まで案内するというシェリスに、最初から彼女に依頼の説明をさせたら良かったのではと思う後ろの2人。


 仲間や友人には甘いことを知らない国王は、見事なまでに交渉に失敗してしまった。


 成功の鍵が目の前にあるにも関わらず、相手をよく知らないために起きたことだ。



 ニルマースで幾度となく会話していたシェリスは、エストが好む2番目に高い宿を用意すると、豪華な客室で新しい依頼についての話をする。



「それで、仕事の内容自体は変わらないのだけど……報酬に秘蔵の魔道書と、王家御用達の武器職人への仲介。侍女3人と執事2人を派遣し、その屋敷を永久譲渡します」



 屋敷の管理に加えて絶対に流通しない魔道書や、ブロフが新調したい武器の仲介まで付いてくるのなれば、エストの心も揺らぎ始める。


 感情に任せるなら今すぐにでも縦に首を振るところだが、理性では待ったをかけていた。



「侍女たちの給金は?」


「当然、こちらが持ちます」


「なら僕たち……いや、僕のことを他国にチラつかせるようなことはしないと、条件を足す。もし国の諍いに巻き込むようなら二度と君たちの前に姿を出さない」


「呑みましょう。もとより、リューゼニス様から『エストを軍に入れるようであればお前たちを殺す』と言われていますので」



 エストの一番の懸念点は、既にジオが潰していた。

 彼は魔女の次にエストの力量を知る人物である。

 その力が兵器として使われるようであれば、真っ先にその“武器の使い手”を殺すと決め、各国の王侯貴族に周知させている。



 要件を呑めるのであれば、エストも滞在するだけの余裕が生まれるので、依頼を受けることにした。


 ホッと息を吐くシェリスにシスティリアがお茶を出すと、話が終わったのを見計らってブロフが武器職人について聞き始めた。


 システィリアも武器を新調する良い機会なのでエストだけが談話室を抜けると、寝室のベッドに寝転がる。




「はぁ……お姉ちゃんに言われた通りだった」



 昔、アリアに言われたことを思い出す。

 それはエストに敬語を教えてる時のことだ。『多分だけど〜、エストは敬意を払っても敬語は使えないから〜、国王とか皇帝には会わない方が身のためだね〜』というもの。


 実際に話してみて思ったのは、システィリアたちとは違う自身の礼節の無さを実感し、それを覚える気が全く湧かなかったこと。


 育ちが国に属さない地域だったせいか、その辺りへの興味が一切無いのだ。



「……2人に恥をかかせたかな。後で謝ろう」



 魔族が襲ってくるという焦りからか、明らかに礼に欠けた態度をしたことは分かっていた。ジオから推定される襲撃時期を聞かなかったことも反省し、枕に顔を埋めた。



「失敗した」


「別にいいじゃない、失敗しても。こうして最終的には上手くいったんだから、あまり気にしない方が良いわよ」



 話し合いが終わったのか、寝室に入ってきたシスティリアがベッドに腰をかけた。

 うーんと伸びをしながら体をエストの方に向けると、顔を埋めたままの頭を優しく撫でる。



「……ごめんなさい。迷惑……かけた」


「あらあら、珍しく落ち込んでるわね。膝枕してあげるから、こっちに来なさい」



 意気消沈しているエストが太ももの上に頭を置くと、沈んだ心を掬い上げるように慰めるシスティリア。

 慣れない立場の人を相手にあそこまで豪胆になれるのは賢者の特権ね、と小さく笑えば、太ももに顔を埋められてしまう。


 少しくすぐったくて。

 それがどこか嬉しくて。

 彼の力になれていることを知ると、心の底から活力が湧いてくる。



「きっと、魔族が来るまでに余裕があるからこの依頼を出したんじゃないかしら。数ヶ月か……もしかしたら数年後になるかもしれないわ」



 魔族の活動周期はとても遅いと聞く。

 心掠のマニフから万象のナトとの戦いまで2年以上の月日が空いていたこともあり、次の襲来まで余裕があることは考えれば分かることだった。


 相当にドゥレディアでの一件が精神に根を張っていることを知り、エストは更に落ち込んでしまう。


 しかし、そんな心を癒したのはシスティリアだった。誰よりも近くで失敗と成功、苦労と達成を見てきただけあり、彼女の優しい言葉はエストの心の傷口を少しずつ癒していく。

 


「……ありがとう、落ち着けた」


「もう少しこのままでいいわよ。疲れてるでしょ?」


「うん……尻尾も触る」



 そう言って彼女の腰に手を回したエストだったが、最初に触れたのは尻尾ではなくお尻だった。

 鍛えているせいか筋肉質ではあっても、程よい弾力のある肌は服越しにも伝わってくる。



「こ〜らっ。そこは尻尾じゃないわよ?」


「……ちゃんと尻尾も触るから」


「──って言いながらずっとお尻触ってんじゃないわよ!? あ、アンタねぇ! そんなことしたら発情するわよ?」


「そんな脅し文句あるんだ」



 仕方なしといった様子で尻尾を触るエストだったが、少し残念そうに吐いた息を聞き逃さなかった。3回触るごとに一度お尻を触り、システィリアの反応を伺って楽しんでいたところをシェリスが見ていた。


 視線に気づき、顔を上げたエストと目が合う。

 非常に冷めた目で見るシェリスと、『触らないの?』と誘惑するシスティリアに挟まれ、再度太ももに顔を埋めた。



「貴方……そういう方だったんですね」


「大丈夫。君には興味無いから」


「……それはそれで酷いことを仰いますね?」


「ごめん、僕にはシスティが居るから」


わたくしが振られたみたいな言い方はやめてください!」



 それから少しして、依頼書への署名と翌朝に屋敷を案内する旨を伝えたシェリスは、今日はゆっくり休むようにと言って宿を出て行った。


 ちゃっかりブロフ用の部屋も用意していたらしく、今はひとりで武器の構想を練っているらしい。



 久しぶりの2人だけの時間を、目一杯楽しむエストたちだった。













「──はぁ、今すぐか?」



 氷で出来た洞窟。

 その最奥で、ジオの声が響く。



「分かった。だがその姿では行くな」



 わずかに警戒する意思が声に乗せられ、せめて人間に近い姿になれと言う。



「……ハッ、気色悪いほど人に近いな。あぁ、それなら構わない。言い出しっぺはアンタだ。挨拶はしておけ」



 限りなく人のようなソレの匂いを嗅いだシュンは、記憶にある匂いに近いことを思い出し、ジオの元に歩いて戻る。


 ぺたぺたと裸足で氷の上を歩く音を出しながら、ソレは魔法陣に乗る。



 そして、一瞬にして全身を氷の鎧で覆った瞬間、その姿が消えた。



 この日、数千年以来の事象が訪れる。

 極寒の大地である氷獄から、冷気の風が吹かなかったのだ。その中で暮らす生物は気づけないが、白銀を照らす太陽が山頂の雪を溶かした。




「ったく、頼むぜ…………賢者様よぉ?」

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