第159話 魔術ではできないこと
「へ〜、既に枠ができてるのね」
「よく一日でここまでやったな」
「今日は2人の力も借りるよ。身体能力的にも、僕より何倍も早く終わるでしょ」
3人で村の外周をぐるっと見て回ると、事前確認が終わる頃には村の中では騒ぎになっていた。話題に絶えない村だと感心するのも束の間、システィリアやブロフまで神の使いだと囁かれた。
2人して頬がピクピクと動いているのを見て、エストが村長を睨む。
「ち、違います! 皆には辞めるように言いました!」
「最悪、僕だけなら許すよ。でも僕の仲間にまで神の使いだと言うのなら、もう防壁は建てない」
最終警告だと釘を刺し、威圧するように冷気を放つことで村人にもエストが本気だと伝わっていく。
ブロフが両腕を擦っているのを横目に、システィリアが呟いた。
「もう神の使いと言った方が楽なんじゃないかしら」
「賢者様は大変だな」
身内から言葉の槍を刺されながらも胸を張ると、そんなブロフの小言が聞こえたひとりが『賢者様と言ったぞ!』と叫んだことから、新たな呼び名が広まった。
思わずシスティリアが吹き出してしまい、ガックリと肩を落とす賢者の姿がそこにあった。
「ではエストさんとお呼びしましょう。それで、お連れ様のお名前は?」
「オレは……ブロフだ」
「システィリアよ。エストはアタシの……お、夫よ!」
夫という言葉に一気にエストへ視線が集まる。
何せ、相手は獣人である。人族と獣人の夫婦はかなり珍しく、それだけで街で有名になるほどだ。
それが小さな村に、それも村長の怪我を治し村に防壁を築こうという者なら尚更。一瞬にして2人の関係は広まり、システィリアは満足そうに頷いていた。
しかし顔が赤く、尻尾が異様に反っているのは、彼女の緊張が現れているのだろう。
「とりあえず、今日は3人で作業するよ。他に手伝えそうな人が居たら、明日からお願い」
「手配しましょう。若手は少ないですが、力はあります」
「うん。それじゃあ、くれぐれもあの呼び名だけはやめるように」
そうして予定地に着くと、エストは大量のレンガを焼き上げながら、バケツ数杯分の膠泥を作っていく。
ブロフが膠泥を指で擦り合わせて状態を確認すると、一言『最高だ』とこぼした。彼には、炉を作る時に似たような材料を触ったことがある。
鍛冶師たるもの炉にもこだわる。相応の知識を備えているがゆえに、早く作業させろと道具をせがんだ。
「珍しいわね。ブロフが乗り気だなんて」
「至高の材料を揃えられて腕を捲らないドワーフは居ない。お嬢、エスト、しっかり見て覚えろ」
饒舌にレンガ積み方や膠泥の伸ばし方を語るブロフに習いながら、下部の補強と平行して綺麗に重ねていく。
ぺたぺたと膠泥を盛っては均一な厚さに塗り広げ、真っ直ぐにレンガを乗せて溢れた膠泥を掬いあげる。
ブロフが見せた一連の動作は実にスマートだ。
長い人生の中で得た経験を遺憾無く発揮し、それを見た2人が真似をする。
やれ盛りすぎだの地面に落とすなだの騒ぎながらやっていれば、あっという間に昼食の時間になった。
泥まみれになった2人を
「今日中に完成しそうな勢いだね」
「いや、ここからはオレの身長が足りない。効率は大きく落ちるぞ」
システィリアお手製の野草とオーク肉のサンドを頬張りながら2人が話している中、システィリアは村の女性と井戸端会議をしていた。
「システィリアさん、とっても器用ですのね。お仕事を少し見ていましたが、旦那さんと変わらない早さでしたわ」
「普段はどんなことをなされているので?」
「アタシたちは旅をしているのよ。ちょっと
「旅なんてされてたら、2人の時間は取れるのかしら?」
「もちろん作ってるわよ。朝と夜は一緒だし、ちょっと長く滞在する時はデートもするわ」
それからも旅での生活風景を語っていると、午後の仕事が始まった。仕事と言っても先程とやることは変わらず、集中しながらレンガを積んでいく。
エストよりもシスティリアの方が手先は圧倒的に器用なのだが、頭の中で理想の動きを描くエストは、彼女と同等の速度で膠泥を塗り、レンガを積み上げていた。
彼女がエストに追いついているのではない。
エストが追いついているのだ。
魔術ではできない手間のかかる手作業だが、師となるブロフが居て、競い合える相手が居れば、自然とエストのやる気は燃えていた。
3秒先のことも見えないくらい集中するエストに触発された彼女は、段々と精度とペースを上げていく。
そして、そんなシスティリアに追いつかんと動きを洗練させていくエスト。
その速度はブロフよりも早くなっていき、やはりこの2人は只者ではないと再確認させられた。
「信じられん……一日で終わらしよった」
日が暮れる頃には、息を切らした2人が最後のレンガを積み上げた。壁の高さは胸より少し高いくらいだが、これでゴブリンとコボルトは入ってこれない。
例えオークであっても乗り越えるのは苦労する高さだ。防壁として、充分な効力を発揮するだろう。
「お、お疲れ様でした。まさか昨日の今日で終わらせてしまうとは……流石です」
「まぁね。ちょっと楽しくなっちゃった」
「アタシもつい本気になっちゃったわ」
額の汗を拭ったエストが、今回の防壁建築による昇格署名の書類を受け取ると、あと一週間は倒れないか様子を見たいと言うブロフ。
村長としては願ってもない言葉であり、毎朝村へブロフを送ることを約束されたエストは、ふたつ返事で了承した。
村人全員に見送られながら小さな門を抜けると、エストの空間魔術で宿の前に帰ってきた3人。
「ん〜、2人ともお疲れ様。今日はありがとう」
「普通の依頼より楽しかったわ」
「全くだ。話を聞いた時は何言ってんだと思ったが、存外楽しかったわい」
「職人口調のブロフ、カッコイイね」
「うるせぇ」
頬を掻きながら部屋へ戻るブロフを見送ると、エストは冒険者ギルドへ行くと言う。
帰ってきたらシスティリアと一緒にお風呂に入る約束をすると、運搬と討伐、そして防壁建築の書類を手に、受付嬢と話した。
結果的に2つの……否、3つの依頼を同時に達成したことが認められると、別のギルド職員から声がかかる。
「あ、居た! エストさん、あなたに指名依頼が来ています! それも割と重要なやつ!」
「はあ。でも連絡来なかったよ?」
「免除の期限は切れてますけど、三ツ星にキレられないか心配で送れなかったんです! それで、受けてくれますか? 受けてくれますよね! 受けますよね!」
グイグイ来る受付嬢に、汗臭いと思われたくないエストは一歩引いた。
その様子に最初に話していた受付嬢が服を引っ張ると、わざとらしい咳払いをした後に小声で依頼内容が伝えられる。
「依頼主はニルマースの領主です。依頼内容は、次男に魔術を教えてほしいとのこと」
「報酬は?」
「伝えられておりません」
「じゃあ受けない。知識に対する価値もわからない人に頼まれたって御免だよ」
「……明日には報酬をお伝えするので、受けてくれます……よね?」
「対価が支払われるならね。もし相手に支払う気が無いなら、適当な魔術を雑に教えて終わるから」
「…………はい。必ずお伝えします」
そうして運搬と討伐の報酬をそれぞれ3倍の金額で受け取ったエストは、明日また来ると言ってギルドを出た。
指名依頼を受ける時は必ず報酬の確認をしろと、ガリオには口酸っぱく言われていたのだ。それが功を奏してか、今回の件に役立った。
少し曇った気分で宿に帰ったエストだったが、システィリアと温泉に入ることでリフレッシュするのだった。
一方その頃、領主亭では。
「リングル! 来月には宮廷魔術師が来るのだぞ! なんだその試験結果は!」
「すみません、父上……今年の試験は難しく」
「試験のせいにするな。お前の努力不足だ!」
「……すみません」
観光産業で栄えたニルマースの領主は、国王からも信頼が熱いバルメド辺境伯である。辺境伯には3人の子どもが居て、長男のゼネルドは聡明な嫡男であり、長女のリリーナは類まれな算術の才能を持ち、既に次期公爵の元へ嫁いでいる。
そんな中、次男のリングルだけはこれといった個性が無かった。
王国の魔術学園へ通う彼だが、冬休み前の試験結果を見た辺境伯は、パッとしない成績に怒りを顕にした。
「まだ来ないのか、今代の賢者とやらは」
近くに居た侍女に聞いたバルメド辺境伯は、返ってきた答えに顔を赤くする。
「報酬が無いなら受けないだと!? 冒険者風情が何を贅沢言っておるのだ!」
「……父上」
「適当に1万リカでも払えばいい。明日来るように伝えろ!」
「ち、父上! 魔術講師にそのような報酬は……」
あまりにも安すぎる。
そう苦言を呈するリングルを一蹴する。
「お前には優秀であってもらわねば困るのだ。家督も継げないお前は、せめて宮廷魔術師団に入ってもらわねばな」
「…………でしたら、金額を上げるべきです」
「賢者を名乗る冒険者に、何をやるというのだ。馬の
「せめて、私の次の試験結果に準じた報酬にするべきかと。休暇が明けてすぐ、また試験があります。その時にでも……」
「支払うにも期限がある。お前の成績を予想して報酬をやるとすれば……ふん、せいぜい2万リカか?」
「父上!」
知識に対する報酬。その知識を受け取れるかという問題以前に、辺境伯とリングルの間には、大きな溝があった。
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