第80話 蒼く咲くにはまだ青い


「そろそろかのう?」


「まだ夏終わってないよ? ご主人」


「見ておらぬのか? 蕾になりかけておるぞ」


「……気が早すぎる」



 エストらがワイバーンの肉を楽しんでいる一方、魔女とアリアは変わらぬ日々を過ごしていた。

 平坦で、安全で、異変のない。柔らかくなりつつある陽射しが心地よく、日向ぼっこをしながら魔道書を読む。そんな日常。


 最愛の息子が旅に出てから、季節が変わろうとしている。


 そんな中、魔女は日課として青薔薇の様子を見に行くことでエストへの心配を紛らわせていた。

 リビングで温かい紅茶を飲みながらも、視線は南に向く。



「もう11歳か〜。あっという間だったね」


11歳じゃ。人としての善悪は理解しても、社会としての善悪は分からぬはず。特に貴族絡みはな」


「……そういえばルージュちゃんにも敬語を使わなかったね。もしかしてヤバい?」


「ヤバいぞ。貴族に軽い口調で話しかけて、罰を受ける可能性が高い。わらわの心配も分かるじゃろ?」


「まぁね〜。でも、エストなら大丈夫だよ〜」



 十分に有り得る未来を、アリアは軽く流した。

 どこかに自信があるのか、心配する素振りは見せない。窓枠に飾った花瓶のホコリを布で拭きながら、自信の源をこぼす。



「エストが貴族と関わる時は、きっと魔術が絡む。それも、エストの魔術を求める形でね。それ以外で貴族と話すことなんて、早々ないでしょ?」


「そうじゃな……そうであってほしい」


「サボってなければ、エストはどんどん強くなるよ。だって、11歳だから」


「……うむ。心も体も大きくなるじゃろ」


「どうする〜? たくさん女の子を連れて帰ってきたら。『全員僕のお嫁さん』とか言っちゃって」


「泣く。三日三晩泣いてやるのじゃ」


「あはは! 嬉し泣きかな〜?」



 笑うアリアの頭上から、木桶が落ちてきた。

 半透明な魔法陣が消えると、頭をさすりながら魔女に向かって口を尖らせる。



「まぁ、大丈夫じゃろ。リューゼニスもレッカも一夫一妻制じゃし、ちゃんと考えると思うぞ」


「うん。それより聞いてよご主人」

 

「なんじゃ、また最高級グラスを割ったか?」


「えへへ……じゃなくて! 指名依頼が来たんだよ〜。めんどくさくて断ったんだけど、ダメって言われてさ〜」



 あらかたの掃除を終えて魔女の対面に座ると、穏やかな口調で話しながらも、一ツ星に指名依頼が来る異常事態に触れた。



「またダンジョンが活性化? 活発化? してるんだってさ。あの女にやらせればいいのに」


「ネルメアとて忙しかろう。して?」


「放置……しちゃダメ?」


「ダメじゃ。受けた仕事はやり遂げろ」


「は〜い。はぁ……帰ってもエストが居ないからやる気出ない。お姉ちゃんしんどいな〜」



 怠けたい思いを隠しもせずに、懐から取り出したギルドカードに魔力を通す。すると雷の魔術が起動し、ギルド側と繋がった。


 若い女性の声が、アリアの通話に出た。



『アリア様!? 指名依頼の件ですが……』


「はいはい受けますぅ。だけど、ウチ以外の星付きも動かしてね。超忙しいのに行くんだからさぁ」


『既に二ツ星、三ツ星には連絡済みです。運が良いのか、アリア様以外は快諾でしたよ』


「うへぇ……そんなにピンチ?」


『はい。全国的にダンジョンの活動が激しくなっており、既に魔物が溢れた報告があがってます』


「A? B?」


『判明しているのはワイバーンまで。Aランク下位ですね。アリア様、どうかお願いします』


「──うん。ちょっと頑張るよ」



 思っていたよりもかなり上位の魔物が出てきたため、アリアは凛とした表情で頷いた。別に、ワイバーンが出てきたから気合いを入れるわけではない。


 溢れ出た魔物がエストに怪我をさせないために、狩りに行くのだ。


 行きは魔女に送ってもらい、帰りは馬車を使う。早馬を用意できれば、エストの誕生日までに帰ってこられるだろう。



 流していた魔力を切ると、アリアはメイド服の紐を解いた。エプロンを外し、自室にある外出用の服に着替える。

 特注の長剣を腰に差して、魔女に角と尻尾を隠してもらえば、世間の知る一ツ星冒険者へと変身した。



「どこから潰して回ろっかな〜?」


「北は寒いゆえ、南からかの?」


「う〜ん……誰か行ってそうじゃない?」


「星付きは往々にして気まぐれじゃ。関わりの無いわらわには分からん」


「じゃあ南でいっか。山越えるの面倒だし、ガルネトに飛ばして、ご主人」



 杖を出した魔女は、アリアに向けて振ろうとした。しかし、とある事実に気づいた魔女は時空魔術を使わなかった。


 様子のおかしな魔女に振り返ると、こてんと首を傾げるアリア。



「どしたの?」


「わらわ、ぼっちになると思うたんじゃ。どうせ一月ひとつき空けるなら、久しぶりに西の魔女と『てぃーぱーてぃー』でもするかとな」



 とんがり帽子を被ると、キッチンにあったティーセットが幾つか消えた。奥の部屋から順に消灯していくと、あっという間に魔女も出掛ける用意が終わっていた。



「いいじゃ〜ん! ウチも行きた〜い!」


「仕事が終われば来るとよい」


「けちんぼ。いいもん、ひとりでエストの誕生日を祝うから。独占パーティ」


「ならぬ。必ず家族で祝うのじゃ。よいな?」


「……うん」



 アリアは魔女を抱きしめた。少しの別れだが、寂しくない。ちゃんと2人で祝うことを約束すれば、魔女は小さく杖を振った。

 足元に現れた半透明な魔法陣が輝くと、アリアの姿が消える。次いで魔女の足元の魔法陣が輝き、遂には誰も居なくなってしまった。


 ひとりでにガチャリと鍵がかけられると、静かな森に風が吹く。


 ざわざわと草木が擦れ、館の裏に佇む蕾が揺れた。

 まだ、青薔薇は咲かない。

 冬の冷たい空気と質の良い魔力を大量に取り込むことで、その硬く冷たい蕾をこじ開けられるのだ。


 たった一輪の青い薔薇は、静かにその時を待っている。

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