第246話 シトリラスの旅立ち
「お母さん、お父さん。おはよう」
朝日が照らす、シトリン西部の広い墓地。
数ある墓石の中でも一際大きく、花と波の意匠の墓石に刻まれた、シトリラス夫妻の名前。
その血を引くひとりの娘が花を供え、墓前で肘立ちになると両手を組んだ。
寂しい気持ちはまだ残っている。
胸の中に居る2人の言葉は、今も彼女の幸せを願い、眩く、優しく語りかけてくれるのだ。
しかし、そんな両親とも別れの時が来た。
「私ね、旅に出るの。それも、3代目の賢者様と一緒に。こんな話、信じられないよね……夢みたいな話だもん。でも決めたんだ。この故郷を離れて、もっと立派な魔術師になって、それで…………魔女に、なってみたい。あはは、俗な理由かな?」
ライメリア・シトリラスは貴族令嬢である。
他の貴族令嬢ならばこのように夢を語ることは、品が無い、高貴であれと叱られるだろう。
しかし、シトリラス家は自由に生きることを掲げている。
俗物的であろうと、胸を張れるならそれでいい。
己が決めた道を曲げずに進むことが、真の気品であり貴族の生き様である。
「名前、置いていくね。私はライラとして生きるから。それでも、親は変わらない。私の親はお母さんとお父さん……2人だけだから」
ライラは故郷を出て魔術師として生き、魔女になることを目標として掲げた。
魔女は賢者と対を成す、至高の魔術師。
天賦の才を不屈の精神で磨き上げた末に至る、魔術の極地を切り拓く者。
夢物語だっていい。それが彼女が胸を張れる理由になるのなら、シトリラス夫妻は笑顔で背中を押す。
「行ってきます。また、帰ってくるからね」
そう両親に告げたライラは、朝日の昇る港街へ……シトリン領東部へと向かった。
◇ ◆ ◇
一方エストは、宿の従業員に少し多めの気持ちを渡し、ファルム商会へと足を運んだ。
今日もたくさんの商人が魚や塩の売買に中継する中、特別対応を受けるエストはファルムと直接交渉をしていた。
たった数分で売買契約が結ばれると、案内された裏口に質素な見た目の幌馬車が置かれていた。
所々に風の魔石を埋め込んだ木材は軽く、馬車の材に使うことで軽量化を計り、同時に馬への負担を減らすことが出来る。
幌も魔石を練りこんだ糸を使った高級品であり、雨風や泥跳ねにも強く、面の衝撃なら鋼のような耐久度を誇るという。
しかし、点の衝撃や斬撃には弱いため、人や魔物に襲われた際は普通の幌と変わらない性能だ。
そんな幌馬車を特別価格の80万リカで購入したエストは、早速荷台に乗り込むと、馬に牽かせてみた。
「おお、軽い! じゃあまたね、ファルム」
「はい! まあお会いしましょう! ……例の土地に関してですが、必要な時は各街にあるファルム商会へお越しください」
「うん。その時はよろしくね」
そうして、荷台から顔を出したエストが手を振り、しばしの別れとなる。
近い未来にまた会うことを約束して、軽い幌馬車は宿へと進んでいく。
カラカラと小さな音を立てた馬車が停れば、音を聞きつけたシスティリアを筆頭に、ブロフとライラが宿から出て来た。
「どう? 馬車の旅になるんだけど」
「良いわね! これまで歩きっぱなしの旅だったし、たまには楽をするのもいいんじゃないかしら?」
「……軽木材に
エストと過ごせる落ち着いた時間が増えたと喜び、腕に抱きつくシスティリア。
その隣では、職人の目をしたブロフが馬車の特長を言い当てた。
一方で、ライラは馬を撫でており、人懐っこい性格の馬に『よろしくお願いします』と言い、頭を下げていた。
「あの〜、これは誰が御者をするんですか?」
「ぎょしゃ?」
荷台へ乗り込もうとするエストに、ライラから衝撃の一言が投げかけられた。
「……プフッ」
「……オレはやらんぞ」
何故か顔を背けて吹き出すシスティリアと、断固として御者台に立ちたくないと言うブロフ。
無論、エストも御者になるつもりはなく、そもそも御者台を景色を楽しむ場所として認識していた。
首を傾げるエストに、ライラは任せろと言わんばかりに胸を張った。
「じゃあ私がやります! こう見えても馬の世話はよくやっていたんです」
「そ、そっか。ライラの好きにしていいよ」
「はい! 大陸の果てまでゴー! です」
困惑するエストが荷台に乗り込むと、御者台に座ったライラが手綱を引いた。トコトコと特徴的な足音を立てて歩き始め、4人が乗っても軽い馬車を進めていく。
幌の下、最も御者台に近い位置にあるクッションに座ったブロフは、チラチラとライラを見てはエストに視線を送る。
しかし、縦長のクッションの上でうつ伏せになり、魔道書を読むエストは気づかなかった。
馬車に積まれたクッションは柔らかく、のんびりしたいエストによって、高い質の物が使われている。
また、これからの季節は寒くなる一方なので、温かい毛布や枕など、寝具の
まるでぐーたらしながら移動するための馬車だが、実際にその通りである。
エストの隣で尻尾の手入れをするシスティリアも、そんな意図は乗り込んだ時に見抜いており、新たなスタイルの旅に胸を踊らせた。
「みなさん、街を出ましたよ! 行き先は確か、東ですよね?」
「うん。とりあえずロックリアまでお願い」
「は〜い……って、ロックリア!? 王国の最東端じゃないですか! 一体、何ヶ月かけてそこまで……」
「大丈夫。3ヶ月で着くから」
王国の横断と言ってもいい目的地である。
それもそのはず、目指しているのは王国と帝国の狭間にある、魔女の森だ。
そのためには、街道を真っ直ぐ東へ進み、幾つもの街を経由してロックリアまで行かねばならない。
普通の馬車なら半年以上要する旅だろう。
しかし、この馬車は違う。
エストが3ヶ月で着くと言えば、馬の走る速度が上がったのだ。
「わわっ!? 急に速くなりました!」
「疲れたら休みなよ」
魔道書を読みながら呟くエスト。
寝転がったその背中には、システィリアの抜けた尻尾の毛が乗せられていた。
しばらくの間、ブラシに付いた毛を乗せ、再び尻尾を整えては毛を乗せ……を繰り返していると、山のようになった毛がエストの視界に舞い込んだことで、イタズラがバレてしまう。
換毛期に入ろうとするシスティリアの尻尾は、際限なく毛が抜けるのだ。
これから本格的に秋に入れば、更に抜ける毛の量は増す。次に同じイタズラをされたら、彼女の毛で小さい狼を作ろうと計画するエストは、黙って今回の毛を瓶に詰めた。
その様子を怯えながら見守るブロフとシスティリアに、フッと鼻で笑うのだった。
それから数時間が経ち、時刻は13時を過ぎた頃。
遅くなったが昼食にしようとエストが起き上がると、ライラが異常事態を知らせた。
「エストさん、大変です! この子、全く休憩しないんです! 飲まず食わずでずっと走ってて、このままじゃ──!」
「……ソウダネ」
エストがぎこちなく頷くと、ゆっくりと速度を落とす馬。全身が茶色の毛並みは美しく、まるで手入れした後のシスティリア……の、尻尾のようだ。
やがて完全に馬車が停止すると、街道脇の草地に移り、エストたちが降りていく。
「あの、システィリアさん! お水を……この子にあげることは出来ませんか?」
これから料理の準備をしようというシスティリアに、頭を下げたライラ。
しかしシスティリアは何とも言えない表情で見つめ返し、尻尾を緩やかに左右へ振った。
その意味が分からないライラは、このままだとすぐに馬が死んでしまうと力説するが、システィリアは可愛らしく首を傾げた。
すると、
「エストさん……?」
「もしかしてライラ、気づいてないの?」
「何がです?」
キョトンとするライラに、エストは馬に指をさす。
「あの馬。僕が魔術で作った馬だよ」
「……へ?」
「
「…………へ?」
初めから、エストが買ったのは幌馬車だけである。牽引用の馬も一緒にとファルムに言われたが、それは必要無いと言って値引きしてもらったのだ。
それが特別価格の理由であり、そもそもエストが御者を必要としない真相である。
しかし、ライラは現実を受け入れられなかった。
何故なら、あまりにも馬が本物そっくりだからだ。
毛並みや手触り、尻尾の質感に耳の動き。
筋肉の躍動に、蹄から出る音。
そして、個性のある仕草まである。
それら全てがエストの手によって造られた物であり、仕草も彼の気分で出来ることだとは、頭も心も理解出来なかった。
「僕が得意な魔術って、像形成の初級魔術だからさ。本物と思われるのは嬉しいな」
「……アンタのは質がおかしいのよ」
「だって一番自由な術式なんだもん。イメージがそのまま形になるんだよ? こんなの、遊ばない方がおかしい」
「遊びの領域を超えすぎなのよ。もうっ」
そう言って彼女は料理をしに行くと、薪となる枝を集め終わったブロフが、固まってしまったライラを見て頭を抱えた。
エストの旅が、いかに異常であるかを知ってしまった。
彼女の中にある常識の枠が、バキバキと音を立てて破壊されたのだ。
ようやく、ようやく馬が
「な、なんですか……これが……魔術?」
「あ〜あ。やっちまったな、エスト」
「魔術にあるのは常識じゃなくて型だからね。正しく学んでぶち壊す時が気持ちいいんだ」
「変態だな」
型破りとは言ったものである。実に破天荒なエストの魔術は、そんな言葉では収められないほどの狂気を秘めている。
それは、あの魔道書を読んだライラだから分かる。
あそこに書かれていた言葉は、全て“型”だと。
その型を知ることで、破るべき目標と、超えるべき壁が見えてくる。
エストが真に伝えたかったことを、ここに来て理解したライラは、大きく息を吐いてから立ち上がった。
そして、エストの純粋な瞳を覗いて言う。
「キモイですね!」
それが、ライラの吐いた初めての暴言だった。
「でも、好きです。この馬を通じて、エストさんの魔術に対する愛が伝わってきました。これからも教えてください!」
「……キモイって言われた」
「で、ですから! その、特異だなぁ、と!」
「恥の上塗り。罪の重ね着。システィに言いつけてやる!」
「え!? どうしましょう……ブロフさん!」
助けを求めるライラに、ブロフは──
「キモイのは同意する。が、目を見て言ったお前には驚いた。アレは流石に可哀想だ」
「う、うわぁぁん! システィリアさんに怒られるぅ!」
そうして、ライラという新たな魔術師が増えたパーティは、これまで以上に騒がしい集団へと変わるのだった。
◆ ◆ ◆
暗く冷たい海の底。
無惨に食いちぎられたクラーケンの死体の前で、青黒い髪をした女が手を挙げた。
長く、水に舞う髪の中から伸びる2本の角。
青く怪しく輝く瞳の前には、巨大な水龍の鼻先があった。
『……そう。殺し損ねたのね。でも、賢者はあなたを殺せなかった。…………フフ、フフフフフ!! アハハハハ!!! いいわぁ、あなたが鍵よ、水龍。あなたが──』
『賢者エストを殺すのよ。深海の眷族として』
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