第166話 深い深い森


「見えてきた。あれがオルオ大森林だ」



 リューゼニス王国最西端から望む深緑の森。

 辺境の温泉街ニルマースから3週間が経ち、一行は大森林の顔をその目に収めた。


 これまでの森とは違い、圧倒的に深い葉の色がよく目立つ。明らかに侵入を拒むような、氷獄に似た自然の圧力を放っている。


 システィリアの尻尾がぞわりと逆立った。

 魔物の……死の気配だ。

 そしてブロフもまた、肘から肩にかけて鳥肌が立っている。


 彼らにとっては初めての魔境だ。

 気を抜けば死ぬ環境。

 人間にとっては、まさに地獄。

 命など、高速で回る輪廻の輪の一部にすぎない。



「精霊樹は大森林の奥地にあるらしい。雲より高い木なのに、近づかないと見えないんだってさ」


「……これは大変な旅になるわね」


「ああ。ひとりを除いて、気を張らねばな」


「──早く行くよ〜!」



 気合いを入れ直す2人を尻目に、エストは大森林の前に建つ、小屋の前へ向かっていた。

 そこでは、不用心にも大森林に人が入らぬよう、ギルドカードを確認する精鋭の兵士が立っている。一足先に異例にも侵入が認められたエストは、死の匂いが漂う地面を踏みしめた。



「なんだか居心地がいい。家の近くを思い出す」


「……お前の家は人外魔境なのか?」


「確かに、あの森と雰囲気は似てる……かもしれないわ。でもここまで血の匂いはしないわよ」



 幼少期を過ごした魔女の森と同じく、濃い魔力に満ちている。システィリアにとっては居心地が悪そうだが、それは魔力よりも魔物の血に起因する。


 広い葉が何層にも重なり、日光を遮断する森はほのかに暖かい。表層は横から差し込む光で見えるが、少し進めば灯りが必要になるだろう。


 しかし火を焚いたらその瞬間、地面に無数に埋まっているボタニグラの種が発芽する。

 考えただけでも地獄だ。その上で、敵はボタニグラやエブルブルームだけではないのだから、大森林の危険性は周知されている。


 そんな場所の奥地に、ジオは精霊樹があると言う。

 そこにドラゴンと何の関係があるのか、エストたちはまだ知らない。


 軽い足取りで進んでいたエストがピタリと足を止めると、静かに杖を構えた。



「……見られてる」


「勝てるかしら?」


「かなりデカいぞ」



 姿は見えないものの、じっとりとした殺気のこもった視線を感じ取った。

 常人なら気づかないほど薄く引き伸ばされた視線だが、そもそもここは常人が入れないよう警備されている。


 暗い森の中に潜む何者かの視線だが、まだ相手にする気が無いのか、姿を現さない。


 警戒は解かずに前へと進んでいると、やがて周囲に霧が発生するようになった。白く足元を漂う霧だったが、3人はそれが全くの別物だと分かっている。


 この霧のような蜘蛛の糸に散りばめられた、超強力な粘着糸を避けて進んでいるのだ。



「捕まったら一瞬らしいわよ。気をつけて」


「これ、風魔術が無いと無理だよね」


「その点お前は相性が良い。明かりも霧も、ひとりで事足りる」


「空間の魔術師で良かったよ、本当に」



 適性を正しく理解できたおかげで、エストの空間認識能力は大きく向上した。ガリオたちとダンジョンに行く前なら、きっと霧よりも薄い、ほぼ透明な粘着糸に捕まっていただろう。


 しばらく大森林を進み、接敵が異常に少ないことに疑問を抱えながら休憩をすると、とある大きな問題に直面した。



「ご飯が……温かくない」


「火が使えないもの。保存食とパンで凌ぐしかないわね」


「オレも染まっていたようだ。物足りなく感じる」



 普段の旅ならどんな環境でも拠点を置けたために、システィリアお手製の温かいご飯が食べられたが、ことオルオ大森林ではそれが許されない。


 自然な光が届かない深い森で食べるパンは、久しく感じていなかった学園生活を思い出すエストであった。








 そうして涙が出そうになる食事という荷物を背負わされた一行は、8日間もの時間をオルオ大森林で過ごすことになった。


 途中から光るキノコの森やエブルブルームの群れといった、不思議と恐怖が織り交ざった体験をしたものの、遂に目的地となる“精霊樹”が見えてきた。


 円形にぽっかり空いた森の穴から、一週間ぶりの日光を浴びていた時に、雲を貫く巨大な木の幹が見えたのだ。


 よく迷わなかったなとブロフに褒められながら、3人はその方向へと足を進める。



 そして、オルオ大森林に入ってから10日が経ち、精霊樹の根元に近づいた時のこと。



「……何か居る。人間っぽい」


「人間? こんなところに住んでるっていうの?」


「アンデッドだろう」


「……来るよ」



 精霊樹の方向から数人の人影が見えると、アンデッドではない生きている人が現れた。


 弓と槍を持ち、動物の皮と植物の繊維で作られた鎧を身に纏い、長い髪をそれぞれの個性が出る形で縛った4人の女性。


 特徴的なのは、人間よりも長い耳があることか。

 直感的に人族ではないと分かる特徴は、昔エストが本で読んだことのある、ドワーフに並ぶ亜人の一種だとすぐに分かった。




「……エルフ?」


「……人族?」




 奇しくも、相手側も似たような言葉で反応するのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る