第163話 彼は壊れている
リングルに像魔術の練習を始めさせてからエストの仕事量は激減した。
それは主に、魔道書を読み、反復練習をする以外に教えることがないためであり、暇を持て余したエストはシスティリア像で遊んでいた。
執事とリングル、そしてルージュレット皇女が3人で話し合いながら練習しているのを横目に、剣を構えた像と相対する。
「遅い。本物はもっと速いよ……そんな感じ」
像の動かす速度を調整して本物に近づけていると、光の魔道書を手に持ったシェリス王女が話しかけた。
「暇そうですね」
「君もね。そうだ、治癒関連の練習でもする?」
「……ぜひ」
最初は冷たい反応をする王女だったが、美味しい餌を見せられては正直になってしまう。治癒や回復の魔術は練習が難しいために、この機会を逃したくない。
執事に魔道書を預けて歩み寄る王女に、エストは手で制した。
まだ『こっちに来るな』と言いたげな態度だったが、その理由はすぐに分かる。
ローブを脱いだエストが、杖を構えたのだ。
「さぁ、おいで。3倍速システィ」
刹那、光が走る。
エストの首を狙った正確な斬撃がすんでのところで止められると、杖から伝う力も大きいことに気づくエスト。
「速度は力だね。改めて理解できた」
身体能力が向上したエストでギリギリ見えた剣は、シェリスはおろか見守っていた執事ですら追えない速度に達している。
再度向かい合うひとりと一体だったが、エストが杖を構えた瞬間、剣を振り抜いた姿勢のシスティリア像が居た。
そして、ボトっと音を立てて何かが落ちると、庭を赤く染める。
「ひいぃぃっ! あ、あなた、何してるのよ!?」
「君の出番だよ。不安ならまず
失った左腕を向けてそう言うが、突然の大事故にシェリス王女はパニックになってしまう。
この程度で騒いでいては本当の事故で治療できないと言うエスト。王女の悲鳴を聞いてリングルたちがこちらを見ると、同様にパニックが広がる。
「エ、エスト先生! 誰か、早く治癒士を!!」
「必要ないよ。これはシェリスの練習だから。ほら、シェリス。落ち着いて魔術に集中するんだ」
涙目になりながら顔を青くするシェリス王女。
杖を置いたエストが優しく肩に右手を触れると、ビクッとして顔を上げる。
システィリアと同じ黄金の瞳を覗くのは、氷のように透き通った水色の眼である。そこに信頼や安心の念は一切無いものの、彼女を思いやる優しさが現れていた。
震える肩を落ち着かせ、細い左腕を自身の左腕に向けさせる。
「魔術だ。これはいつか、君の大切な人に降りかかるかもしれない自体の練習に過ぎない。
「……いいえ。
「じゃあ止血……まぁいいや。よく見てて」
切断された腕の前に黄金の魔法陣が現れ、慣れた様子で
まさに神業と呼ぶべき光魔術は、初めて見たリングルたちの心を奪った。
そのまま流れるように落ちた左腕を回収したエストに、リングルの執事がどうするつもりなのかを問う。
「これは使い道があるからね。それよりシェリス、またやってみる?」
首を横に振られ、エストは寂しそうに『そっか』と呟いた。光の適性があっても、使いこなせるかは人次第だ。
シェリスの言う近くの人を助けたいという思いは、小さな切り傷程度のことを指すのだろう。
だったら無理に教える必要は無いと、リングルたちに練習へ戻るように言うエスト。隣に残ったシェリスが申し訳なさそうに顔を伏せるので、わしゃわしゃと左手で頭を撫でた。
「な、何をするのですか! 無礼です!」
「頑張ったね。普段、血を見ない生活をしてるのに、いきなりこんな怪我を見たら驚くのも無理ない」
「……なんなのですか、もうっ」
甘んじて受け入れたシェリスは、離れた場所で魔道書を読むと言う。せっかくの機会とはいえ、大怪我を治せるほど心に余裕が無い。
反対に、治癒士やエストたちのような者は、傷を治せるからと平気で怪我をする。
良く言えば鋼の精神だが、悪く言えば顧みない馬鹿である。一歩間違えたら死ぬかもしれないのだ。だと言うのに、エストは腕が無くなった状態で魔術を使わせようとした。
滲み出る狂気。シェリスの肌で感じる、冷気のようにひんやりとした空気は、改めておかしいと感じる。
「ねぇ……」
「如何なさいましたか?」
「魔術は、術者本人への攻撃は本能的に制御するはずです。しかし彼は……見てください。あれを」
自身の執事に見せるように指をさした先では、2倍速に落とされたシスティリアに足を斬られ、即座に回復させながら杖を振るエストが居た。
「彼は壊れています。魔術のためなら、平気で命を差し出す。きっとあれが、魔術師と賢者の圧倒的な差、なのでしょうね」
そしてシェリスは、再び気になってしまう。
そんな彼を心から愛し、愛されるシスティリアという女性が。彼に隠れて『Aランク冒険者』としか認識していなかったが、何か秘密があるに違いない。
きっと……そう。彼に並ぶ、常軌を逸した“何か”を持っているはずなのだ。
「部屋へ戻ります。陛下に知らせねばなりません」
彼らは劇薬だ。
使い方を間違えれば、街が……国が死ぬかもしれない。そんな力を秘めていることに、シェリス王女は危機感を抱く。
変に距離をとる必要は無い。
ただ、そっとしておけばいい。
触れずにいれば、彼らは薬として振舞ってくれる。
しかし、バルメド辺境伯のように利用しようとすれば、それはきっと猛毒を振りまくことになるだろう。
毒を使う相手は慎重に決めるべきだ。
例えば、そう……魔族など。
「ですが……お友達にはなってほしいです」
「はっはっは。あの方ならば、本音を語れば仲良くなれるでしょう」
「ならば一度、王都に招かねばなりません。私から触れるなと言っておきながら、そのようなことが出来るか……」
「ゆっくり考えましょう。時間はまだございます」
「……そうね。焦っても仕方がありません」
窓から見たエストは、笑顔で杖を振っていた。
魔術師なのになんて動きをするんだと言うリングルに、笑みを崩さずに答えるエスト。
「魔術師の本質は体力と精神力。鍛えて使って学ぶ、この3つが最終的な優劣を決める!」
やはり壊れている。
そう再認識したシェリス王女は、国王に3代目賢者のイカレっぷりを手紙に記した。
末尾に『友となれば、再びこの国の栄光を見られるでしょう』という文は、賢者という存在の歴史を思い出すには充分な言葉だった。
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