第168話 魔魔賢者女女
「賢者エスト。“あの”氷龍が認めた魔術師。使う魔術は氷を筆頭に6属性。魔術師でありながら肉弾戦も得意……どう? 合ってるよね?」
「合っとるのか?」
「合ってるんじゃない?」
「本人が分からんようじゃ。ネモ、精査せい」
魔女の会談に突入したエストたちは、本来ならボコボコにされるところを『賢者だから』という理由だけで免れた。
そして魔女ネモティラの客人というのが、年末恒例のティーパーティーをしに来たエルミリアだったのだ。
魔道書と光を放つ植物に覆われた部屋の中、長机に変えて再開されたティーパーティーは、実に不思議な状態で続いている。
ネモティラの対面に座ったエストの膝の上にエルミリアが座り、その隣にシスティリアが。更に隣にブロフが座ると、ネーゼは緊張した表情でネモティラの隣に移動した。
膝の上の魔女は終始笑顔であり、その溺愛っぷりがこれでもかと溢れていた。
「僕から付け足すなら、システィの婚約者でBランクの冒険者。システィの寝癖を直すのに30秒。尻尾を整えるのに2分で終わらせる技術があることだね」
「なっ、お主、婚約したのか!?」
「ラゴッドで出会えたから、その時にしたよ」
ネモティラは人族と獣人の婚約に目をぱちぱちとさせ、顔を上げたまま呆然とするエルミリアは、不意にその両目からポロポロと雫を落とした。
突然泣き出した様子にシスティリアが驚くと、彼女の左手をエルミリアが握る。
「……エストは、謙虚に見えてその実わがままな子じゃ。己の中にアダマンタイトよりも硬い柱を立て、流されぬ性格をしておる。それゆえ、他者と比べて異物感を覚えることもあるじゃろう。じゃが、言い換えればお主だけを愛する覚悟を決めたという証明になる。大変なこともあるじゃろう。喧嘩することも考えられる。じゃが、どうか……どうかわらわの息子を、よろしく頼む……」
お茶会の空気が一気に重く湿った言葉に支配されるが、発言者が膝の上に座っているだけあって重くなりきれない。
しかし、初めて婚約したことを知った以上、魔女の言葉をしっかりと受け止めたシスティリアは、魔女の小さな手を両手で包んだ。
「全部、経験したわ。アタシの方こそ、わがままでエストを振り回すことがあるの。それでもエストはアタシのことを大好きだって、愛してると言ってくれた。エストはアタシをたくさん助けてくれたの。だから、今度はアタシが助けたい。どんな小さなことでも、彼の力になれるなら全力を尽くすわ。アタシの生涯をかけてエストを愛することを、約束します」
しっとりとした空気なのに、その中心に居るエストが膝の上に乗せているだけあって絶妙な空気感が広がった。
ネモティラも内心で『場違い感』と呟いたが、親友の息子と義理の娘が大切な話をしていることは分かっている。
あまり自分には関係の無い話だと思いつつも、めでたい空気に変わっていく。
そんな中、本当に己の中に硬い芯を持った男が居た。
「あ、この紅茶美味しい。僕の好きな香りだ」
何言ってんだこいつ。そんな視線が刺さっても、エストは紅茶の二口目を含んでいた。
「一応、貴方の親と妻の会話よね」
「そうだね。システィの敬語にはちょっと驚いた」
「素直な人。ここまで心が澄んだ人は初めて見た」
「君の方こそ、面白い花を使ったね。ゲシュタンティス……自白作用のある花粉が舞ってる」
魔女の頭の上でティーカップに口を付け、鋭い眼光でネモティラを射抜く。
それはシスティリアの嗅覚を持ってしても嗅ぎ分けられないほど無臭化された花粉であり、ゲシュタンティス特有の黒い花弁はこの部屋に見当たらない。
もとより、目に見えない量の花粉しか出していないのに、エストは気づいたのだ。
初めて花粉を使ったことがバレたネモティラは、心からの笑みを浮かべていた。
「凄い凄い! どうして分かったの?」
「僕、空間魔術が使えるからね。周囲の異物は大抵わかるんだよ。次からは紅茶に混ぜ込んだ方が気づかれにくいと思う」
「そんな小さな花粉も分かるんだ……面白い情報。でも、どうして分かってて吸い込んだの? 普通吸わないように吹き飛ばすよね?」
「害は無いからね。おかげでシスティが愛してるって言ってくれたし、僕としては感謝してるよ」
ゲシュタンティスの花粉は主に尋問やスパイが使う危険植物の一種だ。魔力と絡んだ特殊な花粉は、脳内の『嘘』に激しく作用し、つい本音を口に出してしまう。
そうやって様々な情報を吐き出させる時に使うのだが、エストは無害と判断して対策しなかった。
むしろ、人前で愛してるなんて言わないシスティリアからその言葉を引き出したことを、心の底から喜んでいた。
これで2人の愛に偽りが無いことの証明になる。
エルミリアも、より一層安心して送り出せるというもの。
「はぁ、わらわとシスティリアが感動的な空気を作っておったのに、肝心なエストとネモがバチバチしておるぞ。面白そうじゃな!」
「全部漏れてるわよ、エルミリアさん。あ、いや……お義母さん?」
「ふっ、好きな呼び方で構わん。エストなんざ師匠じゃぞ師匠。わらわ、いつまで師匠をやっておるのか。今じゃとわらわが教えてもらうぐらいじゃろうに。次に師匠と呼ぶのは孫であろう?」
「ほ、本当に全部口に出てるから! 何も言わない方がいいわよ!?」
魔女が『おっと』と口に手を当てた時にはもう遅い。心の奥底に仕舞っていた本音が全てぶちまけられ、好奇心と孫への期待がバレてしまった。
顔を赤くして誤魔化すシスティリアだったが、あいにくこの場には長命の種族しか居ないため、孫だのなんだのという会話に反応する者は居なかった。
「子ども、作ってないの? 獣人の性欲はかなり強いはず。人族もその次に強かった。不能?」
「我慢してるだけだよ。僕だってシスティをめちゃくちゃにしたい時があるけど、子どもができたら旅に支障が出ちゃうからね。後のことを考えたら、我慢するしかないんだ」
「ちょちょちょ、エスト!? アンタも何から何まで全部口に出てるわよ!?」
「これは僕が真剣に考えて出した答えなんだ」
茶化すつもりは無いと断言し、
「「魔術と同じ」……じゃろ?」
「流石師匠。何でもお見通しだね」
「わらわ、お主のママじゃからな!」
本当に茶化すつもりが無いのか疑問に思うシスティリア。この2人、考えているように見えて実は脊髄で会話しているんじゃないかと疑ってしまう。
だがエストの返答は今までに聞いたものと同じであり、自分なりの答えを出すのは魔術と同じだ。
かなり上手いことを言ったなと、感心してしまった。
そんなことを思っていたところ、いつの間にかエストの前に現れたエメラルドグリーンの単魔法陣から桃色の花が咲いた。
ふわりとエストの鼻から香りが突き抜けると、ネモティラは悪い笑みを浮かべる。
「子どもは作るべきよ。賢者と獣人の子どもはまだ見たことがない。でも、きっと物凄く優秀な子が産まれると思うの」
「ア、アンタ……エストに何をしたの?」
「ちょっと本能を揺さぶる
「……それって、媚薬の」
「ええそうよ。貴女も知識があるのね。尚更子どもが楽しみね。その時は是非祝わせなさいよ」
このままではエストが大変なことになる。
そう思っていたシスティリアだったが、隣で魔女を抱えるエストの表情に変わりは無かった。
「……嘘。どうして直接嗅いで平気なの?」
「いや、別にこれくらい我慢できるし。魔術師の自制心は舐めたらダメだよ。魔女なのにそんなことも知らないの?」
「──な、なによこの男! ムカつく!」
「これ、ネモ。そんな煽りに乗ってはお主の格が落ちるぞ。そんなことも分からんかのぅ?」
「……くっ、花粉なんて撒かなければ……!」
親子揃ってネモティラの神経を逆撫でするが、全ては己が撒いた種である。ゲシュタンティスの花粉を撒かず、下世話なことをしなければ良かったのだ。
魔女と言いつつも中身は実に子どものよう。
長く尖った耳からエルフだとは分かるが、どこか他のエルフとは違う雰囲気を放っている。
その答えを知っているのはエルミリアだけだったが、カップの紅茶を飲み切ったエストがポツリと零した。
「自然の精霊ってお茶目だね。面白くて好きだよ」
「──ッ、な、何を言ってるの?」
「違和感があったんだ。ネモティラ、君は人間ともエルフとも違う不思議な魔力を持っている。なんて言うのかな……濁ってないんだ。この魔力の感じ、前に会った精霊ととても似ている。だから君が自然の精霊そのものだと思ったんだけど……違うかな?」
精霊樹の前に立った時の懐かしさ。
それは実家を彷彿とさせるものだったが、同時に異界式ダンジョンの最奥のような異質感もあった。
「ほう、エストはもう精霊と会うたのか?」
「ダンジョンでね。僕の適性についても、答えをもらったよ。後で話すね、師匠」
エストの適性についてはずっと疑問だった魔女は、ようやく謎が解けるのかと好奇心を抑えられずに居た。
そして、目を泳がせて視線を合わせなくなったネモティラを見て、先程の予想が当たっていたと理解したエスト。
彼女がなぜ喋ろうとしないのか。
口を開けば真実を語ってしまうからだ。
「別に言いふらしたりしない。ただ、賢者リューゼニスが僕をここに導いた理由が知りたいんだ。教えてくれる?」
あまり聞いてはいけない話だと思い、席を立つネーゼだったが、扉が木の根で塞がれており、ネモティラの『座れ』という圧に屈してしまう。
ポットに入っていた紅茶を注ぎ、エストに差し出す
「……ここまでバレるとはね。エル以外だと貴方が初めて。ホント、親子揃って素質の塊なのね」
観念した様子の彼女は、ぽつりぽつりと初代賢者の狙いを話し始めた。
「ジオ君には話を聞いてる。魔族と戦うための味方が欲しいと。でも、私は龍ではないから力の継承ができない。そこで、頼まれたのよ…………
『エストが来たら、自然魔術を教えてやれ』
ってね」
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