第179話 二度目の指名依頼


「何あの花の壁。あ、メイドさんがこっち見てる。楽しそうに草むしりしてるね。虫の卵でも見つけたのかな」



 王都を見て回ることも許されず王城前まで転移された一行は、ヌーさんたちと共にその門をくぐった。


 温かい陽の光に冷たい空気が春を知らせる。

 蕾が開きつつある生垣を見ていたエストは、初めて立ち入る国王の敷地に目を輝かせていた。



「エスト見なさい! 離宮があるわよ離宮! ドゥレディアで泊まった宿より豪華そうだわ!」


「屋根がオシャレだ……ドアも金色だ!」



 システィリアもまた初めて入るようで、エストと同様に目につくもの全てが輝いて見えた。



「おい、ブロフ。この2人を黙らせろ」



 このままでは敷地案内だけで日が暮れると思ったのか、興奮する2人に指をさしたジオ。

 しかしブロフは俯き、



「……無理だ」


 首を横に振る。


「はぁ? お前が保護者だろ。何とかしろ」



 夢中になったこの2人は手をつけられないと、ブロフは拒否する。それは過去に、師に連れられ初めて王城を訪れた時、同じように目を輝かせたから……ではない。

 きっと違う。だがわずかに、あの時の興奮を思い出し、2人を止める気になれなかった。



「ったく、ガキ臭ぇんだよ。城なんかいつでも入れるだろうが」



 まるで自分の家とでも言いたげなジオは、2人の首根っこを掴んで持ち上げた。

 風魔術で少し軽くしたのを見てエストが『貧弱』と呟いたところ、城の玄関扉まで大きく投げ飛ばされたのは言うまでもない。


 ブロフの後ろを並んで歩いていたウルフのうち、ヌーさんがエストの元に駆け寄った。



「アレが賢者なんだよ? 信じられないよね。ただのオラついた魔術師だよ」


「ンだと? あぁ!?」


「ほらね」



 ヌーさんを撫でながら列に戻し、扉が開くと十数人の侍女と執事がジオの帰りを待っていた。どうやら彼が初代賢者ということは知られているらしく、国王よりも厚い待遇をする。


 それでいいのかと言いたくなるブロフは、喉元まで出かけた言葉を飲み込んだ。



 2列に並んで頭を下げて出迎えた侍女たちだが、平然と入ってきた4頭のウィンドウルフにビクッと跳ねた。



「あぁ、襲わないから安心して。仮に襲ったら君たちが怪我をする前に首を落とすから、怯えなくていいよ」



 エストが皆の心配を解くように説明すると、最後に小さく微笑んだ。

 庶民とは思えない整った顔立ちと優しい笑顔に、若い侍女は頬を赤く染める。それを見てか、システィリアがエストの腕に抱きつくと、『早く行きましょ』と促した。


 王の居る私室に向けて歩き出すジオだが、不意にシスティリアに言葉を投げかける。



「お前はコイツの顔に惚れたのか?」


「いきなり何よ。アタシが惚れたのは命をかけて守ってくれたからよ。顔も声も性格も好きだけど、好きになった理由はそこなの」


「……ならいい。手を離さないようにな」



 恥ずかしがることなくエストに惚れた理由を話すシスティリアに、それだけ言えるなら守り通せるかとジオは納得した。


 これから先のことを知っているジオにとって、今の質問は大事なものだった。例えエストの身に何かがあっても、彼女がエストを守る側に立てると知れたのだ。


 ドゥレディアの時より、より強固な絆が生まれていると感じ、優秀な弟子の成長を実感する。



「ここが私室だ。俺だ、入るぞ」



 ノックから返事を待たずにドアを開けた先には、ここリューゼニス王国を治めるフリッカ国王とその妃、そしてシェリス第2王女が待っていた。


 ジオが入ったのを見てエストも同じように部屋に入るが、システィリアとブロフは深く頭を下げた。胸に手を当て、再度軽く礼をしてから入室する。


 それを見て国王夫妻が微笑むが、礼に欠けたエストを鋭く睨んだ。

 しかし、これまた平然と入室したウィンドウルフに驚き、アレはなんだとジオに詰め寄るフリッカ王。



「ただのペットだな。それよりお前、エストに立場を見せるのはやめておけ。コイツは王族と平民の区別が付かん。面倒だと思われない方が国益だぞ」


「……そう、ですか」



 フリッカ王とジオが話している間、システィリアたちは座る許可を待っていたにも関わらず、エストはソファに座ってシェリスと談笑している。


 気品や権威を一切恐れない豪胆な性格は、現在のジオを彷彿とさせる尊大ぶりだ。


 しかしシェリスと話す姿は妙にさまになっており、王妃の目にはそれなりに位の高い者にも映った。



「……仕切り直そう。そなたら、名乗れ」



 ジオが部屋の壁に背を預けると、フリッカ王の視線が3人に向く。位置が近いに順にエストから名乗り、座ってよいと許可が降りる。


 獣人とドワーフの方が礼儀正しい景色に目眩を覚える王だが、今回の要件はそれ以上に大きなものだ。


 目配せしてジオが前に立つと、懐から一枚の羊皮紙を取り出し、机に広げた。



「五賢族がひとり、灰燼のギドが既に小さな村を襲撃した。村は跡形もなく灰になり、魔術の痕跡も消えていた」


「これが最初に動く魔族の情報? 火と闇と風を使う……へぇ、そりゃよく燃えるわけだ」



 端的に纏められた羊皮紙には、使う魔術やその規模感、王都で暴れた際の推定被害などが書かれていた。

 この灰燼のギドという魔族が王都で力を振るった場合、運が良くて城の面影が残る程度という、最悪に等しいものである。


 しかし、それは長時間暴れた場合ではない。

 たった一度の攻撃で出来ること、である。


 私室に緊張が走る。


 一瞬にして王都を滅ぼせるほどに、この魔族が使う魔術は破壊力を宿しているのだ。



「いつ村を襲ったの?」


「知らん。だが3ヶ月前に灰の山が見つかった」


「う〜ん……王都を襲う意思はあるのかどうか」


「確実に来るだろ。お前らという餌が来た以上、魔族は力を付ける最高の機会だ」


「でも先手を打たれたら終わりだよ」


「お前が先手を打つだけだ。大前提として、奴は賢い。まずは的確にお前かシスティリアを狙う。その時に叩け」


「わかった。じゃあ敢えて魔力を垂れ流すのもいいね」



 日常会話のように対魔族との作戦が立案され、囮になることに一切の躊躇も見せずに話が進んで行く様に、シェリスを含め王たちは困惑していた。


 まるで恐怖を感じていないのだ。

 力の恐ろしさを知った上で、どうおびき寄せて迅速に片付けるか。簡単に倒せる相手ではないと知りながらも、臆す素振りを見せないエストに、王は狂っているのかと問うてしまう。


 それに答えたのは、他でもないエストだった。



「魔族相手に狂えないなら、仲良く灰になるだけだよ。でもこの状況でひとりの命と国民の命を天秤にかけたら、どっちが大事かなんてすぐにわかる。これは狂気以前の話」


「コイツの言う通りだ。賢者は魔族を討ち、人を守ることが仕事だ。命を差し出すのは前提なんだよ」



 冒険者であっても格上相手には命を守るためにその場から逃げるが、賢者と呼ばれた者は命よりも優先して魔族を討つ。


 万の人間を生かすため、莫大な力を全力で振るうことが賢者の使命だ。


 それが望んだ未来ではないが、エストがその枷を着けられた以上、何があっても魔族を討たなければならない。




 今、己の前に居るのはもうひとりの賢者だ。

 ただの魔術師ではない。初代賢者リューゼニスと同じ、救国の英雄……に、なる者だ。


 そして初代曰く、『自身より強い』 賢者である。

 見た目は子どもだが、魔族との戦闘経験は2度もある。初代ですら倒せないと判断した魔族を、2体も討伐した実績がある。


 絶対的な自信が溢れるその影は、誰よりも濃く、闇に近い。



「それで? この程度の情報で呼んだんじゃないよね? 意地悪な先生のことだ。何か隠してるでしょ」


「後でボコす。が、隠してるのはフリッカだ。お前に指名依頼があるんだとよ」



 チラリとジオが顔を向けると、相手が王であるにも関わらず、エストは心の底から嫌そうな表情を浮かべた。



「王立魔術学園で講師をしてくれ」


「断る。さっきの話聞いてた? 僕らには時間が要るんだ。魔術のマの字も知らない人に、教えてる暇なんて無い」



 いつ来るかも分からない魔族に備えて、常に万全の状態で戦えるように魔術の幅を広げたいのだ。

 冒険者の仕事より賢者の使命を優先するエストに、フリッカ王は片手で制した。



「最後まで聞け。報酬に学園近くの屋敷を与える。魔術の研究をするのにも、家はあった方がいいだろう」


「……ごめん、ちょっと焦ってた」



 エストとしても宿で研究するには色々と制限があるため、家を貰えることは大きな手助けになる。

 しかし何故講師にするのか、意図が汲み取れなかった。改めて冷静に考えても、魔族戦の戦力になるとは思えない。



「それで、どうして学園に?」


「有事の際に動ける魔術師を増やすためだ。そなたの学友は帝国宮廷魔術師団に籍を置いたと聞く。その知識を未来の魔術師に分けて欲しい」


「宮廷魔術師団じゃなくていいの?」


「彼らは優秀だ。誰かに教わらずとも、自力でその道を照らすだろう」



 それは宮廷魔術師への信頼から来る発言だったが、フリッカは即座にそれが過ちだったと気づいてしまう。

 既にエストは話を聞く姿勢をやめ、興味が無いと言いたげにソファに座り直していたからだ。


 隣に来たウィンドウルフを撫でながら、差し出された紅茶を一口含む。




「心外だよ。それだけが理由なら、屋敷は諦める。僕は君が思ってるほど弱い魔術師じゃない。そんな扱いを受けるなら、適当な森で家を建てた方が良いかもね。だって……余計な邪魔が入らないから」




 王族の中でエストの魔術を知っているのはシェリスだけである。そのシェリスはと言うと、苦い表情で俯いていた。


 エストが魔術を教える時は、明確な目的も無い者を導くほど甘くないからだ。

 ルージュレット皇女はその飽くなき探究心を認められ、シェリスは大切な人を癒すために。そしてリングルは成績を上げるためと、明確な目標があった。


 それがあるかも分からない人に時間を割くほど、今の彼らに余裕は無い。


 本当は戦いたくないのに戦わざるを得ない状況を作られた以上、エストの最優先事項は魔術の研究、及び鍛錬である。



 しかし、それを王という存在が邪魔をしてくるなら、エストは黙って国から離れるだけだ。

 その覚悟を持っていることは、シェリスは知っていた。



「話は終わりかな。急いで来て損した気分だ」



 国の危機であるということを理解していないと判断したエストは、ソファから立ってドアへ向かう。続く形でシスティリアとブロフも立ち上がると、フリッカ王は手を伸ばした。



「ま、待て!」


「待ってどうするの? 次は宮廷魔術師団を育てろって? つまらない。ただでさえ重い荷物を背負ってる僕に枷を着けるなんて、とんだ嫌がらせだよ」



 余程の理由が無い限り、今のエストは依頼を断り続ける。魔族の情報がある程度明るみになった以上、対策にかける時間が惜しい。


 家を与えるだけで魔術師の育成をしろと言われるなら、街から離れた場所でひっそりと魔族と戦った方がマシである。


 なにぶん、そちらの方が守るものが少なくて済む。

 むしろメリットの方が多いくらいだ。



 黙って出て行くエストたちを止めることが出来なかった王は、静かに閉められたドアに向かって呼びかける。



「どうして……なのだ」


「そりゃお前、理由がカスなのは前提として、報酬が少ないからな。秘蔵の魔道書もチラつかせず、研究に役立つ施設も見せず、アイツが善意だけで動く魔道具だとでも思ってんのか? エストは俺より欲深いぞ。俺の知る限り、アイツより魔術が好きで、魔術に狂った奴は見たことがない」



 腕を組んだまま語るジオに、歯を食いしばったフリッカ王が叫ぶ。



「そ……それをどうして教えてくださらなかったのです!」


「はぁ? ガキじゃねぇんだから自分で考えろよ。それに聞いてこなかっただろ。お前はエストを舐めすぎだ。そこの姫が説得した方が、乗る確率は高かったろうな」



 フリッカは今回、エストが依頼を受けるものとして学園の説明役にシェリスを呼んだ。

 それが幸か不幸か、かの賢者を近くで見てきた者であり、エストの人となりを知る数少ない人物だった。



「魔術師の失敗は魔道書になるが、国王の失敗は歴史書になる。歴史に刻まれる前にやり直した方がいいぞ。幸い、まだ覆せるからな」



 そう言い残し、ジオは王都でやるべきを片付けるために氷獄へと転移する。

 ウィンドウルフの匂いが付いたのか、白狼のシュンがジオの脚に頭を擦り付け、匂いを上書きした。


 そしてシュンを連れて家を出たジオは、エストに出来る最大限のサポートをするべく歩き出す。




 最強のドラゴン……氷龍の待つ山へと。

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