第167話 精霊樹の根元
「エルフは初めて見たよ」
「私も人族は初めて見た。それに、獣人にドワーフなど……どれも人族とは仲が悪いと聞いているが」
4人のエルフと邂逅したエストたちだが、彼女たちが住まう集落へ案内する前に、同行を許せる者か簡単なチェックが行われている。
エルフはドワーフと同じくして精霊の半身とされる種族だ。体内に保有する魔力量が全生物の中でずば抜けて多く、数千年の時を生きる者も居る。
新陳代謝が極めて遅く、生物としてのサイクルがとても緩やかなため怪我の治りが遅かったり、エルフ自体の数がとても少ない。
不老ではあるが不死ではない。
人族の近くは絶滅の危険があるので、深い森の中でひっそりと暮らしているのだ。
「こっちのシスティリアは僕の婚約者で、ブロフは戦士なんだ。2人とも旅の仲間だよ」
「ほう……嘘くさい話だな」
「別に信じなくていいよ。僕はエルフに用は無い。精霊樹に用があって来たからね」
精霊樹という言葉を聞いた瞬間、4人は血相を変え各々の武器を構えた。絶対に精霊樹には近づかせまいと、その気迫から伝わってくる。
対抗するようにブロフとシスティリアも武器に手をかけたが、エストが無抵抗であることを見て手を離す。
「……何が目的だ?」
「賢者リューゼニスから、精霊樹の元に行けと言われた。詳しいことはわからない」
「ッ! リューゼニス様の話は本当か!?」
エルフが永い時を生きるというならジオの本名の方が伝わると思って明かしたエストだったが、まさか上手く行くとは思っていなかった。
静かに頷き、エストは杖を差し出した。
「デウフリートの銘……それにこの……お、重さは……」
エルフが両手でやっと持ち上げていた杖を片手で持ったエストは、戦う意思を見せないように亜空間に仕舞った。
それが空間魔術であることを知っている4人は、エストの言葉は嘘では無いと信じ、武器を下げた。
「もしかして、新しい賢者様なの?」
弓を持ち、ポニーテールでまとめた緑髪を揺らすエルフが上目遣いで聞いた。
すると、エストの隣から身の毛がよだつ殺気を放たれ、慌てて背筋を伸ばしながら再度問う。
「そう言われたね。特に自覚は無いけど」
「あはは! チヤホヤされたくないの?」
「どうでもいい。僕の知らない魔術や、まだ読んだことのない魔道書をもらえるならチヤホヤされたい」
「……ネーゼちゃん、この子ヤバいかも」
ネーゼと呼ばれたエルフは、他の3人をまとめるリーダーであり、こちらは同じ緑の髪を腰の辺りまで伸ばしている。
4人の身長はシスティリアと同程度。
人間の16歳前後に相当するようだ。
エストの感覚では4人の魔力は相当であり、ジオの元で修行をする前のエストより、少し多いくらいだ。
魔術師としては宮廷級。途方もない時間の中で蓄積された魔力は、そのまま彼女たちの生命力になっている。
軽く4人が話し合いを始めたところ、システィリアが耳打ちする。
「ハーブのような香りがする魔力……かなり強いと思うわ」
実はエストも同じような香りを感じているので、それが一概に彼女たちの魔力だとは思えない。しかし、鼻の良いシスティリアに感知されない匂いだとしたら、『かなり強い』の意味が伝わってくる。
「エルフは自然崇拝の開祖だからね。身につける物も森で採れた物なんじゃないかな」
「オレには少しキツい匂いだ」
「こら、黙ってなさい!」
システィリアが叱っていると、最終的な話し合いが終わったネーゼたちが集落へ案内すると言う。
別に行く必要は無いと思うエストだったが、ここに着くまで悲しい食事が重なっていたので、温かいご飯が食べられる可能性に賭けて着いていくことにした。
2人としても安全に休む場所は欲しかったので厚意に甘えた。
そして案内されたエルフの集落は、精霊樹を囲うように木組みの家が建っていた。
着いてきて正解だったなと思う反面、ジオがどうしてここに来させたのか分からなくなる。
「ここが私たちの集落だ。長いものでは4000年も前からある家もあり、貴方たちにとっては古く見えるだろう」
「……綺麗な家だ。よく魔物に壊されないね」
「精霊樹から溢れる魔力は魔物が嫌う。だからこうして精霊樹の周りに住んでいるのだ」
安住の地として機能する精霊樹を眺めながら、エストはふと気づいてしまう。
外から見ても数人のエルフは確認できるが、その全てが女性だった。村というよりは街に近い大きさなのに、ひとりも男の姿が見えないのは異常だ。
案内役のネーゼ以外がそれぞれの家に帰っていくが、やはり男が見えない。
何か理由があるかもしれないと思い、エストは静かに警戒心を高める。
「ああ、女しか居ないのが不思議か?」
「……理由があるの?」
「……もちろん。でも、それは魔女様に聞いた方がいい」
「魔女様? そういえば西の魔女って」
その昔、親であり師であるエルミリアから聞いたことがある。表立って“魔女”を名乗る人物は2人だけだと。
片方はエストとも関わりがある、帝国の魔術学園の学園長ネルメア。彼女は雷の魔女として知られ、多くの街や国を救っている。
そしてもうひとり。
西の魔女、または自然の魔女と呼ばれる存在。
人が入れぬ森を住処に置き、自然災害が起きた場合にのみ人々を助けるという。
その名は──
「魔女ネモティラ様。人族もその力に助けられただろう」
「……名前しか知らない」
「アタシは名前も初めて聞いたわ」
「お嬢たちが産まれる100年と少し前、レッカ帝国とユエル神国を隔てる山が地震で削れ、神国の街がひとつ消えた。その時に、山を元の形に戻した魔女がネモティラだ」
ブロフの口から語られた歴史は、直近のネモティラが表に出た話である。滅多にたくさんの命が関わる災害が起きないために、かの魔女は伝説的な扱いを受けている。
その魔女ネモティラが、この集落に居ると言う。
言わずもがな、ネモティラの適性は“自然”である。時空を除いた属性魔術で頂点に立ち、山すら元に戻す魔術師など、エストが興味を持つには充分だ。
是が非でも話を聞きたくなったエストは、当初の目的を忘れたように『どこ?』とネーゼに聞いていた。
「……システィリアと言ったか。この男、本当に大丈夫か?」
「大丈夫よ。ちょっと人より魔術が好きで、魔術とアタシを愛していて、魔術が無いと生きていけないだけ」
「……他の人族を知らない私が言うのもなんだが、異常だな。それが賢者というものか……?」
否。エストと比べれば、初代賢者は実に人間らしい人間だと言える。人の身でありながら永遠を生き、住む場所こそ違えど人らしい生活を送っている。
しかし目の前にいる賢者は、魔術と聞けば全ての枷が壊れたように動き出す。
周りの者が言わなければずっと同じ物を食い、魔術の研究に没頭する。そんな人間をかろうじて人間たらしめたのは、システィリアが居てこそだ。
彼は魔術を使うために生まれたような、そんな人間である。
「ネモティラ様は精霊樹の
「何時間後がいいかな?」
「いや、数日だな。よく客人と話し込むようで、ここ数年では7日ほどお姿が見られない」
一週間も何を話すのか。
ブロフとシスティリアは不思議そうな顔で首を傾げていたが、エストだけは違った。
なぜなら、魔術の話なら一週間語ることなど容易だからだ。人の生み出す魔術は泉のように新たに生まれては、川の如く流れていく。
ゆえに、魔術の話をしているに違いないとエストは断言した。
「……ダメだな」
「ダメね」
「魔術バカになっとるわい」
何としても魔女に会いたいエストは、ネーゼに無理を言って洞のある方向へと案内をさせた。
大きな村をすっぽり覆うほど大きな精霊樹は、見上げれば雲を貫いていた。その枝すら見ることが許されない巨木に、どこか神聖さを感じる。
そんな木に住まう魔女など、実にロマンに溢れている。きっとユーモアに溢れた素晴らしい魔女だと信じ、エストは足を前に出す。
洞の入口を塞ぐように建てられたドアをノックするが、返事は無い。
「言っただろう? 機を改めろ」
「いや──」
なんとなく、懐かしい気配を感じた。
魔力に満ちた森。
澄んだ空気。
小さな木の扉。
内側から感じる空間魔術の感覚。
それはまるで、実家のようだった。
ガチャり、と扉を開くエスト。
まさか鍵がかかっていないと思わなかったネーゼは、目玉が飛び出そうなほど驚きながら止めようとする。
しかし臆せず前に進んだエストは、前方から聞こえる2つの声の元へと歩いていく。
玄関の扉を開けてすぐ、幾つもの部屋がある廊下に出た。その中でも一際豪華な装飾が施された部屋で、魔女たちは喋っていた。
ネーゼが気づいた時にはもう、扉に手をかけていたエスト。
初めて訪れた人族が目の前で殺されるかもしれないと思い、恐怖を顔に滲ませる。
そして、右手で押された扉が開く。
「──でのう? 本当に賢者になりよったのだ、わらわの息子は。これほどまでに大きくなったかと、涙が止まらんかった」
「──偶然拾った子が賢者? エルの人生は賢者と関わりが大きいのね。白い髪に青い目……捜せば見つかりそうだけど…………え?」
「ん? どうかしたかの〜? …………え?」
銀髪の小さな魔女と同じくらい小さな少女は、床まで広がるエメラルドグリーンの髪を揺らして部屋の入り口を見た。
2人して同じ方向を見ると、まさに会話に出てきた白い髪に青い目をした少年が、無表情で立っていたのだ。
「お遊戯会の途中だったか」
そう言って扉が閉められた瞬間、恐ろしく長い髪の少女──魔女ネモティラは、全力で走って扉を開け、ローブの裾を引っ張り部屋に戻った。
一瞬にしてエストが連れ去られて行くのを見て、ネーゼたちは目を丸くする。
「み、見て! エル! 本当に居た!!」
目当ての昆虫を見つけた少年のように輝いた瞳を向けるネモティラに、対面する魔女エルミリアは唖然としていた。
「……まさか、こんな所で会えるとはのぅ?」
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