第161話 誰の背中を見るか


「それで60万リカになったの? なんていうかアンタ、荒稼ぎしようとしてない……?」


「まさか。してるに決まってるじゃん」


「認めたわね!? そんなことして大丈夫なの?」


「シェリスに頼めば大丈夫。あの貴族よりも立場が上だから、上手く巻き込めばいい」


「……ずる賢くなってるわ」



 日課の打ち合いとブロフの送迎が終われば、二度目の指名依頼となるリングルの魔術講師になるエスト。

 報酬金が謝罪を込めて相場の3倍に膨れ上がり、やっとまともな魔術を教えられると喜んでいると、庭でリングルと執事が魔術を使っていた。


 気配を殺して様子を見ると、木の的に向かって火針メニスを放つリングル。

 魔法陣の展開も遅く、構成要素も足りない不完全なもので放たれた針は、的を逸れて地面に刺さって燃えていた。


 執事が水魔術で消火し、再度放とうとするリングルの魔法陣をエストが破壊した。



「おはようリングル。執事さんも」


「おはようございます、エストさん」



 執事も深く礼をすると、昨日の件を謝罪しようとするリングル。しかしエストは『気にしてないから』と言って、執事も巻き込んで講義を始めると言う。



「私めにも講義を?」


「知っておいて得しかないんだよ? 手の空いている使用人を呼んでもいい。みんなで魔術の面白い部分を話そう」


「ですが……リングル様」


「きょ、今日のところは3人でお願いします」



 目の前の執事は共に受講することが確定すると、昨日と同じように氷の机と椅子を造り出したエストは、学園を真似て横に長い土壁アルデールを出す。


 ほんの数秒で学園のような環境が完成し、リングルは口をぽかんと開け、その場に立ち尽くしていた。



「ほら、座って。冷たくないから」



 着席を促しながら懐からチョークを出す。

 雑貨屋で筆記具を買い漁ることがあったエストだが、こんなところで役に立つとは思ってもみなかった。

 杖を亜空間に仕舞って右手でチョークを握ると、エストは大きく『魔術とは何か』と書く。



「魔術は論理的になった魔法。イメージの世界だった魔法をより使いやすく、精度を高めたものが魔術。これは知っているよね?」


「……し、知りませんでした」


「同じく存じ上げません」


「いいね、知らないことは知らない。ちゃんと言えるなら上手くなれるよ。それじゃあまず、面白い“魔法の歴史”について話そう」



 そうして語られた物語れきしは、何千年……否、何十万年も昔の話である。




 この世界が生まれるもっと昔。

 地上も空気も無い、魔力だけだった世界に一柱の精霊が居ました。

 精霊は眠っていましたが、目が覚めると同時にこの世界の枠、“空間”という概念が生まれました。

 空間を作ったと同時に、そこは世界としての機能を持ち、中にもう一柱の精霊が生まれます。


 その精霊が目を覚ますと、“時間”の概念が生まれました。時が流れ始めた世界の中で、二柱の精霊は自身の体を削って新たな精霊を作ります。


 最初に生まれたのは二柱の精霊。

 次も二柱の精霊。

 最後に、四柱の精霊が生まれます。


 最初の精霊は、下の子たちをを見守るべくして生まれた“自然”と“雷”の権能を持ち、次の精霊は“光”と“闇”を司ります。


 そうしてその空間には大地が生まれ、空を稲妻が駆け、世界に昼と夜が生まれたのです。


 大地は揺れ動き、雷が降り注ぐ。数秒間で昼夜が変わる世界では、生命は誕生しません。そこで、末の精霊たちが自然の調和をとります。


 “火”、“水”、“風”、“土”の4つを司る精霊たちは、胎動する大地を鎮め、火山や海、そして空気を作ることで、穏やかな世界に変えたのです。


 わがままな昼と夜を捕まえた精霊は、世界を照らす長い昼を。世界を眠りにつかせる夜を作りました。


 調和のとれた世界では、やがて自然の種が発芽します。それは、精霊の欠片とも呼べる奇跡であり、大地には緑が広がりました。


 そして、自然の種は動物を生み、世界の──



「こ、これは何の話なんですか!?」


「本当の世界創世の話。これから動物の繁栄と魔物の誕生、それから原初の魔法について……」


「何時間話すつもりなんですか!」



 空間の精霊から教わった話を童話調に話すエストだったが、流石に長すぎたようだ。



「せっかちだなぁ。じゃあ色々すっ飛ばして、君の適性と使える階級、具体的な呪文と理解している範囲の術式を教えて」


「す、すっ飛ばしすぎです……ひとつずつお願いします」


「全く、要望の多い生徒だ」



 ゆっくりとリングルのことも理解するように、使える魔術を聞いていく。彼も例に漏れず中級までの知識しかなく、他属性の魔道書は読んでいないらしい。

 まずはその癖を直そうと言ったエストは、火魔術と相性の良い風魔術を教えることになった。


 もっとも、この2人が使えるわけではない。

 風魔術の考え方を火魔術に活かすために、呪文ではなく構成要素のひとつひとつを分解するのだ。



「──それで、用途が違うから針と槍は別の魔術として分類された。ここまでいい?」


「はい。とても……分かりやすかったです」


「じゃあ実践編と行こう。僕に向かって火針メニスを撃ってみて」


「で、でもそれは──」


「そんなんで怪我をするほど、僕は弱くない。別に2人同時でもいいよ? ほら、立って」



 優しい講義が終わり、厳しい実技演習が始まる。

 しかしエストは、実技よりも知識の有無を気にするタイプだ。ここでの失敗は誰よりも寛容に受け止め、分からないことは丁寧に教える。


 まずは使って感触を確かめようと言うと、リングルが赤い単魔法陣を展開した。


 構成要素は合っている。

 回転速度も問題ない。

 針の大きさはペンのようだ。



「い、いきます! 火針メニス!」



 放たれた火の針は、真っ直ぐにエストへ飛ぶ。

 この際、制御し続けることで追尾させることもできるが、その技術はまだ一般には知られていないので教えていない。


 避けてもいいが、庭の地面が焦げるだろう。

 エストは右手に白い粘液のようなものを纏うと、放たれた矢のような速度で飛ぶ針を摘んだ。


 人差し指と中指で取ったそれを見せつければ、執事と共に顎が外れんばかりに口を開ける2人が居た。



「うん、良いんじゃないかな。教えたことがそのままできてる。優秀だと思うよ」


「えっ……え、と、止めた? 指で?」


「リングル様……魔術とは触れられるのものだったのですか……?」


「……少なくとも私には無理だ。きっと、エスト先生しかできないと思う」



 針を握って消滅させれば、次の魔術へ進む。

 最初は初級からじっくりやっていく。

 頭と体が魔術に馴染んできてから、中級に手を出したり、初級の完成度を上げていげばいい。


 そうすれば、学園の試験程度なら簡単に答えられるようになるはずだ。


 知識と経験を結びつけて覚える。

 頭だけでなく体でも覚えることで、緊張状態でもある程度は使えるというもの。

 エストはじっくりと、魔術師の卵を温めることにしたのだ。



「そういえば、その試験の問題用紙はある?」


「はい。私の解答と持ってきましょうか?」


「解答は……要らない。今の君の誤答は質が悪い」


「質、ですか」



 言葉としては侮辱しているように取れるが、その裏に隠された『間違っているかは関係ない』という意図を即座に読み解くリングル。


 エストの言う『質』の意味を知れば、きっと失敗に臆することなく挑めると確信した。



「いい? 魔術師の誤答は魔道書の1ページだ。知識と経験を持った魔術師が間違えるということは、そこから新たな魔術が生まれるかもしれない。魔術の種を育てられるくらいの知識が無いと、誤答への価値が無い」


「誤答への……価値」


「せっかく僕が講師になったんだ。君たちには価値のある失敗をしてほしい…………奥の2人もね」



 奥の2人、という言葉にリングルが振り返ると、そこにはシェリス王女とルージュレット皇女が真剣な表情で聞いていた。


 いつから居たのかと聴きたくなるリングルだったが、今は言葉を飲み込み、エストの話を聞く。



「とりあえず、後で問題用紙だけ貸して。寝る前に僕が解いてみるから。それと、この屋敷に魔道書はある?」


「火魔術だけなら、中級まであります」


「じゃあ残りの3属性も中級まで揃えて読んで。できれば光と闇もほしいけど、多分無いからね。4大属性を覚えたらある程度自由に魔術は使えるよう」


「それは……金銭面的な問題が」



 初級魔術の記された魔道書でも、一冊20万リカはする。中級なら5割増で売られることも多く、軽く100万リカを超えるだろう。


 そんな値段は自分では動かせないというリングルに、流石の王女たちも頷いていた。



「じゃあ稼げばいい。冒険者でも、ギャンブルでも。安全なのはギャンブルだけど、安定はしないよ」


「まあ! エストさんは賭け事をなさったことが?」


「フラウ公国ではポーカーだけで路銀を稼いだよ。楽しく稼げるんだけど、システィに怒られるからなぁ……」


「あなたの場合、稼ぎすぎるかその逆だからでしょう?」



 シェリスの予想は当たっている。

 その気になれば10リカから財産を築けそうなほど稼ぐエストを見て、ギャンブル禁止令が出されたのだ。

 しょぼんとするエストの顔が何とも彼女の心をくすぐったそうだが、心を鬼にして約束を取りつけた。



「君があの人を説得するか、自分で稼ぐかは好きにしたらいい。魔道書は読むだけじゃ意味が無い。理解してこその物だから、まずは初級から読もう」


「もしかしたら……成果があれば、父上に工面していただけるかもしれません」


「だったら、もう少し火魔術について話すよ」


「わたくしもしっかりと聞かせて頂きますわ!」



 皇女にとっては既に知っている知識でも、改めて聞くことで新たな発見があるかもしれない。

 立場に溺れず、魔術に真剣に向き合う姿勢は、ここ数日で見てきたどんな彼女よりも美しいとリングルは感じた。


 賢者として認められなければ、王室に迎えられる可能性すらあるエストだ。その手が届かなくても、視界に入れたいというのはシェリスも同じだった。


 適性が違えど同じ魔術に向かって知識を深めることに、学園とは違う一体感を覚えたリングル。



「よし……頑張るぞ」


「その調子です、リングル様」



 執事の応援に笑顔で頷き、バルメド辺境伯にひと泡吹かせるべく、講義と実践を繰り返した。

 日が暮れるまで続いた魔術の授業は、これまでとは違う緊張感と、確かな成長を実感することができた。


 今日は食べ歩きをしないで帰るというエストを見送れば、リングルは自室に戻って執事と話す。



「あの先生は本物だ。本当の賢者だ!」


「伝承通り、全ての魔術を使っておりましたな」


「先生の知識は学園の講師よりも遥かに深い。それでいて私と同じ年齢など……あぁ、信じられない」



 殆ど伝説上の人物に会ったようなもの。

 今になって手が震える緊張が体を走り、興奮が冷めない。



「魔術師になってやる。必ず宮廷魔術師団に入って、父上を見返す。私に……着いてきてくれるか?」


「勿論です、リングル様」


「では復習しよう。今日教わったことは、金塊よりも価値のある知識だ。きっとあれですら私が理解できる範囲しか教えていないはず。すぐに紙に記すぞ」


「はっ。ただいま用意致します」



 リングルの燻っていた状況は、たったひとりの魔術師によって再燃する。

 父親である辺境伯を見返し、失敗が魔道書の1ページになるような人生を歩んでやると、胸に誓ったのだ。


 歩むべき道が見えたらあとは進むだけである。

 確かな知識と膨大な経験。

 魔術に関して、他の追随を許さないエストが講師についた以上、全力で学ぶことができる。




「父上……魔術の価値を、私が教えてみせます」

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