第169話 魔術師のような精霊
「まだ引っかかるなぁ。それだったら先生は、自然魔術を教えてもらえることを僕に言うはずだ。まだ何か隠してるでしょ? ……ネイカ」
魔女を膝の上に乗せたまま、エストは疑いの眼差しをネモティラこと自然の精霊ネイカに向ける。
魔術における詠唱のキーワードにもなった精霊の名前だが、上位属性を司る精霊を知る者は限りなく少ない。
以前に他の精霊と会ったと言うエストが、ネイカの名を知るには同等以上の精霊と会話したと分かる。
ジオが覚えさせたという空間魔術が使えることから、空間の精霊ロェルと出会ったのだと察した。
「隠してない。これは本当。私としても、魔族の根絶は望んでいること」
「ふ〜ん……僕やシスティを危険に晒すなら、全力で戦うからね」
「ロェル様に何を言われたのか知らないけど、私は賢者エストとその仲間に害することはしない」
断言するネモティラに、エストは反論する。
「君が気まぐれに種族を消したことは、クェルから聞いた」
「えっ…………クェル様、から?」
「あの精霊は人間に対して期待も何もしていない。繁栄しようが、絶滅しようが、それも世界の在り方だと思ってる。でも、そんな認識を持っているクェルが僕に言うってことは……何か意味があるかもしれない」
短いように感じたエストと時空の精霊の会話。
本来ならもっと短く、それこそ数秒程度で終わるものだったが、クェルはとある理由から時間の流れを歪めたのだ。
エストに見せた時間魔術の魔法陣。
あれこそが、理の血と呼ばれる時間を操る魔術であった。
「ど、どうして!? どうしてクェル様に会ったのに、何もされていないの?」
「真っ先にそこを疑う辺り、怪しさが増すね」
「答えて! あの方は悪戯に生命の在り方を変える。ジオ君だって、エルだって……あの方に狂わされた!」
ジオはクェルの悪戯で歳をとらなくなった。
その話自体はエストも聞いたことがある。だが魔女もそうだとは初めて知った。『本当?』と聞いてみれば、隠し事が見つかった子どものように、魔女は小さく頷く。
しかし今話しているのは自然の精霊だ。
彼女がエストやシスティリアに手を出さないか、信じられる確証が要る。
「僕の適性はロェルたちですら見たことがなかったからね。単純な興味だと思う」
「……どんな適性?」
「それは後で話そう。さぁ、僕は質問に答えた。次は君が、本当に自然魔術を教えるだけか答えてもらうよ」
普通の人間ならば、精霊は超常的な存在だ。
恐れ、敬い、信仰の対象になる。
そんな相手に対等な取り引きを持ち掛けたエストに、黙って聞いていたネーゼとブロフが感嘆の息を漏らす。
あくまで求めているのは危害を加えないこと。
たった一言、『いいえ』と貰えたらそれでいいのだ。だというのに、目の前の精霊は答えを言わずにいる。
その沈黙はもう、我慢ができない。
ネモティラの口から紡がれた言葉は、エストの視線をより冷たいものへと変える。
「……実験台に、しようとしてた」
「なんの?」
「……“自然の種”を付ける。賢者は色んな属性を使える。だから、耐えられると……思った」
「実験した生物がいるなら、結果を教えて」
「牛は丘に。ゴブリンは木に。オークは岩になった」
「そう。ドラゴンでは実験した?」
「……あの子たちは私を恐れる。出来ない」
生物を無機物や環境そのものへと変化させる種を植え付けようなど、最初から殺すようなものだ。
それにはシスティリアやエルミリアからも冷たい視線が浴びせられ、段々と居心地が悪くなってくる。
目の前で婚約の話をした2人が、黙ってそんな実験に付き合わせるわけがない。精霊は精霊であり、人ではない。その実験を隠していたことにも不信感が募る。
「試したくなる気持ちはわかるよ。前までの僕なら、喜んで受け入れていただろうね」
「……エスト?」
「でも今の僕には受け入れられない。この体は、僕とシスティのものなんだ。今のところ全員が死んだ実験に乗れるほど、僕は馬鹿じゃない」
当然の答えだった。仮に実験に協力したとして、エストの内包する魔力が自然へと繋がった時、それは今の環境を破壊することが容易に考えられる。
2代目賢者など比にならない被害を出すのは明白だ。そんな未来を回避しないのは愚かであり、魔族よりも恐ろしい存在になってしまう。
左腕を魔女の前に回し、右手でシスティリアの手をとったエストは、実験は無しで自然魔術を教えてくれないかと言う。
「……対価。魔術を教える対価が欲しい」
「命に関わらないのなら、払わせてもらうよ」
「じゃあ賢者エストの魔力をちょうだい。向こうの部屋に透明な魔石がいっぱいあるから、全部に魔力を注いで。それで実験する」
「そういうことなら。それにしても君、精霊なのに魔術師みたいだね」
話が丸く収まりそうになったところで、エストは少しずつ感じていた疑問を口に出す。この精霊は、ロェルたちと違って生物のような生き方をしているのだ。
この世界を統べる、自然の精霊だというのに。
「……私だってこの世界を知らないもの。ロェル様やクェル様と違って、自分で見ないといけない。でも、また精霊だと知られたら人間が寄ってくる。崇拝されたら、終わり」
「あ〜……自然崇拝は文明が衰退するんだっけ」
精霊として人前に出ようものなら、人工物を捨てて野生に帰る宗教が生まれてしまう。土器や木を削り出した武器を持つなど、衰退への道を辿った歴史が既にあるのだ。
エルフは人族の近くに居れば滅んでしまうが、ネモティラは人族を滅ぼしかねない。
双方の選んだ選択肢が、たまたまこの森での永住だったのだ。
「そう。人間の強みである文明の構築を止めるのは、私が生んだ生命を自分の手で殺すことになる。だから今も、滅多なことが起きないと人前に出ない」
「ネモはその過程で、えらく人に寄り添うようになってしまっての。本人じゃって世界を見たいが、人前に出られぬゆえ、こうしてわらわが人間の世界のことを話しに行くのじゃ」
「なるほどね。今の見た目でもダメなの?」
「……前に山を直した時、人に姿を見られた。精霊じゃなくても、魔女だとバレたらいずれ知られる」
難儀な話だ。精霊本来の球体の姿はダメで、今のエルフの姿もダメ。それに、見た目だけを変えても内から溢れる澄んだ魔力は隠せない。
システィリアのように魔力を感知できる者なら、ネモティラが異常なことはすぐに分かるだろう。
そうしたところで、エストは流れるように話題を変えた。
「ま、どうでもいいや。自然魔術を教えてよ」
「……へ? 今の、どうにかして私を助ける流れじゃなかった……?」
これには全員から視線が向けられるエストだったが、ピシャリと言い放つ。
「助けるなんて言ってないし。それに、君が山を直したのは100年以上も前なんでしょ? だったら誰も覚えてないよ」
「……っ! 人間の寿命は70年程度。確かにもう……」
エルフやエルミリアのような長命、或いは不老の存在に囲まれていたことで忘れていた。儚くも人間とは、70年も生きたらその活動を終えるのだ。
人に指をさされることなく世界を知るには、充分な時間が経っている。
「でも君の魔力は隠せない。僕としては、研究するべき部分はそこだと思う」
「確かに……どうして私、気づかなかったの?」
自分の両手を見ながら呟くネモティラに、睨むような視線をやめたエスト。ふとテーブルを見て、火力を抑えた
ついでに魔女の分もおかわりを淹れると、嬉しそうに受け取った。
「賢者エスト、礼を言う。私は間違っていた」
「ん? ようやく正解を見つけたんでしょ? 誰も今までが間違いだなんて思ってないよ」
「エストの言う通りじゃ。ネモはわらわが遊びに来た今までのことを、間違っていたと申すのか?」
新たな道が照らされたのだ。今まで歩んできた道のりが違うと言えるほど、ネモティラも馬鹿ではない。
ふるふると首を横に振れば、魔女は大層嬉しそうに紅茶を啜る。
「わらわたちは、時の流れに疎くなる。10年や20年など、ふとした瞬間に過ぎているものじゃ」
「……ええ」
「じゃが、普通の人間はそうではない。1年を、1日を大事に生きておる。限られた時間を最大限に楽しみ、苦労を重ねる。ネモティラ。お主はわらわよりも重度の引きこもりじゃ。此度のエストとの会話は、刺激的なものじゃったろう」
「……あの時私を見た人が死んでるなんて、思いもしなかった」
「うむ。これを機に、魔力をどうにか出来れば世界を見てくるが良い。そして今度は、お主がわらわの家を訪れよ」
優しく微笑む魔女の温かさは、エストもよく経験したものだった。
「……今度は、私から」
「精霊であるお主の視点ならば、また違った面白さを感じるはずじゃ。それをわらわにも共有せよ。楽しみの独り占めは許さんぞ?」
次に遊ぶ約束を取り付けた子どものように、魔女はニッと歯を見せて笑う。それに釣られてネモティラも笑うと、同じく少女の笑みを浮かべた。
「うん! 絶対行く。約束」
かくして、命を対価にすることなく自然魔術を教わることになったエストは、習得までの期間をこの集落で過ごすことになった。
精霊樹の
せっかくだから魔女も泊まっていくといい、エストとシスティリア、そして魔女が同じ部屋になると、ブロフはそっと離れた部屋に入った。
旅の話を聞きたかった魔女だったが、途中からシスティリアとの惚気話になり、エストの溺愛っぷりにアリアを重ねた。
また3人で……次は4人で机を囲もうと、小さく胸に誓うのだった。
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