第164話 優秀な息子


 リングルに魔術を教え始めてから10日が経った時のこと。今のリングルでは反復練習以外に伸びる道が無いと感じたエストは、卒業試験と称して2つの課題を出した。


 ひとつはエストが作ったペーパーテストだ。

 学園の問題よりも難易度が高いが、魔術を使い込んだ者なら分かる経験者優遇問題であり、リングルなら解けると20問用意した。


 もう片方は実技試験。

 魔法文字を読めるエストが魔法陣を読み、構成要素や内部の魔力量を見て、点数を付ける。こちらはリングル用に甘くしており、最悪筆記が悪くても実技で合格可能な判定にしている。


 魔術師の成長は、最初こそ爆発的に伸びることがあっても、ある程度の知識をつけると緩やかになる。

 そこで伸び代が無いと決めつけて辞める者もいれば、自身の可能性を信じて進歩し続ける者もいる。


 今回のテストでは、敢えて優劣を付けることでリングルのやる気に薪をくべることが目的だ。



「父上、実技は必ずその目に焼き付けてください」


「たかが10日で変わったと言うか?」


「はい。良き師と会わせていただいたので」



 試験会場はいつもの庭である。

 試験官としてエストも居るが、このためにバルメド辺境伯も同行させた。連れて来たのはリングルだが、見かねたシェリス王女が一言かけたことが大きい。


 つまり、シェリス王女もこの場に居る。

 ……受験生として。



「シェリスは実技どうする?」


「切り傷の治療でお願いします。花瓶の破片で切ったような傷ですよ」


「わかった。簡単な分、厳しくするからね」



 やはり王女にも口調を変えないエストに、辺境伯は居心地が悪くなる。どこか人間味のない威圧感に鳥肌が立ち、自然とリングルに視線を向けていた。


 それを応援と感じ取ったのか、リングルは自信に満ちた目で開始の合図を待つ。


 魔道懐中時計を開いたエストは、測りやすい時間になってから手を振り下ろす。



「始め」



 何とも珍しい青空の下での筆記試験が始まった。

 エストには監督としての責任があるが、辺境伯は黙って見ていることしかできない。

 どうしてこうなったのかと過去の己を問いたくなるが、全ては辺境伯本人が自称賢者のエストに依頼したことが始まりだ。


 自称ではなく完全な他称にも関わらず、彼はまだ疑っていた。



「辺境伯。君はリングルに宮廷魔術師になってほしいの?」



 自身とと辺境伯を覆うように遮音ダニアをかけたエストは、彼の方を見ることなく話しかける。



「き、君だと……?」


「じゃあバルメド。質問に答えてよ」



 このままでは呼び方が悪くなる一方だと察し、辺境伯は不機嫌そうに頷いた。



「……ああ。リングルだけは将来が定まっていない。マース家にとっては、爵位を継げすとも貴族だ。国に貢献出来ぬ未来を持たせることは許されん」


「ふ〜ん。別に宮廷魔術師じゃなくても、国に貢献することはできるんじゃない?」


「貴様、リングルに才能が無いと言うのか!?」


「そんなこと言ってないけどね。まぁ僕からすれば、リングルは魔術師と言えるようになると思う。自分に芯がある人だよ、リングルは。あれはそう簡単に曲げられたもんじゃない。それこそ……実の親でもね」



 エストに依頼を出したことが原因か。

 否。リングルは元々芯を持った人間だった。

 長男として生まれ、領地経営を学ぶ兄の背中を見て。優れた算術の才を持つ姉の背中を見て。そして、魔術師として遥かな高みに居るエストの背中を見て。


 リングルが持っていた芯が、向上心を燃やす薪になったに過ぎない。


 それを、誰が折れたものか。


 兄弟と比較する父か?

 踏み入れない地位に居る兄か?

 或いは、既に嫁いだ姉か?


 誰でもない。リングルの心を折れるのは、リングルだけなのだから。



「君はリングルの才能しか見ていない。リングルの本質は努力することにあると、親である君が知らないことが気持ち悪い。もっと彼を見なよ。魔術師の卵として育てたなら、きちんと孵化させるんだ。リングルはきっと、君の言う『優秀な魔術師』になれる」


「……成績下位だったのだぞ」


「それは君が魔道書を読ませたりしなかったからでしょ? 聞いたよ、部屋に魔道書が一冊しかないって。そのくせに宮廷魔術師になれとか…………ああ、そうだ」



 閃いたと言わんばかりに手を打ったエストは、感情を一切表に出さずに辺境伯に振り返る。

 そして、全てを見透かしたような目で見つめた。



「剣を持たずに騎士になれ」


「……っ!」


「君がしたことを言ったまで。実に愚かだ。普通の人なら呆れて声も出ないよ…………でも、リングルは必死に足掻いた。一冊の魔道書で初級魔術を覚えて、3年生まで頑張ってきたんだ。それがどれほど苦しく、大変だったか僕にはわかってあげられない」



 リングルを見るエストの目は、かつて学園で隣に居た友人を見る目と同じだった。

 わずかなヒントから自分なりの結論を出し、1年生でありながら上級魔術まで習得した秀才の友人。



「もし帝国の魔術学園に通っていたら、リングルは今頃、あの子と一緒に宮廷魔術師団に入れただろうね」



 もうその夢は叶わないが、彼の性格を考えても、そんな学園生活を送れただろうと想像するエスト。

 氷龍に認められた賢者が言うリングルの類稀な努力の才を、辺境伯は分からなかった。たったひとつ、環境を与えるだけで兄弟で誰よりも化ける種を持っていたのに、育てなかったのは辺境伯だ。


 人の才覚は花だ。

 早く咲くか遅く咲くか、それは誰にも分からない。しかし咲かせる条件を整えることは、何よりも大切なことである。


 親として、貴族としての眼鏡をかけたバルメドは、種を蒔いただけで咲くと信じてしまった。

 それはひとえに子の成長を信じたものと言えるが、親はきちんと見届けねばならない。


 その花の咲き方を。

 その花の美しさを。



「終了。2人とも満点だ。実技に移るよ」


「先生、僕の点数は……」


「満点って言ったじゃん。それにこんな問題、解けて当たり前なんだからやる意味無いよ」



 しっかりと2人の答案に目を通し、満点の花マークを描いたエストは、そこそこ難しかったと感じた2人に魔術師の世界を覗かせた。


 魔術に正解が無い以上、そもそも試験をする意味が無いのだ。それでも敢行したのは、やはりリングルの背中を押したかったからだろう。


 ついでに小さくガッツポーズを作るシェリス王女に『光魔術は知識より経験』と言うと、嘘でしょと言わんばかりの目でエストを射抜いた。



「それじゃあ実技試験ね。僕は魔法陣しか採点基準にしないから、好きな魔術でどうぞ」



 シェリスは切り傷の治癒ということを事前に聞いているので、先にリングルから披露する。

 学園の入学試験よりは緊張しないものの、父親に見られている緊迫感は鼓動を早めさせ、魔力操作にブレを生じさせる。


 ──と、いうことは知っていた。


 そうなった時のために、リングルは“ある秘策”を用意していた。

 それは……エストの目を見ること。

 まるで自分を見ていないかのような冷たく美しく、そして恐ろしい瞳は、緊張を忘れさせる恐怖心を根付かせる。


 透き通った瞳は一見して神秘的な美しさを誇るが、その実は狂気的なまでの愛情で出来ており、エストが向けた魔術への愛を見せる時は、決まって恐ろしいほど綺麗に映るのだ。


 心臓をキュッと掴まれたような感覚を覚えれば、鼓動は一時的な平常運転を取り戻す。



「……行きます。火像メデア



 パッと現れた赤い単魔法陣。

 最後に辺境伯が見た時とは違い、均衡のとれた6つの構成要素がゆっくりと回転し、芝の上に佇む。

 その魔法陣を1秒足らずで読み解いたエストは、内心で合格と呟きながらも続きを促した。



 輝いた魔法陣が徐々にその速度を上げると、魔法陣を囲むように小さな火が幾つも現れる。火が隣同士で融合すると、やがて大きな炎へと姿を変えた。


 常に動き続ける魔法陣の中身は変わっており、次に何をするかエストには筒抜けだが、辺境伯の目には見たことがない炎のショーが始まった。


 制御された炎の像は踊るように形を変え、今もなお大きくなり続ける。


 展開中の魔法陣に介入する。

 それは並の魔術師ではできない技術だ。

 しかし、理想の炎を作るために何度も試行錯誤を繰り返したリングルは、殆ど独学でその領域に足を踏み入れた。


 一歩先は全てを超えた芸術の世界。


 エストが魅せたような像の魔術。

 その入口に過ぎない。


 だがリングルは躊躇なくその足を踏み込んだ。

 最高の師が用意した最高の練習法なら、父親を魅せる魔術を編み出せると信じて。



 踊る炎を観た辺境伯は、かつての息子ではなし得ない高等技術に、その赤い瞳にリングルを投影する。

 もし魔道書をもっと用意していたら。

 リングルの言い分を聞いて、背中に手を添えてやれていたら。


 誰よりも美しい炎を咲かす魔術師になったのではと、そう思わせたのだ。



「はぁ、はぁ…………い、以上です」



 最終結果は後で発表するため視線を移すエストだったが、辺境伯はぼーっと息子の方を向いていた。

 その目から溢れた後悔が、乾いた頬を濡らしている。



「お疲れ様。次はシェリスね、はい」


「はい……どうして短剣を?」



 辺境伯の様子に気づいたリングルが近寄っているのを横目に、エストは氷の短剣を手渡した。



「自分で僕に好きな傷を作るんだ。3回まで機会をあげる。シェリスが治せると思う傷をつけて」


「……しょ、正気……ですか?」


「その程度の痛みで苦しんでいたら、魔術師なんて戦えないよ。少なくともシスティは、腕が砕けても魔術が使える」



 正気なわけがない。

 腕が砕ける? 意味が分からない。

 そんな状態、痛みに叫び涙を流す以外にできるものか。それが常人の答えであり、真理のはずだ。


 しかし彼は、自分が言ったことが常識だと信じて疑っていない。きっと四肢を失おうと、その魔力と生命力が尽きるまで足掻き続ける。


 素人目でも分かるのだ。

 “生きていれば無傷”と言い張る狂気が。

 ここで腕を切り落としても、彼は顔色ひとつ変えないだろう。以前にそうして見せたのだから。


 机の上に差し出された左手。

 短剣を握った王女は、己も狂気に飲まれそうな緊張感の中、エストの手のひらに切っ先を当てる。


 そっと引いた後に赤い線が浮かび上がった。

 浅い。この程度、怪我と名乗るのもおこがましいかすり傷だ。


 一度目の機会を使った王女は、回復ライゼーアを使って線を消す。



「ダメだ。まずは傷の度合いと相手の体調を診て、治癒ライアで済むか確認すること。今のはシェリスの魔力を無駄に使っている」


「なっ、いいじゃないですか! あなたの傷が浅く済むんですよ!?」


「これは明確な“不正解”だよ。もし現場に十人規模の怪我人が居た時、シェリスが最も警戒すべきは魔力欠乏症だ。君が倒れたら治せる傷も治せない。そうして傷口から菌が入って、大切な人が苦しむ姿を見たい?」



 窓ガラスが一気に割れたりすれば、怪我人はひとりじゃ済まなくなる。そういった場合、いかにシェリスが消費する魔力を節約できるかで怪我人の命に関わる。


 適切な判断力が求められるのが治癒士だ。

 それらを帳消しにできる魔力量がない限り、先程のシェリスは不正解となる。



「次。もっと深く刺して」


「はっ、はい」



 エストの圧力に負け、シェリスは先程よりも深く短剣を刺した。

 そしてすぐさま回復ライゼーアを使ったが、エストの反応はよろしくない。そして何の手応えも無いまま3回目も斬りつけて癒したが、エストはピクリとも動かなかった。



 そうして、最終結果の発表に移る。



「まずはリングル」


「はい!」


「おめでとう。君は威力よりも精度を重視した。その判断は極めて正しい。火魔術は簡単に威力を上げられる分、ショーができるほどに弱く制御することは難しい。それでも、努力を続けて最後までやり切った姿勢は素晴らしい」


「あ……ありがとう、ございます……!」


「くれぐれも調子には乗らないように。その時焼かれるのは、己の身だと思うこと」


「はいっ!」



 応援の言葉を受け取ると、リングルは次の発表を待った。



「次、シェリス。練習を重ねること。魔法陣自体に不備は無いけど、精神状態で少しブレが見えた。魔術は時に人を傷つけるけど、人を癒すのもまた魔術。魔術師として心に芯を立てれば、君は絶対に人を助けられる」


「……不合格、ですか」


「え?」


「はい?」



 首を傾げるエストに、思わず疑問符を浮かべたシェリス。あの言葉で不合格じゃないなら何だと言えば、エストはフッと笑いながら言う。



「合格でしょ。君には精度を意識できる精神力を鍛えるべきだと言っただけ。魔術自体に否定できる点は無いし、展開も早かった。花瓶の破片でできた傷ならもう治せるよ」



 その言葉に、思わずため息を吐いてしまう。

 どれだけショックを受けたことか。

 また学び直しだと覚悟していたのに。

 小さな怒りがふつふつと湧いてくると、エストの胸をポカポカと殴り始めた。



「もう、あなたって人は信じられません! 人の心を弄んでおいて……許せません!」


「面倒くさいな。じゃあ、これで僕の仕事は終わりだね。報酬はギルドに頼むよ」



 出来ることはやったと言い、頬を膨らませる王女から逃げるように領主邸を去るエスト。

 あまり接触されてはシスティリアに匂いの上書きと称して襲われるので、できるだけ早くこの場を去りたかったのだ。


 去り際に『良い炎だった』と伝えれば、手を振りながら見送るリングルの頬が濡れていた。



「エスト先生! またどこかで!!」



 そんな言葉を受け取り、フードを被ったエストは、屋台の食べ歩きをしながら宿へ帰るのだった。

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