第162話 溢れ出る愛情?


「う〜ん……ん〜…………う〜ん……」



 リングルの講師になった初日の夜。

 貸してもらった問題集を数分で解き終わったエストは、珍しく悩みに悩んでいた。

 その様子を見かねたシスティリアが紅茶を淹れると、ひと口含んでからポツリとこぼす。



「何が難しいのか、それがわからない」


「エストにとっては簡単なのね。アタシも見ていいかしら?」



 頷いて問題集を渡しながら光球ラアで照らすと、彼女はふむふむと問題文を読んで2枚目へ進んだ。

 そして全3枚を読み終え、一言。



「凄いわ。アタシでも満点が取れそうな問題」


「でしょ? 単魔法陣の構成要素の上限なんて人によるし、多層魔法陣の効力なんて知っていて当然。あとは各属性の呪文を答えるなんて……とても3年生の問題とは思えないんだ」



 魔術師の常識を問うような問題に、2人して点数が低くなるようなことは無いと言う。

 一部授業で扱った理論の復習問題もあったが、並の魔術師なら答えられるものだった。


 もしかして2人とも天才級の魔術師なのでは? と疑ったが、もしそうだとしても異常に簡単な問題なのだ。



「元々僕は魔術の勉強をしていたし、システィも僕が教えたからね。基礎の復習……なのかな」


「アンタならどんな問題を出すの?」


「僕なら? ん〜、『こんな魔術があったらいいな』を書き出させるかな。それから、理想に近い術式を構築させる」


「知識の程度を測るテストじゃないのね」


「知っていて当然だから。基礎は1年生で学べる。3年生にもなれば中級魔術に手を出して、ある程度魔術の自由さを知る頃でしょ? 多分」



 自分が3年生を経験したことがないために、魔術学園での試験内容を知らない。卒業する際の試験だって、エストには特別な内容で施されたものだ。


 それこそ、『知っていて当然』の試験であり、その上での新理論の提唱という無茶な問題だった。



「まぁ、これぐらいならすぐに答えられるようになるさ。リングルは学ぶ意思がある。一週間もあれば半人前になるよ」


「一人前には遠いのね」


「システィぐらい使えなきゃ一人前とは言えないよ。せめて完全無詠唱。複数の展開ができたら嬉しい」


「その“せめて”が熟練の域なのよ……」



 自身の練度が高くなりすぎるあまり、一般的な視点を見失ったいい例である。

 流石にそこまでは求められないと理解しているらしいが、その真偽は本人にしか分からない。システィリアはただ、目の前でお茶目な冗談を言うエストに問題用紙を返した。


 試験に関しては置いておき、リングルの地力を上げることを目標にすると言うと、彼女の胸に顔を埋めたエスト。



「あら、甘えたくなったの?」


「明日の夜までお預けだからね。今のうちにシスティ成分を補給しないと、一線越えそうになる」


「ふふっ、そういう意外と甘えん坊なところ、やっぱり好きよ。アタシの方がお姉ちゃんだもの。甘えさせてあげる」



 そうしてシスティリア成分を補給しながら眠りについたエストは、翌朝に問題用紙をリングルに返す。

 何がどうあれば難しいのかと言うと、リングルはこう答えた。



「単純な知識不足です。目の前のことに集中しちゃって、他の属性の詠唱を覚えておらず……」



 精霊の頭文字を入れ替えるだけなのに? とは言わず、エストは小さく『そっか』と返し、反復練習以前に精霊の話をするべきだと感じた。


 教えるのは正しい歴史ではない。

 魔術師なら誰もが知っているような、各精霊の名前と属性についてだ。


 こればっかりは練習では身につかないものなので、懇切丁寧に教えることにしたエスト。

 常識を今一度学び直すような気持ち悪さを抱きつつも、真剣に学ぶリングルに免じて我慢することにした。


 もっとも、我慢の様子は王女たちには伝わっていたようで、その日の終わり際に労いの言葉を貰った。



「……講師ってしんどい」


「アンタが教えるなら、初心者じゃなくて研究者の方が適任だわ。きっと」


「そうなんだよ……ほぼ一から教えるのって、結構大変なことだよ。師匠とお姉ちゃんに頭が上がらない」



 今日も今日とて一緒に温泉に入ったエストは、システィリアの尻尾を手入れしながら愚痴をこぼしていた。

 相手のレベルに合わせた教育というのが、エストにとってかなり苦痛なようで、真髄である『魔術を楽しむ』までに時間がかかると言う。


 尻尾を洗った石鹸の香料がふわりと鼻を抜けると、ベッドでうつ伏せになっていた彼女がこちらを見ていた。



「いっそのこと、教えるのを辞めたらどうかしら?」


「…………えいっ」


「ひゃうっ!? お、お尻を触ってんじゃないわよ!」


「辞められないよ。一応依頼だからね」


「分かってるわよ! アタシが言いたいのは、その……習うより慣れろ、ってことよ!」



 ビクンと跳ねて起き上がった彼女は、教えるのではなく『見て学ばせる』スタイルにしてはどうかと言い直した。


 確かにそのやり方だと教えることへのストレスは軽減されるが、基礎的な知識を持っていることが前提となる。


 今はその基礎を教えているから、少し先からは実践できると言うと、システィリアがベッドに押し倒してきた。



 ひとつ舌なめずりをして、獲物を捕らえた狼の目でエストを見る。



「あと少しの我慢よ……ふふっ、アンタも照れちゃって……今日はお仕置きしてあげる」



 あと少し基礎を教えたら、楽になる。

 そう言いたかったのだろうが、エストには別の意味でしか聞こえなかった。

 そして、それから数十分。

 彼女からの熱い接吻を受け止め続けたエストは、次にお尻を触る時は覚悟を決めようと誓う。


 システィリア成分を過剰に摂取したからか、思考がふわふわと定まらなく、気づけば隣で眠る彼女に抱きついていた。


 過剰摂取は危ないと思いつつも、また得たくなってしまう。そんな彼女の魅力に、エストは虜になっている。



 朝になって目を覚ますと、寝顔を見るようにシスティリアの黄金の瞳がこちらを向いていた。

 ぱちぱちと瞬きをしたところ、まだ満足していないと言わんばかりに、唇が触れる。



「ぷはぁ……アンタって意外と押しに弱い?」


「システィからの押しにはね。君じゃなきゃ、ここまで無防備にならないよ」



 嬉しいことを言われた彼女は、布団の中で尻尾を振りながらエストの胸に抱きついた。頬や鼻を擦り付け、耳で顎の下をくすぐっていると、頭の後ろに回された腕から優しく髪が撫でられる。


 普段以上にゆったりとした時間が流れ、エストの頭が徐々に活動を始めた。



「もうこんな時間だ。行ってくるよ」


「行ってらっしゃいのチュー……する?」



 少し照れくさそうにエストの前に立ったシスティリアは、そっと唇を重ねた。

 今日もこれで頑張れと言わんばかりの応援エールを受け取り、エストは強く抱きしめてから『行ってきます』と言ってドアを開けた。



「ふふふっ。行ってらっしゃい」



 井戸端会議やたくさんの突発的女子会で得た情報をもとに、エストを悩殺していくシスティリア。

 嫌がられないように気を付けつつ、溢れそうな愛情を注ぐことで彼女自身のやる気にも繋がっている。




 そんな彼女の作戦に見事にハマっているとは知らず、今日もエストはリングルに魔術を教える。




「はい。今から魔術を使うから、何の呪文か答えてみて」


「えっ……でもそれは詠唱を聞けば分かるのでは?」


「いいから。まずはやってみよう」



 これまでとは違い、椅子や机を用意せずに庭に集まった4人は、一体どうやって呪文を当てさせるのだろうと疑問を抱いていた。


 しかし、エストが杖先を地面に向けた瞬間、一瞬にして数十を超える構成要素からなる赤い多重魔法陣が現れると、詠唱無しに陣が輝く。


 口頭無詠唱の魔法陣詠唱という、普通の魔術師が『意味が無い』と切り捨てたやり方で火魔術を使った。


 魔法陣から立ち上がった炎は、周囲の空気を焦がすことなく大きくなると、深紅の影が肉体を得たように人の形を作る。


 そして真っ赤な狼の獣人が炎で象られると、4人はそれぞれ信じられないといった様子で炎を見ていた。



「炎の獣人が……歩いている」


「極端な話だけど、僕はこういうことが大好きでね。4大属性なら、この術式が一番好きなんだ。何か分かる?」


「これは……火像メデア、ですか?」


「正解。じゃあこれは分かる?」



 炎のシスティリアを消したエストは、次に青い多重魔法陣を展開すると、透明な水で全く同じ形を作りながら、今度は色が付けられていく。



「……水像アデア?」


「その通り。これも、これも、これもこれも全部像の魔術。初級の術式形態のひとつだね」



 息をするように火、水、風、土のシスティリアが現れると、それぞれが別々に動き始めた。

 火と風のシスティリアは互いの属性の魔術を撃ち合い、水のシスティリアは土に水をかけて泥にすると、泥のシスティリアは盛大にコケてしまう。


 まるでショーを見ているような気分になる4人だったが、ただひとり、それら全てをエストが制御していることに気づいた者が居た。



「まさかあなた……この4体を操っているの?」


「そうだよ。シェリスは意外と見ているね」


「……正気を疑います。脳が幾つあるのですか?」



 王女の言葉にギョッとした3人から視線が集まるが、エストは顔色一つ変えずに言う。



「このひとつだけ。練習すればこれぐらいはできるって証明になるでしょ? リングル、今見ていたように初級魔術は魔術の基礎だ。君にはこれを重点的に教える」




「私に……これが出来るでしょうか?」



 そんなリングルの前には、数にして15を超える魔術で造られたシスティリアが、思い思いに動いているとしか思えない光景が広がっていた。


 これほど気持ち悪さを覚える初級魔術は他に無い。

 卓越した技術とシスティリアへの愛情が織り成す狂気を帯びた初級魔術に、リングルたちは戦慄するのだった。

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