第78話 魔道を歩む白狼


「どう? ローブは完成した?」


「はいは〜い、こんな感じでどうかな?」



 昼食のあと、ブラッシングでシスティリアのご機嫌をとったエストは服屋に来ていた。

 2人分の白いローブを受け取ると、片方は耳の形に合わせたポケットが用意されており、注文通りの加工に頷くエスト。


「ありがとう。大事にする」


「こちらこそ、あの像は革命だよ〜!」


 握手をしてから店を出ると、太陽が沈みかけていた。茜色に染まる空の下、宿に戻ったエストはノックをしてから部屋に入った。


 ベッドに寝転がって水の魔道書を読んでいたシスティリアの肩を優しく叩き、少し照れくさそうにローブを差し出す。


「システィ。これ、あげる」


「え……い、いいの? しかもお揃い……」


 起き上がった彼女が、純白のローブに袖を通す。

 本来なら邪魔になる耳がポケットに収まり、こんな服があったのかと目を輝かせながら尻尾を振っていた。


 尻尾用の穴は無いが、ゆったりと大きく作られたローブなら問題は無いようだ。


「杖があったら魔術師に見えるわね!」


「僕の杖、持ってみる?」


「いいの? やった! ──おっも。ハァ?」


 喜び、苦しみ、怒り。数秒の間に感情がコロコロと変わったシスティリアは、心の底から重たそうに両手で杖を持つと、エストを睨んだ。



「これ、鉄の棒よ。杖じゃないわ」


「良い重さだよね。槍としても使えるし」


「……今更思ったけど、普通杖って言ったら木製でしょ? どうしてこんな杖を持ってるのよ。変態なの?」


「ダンジョンで手に入れたんだ。それと、変態なのはシスティだと思う」


「だ、だだ、誰が変態よ! 撤回しなさい!」


「動揺しすぎ。本当に変態なの?」


「違うから! 絶対、断じて、違う!」



 杖を片手で受け取ったエストが机に立て掛けると、システィリアは彼がどうして強いのか、分かった気がした。


 アダマンタイトの杖は鉄よりも重く、おまけに尖端にあるミスリルも並の結晶よりは重量があるので、武器屋で買える鉄の剣よりもかなり重たい。


 そんな物を常日頃から持ち歩いているのだから、鍛えられるのは当然のことだ。



「そろそろ新しい魔術を作ろうか」


「えぇ……ホントにやるのぉ?」


「やるよ。完全に一から作るのは時間がかかるから、システィには既存の魔術を改良してほしい」



 気が乗らないシスティリアのフードを上げると、エストは幾つかの魔法陣を宙に浮かべた。

 その全てが水魔術であるが、多重魔法陣が入り組んでおり、彼女が知っている術式とは当てはまらない。



「それは新しい魔術って言えるのかしら? アタシからしたらパチモンよ」


「最近の魔道書は大体がそうなんだ。既存の術式を改良して、消費魔力を抑えて同じ威力を出す」


「ふ〜ん。ま、エストがいいならやるわよ」


「いずれシスティも分かる。そうやって出された魔術の改善点がね。さぁ、どれからやる?」



 魔法陣を見せながら説明を受けたシスティリアは、数秒ほど考える。パッと顔を上げると、広範囲に渡って細かい水飛沫を出す魔術を選んだ。


 エストが雑草を刈る魔術を作ったのを思い出し、農業系の魔術を作ってみたくなったらしい。


 実はこの魔術、キーワードも作られていないほど新しい術式であり、発案者も研究を続けている最新の魔術だったりする。


 それを知っているエストは、悪い笑みを浮かべながら魔法陣の意味と構成要素を書いていく。



「何これ。なんというか、無駄じゃない?」


「というと?」


水球アクアを小さくして、数を増やせばいいじゃない。多層魔法陣なら出来るでしょ?」



 元の術式は基盤として『大きな水の塊を細かくする』という工程があるが、そこから覆したいようだ。しっかりと話を聞いてから頷き、念の為に街の外で試すことに。


 背の高い草で広がる草原に向かって、システィリアは両手を前に出した。


 直径1メートルの、青い単魔法陣が浮かぶ。

 構成要素は6つ。魔力の調整も完璧。

 小さく息を吐いて集中すると、同じ魔法陣が何層にも重ねられていく。


 そうして10個の魔法陣が同時に輝くと、指先より少し大きな水の玉が魔法陣の数だけ落ちていった。


 わずかな水分を草原が飲み込むと、仮にも上級魔術を模したとは思えないほど虚しい空気が流れる。



「なるほどね。アタシが間違ってたわ」


「別解かな。一応そのやり方でもできるよ」



 杖をシスティリアに預けると、エストは同様の構えで魔法陣を出現させた。水魔術の基本である、水球アクアだ。最初のひとつを展開する。ここまでは同じ。


 だが、それ以降が全く違う。


 最初の魔法陣を起点に何百を超える水球アクアを重ねていき、円柱のような多層魔法陣を作り上げた。

 そして、恐ろしいことにその多層魔法陣を複製した。



「ちょちょちょ、何よそれ!」


「システィのやり方でも、真似はできるんだ。ただ、びっくりするぐらい力技だけどね」


「力技にも程があるでしょうが!」



 合計7つの円柱状になった魔法陣が、蜂の巣のような六角形を成す。魔力と技術の力技で作られたソレが輝くと、細かい水の粒子が草原に降った。


 わずかな時間だけ虹が現れ、草たちが濡れている。



「こんな感じ。一概に不正解とは言えないけど、正解から一番遠いやり方だね」


「本当にアンタは……はぁ。考えなきゃ」



 フードを深くかぶり、顎に手を当てて思考する。

 エストは彼女の後ろに土の椅子を出すが、システィリアは立ったまま唸っている。邪魔をしても悪いと思い、静かに距離をとった。


 街には外壁が無いせいか、人の声がエストの居る場所まで聞こえていた。

 土のソファに座り、手のひらアリアを作っていると、肩に乗せていたネフが草原に突っ込んで行った。


 少しして、ミミズを咥えて戻ってきた。



「意外だ。狩りはできないと思ってた」


『……ピィ? ピッピィ!!』


「ごめんごめん、怒らないで」



 果物しか与えていなかったエストは、ネフが虫も食べることを知らなかった。これからは虫も採取対象に入れると言うと、ネフはミミズを丸呑みにする。


 このままでは丸々と太ってしまうのでは、と心配するエストだが、自業自得と割り切ることにした。



氷像ヒュデア。どう? ちっこいネフ」


『……ペッ!』


「へぇ、面白い。唾吐けるんだ」



 エストの手から像を蹴落とすと、唾を吐いてから両翼を広げた。代わりなんて要らねぇ! とでも言いたげにふんぞり返っている。

 砕けた氷に威張る姿がどこか可笑しく、指の背で撫でるエスト。



「そろそろかな。システィの才能が分かる」



 おもむろに立ち上がり、彼女の背後に立つ。

 フードを脱いだシスティリアの髪が、ふわりとなびく。研ぎ澄まされた集中力から多重魔法陣が現れると、エストは口角を上げた。




 魔法陣が輝くと、人がすっぽり入りそうな水の塊が浮かび、何か大きな物で打たれたように、大小様々な水飛沫が飛んだ。


 小さな虹が現れ、システィリアは振り返る。



「……ど、どう?」


「最高。単属性の改良だとこれが最適解だね」



 大きな水の塊に、魔力をぶつけて弾けさせる。

 魔力の衝突さえも術式に組み込むことで、結果として求められる『広範囲に渡って細かい水飛沫を上げる』を達成した。


 少々の粗はあるものの、つい最近上級魔術を覚えたとは思えないほど、格段に消費が抑えられた魔術だった。


 小さく拍手をしながら褒めようとすると、システィリアが首を傾げた。



「これ、何の役に立つのかしら?」


「ヒントと答え。どっちが欲しい?」


「え? そうね……じゃあヒントで」


「打ち出す前の水って、綺麗なんだよね」



 それだけ言うと、また彼女はう〜んと唸って考え始めた。しかし、今回はすぐに答えを見つけられたらしい。

 閃いた! という顔で目を合わせると、人差し指を出して言う。



「毒を混ぜて使えば、大変なことになる!」



「そういうこと。魔物には効きにくいだろうけど、人にはよく効くと思う。上級魔術に分類される理由、分かった?」


「ええ! それ単体では効力が弱いっていうのは、風域フローテと同じなのよね! 完全に理解したわ!」



 嬉しそうに頭を差し出すシスティリアに、これでもかと撫でて褒めるエスト。ローブの中で暴れる尻尾を見て、今夜はいつも以上に綺麗にしてあげようと決めた。



「にしても、元の術式は無駄が多すぎる」


「アンタならどうやって改良するの?」


「風魔術と合わせる。水球アクア風針フニスをぶつけるだけで再現できるから、初級2回で終わり」


「……ずるいわねっ」


「だからシスティは凄いんだ。ちゃんと水魔術だけで改良してる。魔術師として尊敬するよ」



 ぎゅ〜っと抱きしめると、システィリアの心臓が大きく暴れ出す。一周まわって尻尾が動かなくなり、エストが見たことのないほど顔が赤くなっていた。


 ヘロヘロに脱力し、放心状態となった。



「システィ? 大丈夫?」


「……死ぬる」


「まだ死んじゃダメ。ほら、帰るよ」



 杖と背嚢を氷の糸で結ぶと、お姫様抱っこでシスティリアを連れて行く。


 街の人々に微笑ましい目を向けられるたび、彼女はエストの腕で顔を隠した。途中、公園で一緒に遊んだ兄妹とすれ違い、『王子様だ〜!』と叫ばれた時にはエストの頬に力が入った。


 宿に戻ってシスティリアをベッドで寝かせると、ローブを脱いだエストが呟く。




「恥ずかしかった。明日には出よう」

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