第79話 異常の片鱗


 魔術の改良を覚えたシスティリアと共に南へ進む。道中で馬車とすれ違う回数が増え、空気の乾きと夏の終わりを感じ始めた。


 帝都で仲良くなったガリオは火魔術と剣術を組み合わせた戦い方が印象的だが、システィリアも似たようなスタイルに変わっている。


 森に入れば虫のように居るゴブリンと戦う際、水針アニスで牽制や目潰しをしてから斬るという、心身ともに技力の要る戦闘をこなしていた。



「今のアタシ、Bランクはあるんじゃない?」


「そうだね。朝の打ち合いも隙が無くなってきたし、この夏で大きく成長したよ」


「ふふん、でしょう? 最近はこう、意識がスーッと吸い込まれていって、どの魔術を使おうか悩まなくなったの」



 風刃フギルで木の実を採取するエストに、システィリアは年長の風格を示すように言った。

 今の彼女は、種族や適性といった生まれ持った才能を活かし、以前のような命に関わるミスを減らしている。


 魔術も剣術も、着々と成長していく様子を見るのは、エストにとって旅の楽しみのひとつになった。



「ただ、目潰しはやめてね。回収できない」


「うっ……あんな気持ち悪いの、潰した方がいいわよ! 誰なの? ゴブリンの目が薬になるのを発見した奴は。諸悪の根源よ!」


「諸悪の根源はゴブリンだ。肉が食べられない以上、有効活用できるんだからいいじゃん」


「それは……そうだけどっ」



 エストの集めた瓶は既に目玉でいっぱいになっており、目的地である帝国最南端の街、ガルネトにて売却予定だ。


 あらかたの採取が終われば、遂に目的地を捉える。


 黄色く色付いた森を抜けると、天を衝くような山脈から流れる一本の川と、緑の絨毯とも言える高原が広がっていた。


 そのあまりの絶景に2人は言葉を失い、立ち尽くしている。



「……っ、あれが……ガルネト」


「ええ……遂に来たんだわ。帝国の果てに」



 高原の奥、山にほど近い場所に街があった。

 レッカ帝国とユエル神国の国境を担う山は、壁と呼ぶに相応しい。商人は山を迂回して越境するらしいが、それでも並の馬ではバテてしまうと有名である。


 激しい寒暖差と高低差に、馬だけでなく人も負けることは珍しくない。



 景色を十分に堪能した2人は、高原へと足を踏み入れた。



「──システィ、上!」


「何? ……ありゃ」



 高原に入った途端、空から影が落ちてきた。


 凄まじい速度で落ちてきたソレは地響きと共に2人を吹き飛ばし、地面を転がる寸前にエストは氷鎧ヒュガで自身と彼女の身を守った。


 ネフを森へ避難させると、影の正体を見る。



「へぇ、これがAランク。美味しそう」


「……ワイバーン!? 逃げるわよ!」



 大きく発達した2本の前脚には翼膜があり、成人男性より大きな後ろ足は地を蹴ることに特化している。

 腹側の鱗は白く、それ以外は真っ赤な鱗で身を守り、角こそ無いものの尖った頭はドラゴンに近い姿だ。


 口から小さな炎を吐くと、辺りの草が灰と化す。


 人間など餌とすら認識しているか怪しいほど、生物としての格が高い。全身から放たれる威圧感に、システィリアは腰が抜けていた。



「し、死ぬわ! こんなの勝てない!」


「勝つ……か。いいね、火力勝負といこう」



 システィリアは何とか這って木の陰に隠れると、一切の恐怖も見せないエストが、杖を片手に立ち向かう姿を捉えた。


 勇敢と呼ぶには小さく、蛮勇と貶すには強い。


 Aランク冒険者が3人以上のパーティが最低生存ラインと言われるワイバーンに、エストは1人で立ち向かっている。


 

「ワイバーン、僕は強いよ。君は僕を食べる価値も無いと思うだろうけど、僕は君を、心の底から食べたいと思うほど価値を見出している」



『…………ッッッ──!!!!』



 ワイバーンの喉元に大量の魔力が収束し、紅く煮え滾る炎が口から垂れる。

 小手調べにと火球メアを出したエストは、風域フローテで火力を上げた。


 先手を取ったワイバーンから、マグマの様に沸騰する炎が吐き出された。

 触れたら即死するであろうソレが火球メアに接触した瞬間、魔力ごと燃やし尽くす。左にステップを踏んで炎を避けたエストだが、先程までいた地面が溶解している。



「わぁお……骨も残らなさそう」



 対象が避けたのを見て、ワイバーンは翼脚を地面にめり込ませると、突進の構えをとった。大きな口を開けて炎を見せながら、馬車と比較にならない速度で地を蹴った。


 エストは杖を槍のように構えると、大きく左へ振り回す。そして穂先に土魔術で作った重い石の棘を纏わせ、迫り来るワイバーンの額に叩き付けた。


 質量と重力によって強化された杖は、ワイバーンの突進よりも力が強い。



「ゴブリンなら木っ端微塵なのにね」



 突進を食い止めただけで済まされた。


 やはりとんでもない強度だと感心する。

 起き上がったワイバーンが再度、喉元に炎を煮え滾らせた。これは、ただ炎を出しているのではなく、内包する魔力を超高温に熱することで沸騰させている。


 魔力すら煮えさせる熱を前に、エストは杖を構える。


 対抗するように深紅の多重魔法陣を展開すると、空気が逃げ出すような熱気と共に、赤を纏った槍が顕現した。



だ。耐えてくれるなよ」



 凄まじい速度で魔法陣が回転し、その消費の大きさを物語っている。まるで常人には扱えない技術と魔力の塊を前に、ワイバーンは口を大きく開けた。


 そして、エストが杖を振ると同時。



 深紅の槍と猛火の息吹が、衝突する──




「──僕の勝ち」



 首から上が無くなったワイバーンは、巨体を伏せた。あまりにも差が大きすぎたせいで、首の肉も炭化している。


 しっかりとワイバーンの死亡を確認すると、エストは振り返って笑顔を見せた。



「勝ったよ、システィ」


「……はぁぁぁ」



 後ろにへたり込むシスティリアの頭にネフが着地すると、祝いの歌を歌い始めた。ワイバーンすら歯牙にもかけない魔術の技量に、彼女はため息を吐くしかなかった。


 倒れ伏すワイバーンと屈託のない少年の笑顔が、これ以上なくミスマッチしている。


 普段落ち着いているだけに、初めて戦う魔物に勝った時は、ちゃんと勝利を喜べる人間ということを忘れていた。


 何とか立ち上がったシスティリアが近づくと、少し背伸びをして頭を撫でた。



「凄いわ。本当に勝っちゃうなんて」


「頑張ったよ。回禄燼滅メデュサディアの加熱プロセスを応用して、火槍メディクを強くしたんだ」


「……そう、偉いわね」



 魔術を学んだがゆえに、そのおかしさを理解してしまったシスティリア。上級魔術の中でも突き抜けて強い魔術から、その強さの核とも言える要素を応用するなど、考えることすらおぞましい。


 失敗すれば自爆の危険性もあるのに、彼は息をするかのように成功させた。



「ところでコレ、どうするの?」



 彼はそういう人間だと強引に飲み込むと、2人は倒れたワイバーンに目を向ける。



「……どうしよう」


「成り行きで倒しちゃったものね」


「半分は食べよう? ね?」


「はいはい。じゃあ右半身は肉にするとして、左半身はどうするのよ。氷漬けにするったって、ワイバーンの鱗は魔力に強いわよ?」


「大丈夫。耐久度は分かったから、ちゃんと凍らせられる。任せて」



 得意の氷魔術で切断と凍結を行うと、街へ向かう前に一泊野宿することに。

 もう日が傾いている以上、今からガルネトに入ったところでギルドや宿屋に行くのが面倒である。山の近くでは寒暖差も激しく、軽く慣らすためにもちょうど良かったのだ。


 決して。決してエストがワイバーンを早く食べたいから野宿するのではない。本当だ。



「おっにく〜、おっにく〜」


「こんなに機嫌が良いエストは初めて見たわ」


「だってワイバーンだよ? 街で流通するオークより十何倍の値段で、かつ美味しくて栄養も豊富なんだよ? あの味は一生忘れないよ」


「食べたことがあるの?」


「一度だけ。僕の誕生日に、お姉ちゃんがステーキにしてくれたんだ……嬉しかったなぁ」



 いつもの拠点を構えると、エストはシスティリアの背中を見つめながら待っていた。その表情はとても柔らかく、チラりと振り返ったシスティリアが顔を赤くするほど。


 そろそろ11歳になるエストだが、まだまだ子どもである。切り分けたワイバーンの肉を焼きながら、システィリアが『そういえば』と切り出した。



「アンタの誕生日って、いつなの?」


「う〜んと、僕は実の親を知らないから、誕生日も知らないんだ。だから、師匠が決めてくれた……“青薔薇”が咲いた日が、僕の誕生日だって」


「……は?」



 システィリアはその言葉の意味を理解できず、料理の手を止めた。懸命に言葉を飲み込むと、己の認識と擦り合わせようと喉を鳴らす。



「青薔薇って……霊草、よね?」


「うん。不思議だよね。アレが薔薇なのは花の形だけで、実際は硬い茎と大きな葉っぱを作る、単子葉類だから」



 普通の薔薇とは違い、いばらも無ければつるも伸ばさない。魔女の館の裏にポツリと、冬の終わりに一輪咲く。


 希少性と花弁の効力から世界的に霊草と分類され、今ではその存在を疑う者すら出てきているほどだ。


 明確な誕生日が分からないなら、存在すら怪しまれる霊草の開花と同じ日にしてやろうと、魔女なりのユーモアで決められた。



「……存在したんだ。青薔薇」


「長く蕾を付けるから、今ぐらいになると毎日見に行ってた。今年も見たかったな」



 懐かしさを覚え、魔道懐中時計を開く。

 そこに映る魔女とアリアの顔が、声が、頭の中で再生される。冬に入る前から蕾を付けた青薔薇を見に行くと、決まってアリアが付いてきた。


 たった数分。確認をする程度で帰ってきては、魔女は『そろそろかのう?』と楽しみにしていた。


 何気ない開花が誕生日に変わると、それはもう盛大に祝うのだ。ご馳走に飾り付け、作るのが大変なケーキも用意して、青薔薇の開花とエストの誕生を祝う。



 カチャリと時計を閉じ、微笑む彼女と視線が交わる。



「寂しくない。システィが居るから」


「……当たり前よ。アンタにそんな思いをさせるほど、バカじゃないもの。でも……」


「でも?」



「……もし寂しくなったら、言いなさい。その……ぎゅ〜ってしてあげる……から」



 目を泳がせて言うシスティリアに、小さく笑う。それは、今まで魔女やアリアがしてくれたような、心の温もりに触れたから。


 例え愛されなくても、愛していたい。

 3つしか歳の変わらぬ彼女だが、大切な人を想う時は、素直で居たいと思えたのだ。



「ふふっ、いいよ。暑いから」


「んなっ! 人の気持ちを……!!」


「でも、そうだね……今日は冷えると思う。寂しくはないけど、抱きしめさせてよ」



 わずかに顔を赤くしながら、そう言った。

 赤い顔。今までに見ることがなかったがゆえに、その小さな変化は強く感じ取れたのだ。システィリアは元気に答えようと思ったが、それどころではなかった。



「う、うん……いい、わよ?」


「システィ! お肉焦げてる!」


「へ? ──ああああぁぁぁっ!!!!」



 黒焦げになった高級肉と、慌てる旅人。

 少しずつ変わっていく、2人である。

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