第165話 地獄への片道


「炎龍に会った。村も守った。温泉も楽しんだ……そろそろ行こうか。オルオ大森林に」



 指名依頼が終わり、Aランク昇格にも大きく進歩したエストは、当初の予定である龍を仲間にすると言う。

 システィリアは何も言わずに旅の用意を始めると、ブロフは南の村で防壁に関する報告をしていた。特に問題なく機能していると聞き、エストは思い残すこと無く宿の手続きを済ませた。


 もう後は街を出るだけ、という所で、システィリアが純粋な疑問を口にした。



「王女様たちはどうしたの?」


「帰ったらしい。リングルからギルド伝いで、僕に報告が来た」


「真剣に魔術を学んでいたけど、あの人たちも王族なのよね……不思議な感覚」



 喋りながらニルマースを出た一行は、西の大森林へ向けて歩き出す。これといった緊張感が無いのはいつものことだ。


 手のひらに小さな氷龍を作りながら歩くエストが躓くのも、そんなエストのローブを掴んで支えるシスティリアも平常運転である。



「お嬢、それは隣に居る奴のせいだ。オレが少し見た時は、高い気品を感じたぞ」


「……もう少し全体を見ておけばよかった」


「確かに、誰に対しても変わらないわ。アタシも引っ張られちゃって、不敬罪で死なないかしら?」


「その時はエストが守るだろ」


「任せて。ギロチンの刃を弾くぐらい硬い氷で守ってあげる」


「……な?」



 手のひら氷龍を作る手を止めたエストは、ふと顔を上げた。つい先程まで氷があった手のひらに白い結晶が乗ると、瞬く間に体温で溶けていく。



「雪だ。もうそんな季節だったんだね」


「この寒さに気づかないのは鈍感すぎるわよ!」


「先生の所だと、この程度の気温だと暖かく感じるからね。僕、寒いのは得意だよ」


「砂漠に火山と暑い場所が続いているがな」


「次は森だから安心だね。ただ、場所が場所だけに気は抜けないけど」



 目的地は指定危険区域になっている大森林だ。

 エストが知っているだけでボタニグラやエブルブルームなどの面倒な植物の魔物、それに加えてミストスピンという、霧のような糸を出す大型の蜘蛛の魔物が生息する。


 気をつけるべきはエブルブルームとミストスピンであり、前者はダンジョンでも遭遇したが熱に敏感だ。

 焚き火でもしようものなら一瞬で食い溶かされるだろう。対してミストスピンは、朝靄だと思って進んで巣に絡まり、生きたまま食われた例は珍しくない。


 一瞬の油断が死に繋がる。

 それがオルオ大森林の特徴だ。



「あと半月も歩いたら着くかな」


「エストは馬車を使わないものね」



 馬車を使えば、ニルマースから大森林の最寄り街まで一週間で着く。

 しかしエストは頑なに馬車移動を拒み、3人で過ごす時間を大切にしたがった。旅を楽しもうという思いが伝わるので、2人も無理強いはしない。



「せっかくの旅なんだ。急いでるわけでもないし、その日その日を味わいたい」


「……良いことを言うじゃねぇか」


「でしょ? 最近僕も大人になったなぁって思う」


「撤回しよう」



 積もるほどではない静かな雪の中、フードを脱いだエストは白い息を吐く。

 それは冷気か。はたまた体温で温められた空気か。

 炎龍の魔力で多少は平熱が上がったエストだが、それでもまだまだ冷たい肌に、白い雪がよく映えた。


 その時だった。


 森を割った街道を歩いていると、突如としてエストに向かって矢が飛来する。



「っ! 盗賊よ!」



 恐ろしい反応速度を見せたシスティリアが矢を切り落とすと、即座に戦闘態勢をとるブロフ。

 しかし命を狙われたエスト本人は、珍しい魔道具を見つけたような目で、森から現れた6人の男を見た。



「へぇ、盗賊って実在したんだ。今まで会ったことがなかったから、てっきり架空の存在だと思ってた」


「……エスト、さっきわざと避けなかったでしょ」


「だって当たらない軌道だったもん」



 空間の適性のおかげか、自身に矢が当たるかがすぐに分かる。一見無警戒に見えるエストだが、誰よりも魔力探知に力を入れている。


 相手がエストたちを認識する前から、6人の存在には気づいていた。



「お前ら、金と装備を捨てて街に帰れ」



 盗賊のリーダーらしき男が剣を構えながら言うと、他の3人も同様に武器を構え、後方に居る2人が矢を番えた。



「ねぇシスティ。街に帰ってギルドに報告したら、すぐに捜査が始まるよね?」


「ええ。きっと盗賊になりたてで、人を殺すことに躊躇いがあるんだわ。だからこんな馬鹿なことが言えるのよ」


「オレが出会った盗賊で一番カスだな」


「おお、珍しい。ブロフの暴言だ」



 命の危機だというのに、緊迫感が一切無い。

 それはただの強がりとも見えるが、システィリアが矢を切り落としたのを見た以上、盗賊を無力化することなど児戯に等しいからだろう。


 盗賊だと判明した以上、殺しても罪には問われないが、無駄な殺しは避けたいエストは一歩前に出た。


 そして、目の前で杖を捨てる。




「……それでいい。後ろのふ──」




 刹那、リーダーの下半身が氷に埋まった。



「あはは、こりゃ本当にダメだ。杖に気を取られて、わざわざ足元に出した魔法陣も見えてない」


「で、どうするの?」


「立場を入れ替えてみる」



 攻撃されたと判断してエストに矢が放たれた。

 その瞬間、2本の矢が重なる位置に動けなくなったリーダーが現れ、右肩と左脇腹にグサリと刺さった。


 目の前にリーダーを転移させ、盾にした挙句、エストは杖先の刃を男の首元に近づける。



「君たち、10数えるから武器を置いてそこに座れ。じゅ〜う、きゅ〜う、は〜ち……」



 まるで盗賊の手本を見せるようにカウントダウンを始めると、手前に居た盗賊から剣が落ちる。

 矢の痛みに苦しむリーダーが、悪魔を見るような目でエストを見た。貴族の子と言われても納得できる整った顔立ちだが、その瞳からは感情が読み取れない。


 雪の降る中、一段と空気が冷たくなったのが分かる。


 そして残り秒数が2秒になっても、弓使いと短剣を構えた男は武器を捨てなかった。



「い〜ち。ぜ〜ろ」



 刹那、盗賊の右腕が地面に落ちる。



「ぎゃあああああああああ!!!!!」


「あ〜あ。君たちが武器を捨てないからぁ」



 冷たい地面に、赤い池が出来上がる。

 このままでは失血死してしまうので、腕の傷を焼いて塞いだところ、更なる苦痛の絶叫が轟いた。



「じゃあもう一回数えようか」


「ほんっと、悪者には容赦の欠片も無いわね」


「敵に回したくねぇ」


「盗賊はできることなら心を折れ。そうガリオさんに教わったんだ。『お前なら簡単だろ?』って」



 数は少ないが、盗賊退治を専門とした冒険者が居る。

 彼らは情報を受け取って盗賊のアジトに潜入すると、死なない程度に拷問をして断罪する。

 そういった者は『クモ』と呼ばれ、行動こそ犯罪者と変わらないものの、人々を守るために狩りに行くのだ。



「早く武器を捨てないと、左腕もいっちゃうよ。それに、これだけ血の匂いを出したら魔物が寄ってくる。いいの? 君たちのリーダー、生きたまま食べられちゃうよ?」



 煽るでもなく、ただ淡々と言葉を連ねたエスト。

 どこか不気味さすら醸し出すその恐ろしさに、遂に残った2人が武器を捨てた。


 5人が両手を上げて膝立ちになると、苦痛に顔を歪めたリーダーが叫ぶ。



「た、助けてくれ……武器は捨てただろ!?」


「僕、助けるなんて一言も言ってないけどね。大体、盗賊ならそうやって身ぐるみを剥いで殺すでしょ?」


「…………まさか」


「ははっ、やるなら最初からやってるよ。そんなに怯えないで。でもね、冒険者って魔物に食われる覚悟を持って魔物と戦ってるんだ。君たちは人を襲うけど、逆に僕たちに襲われる覚悟もあるはず。当然だよね。食うってことは食われること。“自然”の摂理なんだから」



 空間の精霊ロェルは言う。

 時空という根源的な力を除けば、どの精霊が一番強力かを。

 これは不動にして絶対。

 “自然”の精霊であると答えた。


 この世界における不変の概念、弱肉強食。

 生物にとってはそれこそが根源だと言える絶対の法律は、魔物や動物はもちろん、人間にも適用される。



「怖い? そっか。でもそれは生きている以上避けられないんだ。君たちは僕に命を握られている。折るも潰すも引き伸ばすこともできる。…………怖いねぇ? 盗賊なんてやらなきゃよかった。そう思うよね? ……うん、不正解。君たちは楽な道に逃げた。人を襲って金を稼ぐ、汚く醜い手だ。馬の糞の方が何倍も綺麗に見えるぐらい、その手は赤く黒く、酷い臭いをしている」



 盗賊の心の折り方は聞いていた。

 洗脳するように恐怖心を煽りながら自らの行いを省みさせ、全てに絶望したところでひと握りの希望を見せる。



「あぁ、君の右手、こんなに冷たくなっちゃった。これが盗賊の末路だと思うと……滑稽だね」



 絶望させる時は徹底的にやらなければならない。

 リーダーの落ちた右腕を、他の盗賊の目に留まる位置へ蹴り飛ばす。そこそこ筋肉のある塊は、5人に恐怖の種を植え付けるのに充分だった。



「でも大丈夫。君たちは働くことで罪を償える。人から奪った分、倍にして人に返すんだ。そうすれば、その汚い両手も汗で輝いて見える。どう? 働く? 働かないとコレみたいになるけど……」


「やります!」


「そっか。じゃあ……って思ったけど」



 5人が強制労働で償えるならと顔を上げたが、リーダーだけは違った。この男は根っからの犯罪者であり、片腕を失ったことで、労働を免れると思っていたのだ。


 それに気づかぬエストではない。

 リーダーの足元に黄金の魔法陣が現れると、焼き塞がれたはずの右腕が、また新たに生えてくる。



「ああ、嘘だ、嘘だろ…………」


「6人で仲良く働こう。次に犯罪しようものなら、君たちはソレしか残らないと思うことだ」



 最後に右腕に杖を突き刺して見せると、地面に半透明と多重魔法陣が現れた。

 システィリアたちにギルドに引き渡して来ると言い、ここで待ってると返事をもらってから転移した。


 突然7人の集団がニルマースの冒険者ギルド前に現れると騒ぎになる。エストが『盗賊を持ってきたよ』と伝えれば、いつの間にか氷の縄で縛られていた盗賊たちの引渡しが始まった。


 それから十数分ほどで報酬金の受け取りや遭遇した場所の情報交換を終えると、人気のない道で転移する。



 冷えた倒木に座るシスティリアが優しい笑顔で迎えると、エストはその場で嘔吐した。



「大変だったわね。よくあれだけ言ったわ」



 進んで人を傷つけるのは、エストの道理に反する。

 しかし誰かがやらなければ、あの物たちはまた犯罪に手を染める。そうならないために腕を切り落とし、罪の重さを噛み締めさせ、釘を刺すことは……この2人でも難しい。


 それをたったひとりで、ガリオに頼まれたからという理由でやり遂げたエストは、反動で猛烈な吐き気に襲われた。


 背中をさするシスティリアの手が冷たい。

 温かい言葉は先程の己を苦しめ、更なる吐き気を催す。



「街に戻るか?」


「…………ううん。進もう」


「でも、今日はもう休みましょう。アンタの心を治すのはアタシの仕事よ」



 金輪際、盗賊の更生は促させないことを誓ったシスティリアは、次からは問答無用で捕縛し連行すると言う。

 流石のエストも全面的に同意し、旅立ってすぐだというのに、彼女の膝枕で精神を癒すことになった。


 しばらくは盗賊なんて見たくない、と。

 エストもまたひとつ、苦しい経験を積む。



「こら。お腹に顔を埋めないの」


「……少しだけ、こうさせて」



 逃げるわけではない。人の悪意と向き合う力を得るために、今はただ、視界の全てを彼女で埋め尽くしたかった。



「もうっ…………気が済むまでどうぞ」



 なんだかんだでエストに甘い、システィリアである。

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