第160話 見合う知識


「2万リカ。相場の2割にも満たない。つまり、そういうことでいいんだね」


「……はい。こちらも忠告はしましたので」


「うん、ならいいよ。ありがとう」



 明らかに不適切な報酬を約束されたエストは、相手がその気ならこちらも値段相応の仕事をしてやると意気込んだ。


 目指すは領主亭。ニルマースを割る一本の大きな道を真っ直ぐ進んだ先にある、大きな屋敷だ。


 朝起きてブロフを送ってから、システィリアに言われている。『冒険者は知識も商材』だと。それも魔術の知識となれば、サバイバル知識とはまた違った価値を持っている。


 万人が受け取れる代物ではないのだ。2万リカという金額は、一冊の魔道書にすら満たない金額。

 それ即ち、ひとつの魔術も値しない価値だと言われている。ここまで来れば、もはや呆れのため息が出る。


 魔術を使わない一般人でもその価値は知っている。それなのに、領主ともあろう人物が軽視するなど笑いの種にもならない。


 毅然とした態度で立ち向かおうと、エストは門の側に立つ騎士に依頼書を見せた。



「どうぞ。ご案内致します」



 返事はしない。わずかに口が開いてしまうが、きゅっと結んだ。後で謝ろうと思って静かに後ろを着いていくと、屋敷の中ではなく、外にある庭へ案内された。


 そこには、マグマのような赤い髪の少年と、領主らしき筋骨隆々の同じ髪色の男と、あとひとり。こちらは知っている人が居た。


 門番の騎士が一礼をして去れば、エストは手を挙げて挨拶をする。



「おはよう。どうしてシェリスがここに?」



 領主でも、講義を受けるリングルでもなく、なぜかその場に居たシェリス第2王女に話しかけたエスト。

 ひとつため息をこぼしながら近づいた彼女は、恭しくスカートの裾を摘んで頭を下げた。



「ごきげんよう、エスト様。今は公の場ですので」


「そう。堅苦しいね。ルージュは居るの?」


「……席を外しております」



 一応居るには居るらしい。

 この場に現れるかは定かではないが、他国の要人である以上、騎士の護衛がつけやすい領主亭に居ることが多いそうだ。


 言外の意図を汲み取ったエストは、興味が無さそうに視線を移す。



「ふ〜ん。で、そっちの大きいのが依頼主か。隣の男の子が僕が魔術を教える相手、と…………あの報酬なら雑談でいっか。シェリスも混ざるよね。暇でしょ?」



 貴族相手に一切の敬意を感じない態度に、領主は恐ろしいものを見る目でエストを見た。

 普段物怖じしない性格だけに、息子の目にはさぞ珍しく映ったことだろう。しかし同じくして、辺境伯に挨拶もせず、第2王女と親しげに話す姿に声が出なかった。


 恐怖。全く予想していなかった存在に、ある種の恐怖心を抱いたのだ。



「……わたくしが居てもよろしいので?」


「いいよ。どうせ僕に聞きたいことがあってここに居るんでしょ?」


「……ええ。ですがその前に、バルメド辺境伯に挨拶をしては? 先程から震えるばかりでお話ししていませんもの」



 まるで立場が違う。なぜ目の前の男は王女の紹介でこちらを見ているのか。本来ならば、辺境伯の手で彼女を紹介するはずだった。


 それなのに……どうして。



「お、王女様に向かってなんたる無礼を……!」


「別にいいじゃん、人としては敬意を払ってる」


「なぜ私にも舐めたような口を利く!」


「王女より丁寧な対応したら、それはそれでマズイでしょ」


「ふふっ、確かにおかしな話です」



 王女より辺境伯の方が立場は下である。しかし、そんなことも分からないほどに辺境伯は混乱していた。


 無表情な瞳に見つめられると背筋が冷える。

 凛とした表情は誰よりも立場的な圧力を与えている。


 分からない。分からないのだ。

 バルメド辺境伯は、未知へ果敢に突っ込むタイプの人間だ。しかし、彼には突撃してはいけないと本能が警鐘を鳴らす。


 そう、本能。

 まるで人間じゃないような雰囲気なのだ。

 冷たく、大きく、それでいて美しい。

 氷の彫像のような彼の印象に気圧された。


 そのせいで話すことすら出来ないでいた。



「で、君は?」


「はっ、はい! リングルと申します!」


「適性は火かな。髪色的に土もあってよさそうだけど、まぁ金額的にどうでもいいや」



 金額。その言葉に辺境伯の頬が反応し、リングルは絶望感漂わせる表情を作った。

 魔術の勉強というのは、往々にして金がかかる。

 魔道書にしろ、学園にしろ、魔道具にしろ、とにかく金がかかる。魔道書なんて一般人の月給ほどの値段が最低額だ。


 それがBランクの指名依頼一回分なのだが、圧倒的に満たない額を約束されている。


 いつの間にかエストが出していた氷の椅子に座ったシェリス王女は、辺境伯ではなくエストに聞く。



「無礼を承知で聞きますが、どのような金額で?」


「2万リカだよ」


「……へぇ。私ならその50倍は出す価値があると思いますが……あぁ、もちろんこの雑談に、ですが。ねぇバルメド辺境伯?」



 公にはされてないとはいえ、初代賢者が直々に通達した3代目の賢者だ。救国の英雄、魔術師の頂点とも言われる存在である。

 そんなエストをまるで野ねずみを駆除するかのような値段で依頼したことを、シェリスは静かな怒っていた。


 数度話しただけで分かる知識の深さ。魔術に関することは誰よりも饒舌になれる経験を、そんな値段で買うなと言う。


 そして、そんなタイミングで屋敷からひとりの少女が出てきた。



「遅れてしまいましたか、すみません」


「おはよう、ルージュ。まだ始まったばかりだから大丈夫だよ」


「おはようございます。では、失礼して」



 普段よりも少し硬い雰囲気を放つルージュレット第2皇女が現れると、いよいよ辺境伯親子は居心地が悪くなる。


 ただでさえ緊張する王女のみならず、親睦のある他国の皇女まで居るとなれば、一言一句の発言に気をつけるところだ。


 だが、そんなことを一切考えずに話す男が居た。



「2人とも、この前教えた加速魔法陣はもうできるようになったの?」


「私は少しだけです」


「ふふ、わたくしはかなり早くできましたわ。宮廷魔術師の経験がある者に見せたのですが、肉を前にした狼のような表情をしておりましたの」



 胸を張った皇女の雰囲気が柔らかくなる。

 彼女としてはシェリスに『今日エストが来る』という情報を与えられただけに過ぎない。そのせいで、王女の言う公の場ではないと判断したのだ。


 一国の姫のプライベートを引き出す。

 彼にどんな魅力があってそんな芸当ができるのかと、リングルは息を殺して話を聞くことにした。



「ならよかった。シェリスは属性の違いがあるから、今日は光について少し教えようか」


「……いいのですか? そちらの依頼は」


「今から教えることを聞いていれば、依頼料に見合った知識は得られるよ」



 リングルの背筋が伸びた。

 聞かれていることは分かっている。だから、よく聞いておけと釘を刺されたのだ。

 ただの雑談に2万リカの価値は無い。ゆえにこれは、雑談を装った魔術の講義であることを理解できる。


 改めて氷の椅子に座り直すと、バルメド辺境伯も静かに座った。



「シェリスは光魔術で何をしたい?」


「漠然とした質問ですね。私は身の回りに居る者が怪我をした時に、この力で治してあげたいです」


「……ユーモアが足りないね」


「怒りますよ?」


「光の適性があれば、ほぼ全員そう答えるから。じゃあ怪我を治す呪文は? 4つあるけど全部言えるよね」



 少し圧を感じる言い方でシェリスに問いかけると、右手を机の上に置いてひとつずつ答えていく。

 ただ数えるだけなのに気品を感じる所作は、彼女がしっかりと王女としての教育を受けたことが分かる。



治癒ライア回復ライゼーア欠損回復ライキューア……としか教わっていません」


「あ、わたくし分かります。聖域胎動ラシャールローテ」ですわよね」



 王女を助けるかのように付け足したルージュレットだが、美味しいところを持っていったようなものである。

 僅かな動作で睨まれる皇女だったが、その視線は隣に座るエストに向いていた。



「そうだね。今のはシェリスの勉強不足とも言えるけど、実は違う」


「……そうなのですか?」


「君は他の属性魔術を知らないでしょ? 魔術はそれぞれが特別な分野を持っている風に見えるけど、本当は同じような呪文体系を持っている」


「土の適性があっても風の魔道書を読め、と仰ったそうですね」


「うん。シェリスは領域系の魔術を学ぶために、他の属性の領域系魔術を知った方がいい。体系は同じだけど、属性によって効果は様々。聖域胎動ラシャールローテがどうやって癒しをもたらすのか、知ったら面白いと思うよ」



 システィリアも同じ道を辿ったものだ。

 彼女の場合は一度に全ての領域系を学ぶという荒いものだったが、王女だと順番に学ぶことができるだろう。

 他の属性から入った魔術は、自身の適性に対する興味や関心、向上心を高めてくれる。


 意外と負けず嫌いな側面が見える王女なら、ルージュレットを比較対象に勉強を重ねるだろう。



「……とまぁ、2万リカならこれぐらいかな。2人だけだったらひとつずつ領域系を見せて教えるけど」


「どうして私たちには教えてくれるのですか?」


「ルージュが立派な魔術師だから。シェリスが今後、上級魔術を使えるようになったら、同じ扱いをするよ。僕は君たちのように知識に対する価値を持っている人が好きだ。リングル……だっけ。君も」



 聞く姿勢で分かっていたのだ。

 リングルは魔術の知識に対する正しい価値を持っており、先程の3人の会話から何を学ぶべきかを理解している。


 彼は頭は良い。ただ、学び方が悪かったのだとエストは予想する。ここで良き学び方を教えるのは、魔女やジオがしてくれたことへの恩返しにも繋がる。


 エストはまだ若いが、後輩の育成は人を守るためにも大きな役割を持つと認識したのだ。



「僕は人より魔術に詳しいと自負してる。だから、続きが気になるなら正しいと思う金額で僕を雇えばいい。この2人ならそうするよ」



 立ち上がったエストが王女たちの頭に手を置いた。

 傍から見ればこれ以上なく無礼な行為だが、シェリス王女はムスッとしながらも頷き、ルージュレット皇女はもちろんと自信満々に頷いていた。



「あ、価値が分からない人……まぁ居ないとは思うけど、本当に分からないと言うのなら、シェリスに聞いた方がいい」


「私に? ……ああ、そういうことですか」



 シェリスはこの国の王女だ。

 自身が属する国の者に聞くのが一番である。

 頭を下げ、価値が分からないので教えてくださいと言うことが、今回エストが感じた怒りの払拭に繋がる。


 最後にリングルと目を合わせ、右手を差し出した。



「君のやる気は伝わってる。今日は失礼なことをしてごめんね」


「い、いえ、こちらこそありがとうございました」



 きっと適切な報酬で再度依頼されるだろうと信じ、握手を交わす。

 リングルは事前に、シェリス王女からエストの年齢は聞いていた。同じ歳にも関わらず、纏う雰囲気は熟練の魔術師とそう変わらない。


 王女たちの反応からも、賢者ということは本当だと伝わったのだ。未来への活路を見出せたのだ。



「それじゃあ僕は食べ歩きして帰るから」


「いつも食べてますね」


「ドゥレディアで虫ばっかり食べてたから、肉とか魚がより美味しく感じるんだよ」


「まぁ! 次はドゥレディアのお話をされるので?」


「魔術に関係ないからしない。本当の雑談の時にでも話すよ」



 明らかに王女たちの雰囲気が柔らかくなった。

 完全なプライベートでの反応に見えたリングルは、やはり彼が只者ではないと感じる。

 気品はある。姿勢もいい。それでいて歳相応の反応を見せる時があり、そこが王女たちと仲良くなった理由だと考察した。


 ああなりたい。魔術師でありながら貴族のような立ち振る舞いができる姿に、憧れを抱いた。

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