第77話 晩夏にむけて
公爵領を発ってから2週間が経過した。
夏の陽射しも幾分か弱くなり、新たな街に足を踏み入れた一行は、宿をひと部屋とって荷物を置いた。
「つ、疲れた……今日はもう休みましょ?」
「じゃあ僕は街を歩いてくる」
「ホント体力バカね……それでも魔術師?」
「魔術師だから、だよ。ネフも休んでて」
出会った頃より一回り大きくなったネフをシスティリアに預けると、エストは杖も持たずに部屋を出て行った。
今回立ち寄った街はそこまで広くなく、どちらかと言えば村と呼ぶ方が正しいかもしれない。
レンガで舗装された道に、木造の家々。
小さな屋台では野菜や果物が多く売られており、馬車に香辛料を詰めた袋を積む様子から、この街も農業が盛んなことが分かる。
ぶらぶらと屋台を見て回っていると、草原を小さく切り取ったような広場に入ったエスト。
「うわ〜、兄ちゃんの髪しろーい!」
「ほんとだー! まっしろー!」
広場を裸足で駆け回っていた兄妹がエストを見つけると、物珍しそうな顔で走ってきた。
およそ6歳くらいの兄の方は髪が赤く、その1つ下であろう妹は黄金の髪を肩まで伸ばしていた。
エストは片膝をついて2人に目線を合わせると、優しく微笑む。
「何して遊んでいたの?」
「吸血鬼ごっこ! 兄ちゃんもやる?」
「吸血鬼ごっこ……? どんな遊び?」
「知らないの? えっとね〜、ジャンケンして負けた人が吸血鬼になる! それで、人間側を追いかけてタッチするんだ!」
「タッチされたほうは、きゅうけつきになるの!」
大人数で遊ぶ時は人間側が最後の一人になるまで。
少人数で遊ぶ時は、全員が吸血鬼になったら終わりというもの。
吸血鬼はその昔、魔族とも人族とも言われていた、伝説上の種族である。今はもう絶滅しており、おとぎ話や伝承でしかその名を聞かない。
珍しい遊びの名前だが、要はかけっこであると認識したエストは、吸血鬼ごっこの誘いを受けた。
「じゃあ、僕が吸血鬼になろう。10数えたら追いかけるね」
「うん! 広場から出たらダメだよ!」
「わかった。さぁ、逃げて」
腰にある魔道懐中時計を開き、正確に10秒を数えるエスト。今は昼の少し前。吸血鬼ごっこが終わったら昼ごはんを食べると決めれば、10秒が経った。
時計を仕舞うと、エストの顔つきが変わる。
軽く腰を落とし、左足を後ろに下げる。
右の太ももを軸にして、一気に左足で地面を蹴った。
地面が僅かに抉れると、凄まじい速度で兄の方へと駆けていく。日頃から鍛えているおかげで、その差は数秒と経たずに詰めていった。
「──はい、タッチ」
「は、速ぇええええ!!! すげぇ!!」
「次は妹の方だね。捕まえてくる」
再度同じフォームで走ろうと思うエストだが、それでは面白くないと思い、兄と協力して挟み撃ちにしようと計画を立てた。
兄を先に走らせて妹の逃げ道を読んでから、エストは駆け出す。
みるみるうちに差を縮め、肩をタッチしようとした瞬間、兄の方が躓いてしまい、妹と一緒にコケてしまった。
「いてて……大丈夫か?」
「うぅ……いたいよぉ」
吸血鬼ごっこを中断すると、兄妹揃って右膝を擦りむいていた。
このままにすれば傷口から菌が入るかもしれないので、2人を座らせたエストは妹の膝に右手をかざした。
「
「え……なんで? いたくない!」
続いて兄の方も傷口を洗ってから治してあげると、2人から輝いた目を向けられるエスト。
「すげぇ……兄ちゃん魔術師なのか?」
「かっこいい……あーちゃんもなりたい!」
「あーちゃん? まぁ、魔術師は誰でもなれるよ。魔力操作と運動を続けて、魔道書を読んで魔術を覚える。それだけ」
エストの言った『それだけ』が実に難しいものか、2人は知らない。その言葉の意味も理由も分からない。
ただ、目の前で起きた奇跡のような魔術を見て、今言われたことをすれば同じ魔術師になれることは分かったのだ。
「お、オレも魔術師になる!」
「そっか。じゃあ2人で頑張ってね」
兄妹の頭に手を置くと、立ち上がるエスト。
それを見た妹は、寂しそうな目で見つめていた。
「おにいちゃん……どこいくの?」
「適当に歩くだけ。それじゃあ」
そう言って広場を出たエストは、振り返ることなく屋台のある通りへと歩いて行く。
少女本人は気づいているのかいないのか、珍しい光の適性を見ることができた。魔術師を目指すとも言っていたので、エストは満足そうに屋台を見ている。
「おばちゃん、パン6個ちょうだい」
「はいよ〜、お、見ない顔だね。どこかの貴族様かい?」
「ただの旅人。あと、どこかに服屋はある?」
「隣にあるよ。はい、パンね」
「ありがとう」
代金を支払って紙袋に入ったパンを受け取ると、そのうちのひとつを齧りながら服屋に入った。
生地や革の匂いがするが、新たに焼きたてのパンの匂いが参入する。
ズラリと掛けられた大量の服を無視し、カウンターからじっとエストを見ている若い女店主に声をかけた。
「少し厚手のローブを2着」
「……貴族様?」
「貴族はパンを食べながら店に入るの?」
「……確かに! ちょっと待ってて」
カウンターから出た店主が店内のローブを2着カウンターに置くと、慌ただしく店の奥に入って行った。
2つ目のパンを齧っていると、白いローブを手にした店主が奥から現れた。
「お金に糸目を付けないなら、こっちの
「……厚手って言ったのに」
「っ! あちゃ〜、ごめんね。そっか、秋に向けて言ってたのか。それじゃあこっちのローブかな」
白いローブを置くと、先に選んでいた焦げ茶色のローブを前に出した。注文通り生地は少し厚く、今着るには暑いが、秋から着る分にはちょうどいいだろう。
しかし、エストの目は白いローブを見ていた。
「白い方はいくら?」
「1着20万リカ。高すぎて買えないでしょ?」
「2つ買う。片方は獣人用に加工できない?」
「……本当に買えるの?」
「はい。加工費入れて50万。足りる?」
エストはポケットから皮袋を取り出すと、店主は口を開けたまま中を確認した。そして確かに50万リカを受け取ると、瞬時に職人の顔に変わる。
「耳の形はどんな感じ?」
「えっと……
隣に等身大システィリア像を出すと、またもや店主の口がポカンと開いてしまった。
数秒して我に返ると、小さく頷きながら手元の紙に写しながらポツリとこぼす。
「その像を対価にすれば良かった……」
「いいよ? 焼成したら残せるし」
「……マジ? マジでいいの!?」
目を輝かせて喜ぶ店主は、エストの両手をとってブンブンと縦に振った。服屋にとって等身大の像は非常に有用であり、服作りにも役立つ他、服を見せることにも使えるのだ。
皮袋をエストに返した店主は、白いローブを持ってエストを店の奥に招き入れた。
「えっと、何個ぐらい作れる?」
「何個でもいいよ」
「っしゃあ!! じゃあさっきの獣人の男女と、私くらいの身長の男女。それと5歳くらいの子どもも追加! 男女で!」
大量の生地が保管されている部屋に、合わせて6体の土の像を作り上げた。店主は魔法陣も見せずに一瞬で出来上がることに驚いていると、続いて焼成も始まったことで目を見開いた。
「はい、完成。これでいい?」
「……完っっっ璧!!」
「加工はいつ終わりそう?」
「革はまだあるし、今日中にできるよ。夕方くらいに取りに来て」
「わかった。じゃあ、またね」
やる気に燃える店主と約束をすると、太陽が真上に来ていた。そろそろ宿に戻らないとシスティリアに悪いので、気づけば残り3つとなったパンを持って宿へ向かう。
今日はこれから何を食べようかな〜と思ってドアを開けると、上裸のシスティリアが着替えている最中だった。
「ただいま。お昼は別の宿屋で食べない?」
「……っ!! み、見るなぁ!!!!!」
目を合わせ、顔全体を赤くしたシスティリアは胸を隠すことなく、凄まじい速度で接近して拳を振りかぶった。
しかし、彼女の動きを見慣れているエストは見事に対応し、獣人の本気の拳を回避してしまう。
「速い。いいね、殺意を感じる」
「うぅ……裸、見られたぁ……」
しゃがみこんだシスティリアの背中に替えの服を掛けると、エストはネフを頭に乗せた。
「おっきくなるし……成長期だし……」
「身長の話?」
「胸の話よバーカ!!」
「大きい方がいいの? 戦う時邪魔しない?」
「……うるさい! しらない!」
久しぶりの不機嫌モードに入ったのを見て、エストは首を傾げた。今回は何が原因で不機嫌になったのか、分からなかったのだ。
着替えたあとも小声で『大きくなるもん……』と唱える彼女を連れ、『たくさん食べたら大きくなるんじゃない?』と、これまたデリカシーに欠ける発言をするエストである。
これにはネフもやれやれと頭を振り、システィリアの肩に乗り移ったのだった。
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